↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国を立たせる介護士 ~52歳で異世界召喚された外れ職《生活支援士》、寝たきりの老将から滅びかけた王国まで再建する~  作者: 狼賀亮一郎
第二部 白き王都と傷なき聖女編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/71

第三十九話 倒れた聖女

銀色の光が、中庭へ降り注いだ。


 水鉢を囲む魔法陣から幾筋もの光が立ち上がり、回廊に立つリディアの両手へ集まっていく。彼女が指を開くと、光は薄い幕となって空へ広がった。


 集まった人々から、歓声が上がる。


 包帯を巻いた腕を持ち上げる男。杖をついていた老女。母親に抱かれた子供。光が身体へ触れるたび、その表情が驚きへ変わった。


「これが、《広域祝福》……」


 ミレイユが息をのんだ。


 一人ずつ傷へ触れる治癒とは違う。中庭を満たす大勢へ、同時に魔力を届けている。


 修司も、腕に淡い温かさを感じた。街道で擦れた首元と、昨日から張っていた脚がわずかに軽くなる。


 すごい力だった。


 だからこそ、その力を生み出している女性から目を離せなかった。


 リディアの髪は淡い金色だったが、魔法の光を受けると銀に見えた。白銀の聖女という呼び名は、そこから来たのかもしれない。


 微笑みは変わらない。


 だが、両腕の高さが少しずつ下がっている。右手の指先が震え、開いたはずの指が何度も握られかけていた。


 修司は、隣に立つエヴァへ声を落とした。


「殿下の呼吸、見えますか」


「ええ。速いわ」


 エヴァの目は、すでにリディアへ向いていた。


「術を使っているから、というだけではなさそうです。始まる前から、あの呼吸でした」


「終わったら、すぐ座っていただいた方がいいわね」


 修司はうなずいた。


 中庭では、魔法陣の外側に立つ治癒師たちが光の強さを確かめていた。異常があれば止める者もいるはずだ。


 それでも、回廊から見えるリディアの膝は、もう一度小さく揺れた。


 王女は足幅をさらに広げなかった。衣装の裾が動けば、下にいる人々からも分かるからだろう。代わりに、踵を内側へ寄せ、膝を固めるようにして立っている。


 立てているのではない。


 倒れない形を、必死に保っている。


「もう十分ではないのですか」


 修司が尋ねると、近くにいた役人が顔を向けた。


「祝福は、魔法陣の外周がすべて満ちるまで行います」


「あと、どれくらいですか」


「間もなくです。殿下は何度も務めておられます」


 答えになっているようで、リディアの今の状態には触れていなかった。


 銀の光が、最後の紋様へ流れ込む。


 鐘が鳴り、治癒師たちが一斉に杖を下ろした。


 リディアも両腕を下ろした。


 その瞬間、上体が前へ傾いた。


 隣の侍女が肘を支える。リディアはすぐに身体を起こし、下の人々へ笑顔を向けた。歓声に紛れ、気づいた者は少なかった。


 だが、修司には見えていた。


 侍女から腕を離したあとも、リディアの左手は回廊の手すりをつかんだままだった。


     ◇


「殿下、こちらへ」


 控えていた侍女が、柱の陰に置かれた椅子を勧めた。


 リディアは手すりから指を離し、首を横へ振った。


「次は、新病棟の入口でしたね」


「少しお休みになってからでも」


「皆を待たせています」


 近くで聞く声は、歓声へ応えていたときより細かった。


 白い長髪を後ろで束ねた治癒師が、早足で近づいた。年齢は修司と大きく変わらないように見える。周囲の治癒師たちが道を開けたことから、立場の高い人物だと分かった。


「リディア殿下。手を」


 彼女は王女の手首へ指を当て、もう片方の手を胸元へかざした。淡い緑の光が、リディアの身体を上から下へ通り抜ける。


「脈が速い。魔力も、予定より減っています」


「少し休めば戻ります」


「新病棟へ下りるのは、休んでからにしてください」


「院長」


 カシウスが歩み寄った。


「マルガレーテ院長。傷や毒は」


「今のところ認めません。呪いの反応もない。だからといって、このまま歩いてよい状態ではありません」


 王立治癒院長マルガレーテ・ハイン。


 王国最高峰の治癒術師だと、クラウディアが小声で教えた。


 マルガレーテは、治すべき傷がないからと手を止めなかった。呼吸を確かめ、冷えた指先を包み、侍女へ温かい飲み物と毛布を持ってくるよう指示している。


 修司は少し安心した。


 それでも、リディアは椅子へ腰を下ろそうとしなかった。


 中庭では、新病棟へ移動するための列が作られている。回廊の下から、式典を取り仕切る役人がこちらを見上げていた。


「殿下のお言葉を待っております」


 別の役人が告げた。


 マルガレーテが睨む。


「待たせなさい」


「ですが、各地の代表者も――」


「患者を歩かせる理由にはなりません」


 きっぱりした言葉だった。


 リディアが、かすかに笑った。


「わたくしは患者ではありません。傷も病もないのでしょう?」


 誰へ向けた言葉なのか、修司には分からなかった。


 マルガレーテの表情が曇る。


「今は休む必要があります」


「入口で一言申し上げるだけです。民の前で座り込んだ方が、余計な心配をかけます」


 リディアは侍女へ手を伸ばした。


 立ち上がるつもりだ。


 修司の目に、身体の動きが重なって見えた。


 《生活動作把握》。


 椅子の位置。手すりまでの距離。王女の足の向き。


 右足は床へついているが、体重を受ける位置まで引けていない。左足も、衣装の下でつま先が外へ逃げている。侍女の腕を取っても、立ったあとに身体を支える足場がない。


 リディアは立つ準備をしているのではなかった。


 立てるように見せる準備をしていた。


「今は、立たないでください」


 修司の声が、回廊へ響いた。


 全員が振り向いた。


 リディアも、初めて修司を見た。紫紺の瞳に驚きが浮かぶ。


「あなたは?」


「タカセと申します。足に力が入る位置になっていません。座ったまま、休んでください」


「無礼な!」


 役人が声を上げた。


 カシウスが修司とリディアの間へ入る。


「タカセ殿。下がれ」


「ですが、このまま立ったら――」


「診察は院長がしている。あなたの職能は、王都でまだ審査を受けていない」


 カシウスの足元に、白い光の輪が走った。


 修司が一歩進もうとした途端、両足が床へ沈んだように重くなった。


 膝が曲がらない。


 誰かに押さえられたわけでもないのに、靴底が石へ縫いつけられている。


「殿下へ近づくな」


 低い声だった。


 修司は動くのをやめた。無理に足を上げようとすれば、膝か腰を痛める。以前イゾルデに聞いた、戦闘用の魔法。その力を初めて自分の身体で知った。


「近づくつもりではありません。立たせないでほしいだけです」


 背後から、クラウディアが修司の腕へ触れた。


「伝えることはできました。今は動かないで」


 その間に、リディアは侍女の腕を借りて腰を浮かせていた。


 一度目は、椅子へ戻った。


 彼女は笑みを作り直し、もう一度、肘掛けを押した。


 今度は立ち上がった。


 右膝が内側へ折れた。


「殿下!」


 侍女の悲鳴が上がる。


 リディアの身体が、糸を切られたように崩れた。


 カシウスの姿が消えた。


 そう見えるほど速かった。白い光が鎧の脚を走り、次の瞬間には、倒れる王女を両腕で受け止めている。


 修司の足を縛っていた重さが消えた。


     ◇


「全員、離れて!」


 マルガレーテの命令が飛んだ。


 治癒師たちがリディアの周囲へ集まり、侍女が床へ敷物を広げる。カシウスは指示に従い、王女を横たえた。


 中庭からは、まだ拍手が聞こえていた。柱と幕に隠れ、王女が倒れたことは見えていないらしい。


「呼吸はある。脈は速い。頭は打っていません」


 マルガレーテが一つずつ確かめる。


 複数の治癒師が杖をかざし、緑と青の光がリディアの身体を包んだ。


「外傷なし」


「毒物反応、ありません」


「感染、呪詛ともに反応なし」


「魔力脈が細い。急激に落ちています」


「治癒術はかけないで。修復する傷がないのに、魔力を重ねないこと」


 マルガレーテは迷いなく指示した。


 傷がないから何もしないのではない。不要な治癒魔法を使わず、今必要な確認をしている。


 エヴァが一歩前へ出た。


「院長。私はグランフェル領の治療師です。お手伝いできることはありますか」


 マルガレーテは彼女の杖と胸の印を確かめた。


「では、呼吸の回数を。変化があればすぐに知らせてください」


「承知しました」


 エヴァはリディアの胸元が見える位置へ膝をついた。


 修司はその場に残った。近づかず、治療師たちの動線を塞がない場所まで下がる。


 目に入ったのは、倒れた王女だけではなかった。


 椅子の脇の小卓に、口をつけた跡のない水差しがある。皿には小さな焼き菓子が二つ残り、片方の端だけが欠けていた。


 侍女は毛布を持って戻ると、王女の顔を見て唇を噛んだ。


「今朝は、どれくらい召し上がりましたか」


 修司が尋ねると、侍女は戸惑った顔をした。


「なぜ、そのようなことを」


「診断をするつもりはありません。普段の様子を知りたいんです」


 侍女はカシウスへ目を向けた。


 彼は修司を見たあと、短くうなずいた。


「スープを少しと、パンを二口ほどです。祝福の前は多く召し上がれないので」


「昨夜は、眠れていましたか」


「夜中に二度、お呼びがありました。朝は、鐘が鳴る前から起きておられました」


「この祝福は、どれくらいの間隔で?」


「大きなものは五日前にも。短い祝福でしたら、一昨日も行っておられます」


 修司は、それ以上尋ねなかった。


 食べられていない。眠れていない。回復する前に、また大きな魔法を使っている。


 どれか一つで原因を決めることはできない。それでも、傷が見つからないという言葉だけで、元気だとは言えなかった。


     ◇


 しばらくして、リディアの瞼が動いた。


「……式は」


 最初に出た言葉だった。


「中止します」


 マルガレーテが答えた。


「新病棟へは、別の日にお越しください。今日は治癒院で休んでいただきます」


「下の皆が、心配します」


「軽い魔力疲労のため予定を変更した、と伝えます」


 リディアは目を閉じかけ、また開いた。


「先ほど、立つなと言った方は?」


 カシウスの肩がわずかに動いた。


「異世界より召喚された、生活支援士のタカセです」


「生活を、支援する……」


 紫紺の瞳が、人の隙間を探した。


 修司は離れた場所から頭を下げた。


 リディアは彼を見つけると、ほんの少し口元を上げた。


「わたくしには、傷も病もないそうです」


 先ほどと同じ言葉だった。


 今度は、皮肉のように聞こえた。


「はい」


 修司は答えた。


「でも、今は立てる状態ではありませんでした」


 周囲の空気が張り詰める。


 マルガレーテが修司を見た。


「あなたが観察したことは、あとで書面にしてください。診断と混同しない形で」


「分かりました」


 彼女はうなずき、担架を運ばせた。


 リディアは再び目を閉じたが、呼吸は先ほどより落ち着いている。治癒師と騎士に囲まれ、王立治癒院へ運ばれていった。


 白い外套が角を曲がる直前、カシウスが一度だけ修司を振り返った。


     ◇


 回廊に残った椅子を、侍女たちが片づけていた。


 中庭には「殿下は軽い魔力疲労のため、以後の予定をお休みになる」と伝えられた。人々は心配そうにざわめいたあと、王女をたたえる声を上げた。


 祝福を受けた者たちは、歩いて帰っていく。


 祝福を与えた本人だけが、担架で運ばれた。


「タカセ」


 クラウディアが隣へ来た。


「先ほど、カシウス卿の術に逆らおうとしましたね」


「すみません」


「私ではなく、ご自分の膝に謝ってください。無理に動けば傷めていました」


「はい」


「ただ、あなたが声を掛けなければ、殿下はもっと早く歩き出していたかもしれません」


 修司は、空になった小卓を見た。


「もっと早く止められたらよかったんですが」


「あの場で王女殿下の儀式を止めるのは、簡単ではありません」


 エヴァが戻ってきた。


「殿下は治癒院の部屋へ移られたわ。マルガレーテ院長が診ています。今は私たちにできることはないわね」


「先生から見て、どうでしたか」


「急いで対処すべき傷、毒、感染は見つからなかった。魔力の消耗は大きい。でも、それだけで今までの不調を全部説明してよいかは分からないわ」


 エヴァは、修司が見ていた水差しの跡へ目を向けた。


「あなたが聞いた、食事と睡眠の話も必要ね。ただし、何日かの記録を見ないと、一度の様子だけでは決められない」


「はい」


 修司はうなずいた。


 そのとき、治癒院の方向から一人の侍女が走ってきた。


 先ほど、リディアを支えていた女性だった。


 クラウディアの前で足を止め、呼吸を整えてから頭を下げる。


「クラウディア・グランフェル様のご一行に、殿下からお願いがございます」


 侍女は修司へ顔を向けた。


「殿下が、タカセ様とお話しになりたいと仰せです」


 修司は、エヴァと顔を見合わせた。


 傷も病もないと言われながら、立つこともできなかった王女。


 その人が今、自分を呼んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。