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国を立たせる介護士 ~52歳で異世界召喚された外れ職《生活支援士》、寝たきりの老将から滅びかけた王国まで再建する~  作者: 狼賀亮一郎
第二部 白き王都と傷なき聖女編

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第三十七話 嘘を測る女

王都監察局の廊下は、ひどく静かだった。


 市場から続いていた人の声も、荷車の音も、厚い扉を二つ通ると聞こえなくなった。白い壁の左右に同じ形の扉が並び、どの部屋から来たのか分からなくなる。


 修司は控室の長椅子に座り、両手を膝へ置いていた。


 向かいにはクラウディアとミレイユがいる。大きな文書箱は護衛二人の間に置かれ、盗まれかけた綴りは別の包みに収められていた。


「手首は、まだ痛みますか」


 修司が尋ねると、ミレイユは赤くなった箇所を袖で隠しかけ、途中でやめた。


「触れると少し痛いですが、動かせます。エヴァ先生に診ていただきます」


「そうしてください」


「タカセさんこそ、走ったあとから顔色がよくありません」


「息は戻りました。足は、明日になったら分かりません」


 笑ってみせると、クラウディアが修司の靴へ目を落とした。


「宿所までは馬車で戻りましょう」


「はい」


 すぐ帰れるなら、という言葉は飲み込んだ。


 市場から来たあと、三人は別々に話を聞かれると告げられた。クラウディアは同席を求めたが、ヴェラは、それでは証言を分ける意味がないと断った。


 代わりに、聞き取りには記録係を置き、本人が最後に内容を確認する。扉の外には同行者を待たせる。それを条件に、クラウディアは応じた。


 廊下の奥で扉が開いた。


「タカセさん。こちらへ」


 ヴェラが立っていた。


     ◇


 部屋には机が一つ、椅子が三脚あった。


 窓には鉄格子がなく、扉も修司の背後ではなく横にある。それでも、案内された椅子へ座ると、逃げ道を確かめたくなる。


 机の端には、記録係の若い男性がいた。ヴェラは向かいへ座り、紙の上に短剣と切れた鞄の絵を並べた。現物は別の場所で保管されているらしい。


「始める前に、確認します」


 修司は言った。


「俺は逮捕されているんでしょうか」


「現在は、事件現場にいた関係者として留まっていただいています。市場の目撃証言と食い違いがなく、ほかに疑う事情がなければ、今日中にお帰しします」


「話した内容の写しはもらえますか」


「清書後になりますが、お渡しします」


 ヴェラは記録係を見た。青年が、最初のやり取りから書き留めていることを示す。


「では、鞄が奪われる前から話してください」


 修司は市場へ入ったところから順に話した。


 橋の前で列が止まったこと。果物の箱が崩れたこと。ミレイユの隣に男がいたこと。切られた紐。逃げていく鼠色の上着。


「男が鞄を取る瞬間を、見たのですね」


「はい。ただ、刃が紐に当たるところまでは見ていません。音がして振り向いたときには、男の手に鞄がありました」


「先ほどは、紐が切られたと話しました」


「結果を一緒に言ってしまいました。俺が見たのは、男の手と、切れたあとの紐です」


 記録係の筆が止まり、少し前の行へ印をつけた。


 ヴェラは修司を見たまま、次を促した。


「追跡の途中で、男を見失った時間は」


「あります。赤い布の向こうへ入ってから、水路で見つけるまでです」


「その間に、鞄を別の者から渡された可能性は」


「あると思います。俺は見ていません」


「あなたは、知らない道を先回りした」


「通ったことのあるところだけです。昨日、橋を渡るときに、水路と市場の位置を見ました」


「一度見ただけで?」


「地図を作る仕事をしていたので、道のつながりを見る癖があります」


 ヴェラは、市場で修司が描いた簡単な図を机へ置いた。


 黄色い靴の形と赤い布、橋、水路。昨日起きたばかりの人が描いたにしては、特徴の選び方がよすぎる。そう疑われているのだろう。


「この黄色い看板の店を、事前に協力者と決めていたのでは?」


「違います」


「店主は、あなた方を裏口へ通した」


「俺たちが兵士と一緒だったからだと思います。それに、鞄を盗った人を追っていると伝えました」


「もし店主が、話を合わせたら」


「俺には分かりません。店の人が何を話すか、聞いてください」


 答えるたび、ヴェラはすぐ次の問いを重ねた。同じことを、言葉と順番を変えて尋ねられる。


 修司は、分からないものを埋めないようにした。


 見たこと。聞いたこと。自分がそう考えたこと。


 三つを混ぜると、話はきれいになる。だが、きれいになった分だけ、誰かが確かめられる場所がなくなる。


「男を押さえたのは、逃走を防ぐためですか。それとも、資料を取り返すためですか」


「両方です」


「どちらか一つなら」


 修司はすぐに答えられなかった。


 あのとき、男の左腕には鞄があり、右手には短剣があった。自分の後ろには逃げ道があり、その先には市場の人々がいた。


「刃物を止める方です」


「資料より?」


「紙は、辺境にも写しがあります。あの人が刃を持ったまま市場へ戻ったら、誰かがけがをするかもしれなかった」


「あなたは武装した兵士ではありません」


「はい」


「五十二歳の生活支援職です」


「そうです」


「それでも、ご自分で止めた」


「俺の方へ来たので、避けて腕を取りました。兵士がすぐ近くにいたからです。一人なら、同じことができたか分かりません」


 ヴェラの指が、机を一度たたいた。


「あなたの報告には、そういう言葉が多いですね。誰かがいたからできた。相手が自分で動いた。自分は見ただけだ、と」


 修司は、彼女の目を見た。


「実際に、そうだったので」


「謙遜ですか」


「たぶん、昔はそう言って自分を小さくしたこともあります。でも今は、俺一人の手柄にしたら、次に同じことが起きたとき誰もできなくなると思っています」


 修司は少し考え、続けた。


「それに、俺が危ないことをしたのも事実です。エヴァ先生には、先に声を掛けろと言われました」


 ヴェラの目が、ほんの少し細くなった。


 記録係の筆だけが、紙の上を進んだ。


     ◇


「では、あなたが王都へ来た理由を伺います」


 市場での出来事を一通り聞いたあと、ヴェラは新しい紙を出した。


「国王の召喚に従った。それだけですか」


「それだけではありません」


「辺境への援助を得るため?」


「それもあります」


「ご自分の職能を、高く評価させるため?」


 修司は一度、黙った。


「評価されたくないわけではありません」


 口にすると、思ったより言いにくかった。


「役に立たない職だと言われるより、必要だと思ってもらえる方がいいです。俺自身も、ここへ来る前は、自分がしてきた仕事に大した価値がないと思っていました」


「では、地位を望んでいる」


「地位が何を意味するのか、まだ分かりません。お金も、暮らす場所も必要です。でも、その代わりに誰かの命令だけで技能を使えと言われるなら、困ります」


「ずいぶん都合のよい条件ですね」


「そうかもしれません」


 修司は否定しなかった。


「でも、相手が嫌がっていることを無理にさせたり、身体を傷める使い方をしたりすれば、俺の技能はうまく働きません。それ以前に、俺がしたくない」


「辺境に戻りたいから、王都の命令に逆らうのですか」


「帰りたいです」


「クラウディア様のもとへ?」


 修司は言葉に詰まった。


 問われたのは領地ではなく、名前だった。


「クラウディア様にも、ベルンハルト様にも、救護院の皆さんにも、帰ると言ってきました」


「質問を広げましたね」


「……はい」


 頬が少し熱くなる。


 ヴェラは笑わなかったが、それ以上そこを追わなかった。


「あなたの帰還を望む人々がいる。それでも、危険を承知で王都へ来た理由は?」


 修司は、今度は考えてきた言葉をそのまま話した。


 辺境へ届くはずの物資が消えていたこと。その不足が、食事や治療だけでなく、人が起き上がり、働き、暮らし直すための時間まで奪っていたこと。灰冠の群れがなぜ南下したのか、捕らえられた者たちの先に誰がいるのかを確かめたいこと。


「救護院で工夫をすれば、少ないものでも何日かは持たせられます。でも、届くはずの食べ物を誰かが途中で抜いているなら、現場だけでは直せません」


「あなたは、その不正を暴くために来たと」


「暴けるとは思っていません。俺は、この国の決まりも組織も知りませんから。ただ、どこで止まっているのかを見て、知っていることを伝えたいです」


「そして、ご自分で辺境へ戻る」


「はい」


「王都に残れば、より多くの人を助けられるとは考えませんか」


 返事を急げば、うまいことを言える気がした。


 どこにいる人も同じだ、と。しかし、修司は自分がそんなに公平な人間ではないと知っていた。


「考えます」


 正直に答えた。


「王都には大勢の人がいます。助けが必要な人も多いと思います。でも、人数が多いからというだけで、辺境で待っている人を後回しにしていいとは思えません。それに、どこで誰を支えるかを、俺以外の人だけで決めてほしくないんです」


 ヴェラは黙っていた。


「立派な答えになっていなくて、すみません」


「立派かどうかは測っていません」


「では、何を」


「あなたの話が、確かめられる形をしているかです」


 ヴェラは、これまで書かれた記録を指先でそろえた。


「人は、嘘だけを話すとは限りません。見たものへ願望を足し、聞いた話を自分の記憶に変えます。善意の者ほど、自分の行動に正しい理由を後から付けることもある」


 修司は、最初の質問で言い直した箇所を見た。


「だから、同じことを何度も聞いたんですか」


「ええ。私に、人の心を読む魔法はありませんので」


 ヴェラの腰には、青い魔導糸を操る細剣がある。修司は、少し意外に思った。


「てっきり、嘘が分かる術もあるのかと」


「そのような術があれば、監察官は半分ほど失職しますね。残りの半分は、術が本物かを疑う仕事になるでしょう」


 淡々とした声だったが、皮肉なのだと少し遅れて分かった。


     ◇


 聞き取りが終わると、修司は記録係が読み上げる内容を確認した。


 見ていないことを、見たように書かれていない。言い直した箇所も、最初の表現と訂正の理由が残されていた。


 修司が署名すると、ヴェラは扉を開けた。


 廊下ではクラウディアが待っていた。立ち上がった彼女が修司の顔を確かめる。


「終わりましたか」


「はい。たぶん、同じ話を五回くらいしました」


「四回です」


 背後からヴェラが訂正した。


「数える余裕がなかったので」


 修司が答えると、クラウディアの肩から少し力が抜けた。


 ミレイユと護衛の聞き取りも終わり、市場から集めた証言との確認が始まっていた。靴屋の店主は、修司と兵士を裏へ通したことを認めた。果物の箱を倒した男と、台車を押し込んだ男についても、別々の店から似た人相が挙がっているという。


「現時点で、タカセさんたちを留める理由はありません」


 ヴェラが言った。


「お帰りいただいて結構です」


「疑いは晴れたと考えてよいのですか」


 クラウディアが尋ねた。


「市場での窃盗を自作自演した可能性は低いと判断します。ただし、街道襲撃を含めた調査は続いています」


「つまり、まだ私たちを調べると」


「必要な範囲で」


 ヴェラは少しも目を逸らさなかった。


「提出資料を狙う者がいるなら、皆様の周囲を調べる理由は増えました。監察局の者を、宿所と移動先の近くへ置きます」


「護衛ではなく、監視ですね」


「どちらとして役に立つかは、起きることによります」


 クラウディアの眉がわずかに寄った。


 修司は二人の間で、口を挟んだ。


「監視する人に、こちらから話をしてもいいですか」


 ヴェラが修司を見る。


「どのような話を?」


「怪しい人を見たとか、資料のことで何かあったときです。近くにいるのに、連絡は別の場所へしろと言われたら遅くなるので」


「構いません。監察局の徽章を、外から見える位置につけさせます」


「それでは監視にならないのでは?」


「隠れて見る者が、ほかにいないとは申し上げていません」


 修司は返事を止めた。


 クラウディアが、小さく息を吐く。


「少なくとも、堂々とついてくる者とは話ができそうですね」


「ええ」


 ヴェラが本気で答えたため、皮肉がうまく届かなかったらしい。


     ◇


 玄関へ向かいかけたところで、若い役人が廊下を走ってきた。


「クロイツ監察官。市場で捕らえた男の持ち物について、確認をお願いします」


 ヴェラは足を止めた。


「何が出ました」


「硬貨と短剣、偽名の通行札だけです。ただ、靴に付着している泥が」


 役人が持つ木盆には、片方の靴が載っていた。


 市場を走った汚れで、底は黒く湿っている。しかし、踵と革の縫い目には、それとは違う色がこびりついていた。


 青みを帯びた灰色。


「水路の泥ではないんですか」


 修司が尋ねた。


 ヴェラは手袋をはめ、靴の縁を持ち上げた。


「表面の黒いものは、今日の荷揚げ場で付いたのでしょう。青い方は乾いています。その上から新しい泥が重なっている」


 彼女は踵の溝を細い棒でなぞった。乾いた欠片が木盆へ落ちる。


「王都の水路には、石の隙間を埋めるため藍灰粘土を使う場所があります。この色が出るのは、東岸の古い船着き場と、その周辺の倉庫です」


「男は、そこから来た可能性がある?」


 クラウディアが尋ねた。


「可能性です。似た土が、ほかにないかも確かめます」


 ヴェラは役人へ靴を戻した。


「男には、泥のことを知らせないでください。今朝どこから市場へ来たのか、もう一度、別の者に聞かせます」


「先ほどは、南門近くの安宿から来たと」


「ならば、どの道で東岸の泥を踏んだのか説明してもらいましょう」


 役人が去ったあと、修司は廊下の窓から外を見た。


 白い塔の下に、何本もの水路が伸びている。その先は建物に隠れ、ここからでは見えなかった。


「これも、俺たちには教えない話ですか」


 修司が尋ねると、ヴェラは少し考えた。


「皆様が盗人の依頼主である可能性は、低くなりました」


「ずいぶん控えめな言い方ですね」


「疑わなくてよい理由が増えただけです。信じてよい理由は、これから確かめます」


 ヴェラは窓の向こうへ目を向けた。


「同じことは、皆様にも言えます。青い泥が付いていたからといって、水路区の人間を皆、敵だと思わないでください」


「分かりました」


 修司はうなずいた。


「でも、次にどこを確かめるかは分かりました」


「確かめるのは監察局です。勝手に東岸へ入らないように」


「はい」


 答えながら、修司は隣のクラウディアを見た。


 彼女も水路の先を見ていた。


 王都へ来て二日目。


 辺境から持ってきた紙は、まだ一枚も正式に受け取られていない。


 それでも、その紙を消そうとした者が歩いたかもしれない場所は、青い泥となって彼らの前に残っていた。


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