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国を立たせる介護士 ~52歳で異世界召喚された外れ職《生活支援士》、寝たきりの老将から滅びかけた王国まで再建する~  作者: 狼賀亮一郎
第二部 白き王都と傷なき聖女編

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第四十七話 二十七人の反撃

「今度は二十七人を抱えて、俺と戦ってみろ」

 ダリオが一歩、踏み出した。

 平底船が大きく揺れる。

 椅子へ縛られた女の身体が傾き、頭が船縁へぶつかりかけた。

 修司はダリオから目を離し、女の肩を左手で支えた。

「マルタさんですね」

 片目を閉じた女が、驚いたように修司を見た。

「俺はタカセ・シュウジです。王立治癒院から、皆さんを捜しに来ました」

「俺を前にして、よそ見かよ!」

 ダリオが床を蹴った。

 赤黒い術式をまとった拳が、修司の顔へ迫る。

 テアの《瞬間賦活》は、もう切れている。

 右腕には痛みが残り、船の床は足元で絶えず動いている。

 修司はマルタの肩を支えたまま、身体を半歩だけ前へ滑らせた。

 拳が耳の横を通り過ぎる。

 伸びた腕へ左手を添え、腰を回す。

 だが、ダリオは止まらなかった。

 腕を導かれながら、肩から修司へぶつかってくる。

「ぐっ――!」

 修司の身体が押し飛ばされ、空の担架へ背中から倒れた。

 息が詰まる。

 ダリオは笑いながら首を鳴らした。

「さっきの魔法はどうした。もう一度、俺を投げてみろよ」

 修司はすぐには立たなかった。

 息を吐き、船上を見る。

 二十七人。

 革帯や縄で身体を椅子へ固定されたまま、怯えている。

 横たわる者の中には、船の揺れで担架から身体がずれ始めている者もいた。口へ布を噛まされ、苦しそうに呼吸している老人もいる。

 この狭さでは、ダリオの拳だけを避ければいいわけではない。

 自分がかわした先に、誰かの顔がある。

 男を投げる先にも、守るべき身体がある。

「どうした、介護士」

 ダリオが両腕を広げた。

「そいつらが邪魔で、戦えねえか」

「ええ」

 修司は認めた。

「あなたと違って、人を荷物だとは思えませんから」

 ダリオの笑みが消えた。

「なら、荷物と一緒に沈め」

 男が足元の留め金を蹴り上げた。

 椅子を床へ固定していた横木が外れ、三人分の椅子が船尾へ滑り始める。

「危ない!」

 修司は立ち上がり、身体ごと横木へぶつかった。

 左足で床の継ぎ目を踏み、腰で木を受け止める。

 右肩に鋭い痛みが走った。

 それでも、椅子は船縁の手前で止まった。

 ダリオの拳が、無防備になった修司の脇腹へ入る。

 鈍い衝撃が身体を突き抜けた。

 膝が床へ落ちる。

「一人を守れば、別の一人が殴られる」

 ダリオが修司の襟をつかんだ。

「全員助けるなんて言う奴はな、結局、誰も助けられねえんだよ」

 太い腕が持ち上がる。

 修司の足が床から離れた。

 そのときだった。

 こつ。

 硬い音が一度、船内へ響く。

 ダリオの背後にいる老人が、椅子の肘掛けを指で叩いている。

 フィーデルだ。

 老人は言葉の代わりに、ダリオの後ろを見ていた。

 修司も視線を動かす。

 船の低い天井から、太い鎖が垂れている。

 水門を動かすための鎖らしい。船が進むにつれ、その輪がダリオの背後へ近づいていた。

 こつ。

 二度目。

 修司は襟をつかまれたまま、左足をダリオの両足の間へ入れた。

 こつ。

 三度目。

 鎖が真後ろへ来る。

 修司はつま先で床を蹴り、持ち上げられた力へ逆らわず身体を回した。

 襟を握っていたダリオの腕がねじれ、巨体の向きが変わる。

 背中が鎖へぶつかった。

 金属の輪が、男の右腕へ絡みつく。

「この爺……!」

 ダリオがフィーデルをにらむ。

 その隙に、修司は襟から抜けた。

 フィーデルの口にも布が巻かれている。修司は腰の小刀で結び目だけを切った。

「助かりました」

 老人は声を出そうとしたが、息が漏れるだけだった。

 それでも、右手の指は動いている。

 修司は周囲へ目を向けた。

「俺の声が聞こえる方は、瞬きをしてください」

 幾つもの目が閉じ、開いた。

「無理に動く必要はありません。痛くない範囲で、動かせるところが一つでもある方は、それを教えてください」

 指を曲げる者。

 片足の踵を床へ打ちつける者。

 首を左右へ動かす者。

 わずかに声を出す者。

 同じ「動けない人」ではない。

 一人一人、できることも、難しいことも違っている。

 それを確かめることから、支援は始まる。

「何を始めてやがる」

 ダリオが鎖を引きちぎった。

 赤黒い光が強まり、皮膚の下で血管が浮き上がる。

 男の鼻から、一筋の血が流れた。

 《剛躯》は、使う者の身体まで壊し始めている。

「そんな半死人どもを集めて、俺と戦う気か!」

「違います」

 修司は小刀で、手の届く者から口の布を切っていった。

「戦うかどうかは、皆さんが決めます」

 修司は二十七人へ呼び掛けた。

「このまま連れていかれたくない方。自分で帰りたいと思う方は、動かせるところだけ、俺に貸してください」

 最初に返事をしたのは、マルタだった。

「……帰りたい」

 擦れた声だった。

「孫に……会いたい」

 フィーデルが、肘掛けを一度叩く。

 別の男が左足を床へ打ちつけた。

「俺もだ」

「帰して」

「ここから出たい」

 か細い声が、一つ、また一つと重なる。

 修司の胸の奥で、何かが応えた。

 《生活動作把握》。

 淡い線が、一人一人の身体をなぞる。

 動かせる指。

 床を押せる踵。

 握る力の残った手。

 声を出せる口。

 それは強さを与える光ではなかった。

 すでにその人の中に残っている力を、見失わないための光だった。

 修司は船の構造を見る。

 椅子を固定する横木。その下を通る一本の縄。船尾にある舵。天井から垂れる水門の鎖。

 ばらばらなら、小さな力にすぎない。

 だが、同じ瞬間に同じ方向へ動けば、船そのものを変えられる。

「合図は、フィーデルさんの音に合わせます」

 修司は短く指示を出した。

「右手が動く方は、椅子の横を通っている縄を握ってください。足で床を押せる方は、左へ。首だけ動く方は、前を見て危険を教えてください。痛みが出たら、すぐにやめてください」

「くだらねえ!」

 ダリオが突進する。

 修司の頭の奥に、鋭い痛みが走った。

 これまで《連携支援》で結んだのは、多くても数人だった。

 二十七人すべてを動かすことなどできない。

 動かす必要もない。

 修司が決めるのではなく、一人一人が自分で選び、自分の力で動く。

 自分は、その瞬間をつなぐだけだ。

「合わせます!」

 《連携支援》。

 細い光が修司から広がった。

 一本。

 三本。

 七本。

 動かせる者だけではない。

 動けなくても、目で危険を知らせる者。声で隣を励ます者。呼吸を整えようとする者。

 光は二十七人を順につなぎ、船上に大きな輪を作った。

 視界の端が暗くなる。

 耳鳴りがした。

 それでも、修司はダリオから目をそらさなかった。

 こつ。

 フィーデルが一度叩く。

 ダリオの拳が引かれる。

 こつ。

 二度目。

 修司は踏み込んだ。

「今です!」

 こつ。

 三度目。

 動かせる手が、一斉に縄を引いた。

 踵が同時に床を押す。

 外れていた横木が滑り、船尾の舵へぶつかった。

 舵が左へ切れる。

 平底船が急に向きを変えた。

 水流が横腹へ当たり、船体が大きく傾く。

 椅子と担架は、皆が引いた縄によって横木へ固定されている。

 ただ一人、床へ足を固定していなかったダリオだけが、体勢を崩した。

 それでも男は倒れず、拳を修司へ振り下ろす。

 修司は正面から受けなかった。

 拳の内側へ入り、左手を肘へ添える。

 相手を投げようとはしない。

 傾く船。横から押す水。踏ん張ろうとする巨体。

 すでに生まれている三つの力が、同じ方向へ流れるよう、ほんの少し腕の向きを変えた。

「これが――二十七人分です」

 ダリオの足が、床から離れた。

 巨体が船縁を越える。

「てめえ――!」

 水柱が上がった。

 ダリオは流れへ呑まれながらも、壁際の鉄梯子へ片手を掛けた。

 修司をにらみつけ、血の混じった唾を吐く。

「覚えてろ、介護士! 次は全員、目の前で沈めてやる!」

 怒声は、船の後方へ遠ざかっていった。

     ◇

 勝った。

 そう思うには、早かった。

 船の向きは変わったが、止まってはいない。

 修司は《連携支援》を解いた。

 光が消えた途端、頭の中へ熱した杭を打ち込まれたような痛みが走る。

 床へ手をつき、吐き気をこらえた。

「タカセさん!」

 マルタの声が聞こえる。

「大丈夫です」

 そう答えたが、鼻から落ちた血が床板へ黒い染みを作った。

「……嘘ね」

「よく言われます」

 修司は左手で鼻を押さえ、どうにか立ち上がった。

 まず、全員の呼吸と姿勢を確かめる。船が傾いたことで痛みが増した者はいないか。縄が身体へ食い込んでいないか。

 戦いが終わっても、支援は終わらない。

「苦しい方は、声か、音で知らせてください。順番に確認します」

 船首へ向かおうとしたとき、マルタが左側を見た。

「前……明るい」

 暗い隧道の先に、白い光が見えた。

 船は流れに押され、その光へ吸い込まれていく。

 修司は腰の小刀を握った。

 やがて狭い壁が途切れ、巨大な地下空間が姿を現した。

 白い石造りの建物。

 何列にも並ぶ寝台。

 天井から垂れた管と、壁一面に組まれた魔法陣。

 その中央では、灰冠領の魔石が濁った紫色の光を放っている。

 施療院に似ていた。

 だが、窓は一つもない。

 船着き場には、濃紺の軍装をまとった女が立っていた。

 年は三十に届くかどうか。黒い髪を後ろで束ね、片手に細身の術杖を持っている。

 その背後には、救恤局の紋章をつけた術師が六人並んでいた。

「ダリオ・グランツは」

 女が尋ねる。

「水路へ落ちました」

 修司が答える。

「あなたが?」

「俺だけではありません」

 修司は、船にいる二十七人を見た。

「皆さんが、自分で止めたんです」

 女は患者たちへ一度だけ視線を向け、興味を失ったように修司へ戻した。

「報告どおりですね」

「報告?」

「人の動きを読み、弱い力をつなぎ、集団を一つの身体のように動かす」

 術杖の先に、細い炎が灯る。

「外れ職《生活支援士》、タカセ・シュウジ」

 女は初めから、修司の名を知っていた。

「私はイレーネ・ファルク。救恤局付属術師隊の実戦責任者です」

 術杖が横へ振られる。

 炎は修司へ飛ばなかった。

 一本の細い火線となり、船着き場と船の間を横切った。

 二本目が船尾へ。

 三本目が、二十七人の頭上へ走る。

 炎は宙へ貼りついたまま、赤く燃え続けている。

「《残火印》。私が指を閉じれば、三本すべてが船へ落ちます」

 修司は動きを止めた。

 水へ飛び込んでも、自分だけなら逃げられるかもしれない。

 だが、二十七人は逃げられない。

「何が目的ですか」

「あなたの協力です」

「断れば」

「今度こそ、全員が沈みます」

 イレーネは静かな声で告げた。

「安心してください。あなたを殺す許可は出ていません」

 彼女の背後で、地下施設の大扉が開いた。

 奥にあったのは、さらに多くの寝台だった。

 その一つ一つに、人が縛りつけられている。

 老人だけではない。

 兵士。子ども。片腕を失った職人。魔力を持たない若者。

 数え切れないほどの人々が、灰色の魔石へ管でつながれていた。

「二十七人では……なかったのか」

 修司の声が震える。

「今夜の搬入数は、二十七人です」

 イレーネは、何の感情も見せなかった。

「ここにいるのは、百四十三人」

 壁の魔法陣が、一斉に紫色へ光る。

「そして明日の朝までに、半数が不要になります」

 地下施療院の扉が、修司を迎え入れるように開いていた。

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