ストロングアメリカとキャプテンアメリカ
クイン・シモンズは、隠れることを諦めている。
ナショナルチャンピオンジャージと呼ばれる、全米王者ジャージ。
青地に白い星。
赤と白の縦縞。
サングラス、ひげ、後ろへ流れる髪まで含め、遥か遠く彼方から「私が来た!」と分かる。
いや、こう言おう。
キャプテン・アメリカ。
放送でそう呼ばれるのも、仕方がない。
2026年6月21日、チャールストン。
全米選手権ロードレースで、シモンズにとって厄介だったのは、強い相手が1人いることではなかった。
他チームが12人を並べていた。
こちらはリドル・トレックの1人。
◆
思い出すのは2019年の全日本選手権。
新城幸也。
バーレーン・メリダという、現在のバーレーン・ヴィクトリアスに所属していた男の奮闘。
国内の自転車レースということで、ライブ放送ではないにせよ、テレビでの無料放送があった。
ワールドツアーで戦う男たちは、国内のレースにおいてはしばしば味方がいない。
おかしな話に聞こえるかもしれないが、元来自転車レースは個人競技として発生し、現場戦術として徒党を組む方向性から、現在のチーム戦の様相へと変貌していった。
アマチュアのレースでは、未だに個人登録だったりするし、その中でも何かしらの次へつながるポイントが稼げるレースでは、有力選手に理不尽なまでのアシストが付くことだってざらにある。私は正直興味がない。遠いところから離れて見られる本場のレースの方が、個人的に嫌だと思う要素がそぎ落とされて伝わってくるというものなのだ。そこに、自由に入れ込む余地がある。そんな楽しみ方ができる。
新城幸也という選手は、インタビューを交えた放送の中で、随分と男らしいことを言う。
「カッコ悪いっスね。」
椅子に座ってニカッと笑い、負けたレースを振り返る。
相手は、SHIMANOレーシングの入部正太郎選手。二回りも小さい身体を、レムコのように縮め、チームメイトから受けた献身に報いるため、最後まで力を温存した。レースの先頭で、先頭交代をしないということが、あまり好意的に受け入れられないことを、理解した上で。敵を敵として完全に切り分けないように見ることができるロードレースという趣味を持つ者として、後から企画番組に登場した入部選手が「三味線を弾く。」という業界用語を説明する姿は、私にとってとても好意的に映った。同じ番組では、自転車レースの有名漫画に登場する敵役として登場する少年を、好きなキャラだと言った。ロードレースは、少年漫画ではない。激しく同意した。
孤軍奮闘。
そんな選手に対して、数の暴力で襲い掛かる。
そう書いてしまえば、確かに悪者っぽく描くのに都合がいい。
新城選手にはもう一人、別府史之選手という、当時のトレック・セガフレード、現リドル・トレックから参戦していた選手と、波状攻撃を仕掛けた。互いの利害のために協調したのだ。彼は、彼にとっての追悼レースだったこともあって、新城選手の醸し出す雰囲気とは、まるで正反対だった。しかしアタックは果敢、何度も揺さぶる。それが終わるとみんなが一息入れたいタイミングで、今度は新城選手が飛び出す。
「ワールドツアーの2人が強過ぎて。」
周回ごとに脱落していく選手は、笑顔でそう答えた。
ニコニコしているからと言って、心の中まで穏やかであるとは、限らない。
感情が強制的に抑制されることなど、ドーピング検査が日常の選手にとって、あり得ないのだから。
◆
相手が1枚使って攻撃しても、まだ次がいる。捕まえても、また次が行く。
「あれだけ数で上回られるのは腹立たしい。」
後にシモンズ自身が、そんな趣旨のことを話している。
ならば、人数が意味を持たない形にすればいい。
残り29km。
ウェルツ・アヴェニュー。
シモンズは1人になった。
そのまま2分以上の差をつけて勝った。
全米ロード3勝目。
また、あの派手なジャージでツール・ド・フランスへ行ける。
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そこで彼は、逃げるだけではなかった。
2025年に続き、2026年もツールの最優秀チームメイトに選ばれた。
自分で勝ちに行ける選手が、仲間のためにも働く。
派手な服と、派手な自己主張は同じものではない。
◆
それより7年前。
2019年9月26日。
ヨークシャー世界選手権、男子ジュニア。
そのころの私は、クイン・シモンズなんて見ていない。
わけも分からずエリート男子の世界選手権を見て、雨だの冠水だの、ロードレースとはこういうものなのかと妙な納得をしていたころである。
あとから知った。
同じ大会で、18歳のシモンズは33.5kmを1人で走っていた。
後ろではアメリカの仲間が動きを抑え、マグナス・シェフィールドが最後に銅メダルまで取った。シモンズ自身も、チームが最初から前で仕事をし、シェフィールドが完璧に状況を作ったという趣旨で仲間へ感謝している。
前にシモンズ。
後ろにアメリカ。
それで、世界王者になった。
◆
2026年9月27日。
今度は、その役割が反転した。
最終的に前にいたのは、ブランドン・マクナルティ。
最後までクイン・シモンズとマッテオ・ジョーゲンソンがいた。
ジョーゲンソンは、こう語る。
「少しエゴを脇へ置いて、アメリカ人を勝たせようとした。」
誰を、とは決めていない。
シモンズが大きな動きへ入る。
マクナルティとジョーゲンソンが後ろに残る。
前が戻る。
なら、次の一人を出す。
ジョーゲンソンがまず行った。
続いてマクナルティが行った。
ジョーゲンソンが追走へ張り付き、シモンズも戻ってくる。
結果。
1位、ブランドン・マクナルティ。
4位、クイン・シモンズ。
8位、マッテオ・ジョーゲンソン。
トップ10にアメリカ人が3人。
シモンズにメダルはない。
それでも、アメリカには虹がある。
全米選手権では、人数に囲まれたから1人になった。
世界選手権では、3人いたから1人を行かせられた。
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その虹は、アメリカ男子にとって33年ぶりだった。
1993年。
ランス・アームストロング。
さらに前には、グレッグ・レモンが1983年と1989年に勝っている。
マクナルティは、3人目のアメリカ人男子エリート世界王者になった。
この系譜を、ただ栄光として並べることはできない。
アームストロングは、その後1999年から2005年までツール・ド・フランスを7連覇した。
そして、すべて失った。
USADAが明らかにしたのは、1人の選手が人知れず薬物を使っていたというだけの話ではない。長い時間をかけ、チームを中心に共有された組織的なドーピングだった。
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透析患者は、腎臓が上手く働かない。
腎臓の役目として最も有名な働きは、血液から尿を作ること。そのためには、多くの血液をそこに回す。合理的に血管が集まっている。
ならば。
そんな、細かい血管のおばけのような器官には、大抵もっと色んな仕事が与えられる。
その中で、骨に血を作らせる司令塔も務める。血から、酸素を運ぶ赤いヤツを通さずに調整する。その赤いヤツからの多い少ないを見るには、絶好のポジション取りだ。絶好のポジションについて、全体を監視し、できるヤツに指示を出す。まさにチーム戦術のキャプテンだ。
そんなとき、身体の外から本物と見紛うようなフェイクニュースが飛び込んでくれば。
「おい、血が足りねーぞ!どんどん造れってよ!」
骨の髄での工場で、強制労働が始まる。
偽のプロパガンダは、普通にやっていては到達できないところに漂っていたりして、それをとらえようとしなければ、事が起こる前には消えている。
「もう遅いんだ!走り出したら、もう誰にも止められない。」
赤いヤツが、大量に押し寄せる。
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1998年8月1日以降の競技成績は失格。
7つのツール総合優勝は、別の誰かへ渡されることもなかった。
空欄になった。
ただし、1993年の世界選手権は、その処分期間より前にある。
だから記録には残っている。
だから33年ぶり、なのである。
話は、それだけなら簡単だった。
アームストロング自身は後年、1995年にはドーピングを始めていたと話している。USADAが集めた証言には、それ以前の薬物使用を示すものまである。
だからといって、1993年の世界選手権で薬物を使ったことが証明されたわけではない。
記録は残る。
疑念も残る。
一度作られた英雄の物語は、後から別の形に見えることがある。
アメリカのロードレース史にとって、ツール・ド・フランスは英雄譚であり、同時に傷でもある。
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そして、2026年のモントリオール。
1人の絶対的英雄が、他の全員を従えて勝ったわけではない。
マクナルティも。
シモンズも。
ジョーゲンソンも。
それぞれ、自分が勝てる選手だった。
それでも、誰が勝者になるのかを最後まで固定しなかった。
シモンズが前にいれば、後ろの2人は動かなくていい。
戻れば、次を出す。
マクナルティが出れば、今度は残った2人が追わなくていい理由になる。
1人、4位、8位。
その数字だけ見れば、世界王者は1人しかいない。
けれど、1人しかいなかったから勝ったのではない。
3人いたから、1人を世界王者にできた。
理由なんて、いくらでもあるだろう。
そもそもアメリカでは、自転車ロードレースが大きなスポーツではない。日曜の午後、わざわざ配信を探して、273kmのレースを見ようとする人間が、どれだけいる。
もし、これが1人の英雄の物語だったなら。
もっと、わかりやすかったのではないか。
◆
キャプテン・アメリカ。
全米選手権では、1人で勝った。
世界選手権では、4位だった。
シモンズは、1人でアメリカを背負わなくてよかった。
ストロング・アメリカ。
お前らの目は節穴だ。
ベルギーが、海を越えてそんな風に叩く。
だけど、私から言いたいことは。
アメリカは、強かったぞ。




