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国を立たせる介護士 ~52歳で異世界召喚された外れ職《生活支援士》、寝たきりの老将から滅びかけた王国まで再建する~  作者: 狼賀亮一郎
第二部 白き王都と傷なき聖女編

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第五十一話 その槍を下ろせ

「異世界人タカセ・シュウジ。王都大治癒陣を破壊した罪により、あなたを拘束する」

 カシウスの宣告と同時に、白い盾の騎士たちが前へ出た。

 槍の穂先が修司へ向く。

「させません」

 クラウディアが剣を抜いた。

 濡れた身体で修司の前へ立ち、半円を描く騎士たちを見据える。

 ヴェラの指から魔導糸が伸び、テアも両手を構えた。

「クラウディアさん」

 修司は彼女の肩へ左手を置いた。

「剣を収めてください」

「しかし――」

「ここは、俺が話します」

 これまでなら、彼女の判断に任せていたかもしれない。

 戦いはクラウディアの領分だ。法はヴェラ、治療はエヴァ。自分はそれぞれの専門を越えないよう、一歩後ろに立ってきた。

 だが、百七十人をここまで連れてきたのは修司だった。

 彼らの名前と、必要な支援を知っている。

 ならば、今ここで進む方向を決める責任も、自分にある。

「俺を信じてください」

 クラウディアは修司を見た。

 やがて剣を下ろし、半歩だけ横へ退く。

「分かりました。ですが、私は隣にいます」

「お願いします」

 修司は、誰にも遮られない場所へ出た。

     ◇

 夜明けの風が、濡れた服から体温を奪っていく。

 百七十人の中には、すでに歯を鳴らしている者もいた。寝台へ横たわる者。椅子へ座ったまま震える者。支え合って、どうにか立っている者。

 修司はカシウスではなく、その後ろに並ぶ騎士たちを見た。

「槍を下ろしてください」

 ざわめきが起こる。

「我々に命令するのか」

 カシウスが低い声で尋ねた。

「はい」

 修司は迷わず答えた。

「槍を持つ人手がそれだけあるなら、十人は毛布と乾いた服を。十人は水と温かい飲み物。荷車があるなら、寝たまま運ぶ必要がある方を優先して回してください」

 騎士たちの間に、さらに戸惑いが広がった。

「あなたたちの団は、王国救恤騎士団なのでしょう。なら、今するべき仕事は俺を囲むことではありません」

「あなたに指揮権はない」

「ありません」

 修司はカシウスをまっすぐ見た。

「ですが、この人たちを安全に移す方法を知っているのは俺です。責任は俺が取ります。まず救護を始めてください」

「あなたは拘束される立場だ」

「最後の一人が安全な場所へ入ったあとなら、事情聴取でも拘束でも受けます」

「順番を決めるのは、あなたではない」

「今は俺が決めます」

 修司の声は大きくなかった。

 それでも、松明の燃える音まで聞こえるほど、周囲が静まった。

「地下で、この人たちは番号で呼ばれていました。次の場所でも、勝手に運ばれ、縛られ、誰かの都合で扱われるなら、俺が助けた意味がない」

 カシウスの大盾へ、朝の光が当たる。

「患者と証拠は、救恤騎士団が保護する」

「保護という言葉で地下へ連れていかれた人たちです」

 修司は背後を振り返った。

「今度は、本人たちに尋ねてください」

 マルタと目が合う。

「マルタさん。自分の名前を言えますか」

「……マルタ・ケーニヒ」

 震えてはいたが、はっきりした声だった。

「フィーデルさん」

 老人が、椅子の肘掛けを三回叩く。

「フィーデル・ロス」

 隣にいた男が代わりに名前を告げた。

「俺は、ハンス・ベッカーだ」

「エルザ・ノイマン」

「ソフィア・ベル」

 一人、また一人と声が上がる。

 言葉を出せない人の名前は、隣にいる者が呼んだ。

 意識の戻らない人の名前は、エヴァと治療師たちが帳面から読み上げた。

 百七十人分の名前が、夜明けの水路区へ広がっていく。

 槍を構えていた若い騎士の手が揺れた。

 その穂先の正面にいるのは、敵ではない。

 濡れた毛布を肩へ掛け、椅子の上で震える一人の女性だった。

「あなたの名前は」

 修司が騎士へ尋ねた。

「……オスカー・ハイネ」

「オスカーさん。その槍で、誰を守るつもりですか」

 若い騎士は答えられなかった。

 やがて、槍の穂先を下へ向ける。

「団長命令は、まだ出ていないぞ!」

 隣の騎士が声を荒らげた。

「命令が出るまで、この方たちを濡れたまま待たせるのですか」

 オスカーは自分の白い外套を外し、目の前の女性へ掛けた。

 もう一人が槍を下ろす。

 さらに一人。

 武器を持つ手が、人を支える手へ変わっていく。

「毛布を持ってこい!」

「荷車をこちらへ!」

 誰からともなく声が上がり、騎士たちが動き始めた。

 修司は命令を重ねる。

「歩ける方を一か所へ集めないでください。寝台と椅子の方を先に風から守る。エヴァ先生の確認を受けるまで、飲み物を一度に飲ませないでください」

「聞こえたな!」

 オスカーが仲間へ伝える。

 指示が、騎士団の中へ広がっていく。

 カシウスだけが、動かなかった。

     ◇

「見事だ」

 カシウスが言った。

「言葉だけで、私の部下を動かした」

「俺が動かしたのではありません。皆さんが、自分の仕事を思い出しただけです」

「それを傲慢と呼ぶ者もいる」

「構いません」

 修司は答えた。

「遠慮して人が死ぬよりはいい」

 クラウディアが、隣で小さく息を呑んだ。

 以前の修司なら、そんな言葉を口にしなかった。

 カシウスは大盾の石突きを地面へ下ろした。

 重い音が響く。

 盾を中心に、白い円が石畳へ広がった。

「《固定領域》」

 修司の身体へ、突然、何倍もの重さが掛かった。

 膝が折れかける。

 濡れた靴底が、石畳へ沈み込むようだった。

 白い円は修司と仲間たちだけを囲み、患者には触れていない。

「秩序は、正しさを叫ぶ者すべてへ道を譲るわけにはいかない」

 カシウスの声が、上から落ちてくる。

「災害の中で、盾は守る者を選ぶ。すべてを救おうと迷えば、より多くが死ぬ」

「助ける順番を決めることと、人間を捨てることは違います」

「国を守るには、必要な犠牲もある」

「その犠牲に、自分は入っていますか」

 カシウスの目がわずかに動いた。

「百七十人を地下へ送った人間は、誰も寝台へ縛られていなかった」

 修司の脚が震える。

 身体はもう限界に近い。

 それでも、膝はつかなかった。

「テアさん」

「はい!」

「脚力はいりません。呼吸と平衡だけ、最低限に支えてください」

「できます。ですが、長くは――」

「三呼吸で十分です」

 琥珀色の光が、修司の胸と足元を包む。

 一呼吸。

 修司は顎を引き、足の裏へ体重を均等に戻した。

 二呼吸。

 《生活動作把握――自己適用》。

 強い力で押し返さない。

 重さを骨と地面へ通し、倒れない位置へ身体を置く。

 三呼吸。

 修司は、白い領域の中で一歩を踏み出した。

 騎士たちがどよめく。

 さらに一歩。

 五十二歳の身体が、王国最強の盾へ近づいていく。

「あなたの盾が本当に国を守るものなら」

 修司はカシウスの正面で止まった。

「俺たちの前ではなく、あの人たちと寒さの間に立ってください」

 沈黙が落ちた。

 カシウスは修司を見下ろしている。

 やがて、大盾がわずかに傾いた。

 白い円が消える。

 身体の重さが戻り、修司は大きく息を吐いた。

「全隊へ命じる」

 カシウスが振り返った。

「槍を収めよ。生存者の救護を最優先とする」

 騎士団が一斉に動く。

「患者は王立治癒院へ搬送する。拘束具は使用しない。氏名と本人の意思を記録せよ」

 修司が示した条件を、カシウス自身の命令として出している。

「証拠は監察局が封印します」

 ヴェラが前へ出た。

「救恤局は、この事件の被疑組織です。関係者へ引き渡すことはできません」

「認めよう」

 カシウスはうなずき、再び修司を見た。

「ただし、タカセ・シュウジ。最後の一人を治癒院へ届けたあと、あなたには同行してもらう」

「逃げません」

 修司は答えた。

「ですが、尋ねられたことだけ話して黙るつもりもありません。地下で見たことを、俺から王家へ伝えます」

「許可されると思うか」

「許可を得ます。俺一人で無理なら、ここにいる全員の証言を集めます」

 カシウスは、初めてわずかに笑った。

「あなたは、ずいぶん変わったな」

「この世界で、黙っていたために失われた人を見すぎました」

     ◇

 車輪の音が近づいてきた。

 水路区の白い石畳へ、黒塗りの馬車が入ってくる。

 騎士たちが道を開けた。

 扉から降りたのは、灰色の礼服を着た男だった。

 五十を越えた年齢。丁寧に整えられた銀混じりの髪。騒然とする現場へ似つかわしくない、穏やかな笑み。

 王国救恤局長、ゲルハルト・ヴァルナー。

「これは、実に感動的な光景です」

 男は、救護を始めた騎士たちと百七十人を見渡した。

「タカセ殿。地下施設からこれほど多くの命を救い出した。まずは、王国を代表して感謝を」

「あなたは、あの施設を知っていたんですか」

 修司は礼を返さなかった。

 ゲルハルトの笑みが、ほんの少し深くなる。

「随分と率直になられた」

「質問に答えてください」

「それは、正式な場でお話ししましょう」

 ゲルハルトは懐から、白い封書を取り出した。

 赤い蝋には、王国の紋章が押されている。

「非常時における救恤局の全権を認める王命です。患者、記録、関係者はすべて、私の管理下へ置かれます」

 ヴェラの顔色が変わった。

「その命令は、いつ発行されたものです」

「昨夜です」

 地下施設への潜入が始まるより前。

 まだ百七十人が発見されてもいない時刻だった。

「初めから、この事態を想定していたんですね」

 修司が言う。

「証拠のない推測です」

「証拠なら、百七十人います」

 ゲルハルトの目から、笑みが消えた。

「タカセ殿。あなたは有能だ」

 声だけは、変わらず穏やかだった。

「私のもとへ来なさい。《生活支援士》の力と、救恤局の資金、組織、権限があれば、百七十人ではなく、王国すべてを救える」

「救うためなら、地下へ人を縛ってもいいと?」

「大きな国を支えるには、見えない場所で重さを負う者が必要なのです」

「それを決めるのは、上に立っている人間だけですか」

「あなたも、こちら側へ来れば分かる」

 ゲルハルトが右手を差し出す。

「従うなら、今夜の行為はすべて不問にしましょう。仲間も、患者たちも保護する。あなたが望む生活支援の部門も、王立治癒院へ作らせます」

 修司が望んでいたものだった。

 生活を支える仕組み。

 治癒のあとまで人を見る部門。

 それを、王国全体へ広げられる権限。

 以前の修司なら、自分一人で判断してよいのか迷ったかもしれない。

 今は違う。

「断ります」

 修司は即答した。

「なぜです。あなたの理想を実現できる」

「人を踏み台にしなければ作れない支援なら、最初から間違っています」

「では、組織も権限も持たない介護士一人に、何ができると?」

 ゲルハルトの背後で、黒い馬車から武装した局員たちが降り始める。

 救恤騎士団と救恤局。

 二つの武装集団の間で、百七十人が息を潜めていた。

 修司は振り返らなかった。

 もう、自分の後ろに誰がいるのか分かっていた。

 クラウディア。

 エヴァ。テア。ヴェラ。

 そして、名前を取り戻した百七十人。

「あなたは、国を支えるために人を沈めた」

 修司はゲルハルトの差し出した手を見た。

「その王国が、人を踏み台にしなければ立てないのなら――」

 顔を上げ、黒幕の目を正面から見返す。

「俺が、立たせ直します」

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