第五話 木曜三限、店番求む
博之は大学ノートの上に、でかでかと「月給 三十六万円」と書いた。
五十食をきれいに売り切って一万二千円。それを三十日。大学を出て初めてもらう給料が
三十六万やったら、なかなかのもんやで。しばらく眺めてから、先に書いた「月給」の
二文字を鉛筆で消した。昨日も同じところで間違えた。ここから家賃の六万円を払う。
しかも三十六万というのは、雨が降ろうが槍が降ろうが店を開け、槍の降るなかを五十人が
律儀にカレーを食いに来てくれた場合の金である。
その下に小さく「(休み八日)」と書いた。三十日のうち二十二日開けて、毎日完売しても
二十六万四千円。店の家賃を払うと二十万四千円。最初にでかく書いた三十六万の跡が、
消したあともずいぶん景気よく紙に残っていた。
八日間は丸一日休むとして、別に困るのが木曜日だった。九月の末から後期の講義が始まる。
木曜三限は出席も取るし、最後には試験もある。卒業できませんでした、
けどカレーは毎日完売でした、では松阪によう帰らん。
昼の混むところまでは自分で立てる。大学へ行って帰るあいだの四時間だけ、
誰かに代わってもらえへんやろか。
博之は折り畳みの携帯を開いて、大学の友達何人かに同じ文面を送った。
〈九月末から、隔週の木曜に四時間、カレー屋の店番できる人おらん?
時給八百円。賄いつき。鍋とご飯はこっちで用意しときます〉
いちばん早い返事は〈木三、お前と同じ講義やぞ〉だった。そらそうや。
あいつに初回の出席を取ると教えてもらったのだ。〈すまん、大学で会お〉と送り直した。
二人目は〈毎週やと無理。月二回ならいける〉。しばらくして別の友達から
〈その次の週からでええ? あと客おらんとき本読んでもええの?〉と来た。
〈皿洗って水のポット満たしたら、何読んでくれてもええよ〉
一週ずつ交代。月に四回なら、一人二回で六千四百円ずつ。自分が授業に出るために
払う金は合わせて一万二千八百円。さっきの二十万四千円から引くと、十九万千二百円になった。
そこまでやって初めて「木曜三限」と「カレー屋」が同じ時間割に収まった。
翌日の午後、博之はカウンターの内側に立っていた。おっちゃんが一人食べて帰ると、
次の客はなかなか来ない。皿は洗った。水も満タン。表から見たら、
エプロンをつけたお地蔵さんみたいやろな。
人には本を読んでええと言うておいて、自分は何をぼうっとしてるんや。
博之は鞄から卒論用のノートを出した。売上の大学ノートは日に日に埋まるのに、
こちらは名前を書いたきりで、角も折れていなかった。
経営学部の講義では、商品にどんな付加価値をつければ客が高い金を出してくれるか、
という話が面白かった。自分も本当は、牛肉を塊で煮込んで、蓋を開けたら客がちょっと
身を乗り出すようなカレーを作ってみたかった。けれども手元の三十万円から敷金と礼金を払って、
中古の冷蔵庫まで買ったら、試しに何鍋も肉を煮る金は残らなかった。
そこで、ひと鍋で作れて、一人で盛れて、学生が財布の中身を数えずに頼める三百八十円にした。
後からなら、いくらでも賢そうに理由をつけられる。ほんまの順番は、三十万円で
何ができるか考えたのが先や。卒論にするなら、そこは正直に書きたかった。
ノートに「高いものを買う日、安いもので済ます日」と書いた。向かいの平和堂で
ええ肉を買った人が、帰る前にうちで三百八十円の昼飯を食うこともあるやろう。
同じ人の財布の中で両方がどうやって成り立つのか。六席のこちら側に立っていれば、
教室で考えていたときより、少しは話を聞けるかもしれない。
そもそも、なぜ草津で店を開いたのか。大学が近くて、自転車で通えて、
家賃六万円の物件に手が届いた。それがいちばんの理由だった。ただ、滋賀に住むうちに、
この辺はこれからもっと人が住むんやないか、という気もしていた。
京都から大津、石山、草津、守山、野洲。博之は駅の名を横に並べた。
京都や大阪へ電車で通う人がいて、県内の大学に通う学生もいる。工場があって、
名神を走る車もある。駅から家に帰る人と、仕事の途中で飯を食う人では、
同じ道でも通る時刻が違う。もし二軒目を探す日が来たら、駅の大きさのほかに、
午後二時にどんな人が歩いているかを見に行きたい。
もっとも「これから人が増えそうや」という勘だけでは、銀行に持っていった四十人の表と
一緒である。まず図書館で沿線の人口がどう変わったか調べる。その横に、草津のこの三坪で、
何時に何杯売れたかを書く。自分の金で店を借りて、自分で鍋を洗いながらやる実証実験やと
思えば、暇な時間も卒論に使える。
「兄ちゃん、今からでも昼飯いける?」
時計は二時十七分。作業着の袖を肘までまくった客が、入口からのぞいていた。
「いけますよ。ご飯、普通でええですか」
卒論の題はまだ思いつかなかった。博之は白いページに「十四時十七分、一人」とだけ書いて、
お玉を取った。




