兵庫県で、ここだけ
何か運動を始めた方がいい。
そう思い始めてから、たぶん三年くらい経っていた。
健康診断で何か引っかかったわけではない。体重も、去年と比べて極端に増えたわけではない。
血圧も血糖値も、医師から注意されるような数字ではなかった。
ただ、階段を上ったあとに息が切れる。
休日に昼まで寝ても、身体が軽くなった気がしない。
仕事から帰ってきて、夕食を食べ、風呂に入り、動画を眺めているうちに一日が終わる。
それを繰り返しているうちに、身体を使うという行為が、生活の中からほとんど消えていた。
学生の頃、部活に打ち込んだ経験はない。
中学では帰宅部だった。
高校では、何か入った方がいいと言われて入ったものの、活動らしい活動はしない幽霊部員だった。
大学でもサークルへ入らず、授業とアルバイトを往復して終わった。
運動が嫌いだったわけではない。
得意でもなかった。
走ればそれなり、球技では自分のところへボールが来ることを楽しむことくらいはできる。
水泳は、小学生のころまでスイミングスクールに通っていたこともあって人並みに泳げたが、卒業まででやめた。
だから、大人になってから運動を始めようとすると、何を選べばいいのか分からなかった。
大体のスポーツは、相手が必要だった。
初心者歓迎と書かれた社会人サークルを調べて、掲載されている写真を見ても、経験者が並んでいるように見える。
当たり前だ。
本当に初心者が行ったら、歓迎はされるのかもしれない。
しかし、歓迎されることと、足手まといにならないことは別だった。
すでに出来上がっている輪への入り方が、そもそもわからないのだ。
新入社員みたいに、横並びで入るシステムしか、知らないのだ。
だから、より馴染みのある人が来た途端に背中を向けられると、自分の価値が否定されたように感じてしまう。
水泳も考えた。
一人でできるし、全身運動だ。
経験もある。
けれど、屋内のプールで決められたレーンを往復する光景は、あまりに運動そのものだった。
健康のために泳いでいます。
その目的が、服を脱ぐ前から身体に貼り付いているような気がした。
かといって今さら、到達しなかったバタフライを練習するのも違う気がする。
隣のレーンの人が自分より速ければ、それも分かる。
何往復したかも、どれくらい休んだかも、周囲から見られているような気がする。
あの子、もうやめるみたい。
自分はそんなこと思わないというのに、そんな風に思われるような気がしてしまう。
ジムは、もっと分かりやすかった。
重さ。
回数。
時間。
体脂肪率。
鏡。
数値で比べられるのが嫌なのではなかった。
筋肉は、使うものでは?
そもそも運動しないくせに、自分にとって辛い精神修行のような反復運動を避ける言い訳ばかりが浮かぶ。
ランニングも候補に入れた。
靴さえあれば始められる。
家を出た瞬間から運動になる。
しかし、走っている人を見るたびに、つらそうだと思った。
実際に一度だけ、近所を走ってみたことがある。
十分もしないうちに脇腹が痛くなり、帰りは歩いた。
汗をかいて、息を切らして、それでも移動した距離は、普段なら自転車で数分だった。
効率が悪い。
そう判断し、それきりになった。
何か一人でできるもの。
外へ出られるもの。
できれば道具を選ぶ余地があるもの。
身体能力だけで全部が決まらないもの。
そう考えているうちに、運動ではなく、ドローンへ気持ちが向いた。
空から景色を撮る。
一人でもできる。
機体を選び、操作を覚え、撮った映像を編集する。
いかにも趣味らしい。
休日に外へ出る理由にもなる。
ただ、調べてみると、飛ばせる場所には制限があった。
申請。
規制。
飛行禁止区域。
人のいない場所。
買えばすぐ好きなところで飛ばせるわけではないらしい。
それでもしばらくは、機種の比較動画を見ていた。
画質。
飛行時間。
障害物検知。
予備バッテリー。
ケース。
必要な装備を足していくと、思っていたより高くなる。
それでも、社会人になって何年か経ち、使う目的の決まっていない貯金はあった。
学生の頃にはなかった、大人の武器だった。
何かを始めるために、金を使ってもいいのではないか。
いや、ちょっと待て。
どうやって撮影スポットまで行くというのか。
そう思いながら検索していたとき、ロードバイクが出てきた。
細いタイヤ。
下へ大きく曲がったハンドル。
形こそママチャリと違えど、自分の知っているイメージで考えていた。
派手な服。
というか、ぴっちり過ぎで恥ずかしい。
普段着で乗らない意味が分からない。
最初に思ったのは、速そう、ではなかった。
ママチャリと、何がそんなに違うのか。
完成車。
フレームセット。
百五。
最後のものは、初め、価格か速度の話だと思った。
違った。
シマノという会社の部品の等級らしい。
ロードバイクには、車体とは別に、変速機やブレーキのまとまりにも名前がある。
ママチャリを買うとき、ブレーキがどこの会社のものか考えたことはなかった。
調べるほど、奥が深い。
そんな感想が、興味に繋がるほど適度な量ではなかった。
横文字ばかりが並ぶ。
百五はわかりやすいのに、上下との繋がりが意味不明。
なぜ、他は数字じゃないのか。
分からないことが多いというのは、面倒だ。
そんな感想が出た途端、否定的に思考が逸れる。
自分が、選ばなくちゃいけない。
この、わけのわからない有象無象から。
すでに十分なほどに、積み上がっていた。
やる前から諦める理由が。
わからないことは、専門家に聞けばいい。
最後に調べたのは、自分の街の名前と、ロードバイクというキーワード。
遠くまで買いに行くような気持ちは、すでに失せていたのだ。
否定的な思考に、終止符を打とうとしていた。
というのが、本音だったろう。
画面に出てきた店の紹介文を、私は二度読んだ。
兵庫県唯一のロードバイク専門店。
唯一。
兵庫県で、ここだけ。
神戸でもなく、西宮でもなく、姫路でもない。
なぜか近所にある。
住所を地図へ入れた。
見覚えのある道が表示された。
自宅から、ママチャリで五分。
歩いて、は絶妙に遠い。
広い兵庫県の中で、ロードバイクを買える特別な店が、どういうわけか近所にある。
県内のどこかに住んでいる人たちが、ロードバイクを買うためにうちの近所まで来る。
その店が、自宅から五分のところにある。
これはもう、始めろということではないか。
運命という言葉が、私の頭の中に燦然と輝いた瞬間だった。




