魔王はお払い箱――
あるところに、醜い男の子がおりました。
目元は腫れぼったく鼻は上向き。大して食べてもいないのに、豚のように丸々太った体。
まるで魔族のようなその容姿に、村人たちはみな、親でさえも嫌悪を隠しません。
しかし男の子はやがて勇者となり、さらには魔王として君臨し、そうして――〝神〟の座に至ったのでした――。
ルクシアの最奥。
ガリウスはついに虹色へ至り、〝世界〟を司る奥底へ手を伸ばした。
神殿をアイテムと定義して自らを一体化させ、神殿を通じて『箱庭』と呼ばれる人類管理システムの制御を掌握。
(まずは亜人たちの解放だ。亜人に課せられた制限事項は……『箱庭』とのつながりを断てば解消される)
それには『箱庭』のシステム内にある機能をいくつも停止させる必要があった。
(システム自体を破壊……はダメか。『箱庭』のシステムとその制御は切り離されている。制御――中枢システムが瓦解しても、『箱庭』のシステムそのものは今の機能のまま存続する)
むしろ中枢システムが破壊されたらガリウスには何もできなくなる。
やるなら制御側からひとつひとつ、該当する機能を停止させる以外になかった。
複雑怪奇な制御機構をできうる限りの速さで書き換えていく。
「君の勝ちだ、ガリウス」
男が言った。くずおれる女とは対照的に、どこか満足そうな笑みを浮かべている。
「だが真に〝勝者〟となりたければ、願いは半分にとどめておくことだ」
その真意を質す間もなく、男は女ともども霞のように消えていった。
負け惜しみ、だとは思わない。
だが今は、気にしていても仕方がないと割り切った。
怖いくらい順調だ。
時間は要したものの、体力も気力もまだ残っている。
休息を取るほどでもなく、一気にガリウスは目的の半分を達成した。
「よし、これで亜人たちの呪縛は完全に解かれた」
それだけではない。
回復した転移機能を含め、神殿のマスター登録を改竄して亜人すべてがこれらにアクセスできるようになった。
逆に人は登録そのものができなくなった。
これで『箱庭』の外への移住が現実味を帯びる。
最終的には人が大山脈を越えられなければ、亜人たちの平和は永劫守られる。
充実感を抱く中、両の頬をパンとはたいた。
まだ恩恵の完全除去という大仕事が残っているのだ。
気を引き締め、続けて集中しようとした、そのとき。
ゴゴゴゴゴ……。
神殿を揺するような低い音。
バキンッ! と、今度は壁面に亀裂が走った。
「まさか、神殿が、崩壊しているのか……」
急いでシステムの監視機構を調べると、ルクシア神殿の各所がいくつも破損し、時間とともに破損箇所が増えていた。
「神殿の防御機構が、停止している」
ルクシアだけではない。
七神殿すべてで、防御機構のみならず侵入者対策の機能も一部が停止していた。
(転移機能は……よかった、こちらは目論見通り機能が回復しているし、停止もしていない)
中枢システムの機能の多くを一気に停止したことによる弊害か。
詳しく原因を調べれば突き止められるかもしれないが、
(まずいな、時間が……)
圧倒的に足りない。
他の神殿なら問題ない。しかし今は場所が悪すぎる。
ルクシア神殿は海の底に沈んでいる。
海水の圧力で神殿そのものが崩壊しかけているのだ。
(くそっ、復旧しようにもいくつか機能を再起動しなければならない。いや、そもそも――)
復旧が間に合わない。
天井の一部が崩れ、ガリウスの背後で轟音とともに砕け散った。破片が肩に当たる。
すぐにでも脱出すべきだ。
しかしまだ、恩恵システムの停止が残っている。
――真に〝勝者〟となりたければ、願いは半分にとどめておくことだ。
そういうことか、とガリウスは奥歯を噛む。
場所を変えるか?
だが、このままルクシア神殿が崩壊すれば、システムの中枢が損傷しかねない。いや、確実に中枢システムは停止する。
そうなれば『箱庭』システムを制御する術が失われる。
つまり恩恵システムは残ったまま、亜人に対する人の脅威はなくならない。
決断を迫られる。
しかしガリウスの中で答えは出ていた。
「ピュウイ!」
胸元からぴょんと小さなスライムが飛び出す。守護獣はまだ停止に至っていないようでホッとする。
「これまでの記録を、みんなに伝えてくれ。だがもしエルザナードに会ったら、けしてこちらには来るな、ともな。あいつ一人でどうにかなる状況じゃない」
「ぴゅぃ……」
ピュウイはためらいつつも、制御装置にぴょんぴょん跳ねて、やがて消えていなくなった。
(これで情報は伝えられた)
あとは神殿が完全に崩壊するまでに、仕事を完遂するだけだ。
(仮に最後までできなくても、恩恵システムを弱体化できれば)
人が『箱庭』を越える未来は随分と先になるはずだ。
ガリウスは【アイテム・マスター】への集中を加速させた――。
そうして、世界は変わりました。
ガリウスはついに『箱庭』の奥深くまでその手を伸ばし、システムそのものを書き換えたのです。
といっても、空が落ちたわけでも大地が割れたわけでもありません。
目に見える変化はごくわずか。
まず、亜人たちが『箱庭』から切り離されました。
と、申しましても、なにが変わったのか、当の彼らにもわかりません。
彼らは以前と変わらず畑を耕し、子どもを産み育て、酒を囲んで笑っています。
もう、誰にもその人生を決められていない。ただ、それだけなのです。
そのわずかな変化といえば、そう。
〝神〟からの贈り物が消えました。
恩恵と呼ばれたそれは、その日を境にひとつ残らず失われ、二度と誰にも与えられなくなったのです。
王も、騎士も、聖職者も、これから生まれてくる赤子も、等しく。
もうひとつ、〝庭師〟たちの声も聞こえなくなりました。
首の後ろでぷつんとなにか、細い糸が切れる感覚。あれはなんだったのでしょうね?
さて、語り部からのお話はこれくらいにして。
あの日から数か月、わたくしがリムルレスタの都に到着したところから――。
黄金の鎧と黄金の剣。
聖武具を装備したエルザナードは、目抜き通りを歩く。見知った顔が多いものの、数自体は少ない。店をたたんだ家屋もちらほらあって、わずかに寂しさを感じる。
議事堂にある執務室の扉をたたいた。
「開いているよ」
聞き馴染みのある声に、エルザナードの片眉がぴくりと跳ねた。
嘆息を漏らして扉を開けるや、
「隠居したのではなかったのですか、〝魔王〟さま」
つい小言が飛び出した。
部屋には一人。書類が山積みになった机の向こう、見慣れたはずの男が――
「また、痩せましたね、ガリウス。あなた、きちんと食べているのですか?」
立ち上がった彼は、シュッと引き締まった頬をかきながら「以前よりもね」と笑みを浮かべた。
「【アイテム・マスター】を失った直後から、ですよね。やはりアレが栄養を最高効率で摂取するようにしていたのでしょうか?」
「どうかな? そもそもお前は違ったのだろう? それに、恩恵をもらう以前の俺も少食なのに太っていたからな」
エルザナードは腕を組んだ。
(どうも腑に落ちませんね。もしかして〝庭師〟たちは、ガリウスに生まれた直後から【アイテム・マスター】を与えていたのでは? でも、どうして?)
考えるに、『箱庭』は行き詰まっていたように思う。
自分が精霊化して聖武具に宿って以降、歴代の【アイテム・マスター】にも聖武具を使わせないよう工作していたから、神殿攻略の道は二百五十年ほど頓挫していたのだ。
人の進化、という意味でも停滞していたのは否めない。
亜人たちを『魔』と断じ、迫害し、同族であっても国を分ち相争う。
すくなくともガリウス登場以前の世界は、緩やかな衰退に流れていた。
(だから状況を打開するため、究極の【アイテム・マスター】を作ろうと……)
だとすれば皮肉な話だ。
結局はそのせいで勇者ガリウスが誕生し、魔王を経て、『箱庭』を破壊する〝神〟となったのだから。
もっとも、今となっては仮定の話でしかない。
「で? ただの人となったあなたは共同代表を辞して隠居し、外で妻子とのんびり過ごしているはずでは?」
「戦場は剣や槍を振り回すところだけじゃないさ。大規模な移住計画だからな。細々した書類仕事やなんかはできる者が積極的に手伝わないと」
ガリウスはうーんと体を伸ばしてお茶の準備をする。横顔に以前の面影はあるものの、とくに体つきは二回りほど厚みが剥がれていた。
「本当に、よかったのですか? あなたなら、自身だけでも恩恵を残せていたのではありませんか?」
お茶を受け取り、つい、そんな余計な問いが出た。
ぼんやりと澄んだ紅い液体に顔を映す。
「……できたかもしれない。だが、そんな考えが浮かばなかったんだ」
ゆらめく湯気に乗り、心地よい香りが鼻をくすぐる。
「俺はずっと居場所を探していたように思う。でもどこへ行こうと、もし恩恵がなかったら、と不安で仕方がなかった。俺にとってはアレが俺のすべてであり、俺の拠り所でもあったからだ」
それはリッピに出会い、亜人たちと行動を共にするようになってからも続いた。
「でもあの瞬間、俺はたしかに居場所を得たと感じた。だからもう、あの時点で最後の仕事さえ終えれば、俺に神の恩恵なんて必要ないと確信したんだ」
しみじみ語るガリウスは、あの絶体絶命の瞬間を思い出していた――。
海水がくるぶしを越えた。
広い部屋で流入も激しくはないが、扉や壁が一部でも崩れれば一気に決壊し、水没を待たずに海水に飲まれるだろう。
(その前に天井が崩れて――っ!?)
考えたそばから、頭の上でバキバキと音が鳴った。自身と同じほどの大きな石の塊が、真っ直ぐ落ちてくる。
腰の短剣に手を伸ばす。抜くと同時に風刃をいくつも飛ばした。巨石は切り刻まれ、ガリウスに落ちてきたのは破片がすこしだけ。
(もうすこし……あとすこしなんだ……)
恩恵システムは停止させた。今後、誰にも恩恵は与えられない。
だがすでに取得した恩恵は消えていなかった。
(時間の限り、できるだけ多くの恩恵を剥ぎ取ってやる――くっ!)
崩れた天井の一角から、亀裂があちこちへ走った。
(まずい、あっちは――)
台座の上に球体が浮いている。亀裂は制御装置の直上付近に向かっていた。
転移機能は制御装置に備わっているものだ。仮に破壊されれば、脱出できなくなる。
そもそも天井の崩壊はあの範囲にとどまらない。
「待て。あの数は、さすがに……」
自身と制御装置を含む広範囲に、大小いくつもの瓦礫が降りそそいだ。
風の刃が足りない。いや、泣き言をこぼす前にできるだけ多く風刃を生み出して――。
「あなたは作業に集中しなさい」
凛とした声音は、今まさに崩落につぶされそうな制御装置から。淡い光に包まれたかと思うと、眩いばかりの黄金の光が続けざま放たれた。
目を細めるガリウスにかろうじて見えたのは、ひと振りで瓦礫を一掃した黄金の剣。
そして――。
「エルザナード? 来るなと伝えたはずだ。いくら聖武具を装備したお前でも、一人でどうにかできる状況じゃない!」
だから今すぐ戻れと叫ぶ。
しかしエルザナードは涼やかに応じる。
「そうですね。聖武具は『個』の力を上げるもの。わたくしだけならまだしも、ガリウスと制御装置を長く守る用途では足りません。ですから――」
話す中で、再び制御装置が光を放った。
壁が割れる。海水が大量に入ってくる、その穴を。
巨大な魔法陣が幾重にも展開され、完全に塞いでしまった。
「ふぃ〜、久しぶりにこの規模の魔法を使ったのう。老骨にはちと辛いわい」
「じ、ジズル、貴方まで、どうして……?」
「そんなの決まってるでしょ!」
猫人族の友が、ガリウスの手から短剣を奪い取った。風刃を飛ばして回る。
「ガリウスさんを、助けに来ました!」
次は人と竜人の絆を持つ少女が、大狼にまたがって長い金属棒を振るう。
彼女らだけではない。
亜人たちが続々と、それぞれ装備を万端にして、制御装置を通じて転移してきた。
「これだけいれば、かなり時間を稼げるのではありませんか?」
エルザナードがにこやかに言った。
現れた亜人たちは防御魔法陣を各所へ展開して天井の崩落を、壁の破壊を、海水の侵入を押し留めている。
「いや、だからどうして君たちがいるんだ?」
ピュウイを送り返してから、時間はそれほど経っていない。
これだけの数が準備万端でやって来られるはずがなかった。
「あれ? おかしいなあ。聞いたはずだよ、『ただ待ってるだけじゃない』って」
リッピが水面を跳びながらいたずらっぽく笑う。
「そうです。リリアネアさんがおっしゃったんです。『ガリウスが帰ってこられるように、なんだってやろう』って」
だからいつ終わるかもわからないルクシア攻略の間、こまめに休息を取りながらひたすら待っていた。
アベリアの制御装置のすぐ近くで。
これだけ多くの仲間たちが。
そうしてピュウイの報告を受けて、すぐさま転移を開始したのだ。
ガリウスは顔を伏せた。
ただひと言だけを、告げる。
「みんな、頼んだ」
半分ではない。
すべてをやり遂げて、帰るのだ。みんなと――。
エルザナードは「そうですか」とお茶を一気に飲み干し、立ち上がる。
「もう行くのか?」
「ええ、まだこの小さな世界には、理想郷の存在も知らずに怯え暮らす亜人たちがいますからね。それに――」
エルザナードは腰の聖剣に手をかける。
「〝人を前に進める〟技術は、恩恵が失われても燻っています。それらは徹底的に排除しませんと」
かつて『〝世界〟を記録する』という恩恵があった。それを操る彼女は三百年にわたり叡智を集め、世界各地に痕跡を残していた。
それらの叡智がやがて人の武器となり、亜人たちに向けられるのを防ぐため、エルザナードは『箱庭』の内側を転々としているのだ。
「戻ってこいよ」
「もちろん、そのつもりです」
いつものやりとりを経て、エルザナードはガリウスに背を向けた――。
語り部として、最後のお役目をば。
男の子は勇者となり、やがて魔王として立ち上がりました。
そうして〝神〟に至った彼は、最終的には躊躇いなくその座を手放したのです。
今の彼はただの人。
剣もろくに振るえず、そのくせ健康的に痩せていき、相変わらず書類の山に埋もれては叱られています。
かつては恐怖の象徴として、自ら名乗っていた呼び名でした。
隠居して降りたはずのその名を、今ではみなが親しみをこめて呼んでいます。
そう。
最強の勇者はお払い箱になりましたけれど。
〝魔王〟はついぞ、お払い箱になることは、ありませんでした――。
これにて完結です!
評価やリアクションしてくださると嬉しいです。
あと、短編書きました。
『未来の私がネタバレしてくる! どうせなら詳しくお願いできますか?』
https://ncode.syosetu.com/n2709mx/
以下はあらすじ。ご興味あれば作者ページからどうぞ。下に直リンクも貼っておきます。
ーーあらすじーー
ある日、手鏡に見知らぬ美女が映っていた。
口も態度も悪いが、予言はすべてぴたりと的中する。
地味で平凡な私だけど、侯爵令嬢にして第二王子の婚約者。いわゆる超勝ち組。
なのにその女、あろうことかこんな予言をしてきた。
『公衆の面前で婚約破棄を言い渡されるわ』
え、私、どうすればいいの?
いつの間にかそばにいる、この覆面男は誰なのよ?
待って。今の平手打ち、やっちゃってもよかったの?
どうせネタバレするのなら、もっと詳しくお願いします――。
作者ページに作品リンクがありますので、そちらからどうぞ。
↓ ↓ ↓ 下の方に直リンクもあります! ↓ ↓ ↓




