↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国を立たせる介護士 ~52歳で異世界召喚された外れ職《生活支援士》、寝たきりの老将から滅びかけた王国まで再建する~  作者: 狼賀亮一郎
第二部 白き王都と傷なき聖女編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
52/71

第五十二話 王都に残る椅子

「俺が、立たせ直します」

 修司の言葉が、夜明けの水路区へ残った。

 ゲルハルト・ヴァルナーは差し出していた手をゆっくり下ろした。

「立たせ直す、ですか」

 嘲るでも、怒るでもない。

 出来のよい答えを聞いた教師のように、静かにうなずく。

「では、そのための椅子を用意しましょう」

 灰色の礼服の内側から、今度は細長い銀の箱を取り出した。

 蓋が開く。

 中に収められていたのは、指ほどの大きさの黒い金属片だった。表面には青緑、赤紫、黄の細い線が絡み、その外側を黒い縁取りが囲んでいる。

 修司の呼吸が止まった。

 見間違えるはずがない。

 介護施設の廊下へ現れ、自分をこの世界へ引きずり込んだ召喚陣と同じ色だった。

「それは……」

「あなたを呼び出した召喚陣の欠片です」

 ゲルハルトは箱を閉じなかった。

「王宮地下の召喚殿は、失敗の責任を問われて封鎖されました。しかし、術式の記録まで失われたわけではない。召喚が一方通行なら、逆向きに道を開けないのか。研究を続ける価値はある」

「帰る方法が、あるんですか」

 自分でも驚くほど、声が乾いていた。

「今すぐ、あるとは申しません」

 ゲルハルトは微笑んだ。

「ですが、調べる権限と資金なら、私が用意できる」

 水路の音が遠のいた。

 午前二時十三分。

 照明の消えた施設の廊下。

 三〇七号室で、亡くなった夫を駅へ迎えに行こうとしていた篠原フミ。

『高瀬さんが夜勤でよかったわ』

 あの夜、修司は記録の入力さえ終えられないまま消えた。

 朝になれば、同僚は空になったスタッフルームを見つけただろう。篠原は次の夜、修司を探したかもしれない。

 自分がなぜいなくなったのか、誰にも伝えられていない。

「王立治癒院に生活支援部門を新設します」

 ゲルハルトの声が、二つの世界の間へ割り込んだ。

「あなたを部門長とし、治療師、助手、予算を与える。住居も身分も保障しましょう。召喚術式の調査にも加わっていただく」

 銀の箱が朝日に光る。

「王都に、あなたの椅子を用意してあるのです」

 修司の隣で、クラウディアの指がわずかに動いた。

 何も言わない。

 引き止める言葉も、辺境へ帰る約束を求める言葉も口にせず、修司が答えるのを待っている。

 その沈黙が、修司にはありがたかった。

     ◇

「帰れるなら、帰りたいです」

 修司は言った。

 クラウディアが目を伏せる。

「向こうには、俺がいなくなった理由さえ知らない人たちがいる。勤務の途中でした。あの夜の仕事も、挨拶も、何一つ終わっていません」

「ならば、迷う必要はない」

「いいえ」

 修司はゲルハルトを見据えた。

「帰りたいことと、あなたに従うことは別です」

 銀の箱ではなく、その向こうにいる百七十人を見る。

「帰還の研究には協力します。生活を支える仕組みを王都へ作ることにも協力する。ですが、俺がどこに住み、どこで働き、誰を支えるかは、自分で決めます」

 修司は隣のクラウディアへ視線を向けた。

「俺は、この世界にいる間は、グランフェルへ帰ります」

 クラウディアが顔を上げる。

 紫の瞳が揺れたのは一瞬だった。

「はい」

 それだけ答え、彼女は修司の隣へ半歩進んだ。

「王都に椅子を置いてやると言っているのですよ」

「人を沈めた床の上にある椅子には、座れません」

 ゲルハルトの口元から、ようやく笑みが消えた。

「残念です」

 右手の指輪が、赤く光った。

     ◇

 黒い馬車の周囲にいた局員たちが、一斉に動いた。

 四人は修司へ。

 二人はヴェラが封印した証拠箱へ。

 残る三人は、患者を乗せ始めた荷車の方へ回り込む。

 逮捕のための動きではない。

 修司は、先頭の男の右手を見た。

 握っているのは縄でも手枷でもない。赤い液体を満たした小瓶だった。

 男の視線は修司ではなく、荷車の下に積まれた乾いた藁へ向いている。

「俺ではありません!」

 修司は叫んだ。

「狙いは患者と証拠です!」

 男が小瓶を振りかぶる。

「カシウスさん、右です!」

 白い大盾が動いた。

 小瓶が盾へぶつかり、赤い炎が弾ける。

 熱風が石畳を走った。

 カシウスは一歩も退かず、荷車と炎の間へ立っている。

「これは、どういう命令だ」

 低い声が響く。

「証拠を奪われないための、正当な措置です」

 ゲルハルトは平然と答えた。

「背後の患者ごと焼くことがか」

「現場の者が加減を誤ったのでしょう」

「三人同時にですか」

 ヴェラの魔導糸が走り、二人の局員の手首を絡め取った。

 だが、三人目が彼女の死角から証拠箱へ迫る。

「クラウディアさん、箱を!」

「タカセ殿は!」

「自分で立ちます!」

 クラウディアは迷わなかった。

 修司から離れ、証拠箱へ走る。

 剣の腹で局員の短杖を弾き、返す一撃で足を払った。

 その間に、修司へ向かっていた一人が腰の剣を抜く。

 濡れた服。痛む右腕。地下から運び続けた身体には、もう力が残っていない。

 それでも、相手の肩が先に動くのは見えた。

「テアさん。右脚ではなく、左の平衡だけ!」

「はい!」

 琥珀色の光が、修司の左足首へ集まる。

 剣が横薙ぎに迫る。

 修司は後ろへ退かなかった。

 刃が速くなる前に半歩入り、左手で男の手首へ触れる。切っ先に逆らわず、円を描くように身体の外へ流した。

 男は剣を止めようと足を突っ張る。

 その力まで借りる。

 修司は手首を返し、男の肘を自分の肩より下へ導いた。

「ぐっ――!」

 局員の膝が石畳へ落ちる。

 剣が手から離れた。

 修司は倒れた男を押さえ込まず、すぐに顔を上げた。

 まだ二人いる。

 一人はオスカーへ向かい、もう一人は荷車の車輪へ火の印を刻もうとしていた。

「オスカーさん、前へ出ないで! 外套を車輪へ!」

 若い騎士が白い外套を投げ、赤い印を覆う。

「エヴァ先生、患者を荷車の左側へ! ヴェラさん、地面の印を消せますか!」

「三秒ください!」

「テアさん、今度はヴェラさんの指先を!」

「切り替えます!」

 琥珀色の光が修司の足から離れ、ヴェラの両手へ移った。

 青白い魔導糸が一気に細くなる。

 糸は外套の下へ潜り込み、石畳へ刻まれた赤い線を一本ずつ削り取った。

 クラウディアが証拠箱を守る。

 カシウスが炎を大盾で押し返す。

 エヴァと騎士たちが患者を風上へ移す。

 修司の頭の奥に、淡い光が広がった。

 《連携支援》。

 自分が全員を操っているのではない。

 誰もが、自分の役割を理解して動いている。その間にあった一瞬の迷いだけを、光の線が埋めていく。

「火の印、消えます!」

 ヴェラが糸を引いた。

 赤い線が石畳から剥がれ、空中で燃え尽きる。

 残る局員たちも、白盾の騎士に取り押さえられた。

 誰一人、炎へ巻き込まれていない。

 その向こうで、黒い馬車の扉が閉まった。

 直後、鞭の音が響く。

 馬車が石畳を蹴って走り出した。

 修司は大きく息を吐いた。

 ふらついた背中を、クラウディアの手が支える。

「自分で立つとおっしゃったでしょう」

「立つのと、支えてもらわないのは別です」

 クラウディアは一瞬きょとんとし、それから小さく笑った。

「ええ。そのとおりです」

     ◇

「ゲルハルト・ヴァルナー」

 カシウスが、燃える盾を石畳へ打ちつけた。

「部下へ武器を捨てさせろ。王命の確認が済むまで、あなたにも動かずにいてもらう」

 黒い馬車は、すでに通りの先へ抜けていた。

 その背後で赤い油が燃え、追おうとした騎士たちの進路を塞ぐ。

 後部の窓が開いた。

 ゲルハルトが、召喚陣の欠片を入れていた銀の箱を放る。

 箱は石畳を滑り、修司の数歩前で止まった。

 帰る方法につながる、唯一の手掛かり。

 修司は思わず踏み出しかけた。

 箱の表面に、赤い亀裂が走る。

「触れないでください!」

 カシウスが大盾をかぶせる。

 爆音。

 盾の下から黒煙が噴き出し、石畳の欠片が周囲へ飛び散った。

 朝の空へ、一筋の赤い光が昇っていく。

 信号だ。

 遠く離れた白塔区から、鐘が鳴った。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 火災でも、襲撃でもない。

 王族に異変が起きたときだけ鳴らされる、低く長い鐘だった。

 クラウディアの顔色が変わる。

「王宮警鐘……」

 白塔区の上空へ、巨大な光文字が浮かび上がった。

『第二王女リディア殿下、王立治癒院より消息不明』

 水路区にいる全員が、空を見上げる。

 光文字が変わった。

『誘拐および王都大治癒陣破壊の容疑者――異世界人タカセ・シュウジ』

 修司の名前が、白い王都の空に赤く刻まれる。

『共犯者、グランフェル辺境伯令嬢クラウディア・フォン・グランフェル』

 四方から、城門の閉まる音が響いた。

 先ほどまで患者を助けていた騎士たちが、戸惑いながら修司を見る。

 カシウスは大盾を握ったまま、動かない。

 ヴェラが空の文字と、拘束された救恤局員を見比べる。

「早すぎます」

「何がですか」

「殿下が今いなくなったのなら、容疑者の名まで、もう王都全域へ出せるはずがない」

 この告知は、前もって用意されていた。

 ゲルハルトは、修司が誘いを断ったときのために、次の筋書きまで作っていたのだ。

 通りの向こうから、騎馬隊の蹄が近づいてくる。

 十騎ではない。

 数十騎。

「タカセ」

 クラウディアが剣を握る。

 修司は、百七十人を乗せ始めた荷車の列を見た。

 ここで戦えば、またこの人たちが巻き込まれる。

 逃げれば、王女を誘拐した罪を認めたように見える。

 どちらを選んでも、ゲルハルトの筋書きどおりになる。

 ならば、用意された二つから選んではいけない。

 修司はヴェラへ向き直った。

「王女殿下を見つけます」

「王都中が、あなたを探し始めますよ」

「だからです。俺たちを犯人にした人間なら、俺たちが何をするか見ている」

 近づく蹄の音を聞きながら、修司は言った。

「逃げるだけでは終わらせません。追わせて、こちらから居場所を見つけます」

 五十二歳の介護士を捕らえるため、王都のすべての門が閉じた。

 その瞬間、修司は初めて、この巨大な都そのものを相手に反撃を始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。