どうなるか見てみよう
アームストロング以後のロードレースで、世代を大きく切り替えた国の一つが、人口200万人ほどのスロベニアだった。
「どうなるか見てみよう。」
私が最初にその言葉を意識したのは、プリモシュ・ログリッチが口にしていたからだった。
彼が特別その言葉をたくさん使っていたのか、単に当時の総合首位で、インタビューをたくさん放送されていたからなのか。
私にとってそれは、ロードレースの言葉になる前に、紳士ログリッチの言葉だった。
2019年9月、ブエルタ・ア・エスパーニャ。
元スキージャンパー。自転車競技へ本格的に入った時期は遅い。それでもログリッチは3週間を走り抜き、スロベニア人として初めてグランツールを勝った。
その表彰台の3位には、20歳のスロベニア人がいた。
タデイ・ポガチャル。
初出場のグランツールでステージ3勝、総合3位。ログリッチと一緒に他の総合勢を引き離して、そのままステージを勝った日まであった。
まだ、この2人がツール・ド・フランスを争うことなど知らない。私はポガチャルを追いかけてもいなかった。まだ、テレビでやっていない競技への触れ方さえ、知らなかったから。ただ、どこかで2019年の世界選手権だけは、目にしていた。
マドリード。
スロベニア初のグランツール王者となったログリッチは、長々とはしゃべらなかった。家族や支えてくれた人たちへ感謝して、最後に言った。
「また次のレースで会いましょう。」
グランツールを初めて勝った人の言葉としては、妙に軽い。終わったのに、次の話をしていたという。
◆
翌2020年、ツール・ド・フランス。
ログリッチには、とんでもないチームがいた。
ワウト・ファン・アールト。
ストラーデ・ビアンケとミラノ~サンレモを勝ってツールへ来た男が、山ではログリッチたちのために前を牽く。その一方、自由に走っていい日をもらえば、今度はスプリンターを相手に勝つ。
第5ステージを勝った。
第7ステージも勝った。
それで翌日からスプリンターになるわけではない。必要になれば、また黄色いジャージを守るために前へ出る。
そんなワウトを擁するチームの中心に、ログリッチがいた。
自分だけ強ければいいわけではない。自分だけ速ければいいわけでもない。総合首位は、何日も狙われ続ける。
誰かが飛び出す。チームが追う。自分が前へ出る。相手が攻撃する。また明日もある。
そんなロードレースを、ログリッチは妙に静かに進んでいた。
第9ステージ。
最後の山岳でボーナスタイムを争ったとき、ログリッチの後ろでポガチャルが危うく柵へ突っ込みそうになった。
しっかりゲートをくぐってからという感じではなく、すぐさま気遣ったように見えた。そのあと普通に勝負した。
ポガチャルが勝った。
ログリッチは黄色いジャージを手に入れた。
仲がいいから、勝たせるわけではない。
「贈り物はしなかった。友人だけど、2人とも勝ちたい。」
そういう意味のことを、ログリッチは話している。
相手が強いなら、倒す。自分が負けたなら、相手が強かった。
ロードレースに勝負相手は必要である。でもどうやら、そこへ憎むべき敵まで持ち込む必要はないらしい。
それが、私には心地よかった。
もちろん、同じ国の出身だということはあったのかもしれない。だけど、同じ国でも仲良くなれる人ばかりでないことがあることくらい、知っていた。
そう言えば、レース後のクールダウンも隣で行ってたっけ。
他にもゴールを競った相手はいるのに、何でチームメイトではない相手と並んでたのかは知らない。
撮影の妙なのかもしれない。
最終日前日、個人タイムトライアル。
「先輩、ガチでいきますよ~!」
みたいに茶化した解説が、私の中で育てたポガチャル像と合わない。だけど、方向性は同じ。
妄想なんて、人それぞれだ。
ログリッチはマイヨ・ジョーヌを着ていた。2位ポガチャルとの差は57秒。個人タイムトライアルも強い。強力なチームで3週間近く守ってきた首位である。パリまで、あと1日。
その57秒が、消えた。
ポガチャルはステージを勝った。ログリッチとの差は1分21秒。総合順位までひっくり返り、59秒差でポガチャルが前へ出た。
ヘルメットは斜めになり、ログリッチの顔からは、それまでの静けさが消えていた。
あれだけ前を走っていたのに。あれだけチームが働いたのに。最後の最後に、全部なくなった。
ログリッチは、ポガチャルのところへ行った。抱きしめて、祝った。
相手に勝つことと、相手の不幸を願うことは違う。負けることと、相手を嫌いになることも違う。そんなの当たり前だと言われれば、その通りである。だが、スポーツは応援するだけで、簡単に敵を作れる。推しがいる。相手がいる。負ける。悔しい。その続きを、相手への悪意にしてしまうのは難しくない。
ロードレースをまだ拙いなりに見ようとしていた私に、ログリッチは、それをしなくていいスポーツに見せてくれた。
◆
翌2021年、パリ~ニース。
最終日までログリッチは首位だった。
落車した。戻った。またトラブルが起きた。
今度は前が待たない。後ろでログリッチが追い続ける展開で、総合優勝は遠ざかった。前年のツールに続いて、また最終盤で消えた。
フィニッシュすると、総合優勝したマキシミリアン・シャフマンのところへ行って拳を合わせた。
◆
2021年、ツール・ド・フランス。
初日の無料放送を見ていたら、とんでもない落車事故が発生した。
それとは別に、また落車した。
身体中に擦過傷を作り、それでも走った。個人タイムトライアルまで走った。山へ入って、もう無理だった。第9ステージをスタートしなかった。
「このまま続けても意味がない。」
リタイア。
その3週間ほど後、東京。オリンピック個人タイムトライアル。
金メダル。
2位トム・デュムランに、1分以上。
さらにその年のブエルタを勝った。3連覇。
落ちる。消える。戻ってくる。戻ってきたと思ったら、前より強いことさえある。
テレマーク。
元スキージャンパーだ。
下りに恐怖は少なそう。だけど、速過ぎるスピードという状態と、近すぎる地面に対して、トッププロというとんでもなくハイレベルな領域で、少しだけ自分の出せる速度にバイクコントロールが追い付いていないみたいって思う。
操るということに、競技との関りと成長の段階とが密接に関わっていることは、他の競技でも顕著に見られる。
スキージャンプから自転車へ来た男である。落ちるという現象との付き合いが、どうにも長い。




