↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国を立たせる介護士 ~52歳で異世界召喚された外れ職《生活支援士》、寝たきりの老将から滅びかけた王国まで再建する~  作者: 狼賀亮一郎
第二部 白き王都と傷なき聖女編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/71

第四十話 傷のない患者

王立治癒院の最上階には、王族のための療養室があるという。


 修司たちは、先ほどリディアを運んだ侍女に案内され、白い石造りの階段を上った。


 窓から差し込む光まで白く見える。薬草の匂いが漂う廊下では、すれ違う治癒師たちが足を止め、一行を振り返った。


 第二王女が倒れた。その直前に、異世界人が声を掛けた。


 すでに噂になっているのかもしれない。


 部屋の前には、白い鎧を着たカシウスが立っていた。


「殿下がお呼びなのは、タカセ殿だけだ」


 低い声に、クラウディアが一歩前へ出る。


「タカセは王都へ来て間もなく、宮中の作法にも不慣れです。グランフェル家の者として、私も同席いたします」


「治療に関する話なら、私も必要でしょう」


 エヴァも続いた。


 カシウスは二人を見たあと、扉の横へ目を向けた。


 そこには、マルガレーテが立っていた。


「エヴァ治療師には入っていただきます。グランフェル嬢も、殿下が望まれるなら。ただし、会話は砂時計が落ちるまでです」


 彼女は手のひらほどの砂時計を侍女へ渡した。


「タカセさん。殿下へ触れることも、技能を使うことも、私か殿下の許可なく行わないでください。診察と治療の妨げになる行為は認めません」


「分かりました」


「それから、できないことを、できるとは言わないように」


「はい」


 修司が答えると、マルガレーテはわずかに眉を動かした。もっと反発されると思っていたのかもしれない。


 扉が開かれた。


     ◇


 療養室は、修司が想像していたより広かった。


 寝台のほかに長椅子と丸卓があり、壁際には書き物机まで置かれている。窓辺には花が飾られ、薄い布が午後の日差しを和らげていた。


 だが、生活するための部屋というより、公務の途中で休むための場所に見えた。


 書き物机には封を切っていない書状が積まれ、丸卓には式典の予定表が広げられている。寝台の脇には、蓋をされたままの食器と銀の水差しが置かれていた。


 リディアは、背に枕を重ねて上体を起こしていた。


 式典で身につけていた装飾品は外され、白い部屋着へ替えている。顔色はまだ青白かったが、紫紺の瞳には先ほどより強い光が戻っていた。


「お掛けください」


 王女が言った。


 寝台のそばに椅子が三脚並べられる。


 カシウスは扉の内側に立ったままだった。マルガレーテも寝台の反対側へ回り、リディアの手首に触れて脈を確かめている。


「院長。客人を呼んでおいて、ずっと手を握っているのは失礼ではありませんか」


「再び意識を失うよりはましです」


「傷も病もないのに?」


 リディアは微笑んだ。


 だが、マルガレーテは笑わなかった。


「傷も病も見つかっていないことと、体調に問題がないことは同じではありません」


「先ほど、そう言ってくださればよかったのに」


 リディアの声には、とげがあった。


 マルガレーテの指が止まる。


 二人の間には、今日だけではない時間が積もっているようだった。


「それで、タカセ」


 リディアが修司へ目を向けた。


「あなたは、わたくしが倒れると分かっていたのですか」


「倒れるとまでは、分かりませんでした」


 修司は正直に答えた。


「ただ、あの足の位置では、立ったあとに身体を支えられないと思いました」


「足を見ただけで?」


「呼吸や手の震えも見えていました。それでも、病名や原因が分かったわけではありません」


「随分と慎重なのですね」


「分からないものを、分かったとは言えませんから」


 リディアは修司の顔を見つめた。


 試されている。


 そう感じた。


「あなたの技能は、人を立たせる力だと聞きました」


「立つために必要な動きを見つけ、支える技能です」


「では、今ここで、わたくしを立たせてみせてください」


 室内の空気が変わった。


 カシウスが壁から背を離す。クラウディアも、何か言いかけて修司を見た。


 修司は、寝台の上の王女を見た。


 冗談を言っている顔ではなかった。


「できません」


 リディアの眉が、かすかに上がった。


「なぜです」


「今の殿下が立って安全かどうか、治療師の許可がありません。それに、俺には立てると断言できるだけの情報もありません」


「わたくしが命じても?」


「はい」


 カシウスの目が細くなった。


 王族の命令を断ることが、この国でどれほど重いのか。修司にはまだ分からない。


 それでも、立てる状態ではない人を、命じられたからと立たせることはできなかった。


 有料老人ホームでも、本人が歩きたいと言うことはあった。


 歩く意思は大切だった。しかし、発熱しているときや、血圧が不安定なとき、転倒直後で状態が分からないときまで歩かせるわけではない。看護職へ連絡し、状態を確かめ、できる方法を一緒に考える。


 やりたいという思いを守ることと、言われるまま危険なことをするのは違う。


「ずいぶん役に立たない奇跡ですこと」


 リディアの口元が歪んだ。


「奇跡ではありません」


 修司は答えた。


「俺が持っているのは、殿下の代わりに立つ力でも、何もせず歩けるようにする力でもありません」


「では、何をしに来たのですか。同情なら要りません。かわいそうな聖女を救う物語も、聞き飽きました」


 その言葉に、クラウディアがわずかに目を伏せた。


 マルガレーテは何も言わない。


 修司は部屋を見回した。


 寝台から遠い机。積まれた書状。冷めた食事。手の届くぎりぎりの位置に置かれた、重そうな銀の杯。


 王女のための部屋なのに、王女が自分で何かをすることは考えられていない。


「殿下が普段、どう暮らしておられるのかを知るためです」


「暮らし?」


「何時に起きて、何を食べて、どれくらい休んで、どんなときに具合が悪くなるのか。公務を終えたあと、どんな状態で部屋へ戻られるのか。それを知らずに、立つことだけを考えても仕方がありません」


「それで、わたくしの病が分かると?」


「病気を決めるのは、俺ではありません」


 修司は、マルガレーテとエヴァを見た。


「そこは治療師の仕事です。俺が見るのは、病気や傷があっても、なくても、生活の中で何に困っているかです」


 リディアはしばらく黙っていた。


侍女が砂時計へ目を落とした。上半分の砂は、すでに半分ほど減っている。


「技能を使えば、それが見えるのですか」


「殿下が動こうとされたときなら、動作のどこに無理があるか分かることがあります。ただ、身体の中を調べる技能ではありません」


「使ってみなさい」


 修司はすぐには応じなかった。


「何か、今したいことはありますか」


「技能を見せなさいと言っているのです」


「技能を使うためだけに動いていただくのは、違うと思います。殿下がしたい動作があるなら、それを見せてください」


 リディアの瞳に、初めて戸惑いが浮かんだ。


 誰かに何をするべきか命じることはあっても、自分が何をしたいか尋ねられることは少ないのかもしれない。


 やがて、リディアは寝台の横へ目を向けた。


「喉が渇きました」


 侍女がすぐに動こうとした。


 だが、リディアは片手を上げて止めた。


「自分で取ります」


 寝台脇の卓には銀の杯があった。手を伸ばせば届きそうだが、上体を少しひねらなければならない位置にある。


 修司は、マルガレーテを見た。


「水を飲んでいただいても?」


「少量なら構いません」


「殿下。技能を使って、動きを見てもよろしいですか」


「ええ」


 リディアが右手を伸ばす。


 修司は意識を集中した。


 《生活動作把握》。


 淡い光の線が、王女の肩から指先へ伸びた。


 寝台へ沈んだ腰。背中を支える枕。卓までの距離。


 腕を伸ばすにつれ、右肩が上がる。身体が横へ傾き、左手が寝具をつかんだ。指先が杯へ触れたところで、細かな震えが起きる。


 銀の杯は、今の彼女が片手で扱うには大きく、重い。


「そこまでで大丈夫です」


 修司が言うと、リディアの手が止まった。


「取れないと言いたいの?」


「今の置き方と、この杯では難しいと思います」


「では、侍女に飲ませてもらえと?」


「いいえ」


 修司は卓の端に置かれていた、小さな取っ手付きの杯を指した。


「あちらの軽い杯へ移して、左手でも支えられる位置に置けば、ご自分で飲めます。動かしてもよろしいですか」


 リディアは銀の杯と、小さな杯を見比べた。


「どうぞ」


 修司は侍女へ頼み、小さな杯へ水を注いでもらった。それを寝台の中央寄り、リディアが身体をひねらずに届く場所へ置く。


 リディアは右手で取っ手を持ち、左手を底へ添えた。


 今度は上体が傾かなかった。


 両手には震えが残っていたが、杯を口元まで運び、一口飲むことができた。


 侍女が、ほっと息をつく。


「わたくしを治したつもりですか」


 リディアが尋ねた。


「いいえ。杯と置き場所を変えただけです」


「それだけ?」


「それだけで、ご自分でできることもあります」


 リディアは手の中の杯を見た。


 その横で、マルガレーテが腕を組んでいる。


「環境を整えただけです。殿下の不調そのものは、何も変わっていません」


「はい」


 修司はうなずいた。


「だから、治ったとは言いません」


 マルガレーテは修司の顔を見た。


 否定されると思っていたのかもしれない。


 砂時計の砂が、残りわずかになった。


 修司は、最後に一つだけ尋ねることにした。


「殿下。今、一番、自分でできるようになりたいことは何ですか」


 リディアは顔を上げた。


「立つことではないのですか」


「それを決めるのは、俺ではありません」


「皆、わたくしに立てと言います。民の前に立て。治癒陣の前に立て。王族として立て、と」


 彼女の指が、小さな杯の取っ手をなぞった。


「院長は休めと言います。カシウスは守ると言います。侍女たちは、何でも代わりにしようとします」


 誰も口を挟まなかった。


「けれど、自分で何をしたいかと聞かれたことは、しばらくありませんでした」


 窓を覆う薄布が、風でわずかに揺れた。


 リディアは考えたあと、寝台脇の食器へ目を向けた。


「明日の朝、自分で食べるものを選びたい」


 静かな声だった。


「運ばれてきたものを、決められた時刻に、食べられるだけ口へ入れるのではなく。何を、どれくらい食べるか、自分で決めたいのです」


 派手な望みではなかった。


 国を癒やす聖女が望んだのは、朝食を自分で選ぶことだった。


「分かりました」


 修司は答えた。


「明日の朝、まず殿下に伺います。食べられると約束することはできません。でも、時間と場所と量を一緒に考えることはできます」


「食事まで管理するおつもり?」


「管理ではありません。選べるようにするお手伝いです」


 リディアの口元に、今度は皮肉ではない微かな笑みが浮かんだ。


 砂時計の最後の一粒が落ちる。


「時間です」


 マルガレーテが告げた。


 修司たちは立ち上がった。


「タカセ」


 退出しようとした修司を、リディアが呼び止めた。


「明日の朝、わたくしに聞いてください。何を食べたいか」


「はい、殿下」


 修司が頭を下げると、マルガレーテが言った。


「ただし、その前に確認しておくことがあります」


 彼女の目は、先ほどより厳しくなっていた。


「タカセさん。あなたが王女殿下へ何をするつもりなのか、治療師として詳しく聞かせていただきます」


 扉の前で、エヴァが小さく息を吐いた。


 傷のない患者を前に、治療師と生活支援士がどこまで関わるのか。


 次に向き合うべき相手は、王女の不調だけではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。