サバイバル
2019年。
自転車レースを見始めたころの私は、ロードレースについて大したことを知らなかった。
ロードバイクに乗り始めたばかり。
その前から、通学用自転車、ママチャリなんかには乗っていた。
だから、雨が降ったからといって、自転車はその場でやめられないことくらいは知っていた。
出先で雨に降られても、帰らなければならない。
漕ぐ。
濡れる。
水たまりに突っ込む。
ひどい。
それでも漕ぐ。
そういうことなら知っていた。
ロードバイクに乗るようになって、ハンガーノックも経験した。
低血糖症状だった。
さっきまで普通に走っていたはずなのに、急に身体から力がなくなる。
脚が痛いとか、息が苦しいとか、そういう分かりやすい限界とは少し違う。
動かそうとしているのに、動かすための何かが足りない。
そんなことも体験として知った。
その程度の知識と経験で、世界最高峰のロードレースを見始めた。
◆
2019年9月29日、ヨークシャー。
雨。
風。
寒さ。
道路は水で覆われ、コースそのものが変更された。
今さらながら、とんでもないレースだったと思う。
見始めた当初は違った。
自転車って、雨が降っても漕がなきゃ帰れないよね。雷が鳴ると、妙に怖い。なんせ、生身に鉄の塊だ。ハンドルのホルダーに傘を立てると、避雷針ならぬ、誘雷針のよう。
水たまりに突っ込むとひどいよね。濡れた路面を走るだけで、帰ったら泥跳ねしてるし。
ロードレースって、こういうものなのか。
妙な納得をして見ていただけだった。
◆
2019年9月29日、ヨークシャーを改めて。
優勝候補が次々に消えていくなか、残り45kmほどでマッズ・ピーダスンは前へ渡った。
やがて、マチュー・ファン・デル・プールとマッテオ・トレンティンも追いついた。
ファンデルプールがいたんだ。
あの脚である。
今の私なら、それだけで最も怖い選手の1人として見る。
ところが残り12.5km。
ファンデルプールの身体から、突然、力がなくなった。
ハンガーノック。
あ。それなら、ちょっと知ってる。
見直しとしての1回目の頃は、そんな感じ。
もちろん、私が自転車で遊んでいて食らったものと、世界選手権を6時間以上走った末に起きたものを、同じにする気はない。
さっきまで走れていた人間から、急に走る力が消える。
その不思議さだけは、身体で少し知っていた。
ファンデルプールが消えた。
最後に残ったのは、ピーダスン、トレンティン、シュテファン・キュング。
スプリントならトレンティン。
少なくとも、そう見られていた。
勝ったのは、23歳のピーダスンだった。
デンマーク男子初のエリート・ロード世界王者。
「生き残ることだけを考えていた。」
生き残る。
生き残る。
生き残る。
そして最後に、スプリントで何かが起きることを願う。
2019年は、消えなかった者が勝った。
私は、その名前を覚えた。
マッズ・ペデルセン。
そう覚えた。当時は、そう呼ばれていたから。
ポガチャル世代として追っていくつもりで。
◆
マッズ・ピーダスンという選手を見るようになった。
◆
別の選手だと思っていた。
同じ人だった。
確かナンズ・ピーターズみたいな、似たような名前まで画面から聞こえていた時期だった。
外国人選手の名前なんて、そんなものである。
世界王者になった選手を覚えた。
覚えたはずだった。
そして、見失った。
◆
2026年9月27日、モントリオール。
ピーダスンは、また生き残った。
ただし、方法が違う。
マチューが90km近くを残して動いても行かない。
ワウトが動いても行かない。
クライマーが速度を上げても付き合わない。
そもそもそのとき、そこにいない。
彼は、画面には映らないところで、自分との闘いをしていた。
「まず守備的に走る。それが終盤に選手を残す最善の方法だと思う。」
デンマーク代表監督、ミケル・モルコフ。狙いは、最後まで他人のレースに参加しすぎないことだった。
世界王者にもなった。
クラシックを勝った。
グランツールでステージを勝った。
この年のツールでは、ついに緑のポイント賞ジャージも持ち帰った。
すごかったんだ。
どこか憎めない天然素材のジャスパー・フィリプセン。ポガチャルがさいたまに来た時に一緒に来ると言っていたのに、1つ手前のシンガポールで帰っちゃった。そんな彼とポイント賞争いをしていて、ピュアなスプリンターでは勝負できない山岳ステージで、ガンガン登る。バンバン逃げる。その先のスプリントポイントをどしどし稼ぐ。
そんな男が、世界選手権では画面から消える。
弱いからではない。自分が勝てない形へ、華やかな選手たちと一緒に入っていかないためだった。
「あまり僕を見ないような、静かなレースをすると思う。」
レース前にも作戦をバラす。脚質から選択し得る最善の方法が、他国からすれば明ら
かすぎるのであれば、この作戦においては周りはどうすることもできない。それどころか、自分で言ってしまうことは、脚を残したピーダスンが後ろにいるはずだという情報を、他の選手の頭の片隅に植え付けることができる。
もしかしたら、ジョーゲンソンと同等か、それ以上に脚を引っ張っていたのはピーダスンなのかもしれない。
残り2周のフィニッシュライン。
レムコの後ろに何でいる?!
あれ?どこから出てきた?!
そして残り20kmを切ったころ。
別の追走集団が、ポリテクニークの丘の頂上へ顔を出した。
レムコ。シモンズ。キュング。シュミット。そして、ピーダスン。
「見ろ、ピーダスンだ。彼は今日一日、ほとんどレースに絡んでいなかったにもかかわらず、今やほぼ先頭集団にまで上り詰めた。」
やはり解説も、同じことを思ったらしい。
最後は6位。
マクナルティから14秒。
銅メダルとは1秒差だった。
レース後、ピーダスンは笑った。
「本当に見えなかっただろ。」
おおう。ネットに乗って、思いがけずぶん殴ってくれるじゃん。そうさ、私は呼び方の変更のタイミングを逃したことで、見失っていたさ。
計画どおり、ほとんど見つからなかった。
2019年は、消えなかったから勝った。
2026年は、見えなかったから勝負に残った。
◆
そしてピーダスンは、すでに終わり方まで考えている。
2029年。
コペンハーゲン世界選手権。
母国で、そこで現役を終えるつもりだと2026年夏に明かした。
まだ30歳。
まだ勝てる。
まだモニュメントを狙っている。
それでも、勝利を争う選手から、いつも誰かを支えるだけの選手へ自分を作り替えてまで残ることは難しいという趣旨を話している。
これは、アシストを軽く見ているという話ではない。
ピーダスン自身、チームメイトのために走る日はいくらでもある。
自分が何者としてプロトンに残るのか。
そういう話だった。
2019年、消えなかったから勝った。
2026年、見えなかったから勝負に残った。
2029年、勝てるうちに自分から消えるつもりでいる。
サバイバルは、いつまでも残り続けることだけではないのかもしれない。
どこまで残るか自分で決められることを、含んでもいいのかもしれない。




