第二十七話 家賃の欄だけ空いている 2006年年末。信金さんと年末の会話
十二月の最後の月曜日、博之は下宿で電卓のイコールを二度押した。
二度押したところで、十五万五千四百五十円は増えなかった。
十一月の売上が五十七万五千六百円。十二月が五十六万八千七百円。
これだけ見ると先月と似たようなものだ。ところが、大学ノートの右端、
自分の取り分の欄に指を移すと、四万円あまり減っている。
朝番の給料。たくみと友達に入ってもらった昼の四時間。夜の仕込みを教えた日にも、
ちゃんと時給はつく。最後の三人分の紹介料まで拾って、ようやく帳面と封筒の中身が合った。
九月から四か月、修繕用によけた金を除いて、七十三万五千九百七十五円。
博之は端数まで書いて、その下に「約七十三万」と書いた。人に話すとき、
五千九百七十五円のあたりで自分が噛みそうだった。
午後、年末の挨拶に滋賀中央信用金庫を訪ねた。担当の人はノートを自分のほうへ引き寄せず、
博之が開いた向きのまま、横から覗いてくれた。
「今年はお世話になりました。十二月はちょっと早う閉めまして。それでも売上は十一月と六千九百円しか違いませんでした。僕の取り分は十五万ちょっとです」
「朝、入ってくれる方が増えたんでしたね。山口さんの朝は空きました?」
「それが、一日だけリーダーが休んで、自転車で飛んでいきました」
「ほな、あとの日は?」
「……僕、十時に行ったらよかったんです」
十五万の横に書くなら、その話も書いとかな片手落ちやな、と思った。博之がおらん朝に、誰かが鍵を開けて飯をよそい、持ち帰りの四百円を受け取ってくれた。給料の欄に並んだ名前は、みんなそういう人や。
「まだ試したいことがあるんです。卒論が終わったら、木曜も開けようかなと。土曜の朝も一遍。何曜日でも四十五食売れるとは思てませんけど、十五食でええ日やったら、鍋一つで済みますし」
「その間に二軒目を見に行けそうですか」
「はい。二月三月になったら、僕も卒業の用事やら引っ越しの話やらで落ち着かんし、物件見に来る人も増えそうでしょう。一月のうちに当たりぐらいつけたいんです」
次のページに駅の四角を描き、西友と書いた。そこから国道一号まで線を引く。
頭の中では毎度通っている道なのに、紙に描くと、交差点一つで立命館がえらい
近所になってしまった。
「一軒目はこのへんです。南草津の西友の裏手から一号線に出る交差点のところ。古い店があるんです。
ここやったら、朝、駅へ行く人が前を通るかなと」
「貸しに出てるんですか?」
「そこはまだ。二軒目は、もうちょい大学へ向かうほうです。体動かして遊べる施設があって、
向かいにパチンコ屋があるあたり、古い店が三軒ほど並んでるでしょう。あのうち一軒は
空いてるんです」
三つ目の丸は、さらに大学寄りにつけた。学生が通学で歩く道の途中に、ちょこんと店がある。
博之自身、その前を何度も通った。昼に三百八十円の札を出せば足を止める学生の顔は浮かぶ。
けど朝、京都へ働きに行く人が、わざわざ駅に背を向けてそこまで来るやろか。
「……三軒あると思てたけど、朝カレーやるつもりで見たら、一軒ずつ話が違いますね」
「山口さんが朝ごはん食べてほしい人、どっち向いて歩いてはります?」
「それ、一回朝に立たんと分かりませんわ。僕がよう知ってるんは、寝坊して
大学へ急いでる側の景色ですから」
担当の人が地図を見て笑った。博之は三つの丸の横に「家賃」と書いた。金額は三つとも空欄である。
「六万以下で借りられて、水とガスが使えたら、炊飯器と鍋ぐらいは、お金かけてもええかなと
思てます。最初は僕が南草津に立って、通勤の人に朝だけカレーを出す。そのうち、
近所で朝に入ってくれる人を探す。草津の朝が僕抜きでも回りそうやから、
そこまでは試せるかなと。まあ、勇み足かなあとも思うんですけど」
「ご実家からの仕送りは、三月まででしたね」
「はい。卒業までは」
「一月に始められるなら、三月末でいったん判断する、いうやり方もありますよ。
三か月やって、お客さんがつかへんかったら撤退する。そのときいくら要るかも、
借りる前に聞いておいたらどうです」
「出ていくのにいくらかかるか、ですか。僕、入るお金のことばっかり考えてました」
家賃の下に「いつまでに言えばやめられるか」と足した。七十三万円を持っていても、
草津で来月払う給料と家賃はそこから出ていく。とりあえず今すぐ使えるのは、
一月の空いた朝と、自分の自転車ぐらいかもしれない。
「ほな、まず不動産屋さん行ってきます。あと、朝の七時に三か所とも見てきますわ」
「若い経営者さんはよう動かはりますねえ」
「いやいや、そんなん言うて茶化さんといてください。僕、ぼろい店でカレーやってるだけですよ」
「ええ。ほんで今、次のぼろい店を三軒も教えてもらいました」
それには博之も言い返せなかった。ノートを閉じて、今年最後のお辞儀をした。
信金を出たところで、松阪の母親から〈何時の電車で帰るの〉とメールが来ていた。
今度こそ家に帰る時間を決めなあかん。博之は自転車を押して草津駅へ向かった。




