魔王は災厄に挑む
明け方。
アベリア遺跡の攻略拠点にガリウスは戻ってきた。
中央広場の近くに設けた木造りの倉庫に入る。
(……聖武具がない、か)
倉庫を入ってすぐのところに置いてあったはずの、聖剣と聖鎧が見当たらない。
誰かが持ち出すにしても、ガリウスにひと言あるはずだ。国の宝を盗むような者は、ここにはいない。
(いや、一人いたな。一人といっていいのかはわからないし、そもそも聖武具は――)
ガリウスは無駄な思考を止め、他の装備を物色する。
快速ブーツと風のマントはいつもどおり。フェニクスの鎧をばらして作った肩当てと籠手、すね当てを久しぶりに装着する。聖鎧が使えないときは動きやすさを重視してこれだけあればよかったが、以前こしらえた不砕鋼製の胸当ても装備した。
武器はひとつでは足りないだろう。かと言って、多く持っていけば荷物になる。
取り回しが効いて魔法効果もあるシルフィード・ダガーとサラマンダー・ナイフを左右それぞれの腰に嵌めた。しばらく考えてから、黒い槍を手にする。
ルクシア遺跡は他に比べて広くはない。数日の備えがあれば十分だろう。
念のため持てるだけ持っていくか、と考えながら倉庫を出ると。
「それ以上の準備は必要ありませんよ」
金色の女が立ちふさがった。
いつもとは様子が違う。その出で立ちからも明らかだった。
薄手の衣から一転、海風に揺らぐ金色の髪と同色の、重厚な鎧に身を包んでいる。すらりとした体躯にぴったり嵌まった姿は戦乙女と表現できよう。
「それがお前本来の姿というわけか、エルザナード」
女――聖武具の精霊エルザナードが薄く笑みを浮かべた。
「まさかまたこの鎧を身に着けるとは思ってもいませんでした」
「念のために訊くが、なんの用だ?」
「もちろん、あなたを止めにきたのですよ、ガリウス」
ピン、と。
今にも弾けて切れそうな糸が二人の間に張られたかのような緊張感。
「悪いが、もう決めたのでね。俺はルクシアへ行く。そこで世界の謎を解き明かし、亜人たちを本当の意味で解放――」
「できませんよ」
エルザナードはガリウスの言葉をきっぱりと遮った。
「ルクシアに赴けば、なるほど世界の謎とやらは明らかになるでしょう。けれど、それだけです。ギフト・システムはすべてが滅んでも稼働し続け、亜人たちの呪縛が解かれることはありません」
「そんなもの、やってみなければわからないだろう」
「たしかにそうですね、ではこう返しましょう」
エルザナードは言う。
「『やってみたけれどダメだった』のですよ」
どこか自嘲的な笑みだった。その理由は察しがつく。そも続く言葉が答えだった。
「かつて【アイテム・マスター】を取得したわたくしは、あなたと同じ理由で七つの神殿に挑み、ついに制覇しました。そう、あなたと同じだったのですよ、ガリウス。世の不条理に憤り、人と亜人が対等に並び立てる世界にしたい、その一念で」
けれど、と目を閉じる。
「ダメだった。すべてが徒労に終わったのです。世界を司る制御機構は極めて堅牢で、わたくしが付け入る隙などまったくありませんでした」
ゆっくりと、まぶたを持ち上げる。
「たとえ、虹色に至ろうとも」
両の瞳が、虹色に輝いていた。
「そうか、やはりお前は、かつて七神殿を攻略していたのだな。だったら知っていることをすべて話してもらおう」
いいえ、とエルザナードは首を振る。
「わたくしはかつて彼ら――〝庭師〟たちと契約しました。死後も彼らに協力する、と」
「ふん、〝庭師〟か。『箱庭』とやらの管理者としては言い得て妙だな。さすがにお前が連中の仲間だとは思っていなかったよ」
「仲間? まさか。わたくしは本気で従うつもりなどありませんでしたよ。次代の【アイテム・マスター】が聖武具を使えないよう、邪魔をしようとしていましたしね」
肩を竦めながらガリウスを一瞥すると、
「契約した以上、わたくしにはいくつか制限か課せられました。あなたに何も伝えられないのはそのためです。そして今回もまた、借りができてしまいました」
手にした聖剣の切っ先を、ガリウスに向けた。
「なるほど。聖武具を扱えるよう、肉体を得たというわけか」
エルザナードはわずかに目を伏せる。
「魂など、とうに売り払っていました。ただ今回ばかりはある意味、初めて彼らと目的が一致したから、自ら願い出たのです」
顔を上げた。決意を固めたように険しくも哀しげな顔つきだ。
「彼らに従え、と言いにきたのではありません。むしろ逆です。世界の謎になど拘らず、亜人たちと『箱庭』を出て新たな生活をしてはどうですか? 人なんて箱庭に押しこめておけば、勝手に滅んでしまうでしょう」
エルザナードはうそつきだ。ガリウスはそう考えている。
明るく飄々としていても、本音を語ろうとはしてこなかった。
だが今の言葉は、どうしてか本心だと受け取れた。
それでも――。
「サラディオ・ジョゼリのおぞましき悪行を、お前も見たはずだ」
「……っ」
「教国のトップであることをいいことに、亜人たちの力を生きた人に移し、人の優位をさらに押し上げようとする悪魔の所業だ。〝庭師〟どもはおそらく――いや確実にそれを知りながら放置していた。人と亜人、どちらに重きを置いているかは明らかだと思わないか?」
問いに反応のないエルザナードに、ガリウスは畳みかけた。
「そんな奴らが、むしろ『箱庭』の〝外〟――こちら側にいるんだぞ。しかも亜人以上に長命ときた。邪魔な俺が死んだあと、亜人たちに干渉してこない保証がどこにある?」
ガリウスは槍を構えた。
「それでも俺を止めると言うのなら、押し通るまでだ」
緊迫した空気が張り詰める。
「……いいでしょう。腕の一本、いえ脚の方がよいですね。物理的に遺跡攻略などできなくすれば、あなたも諦めてくれるでしょうか」
完全に表情を消したエルザナードに、「場所を変えよう」とガリウスは告げる。彼女が小さくうなずくのを見て、ガリウスは警戒を解かぬまま踵を返した。
そのまま森へと入っていく。
しばらく歩き、見知った景色になったところで立ち止まる。
巨大な円盤をいくつも重ねた建造物。上に行くほど円盤は小さくなっている。アベリア遺跡だ。その下は木々が生えてはいるが開けていた。
聖武具を装備した【アイテム・マスター】と真っ向勝負で勝つのは難しい。
木々など使えるものは多いに越したことはないが、それでもガリウスはあえて、小細工が制限されるこの場所を選んだ。
「ひとつ訊いておきたい」
振り向き、金髪の女性と正対した。反応は待たずに問う。
「受肉したお前には、寿命があるのか?」
わずかに怪訝そうな表情となるも、「ええ、それがなにか?」と返ってきた。
「いやなに、それなら俺もお前を殺さないよう気をつけなければな、と思ってな」
エルザナードの片眉がぴくりと跳ねる。
「ならばわたくしからもひとつ、老婆心ながら忠告を」
薄く笑みをたたえると、
「スキルは同一、しかしてこちらは虹色。数段わたくしが勝っています。装備も然り。加えてわたくしはそも騎士として鍛えられておりました。新たな身体とはいえかつてと姿かたちは変わらぬもの。二百五十年ぶりではありますから慣れは必要ですけれど、ハンデと呼ぶにはいささかあなたにとっては心許ないでしょうね。つまり――」
十メートルほどの隔たりが、一瞬にして詰まった。
ガキィンッ!
黄金の剣と黒き槍が交差する。
「ゆめゆめ、思い上がらないことです」
激しい衝撃だがなんとか受け止められる。そう思ったのも束の間、相手の刀身が槍を滑り降りてきた。
「くっ……!」
たまらずガリウスは後方へ跳んだ。
「なにが脚の一本だ。今、指を斬り落とす気だったろう?」
「要はルクシアに行けなくすればいいのです。この際、指でもなんでも構いませんよ」
軽口のように言葉を紡ぎながら、エルザナードはまたも一瞬で間合いを詰めてきた。嵐のような連撃を受け流すも、穂先を向ける間がない。
剣の間合いだ。
せめてもう半歩、身体を引き離さなければ反撃には転じられない。このままではいずれ体力か精神力が尽きて、あちらの思惑どおり片脚だか片腕を刈り取られるだろう。
「なっ!?」
だがガリウスは、あえて半歩、前に進んだ。
エルザナードは面食らったようだが、すぐさま冷静になって聖剣を振り上げた。
キィィィンと涼やかな音とともに、漆黒の槍が空へと弾かれる。くるくる回りながら、東からの陽光を跳ね返していた――。
勝負あり。
エルザナードは確信した。
しかしガリウスはさらに半歩の距離を縮めた。
空いた両手が、左右の腰に走る。二本の短剣を抜き放ち、交差させるように振るった。
まずは紅の刀身が炎を噴く。それを追い越すように、風の刃が聖鎧の上部、エルザナードの細首に迫った。
「むぅ、思いきり殺しにきていますね。しかし――」
エルザナードは涼やかな声をその場に残し、軽やかにガリウスの横へ回りこんだ。
「おや……」
ところが聖剣を薙ぐ直前、ガリウスの二撃目が飛んできた。
むろん慌てはしない。
すでに剣の間合いだ。
聖剣で軽く弾けば、返す刀でガリウスの膝元を狙える。
ためらいはあった。
長年付き合いのある彼を傷つけるのは忍びない。
それでも止めると決めた。
ルクシアに行けば命はない。しかもすべてが徒労に終わったとの絶望を抱えて、暗く冷たい海の底で果てるのだ。
聖剣を振り上げる。
風の刃は弾けて消えた。
そのまま剣を振り下ろそうとする直前。
(今、なにか別の音が……?)
違和感があった。
風の刃を弾いたとき、もうひとつ、衝突音が聞こえた気がしたのだ。
ぞわり。
形容しがたい悪寒が、眉間を駆け抜けた。
反射的に一足、後退する。
びゅおん、と。
目の前に稲妻じみた速度で漆黒が落ちてきた。
地面に深々と突き刺さったのは、魔樹の呪槍。先ほど弾き飛ばした槍を、最初に放った風の刃で叩いてこちらを狙ったのか。
後退する最中、黒い槍越しにガリウスが迫ってくるのを見た。
いつしか短剣は腰に収め、空いた片手で槍をつかんで勢いそのままに抜くや、最小限の動きで切っ先を突き出してくる。
(さすがですね。本当に、アイテムの特性を最大限に生かした戦い方をしています)
アイテムに身を委ねる、と彼はかつて言っていた。
正直なところ、その感覚は虹色に至った自分でもよくわからない。
特殊な使い方をしているのだろう。だからこそ、虹色の瞳でなくても聖武具をぞんぶんに扱えているのだ。
掠っただけでも魔樹に囚われる、呪いの槍が肉薄する。
想定よりもかなり迅い。
狙いはまたも喉、その中心。身を捻って躱すには、もう遅い。直撃は避けられても、微かな傷は負ってしまう。
ガキィィィンッ!
目を見開くガリウスの顔を正面に捉える。
確実に掠めたとの思惑が外れたのだろう。
「あなたにできることが、わたくしにできないとでも?」
槍の切っ先はほんのわずか、エルザナードの首には届いていなかった。皮膚を薄膜のように覆う何かに阻まれたのだ。
聖剣との複合技『次元境面』。
空間を断絶し、物理・魔法を問わずあらゆる攻撃を跳ね返す防御だ。
「ガリウス、あなたが編み出したこの技は驚愕に値します。ゆえにこそ、あなたを失うわけにはいかないのです」
私情を横に置くとして、自身より彼が勝っているのはこれだ。
ただ頭が良いのではない。
あらゆる状況において最適解を導き出す緻密にして柔軟な思考。
彼ならばきっと、亜人たちの未来を切り拓ける。
あの〝庭師〟たちをも出し抜いて。
「やはり、強いな」
小さなつぶやき。
「これが、虹色眼に至った【アイテム・マスター】か」
エルザナードはわずかにだが安堵した。
こちらの実力を真に理解し、自分では到底及ばないと納得してくれた、と。
ようやく諦めてくれた、と。
しかしガリウスは矛を収めるどころか、槍の間合いで何度も突きを繰り出した。不敵な笑みを、浮かべながら――




