2つのカナダ
ブエルタがスペインを南へ進んでいるころ、世界選手権開催国のカナダでは2つのワールドツアーレースが行われた。
9月11日、グランプリ・シクリスト・ド・ケベック。
最終3周でレムコ・エヴェネプールが動いた。ジュリオ・チッコーネとアントン・チャームが同行した。集団との差は決定的には開かない。逃げ切るには足りず、捕まえるには惜しい距離のまま、2人になって最終局面へ入った。
残り75m。レムコはチッコーネの後ろから出た。
独走で勝つ男として知られる選手が、2人のスプリントを制した。
3位チャーム。後方から迫ったピドコックが4位。クイン・シモンズが5位。
ピドコックもまた、ただの4位ではなかった。マウンテンバイクのクロスカントリー世界選手権を制したばかりで、今度はロードの虹を狙っていた。イギリス男子がロード世界選手権を勝てば、マーク・カヴェンディッシュ以来15年ぶりになる。路面も競技時間も違う2つの世界で頂点を取る機会が、ポガチャルの欠場によって現実味を増していた。
世界選手権を2週間後に控え、レムコは自分が1つの勝ち方だけを持つ選手ではないと示した。ポガチャルの欠場で空いた本命の席へ、もっとも自然に座ったのは彼だった。
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2日後、9月13日。
スペインのグラナダでは、マスが赤いジャージを守り切った。ワウトは緑を持ち帰り、ログリッチは2位を勝利のように受け止めた。
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同じ日、モントリオールでは、世界選手権とほぼ同じモン・ロワイヤルの周回を使って、グランプリ・シクリスト・ド・モンレアルが争われていた。
214.4km。濡れた路面。登って、下り、また登る。その反復が人数を削った。
ベン・ヒーリーが前へ出た。追走が組み替わるたび、勝者の候補も変わった。最後に抜け出したのは、20歳のフランス人ポール・セクサスと、メキシコのイサーク・デル・トロだった。
2人は交代しながら、追走との差を広げた。上り基調のアヴニュ・デュ・パルクへ入り、セクサスが前を取る。残り300mで、デル・トロが右から出た。
デル・トロが優勝。セクサスが2位。
27秒後、ブランドン・マクナルティが3位に入った。この日は国別対抗ではない。UAE チームエミレーツ XRGの一員として、マクナルティはデル・トロを支えるアシスト役だった。その仕事をしながら、追走グループから早駆けして自分の表彰台まで獲得した。クイン・シモンズが4位。ケベックを勝ったレムコは5位、ピドコックは6位だった。
結果表だけを見れば、2週間後の世界選手権を先に印刷したようだった。
デル・トロは同じコースで勝てる。
セクサスはフランスの総力を預けるに足る。
レムコはケベックで勝ち、モントリオールでも上位に残った。
ピドコックは2戦ともトップ6。
シモンズは2戦とも、勝負をする集団にいた。
そしてマクナルティは、2025年にこのモントリオールで勝ち、2026年にも表彰台へ戻ってきた。ただし彼は、本命の名簿では大きく扱われなかった。
デル・トロとセクサスは、若い優勝候補だった。レムコは絶対的な優勝候補だった。ピドコックも、マチューも、ワウトもいた。マクナルティは、優勝候補たちと同じ場所にいる男だった。




