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国を立たせる介護士 ~52歳で異世界召喚された外れ職《生活支援士》、寝たきりの老将から滅びかけた王国まで再建する~  作者: 狼賀亮一郎
第二部 白き王都と傷なき聖女編

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第四十五話 炎の中の二十七人

記録室の内側で、天井が崩れた。

 轟音とともに扉の隙間から炎が噴き出し、ルチアの声が途切れる。

「ルチアさん!」

 修司は扉へ近づきかけ、足を止めた。

 助けなければならない。

 だが、何も考えずに扉を開けば、廊下へ煙と炎を広げる。自分たちが倒れれば、部屋の中にいる者を救う人間までいなくなる。

 振り返ると、西棟から避難してきた患者たちで廊下が詰まり始めていた。

 自分で歩ける者。杖を使う者。治療師へ肩を預ける者。寝台ごと運ばれてくる者。

 火から遠ざかろうとする人と、水桶を持って火元へ向かう人が、同じ通路でぶつかっている。

「マルガレーテ院長!」

「聞こえています!」

「歩ける方は東階段へ。支えが必要な方は、手前の食堂へいったん移してください。寝台は廊下へ並べず、二部屋ごとに一つへまとめられますか」

 院長は一瞬だけ周囲を見た。

「できます。エヴァ治療師、患者の振り分けを。西棟の治療師は全員、指示に従いなさい!」

「ミレイユさん、白い布を東階段まで結んでください。煙の中でも、進む方向が分かるように」

「赤い布は?」

「西棟へ戻らないよう、曲がり角に」

「分かりました」

 ミレイユが下働きたちを連れて走る。

 白は出口。赤は危険。

 文字が読めなくても、一目で分かる。

「タカセ、こちらは任せて」

 エヴァが言った。

「ただし、あなたまで患者にならないで」

「努力します」

「努力では困るのだけれど」

 返事を待たず、エヴァは息苦しさを訴える老人のもとへ向かった。

 修司は、記録室の前へ戻った。

     ◇

 太い閂には、すでにクラウディアと二人の衛兵が手を掛けていた。

「外します」

「待ってください。扉の正面に立たないで。開いたら、すぐには中へ入らないでください」

 水桶が届き、厚い毛布へ水が掛けられる。修司は自分の肩にも濡れた布を載せた。

 右腕には、先ほどの戦いで受けた痛みが残っている。

 それでも左手は動く。足も動く。一人で誰かを抱え上げるのでなければ、まだできることはある。

「外します!」

 衛兵たちが閂を持ち上げた。

 クラウディアが扉を少しだけ引く。

 黒煙が隙間から流れ出し、廊下の高い位置へ広がった。熱に追われて全員が顔を背ける。

「ルチアさん! 返事をしてください!」

 すぐには聞こえなかった。

 炎が木を噛む音。その奥から、かすかな咳が返ってくる。

「……ここ、です……!」

「扉から、どちら側ですか!」

「奥の……左……書架が……」

 生きている。

 修司は煙の下へ身を沈めた。

「俺とクラウディアさんが入ります。衛兵のお二人は入口を確保してください。中から人を渡したら、すぐ外へ」

「あなたの腕で入るつもりですか」

 クラウディアが修司を見た。

「抱えて運ぶのは任せます。俺は、中で場所と動きを見ます」

「必ず私より前へ出ないでください」

「はい」

 濡れた布で口元を覆い、二人は記録室へ入った。

     ◇

 部屋の中は、別の場所になっていた。

 壁一面に並んでいた書架が傾き、帳面と紙が床を埋めている。奥の棚から上がった炎が天井を這い、落ちた火の粉が新しい紙へ燃え移っていた。

「誰かいますか!」

 床近くで声を掛ける。

 右手から呻き声が聞こえた。

 保管係の男が机の陰に倒れている。頭から血を流していたが、呼び掛けると瞼が動いた。

「一人、ここです!」

 クラウディアが男を脇から支え、入口へ引いた。

 修司はその場に残らず、彼女と一緒に扉まで戻った。意識の鈍い人間を煙の中で一人にするわけにはいかない。

 入口の衛兵へ引き渡す。

「もう一人の保管係は!」

「先に……窓から……外へ……」

 男が途切れ途切れに答えた。

 残っているのは、ルチアだけだ。

 修司とクラウディアは、もう一度中へ入った。

「タカセ様……!」

 左奥から声がする。

 倒れた書架の向こうで、栗色の髪が見えた。

 ルチアは床へ伏せ、両腕で一冊の厚い帳面を抱えている。倒れた書架の下に、右脚が挟まれていた。

「帳面を離してください。まず、身体をこちらへ」

「引けません。脚が……」

 修司は書架の下を見た。

 足首の位置。膝の向き。板と床の間へ挟まれた前掛け。

 力任せに身体を引けば、膝をひねる。書架を持ち上げようとしても、帳面を詰めたままでは二人の力で足りない。

 《生活動作把握》。

 淡い線がルチアの脚と、床へ倒れた書架をなぞる。

 一本だけ、ほかより太い横板があった。

 そこへ力を掛ければ、書架全体を持ち上げなくても、脚の上にある部分だけを浮かせられる。

「クラウディアさん、入口から長い棒を。折れていないものをお願いします」

「すぐに」

 クラウディアが戻る間に、修司はルチアの呼吸を確かめた。

「頭を打っていませんか」

「大丈夫です。脚が痛いだけで」

「大丈夫かどうかは、あとでエヴァ先生に診てもらいます。今は息をゆっくり。帳面は床へ置いてください」

「でも、二十七人の名前が」

「名前は逃げません。あなたは逃げないといけない」

 ルチアは迷いながら、帳面を胸元から床へ下ろした。

 天井から、火のついた木片が落ちる。

 修司は濡れた布で払い、ルチアの頭へ自分の外套を掛けた。

「持ってきました!」

 クラウディアが、折れた机の太い脚を持って戻る。後ろには衛兵が二人続いていた。

 修司は机の脚を、横板と床の間へ差し込んだ。支点にするため、厚い帳面を束ねたものを下へ置く。

「持ち上げ続ける必要はありません。俺が合図したときだけ、こちらへ体重を掛けてください」

「タカセは?」

「俺はルチアさんの脚を抜きます」

「右腕は使わない約束です」

「左手と、ルチアさん自身の力を使います」

 修司はルチアへ向き直った。

「書架が浮いたら、左の踵で床を押せますか」

 ルチアが試し、うなずく。

「では、俺が膝の向きを守ります。引っ張りません。自分で身体を後ろへずらしてください」

 炎が近づき、四人の影が赤く揺れる。

 煙の中で、それぞれの手と足の位置が光の線になった。

 クラウディア。二人の衛兵。ルチア。

 修司は、必要な四人だけへ意識を絞った。

「合わせます」

 《連携支援》。

 淡い光が、机の脚を握る三人の腕へ走る。

 ばらばらだった呼吸が、一つの間へ重なった。

「今です!」

 三人が同時に体重を掛ける。

 太い横板が軋み、書架の端が持ち上がった。

「ルチアさん、踵で押して!」

 少女の身体が、床の上をわずかに下がる。

 まだ、前掛けが引っ掛かっている。

 修司は布を引かず、腰の小刀で挟まれた部分だけを切った。

「もう一度!」

 頭の奥に、鋭い痛みが走る。

 光が揺れた。

 修司は息を吐き、線を四人だけに戻す。

「今!」

 書架がもう一度浮く。

 ルチアが左脚で床を押し、修司は右膝が内側へ倒れないよう左手で支えた。

 挟まれていた脚が抜けた。

「離してください!」

 三人が机の脚から手を放し、書架が床へ落ちる。

 その衝撃で、燃えていた奥の棚が大きく傾いた。

「出ます!」

 クラウディアがルチアを抱き上げる。

 修司は床の帳面を見た。

 取るべきではない。

 そう判断したとき、ルチアが手を伸ばした。

「表紙の裏だけ! 紙が挟んであります!」

 修司は帳面そのものではなく、半ば外へ出ていた折り畳み紙だけを左手で抜いた。

 衛兵たちを先にし、修司が最後に続く。

 入口まで数歩。

 天井から梁が落ち、扉との間へ炎の壁を作った。

     ◇

「下がって!」

 クラウディアが叫ぶ。

 正面の扉は見えている。

 だが、燃えた梁が道を塞ぎ、その向こうから衛兵たちの声だけが聞こえる。

「窓はどこです!」

「右の壁、奥です!」

 ルチアが咳き込みながら答える。

 煙でほとんど見えない。

 修司は、先ほど保管係が言った言葉を思い出した。

 もう一人は、窓から外へ出た。

 ならば、開けられる窓がある。

「右の壁に沿って! 俺の肩から手を離さないでください!」

 《生活動線把握》。

 地図が現れるわけではない。

 床へ落ちた机。先ほど通った書架の端。壁に沿って並んでいた保管箱。その位置が、煙に隠れた部屋の中でつながっていく。

 修司は左手で壁を確かめながら進んだ。

 指先に、冷たい金属の留め具が触れる。

「ここです!」

 窓を押したが、動かない。

「外側の鎧戸が閉められています!」

 火を放った者が、逃げ道まで塞いでいた。

 クラウディアはルチアを衛兵へ預け、剣を逆手に持ち替えた。

「全員、顔を伏せてください」

 柄頭が窓へ叩き込まれる。

 一度。二度。

 留め具が曲がり、三度目で鎧戸が外へ開いた。

 朝の光と冷たい空気が、煙の中へ差し込む。

「こちらです!」

 外から声が上がった。

 ヴェラが回り込ませた監察局員たちが、窓の下へ荷布を広げている。

 衛兵が先に外へ出て、ルチアを受け取る。もう一人、クラウディア、そして修司の順に窓を越えた。

 修司の足が地面へ着いた瞬間、背後で記録室の窓から炎が噴き出した。

 白い壁が赤く染まる。

 間に合った。

 そう思ったところで、膝から力が抜けた。

「タカセ!」

 クラウディアが身体を支える。

「意識はあります」

「それは見れば分かります!」

 怒った声なのに、修司の背へ回った腕は震えていた。

     ◇

 火は、西棟へ駆けつけた水術師と、職員たちの消火によって食い止められた。

 記録室の内部は大きく焼けたが、隣接する病室への延焼は免れた。患者と職員にも、死者はいなかった。

 煙を吸ったルチアと保管係は、エヴァたちの治療を受けている。ルチアの右脚に骨折はなかったが、腫れがあり、その日は動かさないよう言い渡された。

 修司も寝台へ座らされ、頭痛が治まるまで立つことを禁じられた。

「結局、患者になっているではありませんか」

 マルガレーテが言った。

「すみません」

「謝る相手が違います」

 院長の視線の先で、クラウディアが腕を組んでいた。

「あとで、きちんと叱られてください」

「はい」

 その返事を聞き、ルチアが寝台の上で小さく笑った。すぐに咳き込み、エヴァから叱られる。

 笑える程度には戻っている。

 それを確かめてから、修司は炎の中で抜き取った折り畳み紙をヴェラへ渡した。

「濡れていますが、文字は残っています」

 紙には、二十七人の名前が並んでいた。

 その横には年齢、元の病室、歩行の可否、身寄りの有無。さらに、治癒を終えたあとの身体に残った不自由が記されている。

 長く歩けない。

 片腕が動きにくい。

 視力が戻らない。

 一人では食事を取れない。

「治療が終わったあとも、支援を必要とする人ばかりです」

 修司は言った。

「行方を捜してくれる家族がいない者も多い」

 ヴェラの声が低くなる。

「消しても、騒ぎになりにくい人間を選んでいる」

 ルチアが唇を噛んだ。

「この人たちは、治ったから退院したんじゃありません。治癒師にできることが終わったから、病室を出されたんです」

 マルガレーテは反論しなかった。

 紙の裏側には、王都の水路を簡略化した図が描かれていた。

 運河沿いの一か所に、青い印がある。

 その横に短い文字が残っていた。

 第七倉庫。

 夜の鐘。移送。

「今夜、また人を動かすつもりです」

 ミレイユが言った。

「あるいは、私たちをおびき出すために残した偽の情報です」

 ヴェラは紙を光へ透かした。

「記録室へ火を放った者は逃げています。こちらがこの紙を持ち出したことも、見られている可能性がある」

「それでも、二十七人がそこにいる可能性はあります」

 修司は、紙に並ぶ名前を見た。

 誰かにとっては、病名と処置が終わった人間。

 働けず、歩けず、助けを求めても大きな声を出せない人間。

 だが、一人一人に、治療のあとも続く生活があった。

「行くつもりですか」

 ヴェラが尋ねた。

「はい」

「罠かもしれません」

「だから、一人では行きません。戦う人、治療する人、逃がす人。それぞれ必要です」

 修司は、まだ痛む右腕を見た。

「それに、俺の仕事は戦うことではありません」

 紙の上で、二十七人の名前が並んでいる。

「連れ帰った人たちを、もう一度生活へ戻すことです」

 遠くで、昼の鐘が鳴った。

 夜まで、残された時間は半日しかなかった。

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