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第一話:光の下の幽霊と、深夜二時のイベントプランナー

第一話:光の下の幽霊と、深夜二時のイベントプランナー

1. ハルの視点

午前二時。

静まり返った部屋に、玄関の鍵が回る乾いた音が響いた。

慌ててパソコンの画面を閉じる。

書けてもいない原稿画面を彼女に見せるのは、自分の無価値さを突きつけられるようで、どうしても耐えられなかった。

「ただいま、ハル!」

ドアを開けて入ってきたアキは、明らかに肩を落とし、疲労困憊といった様子だった。

けれど、僕と目が合った瞬間。

まるで魔法でも使ったかのように、フワッと花が咲いたような笑顔を見せた。

「これ、帰り道のコンビニで見つけてさ。半分こしよ?」

差し出されたのは、少し高めのカップアイス。

僕たちの財布事情からすれば、かなりの贅沢品だ。

「ありがとな」

受け取ったスプーンを握るアキの指先に、ふと目が留まる。

白くて細い指に、痛々しい絆創膏が二枚、貼られていた。

激しいイベントの現場で、また泥臭い力仕事を押しつけられたのだろう。

スーツの袖口も、うっすらと汚れている。

「目が合えば笑って、一緒にいれば楽しくて」

お金は全然ない。

明日の約束なんて、何ひとつない。

けれど、一つのアイスを分け合って、冷たいねって笑い合うだけのこの時間が。

僕にとって、生きるための唯一の酸素だった。

アキは僕の「最初のファン」で、今も僕の才能を信じてくれている。

「ハルの物語、大好きだよ」と、何度も言ってくれた。

だからこそ、何も書けない自分が惨めだった。

彼女にぶら下がって生きている自分が、許せなかった。

「ハル?」

「あ、いや……なんでもない。おいしいな、これ」

「でしょ! 新発売なんだよ」

嬉しそうに笑うアキ。

その笑顔の裏にある「影」に、このときの僕はまだ、気づけていなかった。

2. アキの視点

終電の冷たいシートに揺られながら、私はスマホの画面を見つめていた。

『明日の設営、朝5時現地集合で。仕様変更入ったから資料差し替えておいて』

上司からの短いメッセージ。

クレーマーまがいのクライアントに振り回され、一日中走り回って、足は棒のよう。頭も痛い。

心の中で、何かがみしりと音を立てて軋むのが分かった。

「……もう、限界かな」

ぽろり、とこぼれそうになった弱音を、慌てて飲み込む。

車窓に映る自分の顔は、ひどく老け込んで見えた。

だめだ。家に着く前に、ちゃんと「私」に戻らなきゃ。

私には、守りたい大切な場所があるのだから。

狭いアパートのドアの前で立ち止まり、深呼吸をする。

両手で自分の頬をパチパチと叩いて、一番温かい笑顔を作った。

鍵を開けて、一歩を踏み出す。

「ただいま、ハル!」

リビングに入ると、ハルが慌ててノートパソコンを閉じるのが見えた。

今日も、書けなかったんだ。

少し猫背になった彼の背中が、以前よりずっと小さく見えて、胸がギュッと締め付けられる。

ハルは、自分が「売れない小説家」であることを、ずっと気に病んでいる。

私を養えない不甲斐なさに、押しつぶされそうになっている。

言葉が苦手な人だから言わないけれど、私には全部分かる。

だからこそ、私は笑うのだ。

あなたがいるだけで、私は大丈夫だよと伝えるために。

「これ、帰り道のコンビニで見つけてさ。半分こしよ?」

カバンから取り出したのは、ご褒美のアイス。

ハルは何も言わずに受け取って、私の指の絆創膏を、酷く悲しそうな目で見つめた。

優しい人。

世界中で誰があなたの才能を疑っても、私だけは知っている。

あなたが紡ぐ言葉が、どれほど温かくて、どれほど私を救ってくれたか。

ハルが俯きながら、ぽつりと呟く。

「ごめん、アキ。俺、今日も何も……」

「いいんだよ、ハル。気にしてないよ」

私は笑って、ハルの言葉を遮った。

焦らなくていい。あなたがまたいつか、心から笑って物語を書けるその日まで、私がこの家を守るから。

でも――。

布団に入り、ハルの規則正しい寝息を聞きながら、私は暗闇の中で天井を見上げた。

襲いかかってくるのは、明日への恐怖。

激務に擦り切れていく体と、一向に見えない光。

(……しんどいな。本当は、すごく、怖いよ)

ハルを起こさないように、私は布団を頭から被り、ぎゅっと目を閉じた。

星の見えない、長い長い夜が、今日も私たちを包んでいく。

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