赤いジャージを継ぐ者たち
ポガチャルが救急車で運ばれた日、エンリク・マスはブエルタの首位になった。
だが、その日の表彰台で赤いジャージを着ることを、マスは望まなかった。
事故によって手に入った首位だと見られることを恐れたからではない。路上に残された世界王者への敬意だった。ジャージは順位表によって移る。それでも、人間の感情は計算どおりには移らない。
翌日から、マスはその赤を自分のものにしなければならなかった。
長いあいだ、彼には勝ち切れない男という影がついていた。グランツールで何度も上位に入り、何度も表彰台へ近づき、それでも中央には立てない。安定しているという称賛は、勝てないという批判と表裏だった。
ポガチャルの棄権によって空いた場所へ、ただ収まるだけでは足りなかった。
第9ステージ、5,000mを超える獲得標高の果てで、マスは勝った。カラル・アルトでログリッチから27秒を奪い、シエラ・デ・ラ・パンデラでも差を広げた。最終日前日の山岳ステージでは、早くから孤立しながら、4度のブエルタ王者ログリッチを抑えた。
最終的な差は2分15秒。3位フェリックス・ガルには2分44秒。
16度目のグランツールで、31歳のマスは初めて総合優勝者になった。スペイン人によるブエルタ制覇は、アルベルト・コンタドール以来12年ぶりだった。
事故が扉を開いた。しかし、その扉を3週間閉じさせなかったのは、マス自身だった。
2位のログリッチもまた、普通ならスタートラインにさえ届かなかった男だった。
7月31日、トレーニング中に自動車にはねられた。大きな血腫と強い痛み。ブエルタのために積むはずだった時間は、リハビリテーションへ置き換えられた。開幕の10日ほど前、彼は後にこう振り返っている。
「歩くことすらままならなかった。靴下を履くことが1日の難事だった。」
その状態でモナコのスタートに立ち、総合争いを1日ずつ生き延びた。第18ステージの個人タイムトライアルでは4位に入り、マスから33秒を奪った。優勝には届かなかった。それでも2位は、彼にとって敗北の数字ではなかった。
「今回の2位は、僕にとっては勝利みたいなものだよ。」
4度ブエルタを制した男が、2位をそう表現した。
事故明けの36歳が、3週間のグランツールを2位で終えた。その2週間後、彼はモントリオールの世界選手権で、マチューとワウトの攻撃に食らいつくことになる。
そしてブエルタには、もう1人、世界選手権の予告を走っている男がいた。
ワウト・ファン・アールト。
彼は第13ステージで逃げから勝ち、第15ステージでも勝った。8度のトップ10。ポイント賞の緑色のジャージ。大会全体のスーパー敢闘賞。平坦のスプリントだけではなく、暑い山岳の逃げにも入り、集団を壊し、つなぎ、チームメイトのステージ優勝に大いに貢献した証だ。
2026年には、長く彼を拒み続けてきた北の地獄と呼ばれるクラシックの女王、パリ~ルーベにも勝っていた。
ベルギーには、個人タイムトライアルで世界最強のレムコがいる。そのうえ、3週間のスペインをこれほど強く走ったスーパー・ワウトがいる。
ポガチャルが消えたモントリオールで、誰が最強の国なのか。
答えは、あまりにも明らかに見えた。




