魔王は〝神〟の座に至る
ルクシア神殿への道は、閉ざされてはいなかった。
アベリア攻略のための拠点に置かれた制御装置から難なく転移できたのだ。
(〝庭師〟にしてみれば、これで俺を牢に捕らえたと同義だからな)
邪魔されないのは僥倖だが、なんとも拍子抜けだ。
とはいえ、ルクシアの攻略情報は最低限のものらしい。今までとは違い、地図すら確かなものではなかった。
聖武具もない。
ひとり身では、食料はまだしも水は三日分を持ってくるのがせいぜいだった。
「ぴゅぃ……」
お供で連れてきたのは小型スライムのピュウイ一体のみ。
だが、これで最悪の状況でも、いつかここで得た情報はリムルレスタに伝わってくれるはずだ。
悲愴感はなかった。
高揚感も乏しい。
それでもガリウスは淡々と、ほとんど思考することなく、ルクシア神殿の最奥まで到達していた。攻略二日目のことだ。
待ち構えていた巨大守護獣も、さほど苦労せず倒す。
先に進めば他の神殿と同じく、台座に球体、帯状の魔法陣で構成された制御装置が置かれていた。
≪おめでとうございます。貴方を七神殿のひとつ、〝ルクシア〟の主として登録しました≫
これまた他と同じく、無感情な声が迎える。
≪貴方は七神殿すべてを攻略しました――≫
続く言葉が、途絶えた。
しかし――。
「ここから先は、我らが対応しよう。ああ、認めようじゃないか。君は七つの神殿すべてを攻略した。君こそ、今代の〝勇者〟にふさわしい」
黒一色のパンツスーツ姿の男女が、制御装置を挟んだ向こう側に現れた。
「今さらその名で呼ばれても、ただの皮肉にしか聞こえない」
「本来〝勇者〟とは、七神殿を攻略した者に与えられる称号だよ。王国が魔の国に対して送りこんだ殺戮者とはまったく意味合いが異なる」
「言葉遊びをするつもりはない。お前たちの言う〝勇者〟に俺がなったとするなら、もう俺の邪魔はしない、ということか?」
「基本的には、ね。我らには〝勇者〟の言葉に従う、強制力が働いている。ただし――」
男は無表情のまま告げる。
「『箱庭』の存続が脅かされると判断した場合は、一定の権限が行使できる。たとえば、前に言った通り『制御装置の転移機能を停止する』といった、ね」
男の横にいる女が薄く笑うと同時。
≪転移機能が一時的に停止しました。なおこの措置は七神殿すべてに適用されています≫
無感情な声が響く。
ガリウスもまた感情を押し殺して返した。
「妙な話だな。俺に情報を渡さなければいいだけなのに、そちらには強制力とやらは働かないのか」
「なに、けっきょく我らは人の思考を完全には把握できない、という話だよ。語るにせよ語らないにせよ、その後の君の行動を完全には予測できない。しかしここで君を足止めすれば、確実に『箱庭』は守られる」
なるほどな、とガリウスは肩を竦め、ギラリと視線を鋭くした。
「では話してもらおう。この世界の秘密とやらを」
数秒の沈黙を破ったのは、虚空から響く三つの声だった。
『ああ、ようやくだ』
『いつぶりだろうか』
『二百年は経ったな』
しゃがれた老人の声音に、ガリウスは眉をひそめる。
男女はそろって苦い顔をした。
『まずは正しい情報を』
『アレを管理するには必要だ』
『そう、〝神〟はすべてを知らねばならぬ』
滔々と。
事務的に。
ただ事実の列挙が行われた。
魔法科学文明の繁栄。
さらなる人の可能性を探るための『箱庭』計画。
壮大な映像を交えて語られる内容はしかし、ガリウスにとってはどうでもいい、ゆえに理解が及ばぬ話が続いていた。ところが――。
『つまりは人の亜種。人の可能性を探るために造られた、人とは異なる生命体だ』
『彼らは有用ではあったがね。いかんせん閉じていた』
『しょせんは人ならざる者たちだ。せめて愛玩用途で使えればよいものを』
ガリウスは胸元を押さえ、爆発しそうな感情を抑えていた。
『ところが、だ。よもやあちらで光明が差すとは』
『やはり人の可能性は潰えることなし』
『亜種の力を〝開いて〟人に移せば、世界は再興するに違いない』
だが、限界を超えた。
「お前たちは、もう黙れ」
静かなる怒りを吐き出す。
「やはり……やはりだ。貴様らは亜人たちをただの〝道具〟としてしか見ていない。あれが『光明』だと? サラディオのしでかした悪魔の所業を、知ってなお認めるとはな」
生きた亜人から力を抜き去り、人に移す。抜かれた側がどうなるかは言うまでもない。
老人たちの声は途絶えた。
代わりに男が口を開く。
「ひとつ、誤解を正したい」
「黙れと言ったぞ」
「いや、君は聞くべきだ。我らは『箱庭』の人類に直接干渉はできない。せいぜいが神殿とそれに連なる諸々の制御をおこなうことだけだ。仮にその『悪魔の所業』を我らも『否』と断じたとしても、積極的に止めることはできなかった」
ガリウスの眉間のしわがいっそう深くなる。
「お前は俺の言葉を理解していないのか? 貴様らが『是』と認定したことに俺は怒っているんだぞ」
「それも理解している。だが『是』としたのは我らだけではないよ。むろん発案し、実行に移した『人』とも違う存在だ」
ガリウスは質問をわずかに躊躇った。聞いてはいけない。そんな決定的な予感がしたからだ。
「……なにが言いたい?」
それでも問わずにはいられなかった。
「君は不思議に思わないかね? 長きにわたり『魔族』と蔑まれ、迫害され続け、その生存すら脅かされながら、どうして亜人たちは『人』を屈服させようとしなかったのか」
「それは……」
数で圧倒し、さまざまな恩恵を持つ人類には勝ち目がないと諦めていたのもあるだろう。
しかし大規模な反抗に至らなかったのは、亜人たちは元来、穏やかな性格をしているからではないか。争いを好まず、だからこそ――。
「そう、彼らは争いを好まない。それでも君の言う『悪魔の所業』を聞いてなお、明確に反抗の意思を示したかね?」
ガリウスは言葉に詰まる。
たしかに個人レベルでは人を恨む者は当然いるし、中には害意や殺意まで表明する者もいた。
だが多くの者は憤りや哀しみに留まっているのではないか。
すくなくとも種族を束ねる立場の者たちは、武力による解決には消極的だった。
「亜人たちは、我らと同じだ。その根底にある設計思想もね」
「……なに?」
「我らは『人』を先に進めるために存在するモノ。こうして人の姿に似せてはいても、実体はただの擬似生命体だ。つまり感情がない。ゆえに同胞が迫害されていても心は痛まない。それもまた、必要だからそう設計されているのだよ」
男はただ真摯に向き合っている。
「先の老人たちの説明はいささか言葉が足りなかった。亜人たちもまた、我らと同じ思想で〝創られしモノ〟なのだよ」
大きな違いは、感情があるかどうか。
そして、その自覚があるかどうか。
たとえ自覚がなくとも、けして『人』という種そのものに仇なすことはできない。
「彼らが種として穏やかな性格をしているのはそういう理由だ。『人』のために創られ、無自覚ながら『人』の進化に貢献するために生きる。そして――」
男は一瞬だけ言い淀んだものの、きっぱりと言い放つ。
「その死が『人』を先に進めるものなら、存在意義として『正しい』のだよ」
ガリウスは愕然とした。
胸元で、かすかに何かが動く。ピュウイだ。目を落とし、なにか声に出そうとするも、言葉が見つからない。
(伝えるのか? こんな……こんな……)
自らの存在が、『人』のためにあらねばならないモノである、と。
そんな残酷にして無慈悲な現実を、知らしめねばならないのか?
――きっとあなたも絶望する。
頭の中で、その言葉がぐるぐる回る。
「我らに感情はない。だが君の絶望は理解しているつもりだ。だからここで肯定しよう。我らは亜人たちをただの〝道具〟と見做している。しかし同時に、我ら自身も〝人類存続のための道具〟と断じているのだよ」
黙るガリウスに、男はたたみかけた。
「君は『人』だ。【アイテム・マスター】を授かりし者にして、七神殿を踏破した〝勇者〟だ。そして君は『箱庭』の〝神〟に選ばれた。ならば――」
語気を強め、懇願するように告げる。
「我らを使え。我らという〝道具〟を使いこなし、真に人々を導いてくれないか」
ガリウスは目をつむり、天を仰いだ。
男の言葉をひとつひとつ丁寧に反芻し、理解した。
「お前たちは、正しい……」
男は驚いたように目を見開く。
女はしてやったりと口角を上げた。
ガリウスは目を閉じたまま、肩を落として首を垂れた。
「〝神〟……〝神〟と言ったか。まさかここにきて、欲が生まれるとはな」
「欲とは『人』を先に進める原動力だ。恥じることはない」
「べつに恥じてはいないさ。ただまあ、お前たちもなにか誤解しているようだ」
「なん、ですって……?」
女が怪訝そうにつぶやく。
一拍遅れて男が何かを言おうとしたのを、
「ああ、お前たちは正しい。だがそれは、お前たちの立場なら、という話でしかない」
ガリウスは静かな口調で押しとどめた。
「感情がない? 『人』に創られしモノとの自覚があるだと? なんだ、それならお前たちは、亜人たちとは別物じゃないか」
声が震えていた。
「立場を入れ替えてみろ。お前たちが迫害され、命を玩具にされていたなら、とな。そのうえで、もしすべてを知ったとして、亜人たちがそれを『是』とするか? 否!」
肩も震える。
(いや、これは……怒りで震えているのか?)
男は思うも、何も言い出せない。
「彼らはきっと、お前たちを見捨てない。見捨てるはずがない。だからこそ俺は、みんなと一緒にいたいと願ったんだ!」
生まれて初めてだった。
正確には恩恵を授かって、一度も考えたことがなかった。
虹色眼の話は知っていた。
恩恵を最高レベルで使いこなせるほど熟達した者が至る、と。
必要性を感じなかった。
自身の【アイテム・マスター】は初めから使いこなせているとの自覚があったからだ。
でも今は――今だからこそ。
「いいだろう。〝神〟にでもなんでもなってやる。だがそれは、お前たちに都合のいい〝神〟では、けっしてない!」
正面に顔を向け、睨むように、そのまぶたを上げていく。
理解は十分。
実在の到達者と相対したのだ。
――至らぬ道理こそ、存在しない。
「ば、バカな……」
「ここに至って虹色ですって!?」
二つの瞳が、七色に煌めいていた。
「いや、無駄だ! たとえ虹色に至ろうと、『箱庭』システムの中枢には届かない。それは証明済みだ」
そう、だから彼女は『人』の救済として滅亡を選択した。
しかし彼女は虹色に至ってなお、【アイテム・マスター】の本質に触れていなかった。ならば――。
ガリウスはその場から動かない。
制御装置に手を触れることすら、もはや必要ないと理解した。
単純な話だ。
「神殿もまた、『箱庭』の一部に他ならない。その中にいるのだから、〝道具〟を使うのに考える必要すらない」
ガリウスは自らをも〝道具〟と見做し、神殿そのものと同化する。
あとはただ【アイテム・マスター】に身を委ねれば――。
「届いた」
そのひと言に、女が膝から崩れ落ちた。
男は哀しげに瞳を揺らしながら、
「そうか、これで我らもまた……」
どこか安堵したように、つぶやくのだった――。




