王者の隣で
ブランドン・マクナルティは、長い間タデイ・ポガチャルの隣で走ってきた。
ともに1998年生まれ。ポガチャルの仕事を支える者と、支えられる者。そう書けば序列は明瞭になる。だが、2026年だけを見ても、その関係はそれほど単純ではない。
7月5日、バルセロナ。ツール・ド・フランス第2ステージ。
モンジュイックの周回で人数が減っても、マクナルティはまだプロトンの先頭を引いていた。日本国内の無料放送でも声が上がる。
「まだ牽いていますよ。」
ツール公式記録にも、マクナルティがモンジュイックで激しいペースを作り、最終登坂の麓まで集団を牽いたことが残っている。
まだ牽く。
まだ牽く。
集団を30人ほどまで削っても、まだ仕事が終わらない。
先頭を引くのは、勝負から降りることと同じではない。自分の勝負を、仲間の勝負へ変換することでもある。最後の局面でアダム・イェーツへ仕事を渡すと、イサーク・デル・トロが飛び出した。初めてツールを走る22歳だった。
後ろからポガチャルが来た。追いつく脚も、追い越す脚もあった。だがデル・トロの横へ並び、後ろのライバルを確認すると、前へ出なかった。
デル・トロが勝った。
その後ろにポガチャル。レムコ。ヴィンゲゴー。
フィニッシュしたメキシコ人は、両手で頭を抱えた。自分がツールのステージを勝ったという事実に、身体の理解が追いついていないような仕草だった。
その何分も前から、勝利の形を作っていた一人がマクナルティだった。
◆
それから84日後。
モントリオール。
今度は、マクナルティが逃げている。
残り50mで後ろを見た。誰もいない。ハンドルから両手を離し、頭へ置いた。
デル・トロと同じ仕草だった。
ただし、バルセロナで長く引いた者と、引かれて勝った者の位置は逆になっていた。
今度はデル・トロが追う側にいる。
同じUAE チームエミレーツ XRGでも、世界選手権では国が違う。デル・トロはメキシコ。マクナルティはアメリカ。
普段なら仲間。
今日は敵。
映像では、マクナルティが逃げたあともデル・トロは追走集団の先頭を引いている。
その走りを、ピドコックはレース後に疑った。
「終盤のデル・トロは、明らかにマクナルティのために走っていたと思う。」
デル・トロは否定した。
「僕はアルカンシェルのためだけに走っていた。他のチームが受け身だったんだ。」
それでも続ける。
「もちろん自分が勝ちたかった。でもブランドンは、この勝利に値するよ。」
どこからが友情で、どこからが利害で、どこまでが単なる脚の限界だったのか。外から一本の線を引くことはできない。同じプロチームで走る仲間だからといって、世界選手権で勝たせる理由にはならない。だが、普段一緒に走っているという事実まで消えるわけでもない。
敵と味方を一日だけ入れ替える世界選手権では、その境界まで道路の上で揺れる。
◆
この2つの映像のあいだで、ポガチャルはマイヨ・ジョーヌと呼ばれる黄色いジャージを着た。自分の5度目の総合優勝を守りながら、デル・トロの総合表彰台と白い新人賞ジャージを守るためにも走った。
エースは、常に仲間から一方的に働きを受け取る存在ではなかった。
デル・トロへツールの1勝を渡した。黄色いジャージを着ながら、若い仲間の順位も守った。前年のグランプリ・モンレアルでは、マクナルティを先にフィニッシュさせてもいた。
だから、世界選手権後のマクナルティの冗談には、すでに実在する過去があった。
「今度は、タデイに僕のために走ってもらう日があるかもね。」
普段はポガチャルのために働く男が、虹色を着る。
ただの役割逆転なら、冗談はそこで終わる。だが、ポガチャルはすでに仲間を勝たせるために走っている。マクナルティもまた、ポガチャルやデル・トロを勝たせるために何度も風を受けてきた。
ツールを途中で去ったマクナルティは、パリへ戻り、ポガチャルと同じ金髪にして祝勝会へ現れた。
同い年の2人が、同じ髪色で笑った。
世界選手権の結果だけを見れば、2026年9月27日にマクナルティが突然、主役へ昇格したようにも見える。
もちろん、そんなわけはない。
7月には、デル・トロを勝たせる形を作っていた。
9月には、そのデル・トロに追われながら、自分が勝った。
そして今度は、虹色のジャージを着たマクナルティのために、ポガチャルが風を受ける日が来るかもしれない。
まだ起きていない。
だが、あり得ないとはもう、言えなかった。




