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三坪のカレー屋から始めます。~二〇〇六年、大学四回生の博之は一杯三百八十円で成り上がる~  作者: メンヘラオジサン【監視アカウント】


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第十一話 朝は千円にしてよ 時々食べにくるおばちゃんの加入www 2006年10月3週目。

 二〇〇六年十月、三週目。

 博之は米を研いだ手を拭き、親指の付け根を見た。細かく荒れたところに、

 布巾の繊維が引っ掛かる。水道の水も、開店した頃とはずいぶん違っていた。

「これ、冬になったらもっと冷たいんやろな」

 五キロの米を何度かに分けて研ぐ。カレーを作り、皿を洗い、また米を研ぐ。

 気がつけば一日中、手をぬらしている。

 次に買う米は無洗米にすると、その場で決めた。

 一キロ三百円だったものが、四百五十円になる。五キロで七百五十円増。一日五十食分なら、

 一食十五円だ。


「……まあまあ上がるな」

 ノートに書いてみると、少しためらった。二十五日使えば一万八千七百五十円。

 水道代が減るだけで取り戻せるような差ではない。

 それでも、毎日の作業が一つ減る。

 博之は『十月三週目から無洗米』と書き、横に一日七百五十円増、と添えた。

 まだ買っていないのに、明日の朝が少し楽になった気がした。


「兄ちゃん、バイト募集してんの?」

 昼を少し過ぎた頃、週に一度ほど来るおばちゃんが、入口の張り紙を指さした。

 買物袋を隣の空いた椅子に置き、いつものカレーを頼む。

「してます。今は大学の友達に、たまに来てもろてるんですけど」

「私、スーパーでレジしてんねん。あれもなあ、気ぃ使うんよ。お客さんにも、一緒に働く人にも」


 博之が水を置くと、おばちゃんは店の中を見回した。

「ここやったら、そない気ぃ使わんでええやろ」

「まあ、僕しかおらへんので」

「兄ちゃんが一番ややこしかったりしてな」

「そんなん言われたら、何も言えませんやん」

 笑いながらカレーを出した。

「慣れたら一人でもやってもらえたらなと思ってるんです。僕が休憩したり、

 用事で抜けたりするときに」

「ほな、私も一口乗ろかな」

「え、ほんまですか。ぜひ」

 返事が早すぎたのか、おばちゃんがスプーンを持ったまま笑った。

「まだ何時に働くかも聞いてへんで」


 博之はカウンターの下からノートを出した。

 十月の売上は四十二万七千五百円。食材や家賃、友達への給料を引いて、

 予備費もよけると十八万円弱だった。

「卒業してからも、しばらくは続けたいんです。ただ、このままやったら

 普通に働いた方がええかな、とも思ってて」

「それで、人雇うん?」

「もうちょっと売れる時間を増やせへんかなと。昼と夜の持ち帰りも考えてるんですけど、

 盛って、お金もろて、店のお客さんも見て、全部一人やと追いつかへんかもしれんので」

 もう一つ、と博之はノートの端を指で押さえた。

「朝カレー、試したいんですよ」

「朝?」


「駅に行く人もおるし、仕事行く前に食べる人、おらへんかなって」

「それやったら、朝ちょっと出てくる方が私も楽かもしれんな」

 博之は顔を上げた。

「七時からとか、どうです?」

「七時に来たら、米炊かなあかんやないの。看板出したり、お湯沸かしたりもあるやろ」

「あ、そっか。六時半ぐらいですかね」

「何出すにも、準備がいるんやで」

 言われてみれば、自分も開店時間に来ているわけではなかった。

「ご飯は、朝に炊き上がるように予約できるかなと思ってて。そこは炊飯器の説明書見て、

 一回試します。カレーは僕が前の晩に作っときます」

 コンロの上の深鍋を指した。

 一つで十五人前。それが二つで三十人前。今使っている鍋で、一度に作れる量だった。

「浅い容器に分けて、早う冷やして冷蔵庫に入れとくんで。朝は鍋に戻して、

 よう混ぜながら中まで熱うしてもろて、あとはよそって出す感じで」

「へえ。私が作るとこからせんでもええの」

「はい。最初は僕も来ます。やり方決めて、任せられるようにしたいんです」

 本当は、朝から夜まで自分が立つのはしんどい。それを言うと、おばちゃんはあっさりうなずいた。

「そらそうや。卒論もあるんやろ」


「時給は、あそこに書いてある八百円?」

「はい」

「朝早いんやから、もうちょっと上げてよ」

 博之は入口の紙を見た。八百円でも来てくれるだろうと、どこかで思っていた。

「……千円にしましょうか。朝の九時まで」

「それやったら、考えてもええな」

「六時半から九時までで、二千五百円。九時から十時は八百円で、一日三千三百円です」

「そんなにもらえるん。毎日やったら月十万ぐらいやん」

「いや、毎日開けるかはまだ分かりませんよ。まず売れるか試してからです」

「私かて、今のレジの仕事もあるしな。出られる日、調べてくるわ」

 採用が決まったような気になっていた博之は、そこで一度ノートを閉じかけた。

「お願いします。僕は九時半か十時には来るんで、重なった時間に昼の仕込みも

 一緒にできたら助かります」


「朝のお客さん残ってたら、そっち先やで」

「それはもちろん」

 注文が次々につく。けれど、一つ聞くたび、ぼんやりしていた朝の店に、人の動きが増えていった。

「ご飯も無洗米に替えるんです。研がんでええんで、だいぶ楽になりますよ」

「それ、私のため?」

「いや、僕の手が荒れてきて」

「正直やなあ」

 おばちゃんは笑って、最後の一口をすくった。

「ほな、実験台みたいなもんやね」


「一緒に試してもらえたら」

「給料は、実験失敗しても払ってや」

「そこはちゃんと払います」

 おばちゃんが帰った後、博之はノートを開き直した。

 三千三百円。朝だけで、まず何杯売ればいいのか。

 さっきまで人が見つかるかを心配していたのに、今は別の計算が始まっていた。

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