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国を立たせる介護士 ~52歳で異世界召喚された外れ職《生活支援士》、寝たきりの老将から滅びかけた王国まで再建する~  作者: 狼賀亮一郎
第二部 白き王都と傷なき聖女編

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第四十八話 百四十三人を選べ

「そして明日の朝までに、半数が不要になります」

 イレーネは、天気の話でもするような声で言った。

 地下施療院の奥で、百四十三人が寝台へ縛られている。

 その身体から伸びた管は、灰冠領の魔石へつながっていた。

「不要というのは、どういう意味ですか」

 修司は尋ねた。

「言葉どおりです」

 イレーネが片手を上げる。

 二十七人を乗せた船の上で、三本の《残火印》が赤く脈打った。

「ここにいる百四十三人から、次の実験へ進める者を七十二人選びなさい。残りの七十一人は、施設の記録とともに処分します」

「俺に、死ぬ人を選べと」

「生き残る人を選ぶのです」

「同じことです」

 修司が言い切っても、イレーネの表情は変わらなかった。

「あなたには、人の身体を見分ける力がある。魔力の強さではなく、食事、睡眠、呼吸、日々の動きから、その人間に残された力を見抜く」

 細身の術杖が、船上の患者たちへ向けられる。

「協力すれば、少なくとも七十二人は今夜を越えられます。拒めば、全員がここで終わる」

 百四十三人。

 船上の二十七人を加えれば、百七十人。

 修司一人では運べない。戦って勝てる人数でもない。

 しかも、クラウディアたちとは鉄格子によって分断されている。

 ここで拒絶するだけなら簡単だった。

 だが、その結果を受けるのは修司ではない。

「条件があります」

 イレーネの眉が、初めてわずかに動いた。

「聞きましょう」

「船の二十七人を、安全に寝台へ移してください。口を塞ぐ布は外す。きつすぎる拘束は緩める。水を飲める人には水を。身体の向きを変える必要がある人には、人手をつけてください」

「選別に必要ですか」

「必要かどうかを判断するために必要です。今の状態では、弱っているのか、拘束されて苦しいのかさえ分かりません」

 イレーネは数秒、修司を見つめた。

「夜明けまで、処分を始めないことも約束してください」

「あなたが時間を稼ぐ可能性があります」

「時間は稼ぎます」

 修司は否定しなかった。

「百四十三人全員を見るには、時間が必要です」

「百七十人です」

 イレーネは船上へ視線を向けた。

「今、二十七人増えました」

「なら、なおさらです」

 沈黙のあと、イレーネが指を開いた。

 三本の《残火印》が、宙に残ったまま光を弱める。

「認めます。ただし、夜明けまでです」

「それで十分です」

 本当は、十分なはずがなかった。

 それでも修司は、船を降りた。

     ◇

 地下施療院の中には、薬の匂いがなかった。

 代わりに漂っているのは、焼けた金属と湿った石の匂いだった。

 寝台は七列に並べられている。

 一人一人の頭上に番号札があり、その横へ赤、黄、黒の細い板が掛けられていた。

 赤は次段階。

 黄は保留。

 黒は廃棄。

 人間の名前は、どこにもない。

「この人の名前は」

 修司は、入口に近い寝台を指した。

「四列十二番です」

 記録板を持つ術師が答えた。

「番号ではなく、名前です」

「必要ありません」

「俺には必要です」

 術師はイレーネを見た。

「記録を出しなさい」

 許可が出ると、奥から分厚い帳面が運ばれてきた。

 四列十二番。

 ハンス・ベッカー。六十一歳。坑道崩落による負傷。治癒終了。右脚機能不全。身寄りなし。

 黒い板が掛けられている。

「なぜ、この方は黒なのですか」

「魔石への同調率が三日続けて低下したためです」

 修司はハンスを見た。

 唇が乾いている。

 左の手首は革帯に押され、赤く腫れていた。身体は寝台の中央からずれ、顎が胸元へ落ちている。呼吸のたび、喉の奥から細い音がした。

「治療師を呼んでください」

「治癒すべき傷はありません」

「呼吸の確認を頼みます。俺は診断できません」

 イレーネがうなずくと、白い上着の術師が進み出た。

 脈と呼吸を確認し、胸元へ淡い光を当てる。

「急を要する病変はない。衰弱はしている」

「身体を横へ向けても問題ありませんか」

「慎重に行うなら」

 許可を得てから、修司は二人の術師へ動き方を伝えた。

「肩だけを引かないでください。こちらの方は骨盤を。合図をしたら一緒に向けます」

 身体を少し横へ向け、顎の位置を整える。手首の革帯を指一本分緩め、濡らした布で口元を拭く。

 ハンスの喉から聞こえていた音が、少しずつ小さくなった。

「水を一口だけ。飲み込みを見てから、次をお願いします」

 術師が杯を口元へ運ぶ。

 ハンスは時間をかけて水を飲み込んだ。

 その瞬間、寝台の横に置かれた灰色の魔石が、濁った光を一度だけ強く放った。

「同調率が上がった……?」

 記録係が声を漏らす。

「そんなはずはない。何の術も使っていないぞ」

「術ではありません」

 修司は答えた。

「苦しい姿勢を変えて、水を飲んでもらっただけです」

 イレーネの灰色の瞳が細くなる。

「次を見なさい」

     ◇

 二列三番、エルザ・ノイマン。

 黒。

 長い間、同じ向きで寝かされ、背中の一部が赤くなっている。姿勢を変えると、魔石の光が安定した。

 五列二十番、ルーカス・マイアー。

 黄。

 食事量の記録は三日続けて空欄。少量ずつ食べる時間を作ると、途切れていた魔力の波が戻った。

 一列八番、ソフィア・ベル。

 黒。

 片耳が聞こえにくいのに、術師たちは聞こえない側から命令を繰り返し、「指示に反応しない」と記録していた。

 聞こえる側から名前を呼ぶと、ソフィアは目を開き、指示どおり左手を握った。

「これは、同調に失敗した人たちではありません」

 修司は言った。

「同調するための生活を奪われた人たちです」

「生活などなくても、人間は生きています」

 イレーネが答える。

「呼吸をして、心臓が動いていればいいと?」

「この施設の目的には、それで足ります」

「足りていないから、失敗しているんでしょう」

 地下施療院の空気が張りつめた。

 六人の術師が一斉に修司を見る。

 イレーネだけは怒らなかった。

「続けなさい」

 その声には、先ほどまでなかった熱が混じっていた。

 修司が人を助けようとするほど、この女は結果を見ようとしている。

 自分の行為が、敵の実験を完成へ近づけるかもしれない。

 それでも、目の前で苦しむ人を放置することはできなかった。

     ◇

 三十人を確認したところで、修司は木炭と大きな紙を要求した。

「今度は何をするのです」

「この並べ方では、誰を見たのか分からなくなります」

 紙へ、七列の寝台を簡単な四角で描く。

 名前を記し、身体の向きを変える必要がある人には矢印。水分を確認する人には杯。食事の助けが必要な人には匙。声掛けの方向には耳の印。

 字を読めない者でも、印を見れば次に何をするか分かる。

 かつて修司が作っていたのは、商品を買ってもらうためのチラシやカタログだった。

 今、紙の上に並べているのは、人が生きるために必要な情報だった。

「あなたとあなたは、身体の向きを変える班へ。こちらの二人は水と食事を。治療判断は必ず白い上着の術師へ確認してください」

「我々へ命令するのですか」

「百七十人を夜明けまでに見るのでしょう。俺一人では終わりません」

 術師たちは不満を見せた。

 だが、一人目のハンスに掛けられていた黒い板が、黄へ変わったのを全員が見ている。

 イレーネが命じた。

「従いなさい。結果を記録し、同調率の変化を報告」

 六人が動き始める。

 修司は指示を出しながら、別のものも紙へ写していた。

 扉。

 通路。

 水路へ下りる階段。

 魔石から壁へ伸びる管。

 七列すべての管は、施設中央の大きな円筒へ集まっている。

 そして円筒の背後には、色の違う一本の管があった。

 紫ではなく、白。

 管は天井へ入り、王都の方角へ延びている。

「あの白い管は、どこへつながっていますか」

 記録係の手が止まった。

 イレーネが代わりに答える。

「あなたが知る必要はありません」

 それで十分だった。

 灰冠の魔石が集めた力を、どこかへ送るための管。

 ここは施療院ではない。

 人間の身体を使い、魔石を安定させ、力を王都へ送り出すための施設だった。

 修司は紙の端へ、白い管の位置を小さく記した。

 必ず、クラウディアたちへ伝える。

「タカセさん」

 離れた寝台から、マルタが呼んだ。

 二十七人も、施設の寝台へ移されている。

 彼女は目ではなく、耳で何かを追っていた。

「床の下……音がする」

 修司も動きを止めた。

 石床の奥から、かすかに金属を叩く音が聞こえる。

 こつ。

 間を置いて、二度。

 さらに、三度。

 フィーデルではない。彼は修司のすぐ近くにいる。

 床下の水路から、誰かが合図を送っている。

 クラウディアたちが、近くまで来ている。

 修司は顔を上げなかった。

 紙へ印を書き足すふりをしながら、木炭で同じ回数だけ机を叩く。

 一度。

 二度。

 三度。

 床下から、すぐに一度だけ返事があった。

 希望は、まだ切れていない。

     ◇

 最初の鐘が鳴ったのは、七十一人目の黒い板が黄へ変わったときだった。

 低く、不吉な音が地下施設を震わせる。

 壁の魔法陣が、一斉に紫色へ光った。

「何の鐘ですか」

 修司が尋ねる。

 イレーネは答えなかった。

 彼女自身も、天井を見上げている。

「予定時刻ではありません」

 記録係が円筒の計器へ駆け寄った。

「全列の同調率が、起動条件を越えました! 中央制御から強制命令です!」

「停止しなさい」

「こちらからは止められません!」

 床が震える。

 寝台から伸びた百七十本の管へ、紫色の光が走った。

 患者たちの身体が同時に強張る。

 呻き声と悲鳴が、七つの列から上がった。

「魔石との接続を外してください!」

 修司が叫ぶ。

「今外せば、逆流します!」

「では出力を下げて!」

「制御権がありません!」

 イレーネが術杖を円筒へ向けた。

「《風圧槌》!」

 見えない衝撃が制御盤を打つ。

 だが、透明な壁のようなものに阻まれ、風が左右へ弾けた。

 彼女にも止められない。

 修司は一列目のハンスへ駆け寄った。

「息を吐いてください! 吸おうとしなくていい、まず吐いて!」

 声を聞いたハンスが、苦しみながら息を吐く。

 隣の寝台へ。

「ソフィアさん、俺の声は聞こえますか! 左手を握ってください!」

 指が動く。

 反応はある。

 一人ずつなら、まだ戻せる。

 だが、百七十人すべてを回る時間はない。

 頭の奥に、再び光の線が浮かびかけた。

 《連携支援》。

 修司は発動を止めた。

 船で二十七人をつないだだけでも、鼻血が出るほど消耗した。今、百七十人を結べば、自分が先に倒れる。

「列ごとに声をつないでください!」

 修司は術師たちへ叫んだ。

「一人目ができたら、次の人の名前を呼ぶ! 呼ばれた人は、その次へ! 俺の力を使わなくても、声ならつなげられます!」

 六人の術師が、それぞれの列へ走った。

「ハンスさん、エルザさんを呼んで!」

「エルザ……息を、吐け……」

「エルザさん、次の方へ!」

 名前が、地下施療院を渡っていく。

 番号で管理されていた人々が、互いの名前を呼び始める。

 呼吸が一つ、また一つと戻る。

 乱れていた魔石の光が、同じ間隔へ整っていく。

「同調率、さらに上昇!」

 記録係の声に、修司は振り返った。

「違う! 上げるためにやっているんじゃない!」

 中央の円筒から、白い光が噴き上がった。

 天井へ続く管が、まばゆく輝く。

 百七十人の呼吸が整ったことで、魔法陣まで完全に安定してしまった。

 壁の奥から、男の声が響いた。

『実験体の同調を確認』

 誰の声かは分からない。

 だが、イレーネが初めて顔色を変えた。

『不足していた制御因子を確認。外れ職《生活支援士》を、中央核へ接続せよ』

 修司の足元に、白い魔法陣が現れた。

「タカセ、そこから離れなさい!」

 イレーネが叫ぶ。

 遅かった。

 床から白い帯が伸び、修司の両脚と左腕へ巻きつく。

 右腕を避けるように拘束している。

 まるで、修司の身体の状態まで見透かしているようだった。

 《生活動作把握》が、修司の意思とは関係なく発動する。

 百七十人の身体が、光の線となって一斉に修司へつながった。

 視界が白く染まる。

「やめろ……!」

 頭の中へ、百七十人分の呼吸、痛み、恐怖が流れ込んでくる。

 膝をつくことさえ、白い帯が許さない。

 壁の声が告げた。

『王都大治癒陣、試験起動を開始する』

 修司は、ようやく理解した。

 敵が自分を殺さなかった理由。

 患者たちの状態を立て直させた理由。

 ここに連れてこられた百四十三人も、今夜運ばれた二十七人も、完成しない術式を動かすための部品だった。

 そして《生活支援士》は――。

 百七十人を、一つの部品へ変えるための最後の核だった。

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