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三坪のカレー屋から始めます。~二〇〇六年、大学四回生の博之は一杯三百八十円で成り上がる~  作者: メンヘラオジサン【監視アカウント】


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第八話 俺がおらんでも売れたカレー 2006年10月1週目。

 十月の一週目。博之は先週の木曜に店番を頼んだ友達に、四時間ぶんの三千二百円を渡した。

「で、どうやった? 一人で困ったことあった?」

「あった。二人分で千円出されたとき、お釣りなんぼか急に分からんなった」

「二百四十円やん」

「一人やと分かんねん。目の前で二人ともこっち見て待ってると、お前、意外と出てこおへんぞ」

 それで友達はレジの横に、一人、三百八十円。二人、七百六十円。三人、千百四十円、と

 鉛筆で書いた紙を貼った。博之も昨日、三人組の会計でこっそりそれを見た。

 次に入るやつのために残しといて、と言うと、友達は「お前のためにもな」と笑った。

「ほかは?」

「皿に飯よそて、お玉一杯半やろ。水も福神漬けもお客さんの手ぇ届くし。いつもの兄ちゃん

 今日はおらんの、とは聞かれたけど、ほな帰るわ言う人はおらんかったで」

 おらんかったんか。安心したのと、ほんのちょっと寂しいのが半分ずつやった。

 友達が帰ってから、博之は客の側の丸椅子に座ってみた。窓際の席からは、道を挟んでアル・プラザの

 出入口が見える。買い物袋を両手に持った人には三坪は狭いやろうと思うのに、そういう人ほど

 入口から二番目に座る。袋を戸の脇の引っ込んだところに置けるからだ。博之が一番の外れやと

 思っていた席には、客が先に使い道を見つけていた。

 広い部屋を借りんでも、お客さんは来てくれるんやな。まあ、三百八十円やし、場所勝ちか。

 そこまで考えて、ちょっと違うなと思った。場所だけ選んでええなら、草津駅の改札を出てすぐの

 ところか、いっそ向かいの建物の中でやりたい。雨の日かて傘を差さずに来てもらえる。ただ、

 そこの家賃で三百八十円のカレーを売って、自分にいくら残るのか。そもそも三十万円しか

 持ってへん学生に、鍵を渡してくれるのか。

 夏に商店街を歩いていたときも、一本筋を入っただけで人が消えるところと、

 表通りを外れても案外まだ人が通るところがあった。この三坪には、前の店の流しもカウンターも

 残っていた。場所と値段と、自分で直せるくらいのぼろさ。その三つがたまたま一緒になった。

 借りる前にも、そこまでは分かった。目の前を通った人が戸を開けてくれるかだけは、

 敷金と礼金を払って、米を炊いて待ってみるまで分からんかった。

 あの日、不動産屋で封筒から金を出すとき、札の端が一枚だけ内側に折れていた。

 博之はそれを妙に丁寧に伸ばした。もう自分の手元を離れる札を、

 今さらきれいにしてどうするんやと思いながら、指で折り目を二度こすった。

 起業講習で計画書を何枚書いたって、最後にはあれをやらなあかん。手を離せる人と、

 どうしても離せん人がおるんやろう。

 もっとも、自分に行きたい会社の内定が出ていたら、あの封筒は下宿の引き出しに戻していた

 気もする。就職もうまくいかず、守らなあかん給料もまだなかった。勇気があったかどうかより、

 あのぼろい店が空いていた時期と、自分が半分やけくそで動けた時期が合うたんやと思う。

 博之は卒論用のノートを出して、「立地」と書いた。横に「一人で回せること」と足す。

 今朝までなら、その二つ目は「自分一人で」と書いたやろう。先週、博之が大学で

 へこんでいる間にも、友達の手でカレーは売れていた。

 味つけはハウス食品の箱の裏に書いてある。友達に任せたのは盛り付けから先だけやけど、

 仕込みにしたって玉ねぎの重さと水の量は伝えられる。三人前の会計のほうが先に

 紙に書かれたくらいや。これなら、同じように人通りの残ったところで居抜きを見つけて、

 もう一軒という手もある。

「……別にカレーやなくてもええんか」

 口にすると、自分の店でよその飯を勧めているみたいで、少しおかしかった。

 たとえばオムライス。大阪に北極星いう店があるって聞いたことがある。オムライスだけ作って、

 仕上げはケチャップかデミグラスソースを選んでもらう。注文を聞くのも二択なら楽やろ。

 そう思って、目の前の六つの丸椅子を見た。六人いっぺんに座ったら、最後の人は

 俺が卵を五枚焼くのを眺めて待つんか。自分がその席やったら、途中で向かいに

 買い物に行きたくなる。

 スパゲティはどうや。乾麺なら袋のまま置いとける。雨の日に客が減っても、

 五十人ぶんが鍋に残ることはない。ただし、こっちは客が座ってから麺が茹で上がるまでの

 時間が要る。カレーは先に作りすぎて困るけど、お腹をすかせた人の前にはすぐ出せる。

 博之は「オムライス」「スパゲティ」と書いた横に、それぞれ小さく疑問符をつけた。

 どっちも賄いで一度、時計を見ながら作ってみたらええ。

 ガラス戸が開いた。作業着のおっちゃんが三人、奥から順に腰を下ろした。一人が財布を出す。

「兄ちゃん、今日まとめて払うわ。三つなんぼ?」

 博之の目がレジの横へ行った。

「千百四十円です」

 返事がすぐ出た。鍋の蓋を開けながら、立地がどうで、一人で回す商売がどうで、

 とさっきまでノートに書こうとしていたことを考えた。まだ、うまい言葉にはならん。

 けど二軒目をやるなら、鍋とお玉のほかに、あの友達の紙も一枚持っていこうと思った。

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