魔王は誓いを胸に発つ
淡い光に包まれてのち、ガリウスたちは別の場所に姿を現した。
大きな天幕の中だ。傍にぽつんと置かれている制御装置の球体が光を失くしていく。かすかなランプの灯が四方にぼんやりと浮かんでいた。
ここはアベリア神殿の攻略のため急造した村の中央広場――そこに設置した他の神殿の制御装置を覆う天幕の中だった。
「ガリウス、あのさ――」
リッピの声に、ガリウスは続きを遮って応じる。
「込み入った話になる。夕食を済ませたらジズルに報告だ。リッピとククルはすこし休んでいてくれ」
アオもな、とふさふさの体毛を撫で、ガリウスはいったん天幕の外へ出る。水平線の彼方がうっすら茜に色づいていた――。
夕食を終えたタイミングで、ガリウスはリッピとククルを連れてリムルレスタに戻った。アベリアの内部で遭遇した男女の言うところの、『箱庭』の中だ。
さっそく共同代表で前〝魔王〟にしてククルの祖父、ジズルに会う。
執務室で四人は机を囲んだ。
ガリウスがまずアベリアでの出来事を報告する。
七大神殿を管理する者たちが、『箱庭』と呼ばれる世界をも管理していること。
アベリアの攻略をもって完全攻略と認定し、ガリウスが『箱庭』を統治するよう持ちかけられたこと。
そして、その提案を断ってルクシアへ向かえば、二度と帰れないと警告されたこと。
ひととおり聞き終えたジズルは、深く息を吐いた。
「ルクシアへ行く必要はない。今度ばかりはお前さんを止めさせてもらうぞ」
リッピとククルも力強くうなずく。
「やはりダメか」
「当たり前じゃ。この世界の真実とやらとお前さんの命、天秤にかけるまでもなかろうよ」
「べつに死ぬと決まったわけじゃない。最悪の場合は連中の提案に乗る以外ないかもしれないが、そうなると俺は永遠の命が手に入るらしいぞ?」
皮肉ではありつつも、ガリウスは笑みを作らなかった。
「それこそ眉唾じゃろうよ。そも連中の配下になればお前さんの自由が失われよう。それは『死』と同義ではないかの」
「同感だ。だからあの場で断った」
「ならば話は早い。ルクシアは捨て置け。世界の秘密なんぞ知らずとも、儂らはこうして生きておる。困ることなぞなにもありゃせんわい」
実際、その通りだ。
真実を知らずとも日々は回る。ギフトの正体がなんであれ、作物は実り、子どもらは育つ。
だが――。
「連中は俺の質問には答えなかった。なぜ亜人が迫害されているのを知りながら放置したのか、その類の質問に」
答えられなかったのではない。きっと『答えなかった』のだ。
おそらく彼らは嘘が言えない。少なくともガリウスを納得させるだけの言い訳を、あの場では思いつかなかったのは間違いなかった。
「そんな連中が、この世界を――『箱庭』を今も管理していると言った。たとえ大山脈の向こう側に亜人たちの理想郷を作れたとしても、奴らの思惑ひとつで〝脅威〟が送りこまれるかもしれないんだ」
根本を正さなければならない。
そのためには真実を知る必要があった。
「ここで惰性に身を任せてしまえば、俺はきっと後悔する。かつて上からの命令に従って亜人たちを殺しまくっていたあのころのように」
沈黙が降りる。
ガリウスはさすがに心が痛んだ。自らの罪を盾にして、ジズルたちを黙らせようとしたのだから。
「ダメ、だよ……」
けれど、震える声を出したのは、この中では――いや、亜人たちの中ではもっとも古い〝友人〟だった。
「やっぱりダメだよ! 帰ってこられないって言ったんだよ? ガリウス一人、海の底に置き去りにされるなんて、そんなのおかしいよ!」
驚いたのはガリウスだけではない。
ジズルもぎょっとして、ククルはあわあわと狼狽えている。
「そうと決まったわけじゃない。連中は『転移装置を使えなくする』と言っただけで、別の方法が――」
「ならそれを見つけてからだよ!」
激情をぶつけてくるリッピの姿に、どこか懐かしさを覚えた。
(そういえば、初めて会ったときリッピは復讐に燃えていたな)
ジズルが勇者に殺されたと思いこみ、単身で王宮に乗りこんできた。
(もし、あのときリッピに出会わなければ――)
今の自分はなかっただろう。
リッピは恩人だ。亜人たちすべてが『そうだ』とも、確信をもって言える。
だからどうにかして納得してもらいたい。
けれど、どんな言葉を選べばよいかがわからなかった。
「ふぅ、重苦しい雰囲気じゃのう」
ジズルがのんびりした口調でするりと入ってきた。
「今、この場で結論を出さんでもよかろうて。ガリウスもせっかくこっちにきたんじゃ。リリアネアに会ってやれ」
ガリウスの腹は決まっている。
だができれば納得してもらいたい気持ちが強く、ジズルの提案を受けることにした。
気まずい雰囲気を肩に乗せたまま席を立つ。
部屋を出ようとしたところで、その背に声がかけられた。
「リリアを泣かせたら承知しないからね」
鋭い言葉のようでいて、どこか温かい。「ああ」とだけ返して、今度こそ部屋から出ていった――。
都にある邸宅に戻ってくる。
リリアネアはリビングのソファーに座り、大きなお腹をさすっていた。
「あらガリウス、おかえりなさい」
事前に帰宅を知らされていたらしく、驚いた様子もなくにこやかに迎える。
立ち上がろうとしたのを手で制す。そのままゆっくり近寄った。彼女の横に座ろうとして、一瞬ためらう。
「どうしたの? なんか疲れた顔……っていうか、また難しいこと考えてるんでしょ」
アベリアを攻略した話も聞いているだろう。
その上で、残るルクシアを攻略する件をどう伝えるべきか。
「君は、その……強くなったな」
「いきなりなに?」
「いや、だから……」
口ごもるガリウスに、すこし呆れたようにリリアネアは息を吐く。
「珍しいわね。まるで親に叱られそうな子どもみたい」
一転してくすくすと笑う。
「お兄様がお父様の大事な器を割ったときとそっくり。なによ、あたしに叱られるようなことしたの?」
冗談めかした声音にも、ガリウスは苦しげに応じた。
「そう、だな。これからすることになる、という話、なんだが……」
覚悟を決め、それでもぽつりぽつりと語り始める。
アベリアでなにがあったか。そしてルクシアに赴けばどうなるのかを。
「そっか。帰れなく、なるかもしれないんだ」
柔らかな笑みをたたえて聞き入っていたリリアネアは、お腹をひと撫でして尋ねる。
「怖いの?」
「……ぇ?」
予想外の言葉に、ガリウスは一時放心する。
「前にさ、『自分は〝魔王〟になろうとしてる』って言ったとき、あったでしょ?」
皇帝ユルトゥスがリムルレスタに直接攻撃を仕掛けてきた後のこと。
帝国との全面対決を前に、自ら亜人たちの長となり、〝魔王〟と名乗ることで国家基盤を強固にしようとした。
穏やかで平和な生活を捨ててでも。
〝悪〟の道を突き進んででも。
それで自身の心が壊れてしまっても。
亜人たちに報いたいと思った。
けれど、やはりそれは『怖かった』のだ。
「そうか、俺は、怖いのか……」
ルクシアを攻略すれば世界の真実が暴かれるはずだ。それは確信している。
そして真実が知られれば、迫害され続けた亜人たちを救う手立てはきっと見つけられるとも信じていた。
たとえ自身の帰還が果たされず、そこで朽ちたとしても、情報さえ伝えられれば誰かが解決に導いてくれるはず。
理屈の上では、それで目的は果たせる。自分が戻れずとも、だ。
けれど、今の自分の幸せを犠牲にするのは、やはり怖かった。それでも――。
「あなたは行くんでしょう?」
穏やかで慈しみ深い表情でありながら、その視線はまっすぐにガリウスの瞳を射抜いてくる。
「あたしは絶対に行ってほしくないし、リッピたちみたいに止めたいとも思う。でもあなたはどんなに怖くたって、みんなのためならその命すら投げ出してしまう。そういうところに、みんなだって惹かれたの。だったら――」
リリアネアは大きなお腹をポンとたたく。
「自信を持って送り出すのが、いい女房ってもんよね」
迷ってほしくない。
躊躇ってほしくない。
心の弱さがそのまま死に直結するのなら、それらを断ち切って進んでほしい。
にっこりと笑みを作るも、その瞳から雫が落ちた。
「あたしたちだって、ただ待ってるだけじゃないわ。みんなで力を合わせて、考えて考えて、ガリウスが帰ってこられるようになんだってやる。それができるようにしてくれたのは、他でもないガリウスだもの」
だから、と。
かすかに震える声を精いっぱい絞り出すように。
「いってらっしゃい。絶対に――」
続く言葉に、ガリウスは大きくうなずいた。
帰ってこい、と彼女は言わなかった。
その代わりにみなの気持ちを代弁するかのような、希望を託してくれたのだ。
早朝。
静かに眠る妻を残し、ガリウスは邸宅を後にした。
「ああ、絶対に――」
彼女の言葉を、繰り返す。
――生きてまた会おう。
アベリア神殿、その最上階。
ガリウスが妻とともに眠りについていたころ。
外の光が届かぬ闇の中、薄ぼんやりと球体が光を帯びる。
白く、しなやかな指先が伸びてきた。球体に触れようとしたその間際。
「なにをするつもりだ?」
男の声が制止した。
パンツスーツを着た男女。女のほうは怒りも顕わな表情だ。
「この期に及んでなにを望むのです? 使命を放り出し、我らとの〝契約〟を反故にしたままの貴女が――」
まくしたてる彼女の声を、強烈な光が遮った。後ろ姿の人物から放たれたものだ。長い金糸が風もないのに揺らめいている。
「先ほどは姿を見せなかった君が、今こうして我らのところに赴いたのだ。〝彼〟には聞かせたくない話があるのだろう?」
男は落ち着いた素振りで柔らかに尋ねた。
そして、その名を告げる。
「エルザナード」
虚空に浮かぶ女性がゆるりと振り返る。凛としてなお艶やかな声音を響かせる。
「ひとつ、お願いがあってまいりました」
その美貌からは、いっさいの感情が消え去っていた――。




