第二十九話 背中を預ける
第三塔の内側へ、砕けた石が雪崩れ落ちた。
夕日を遮る土煙の中で、鎧猪の牙が跳ね上がる。折れた補強材が宙を舞い、逃げ遅れた兵が盾ごと路上へ倒れた。
「壁際へ退避! 倒れた者を引き出せ!」
東へ走るクラウディアの声が、石の崩れる音に重なった。
修司の置いた地図では、第三塔から南へ伸びる道と、東門から町の奥へ向かう道が赤く交わっていた。その交点へ、二つの流れが近づいている。
一方は避難してくる人々。もう一方は、城壁を破った魔獣だった。
「ミレイユさん、東門へ行きます」
修司は地図から手を離した。
北門と補給へ伸びる光を外す。そこで働く者たちには、矢籠の印も、負傷者を下ろす道も、すでに渡してある。
「イゾルデさん、こちらをお願いします!」
「東門まで兵を二人つけます。道から離れないでください!」
返事を待たず、イゾルデは北門の横木へ向き直った。こちらの扉にも、外から絶えず衝撃が加わっている。第三塔へ兵を引き抜けば、今度は北門が破られる。
修司はミレイユとともに、城壁沿いの道を走った。
土煙を吸い込んだ喉が痛い。昼から何度も酷使してきた脚は重く、先を行く兵との差が少しずつ開いた。それでも、東門から届く泣き声が近づくと、修司の足は自然に速くなった。
道の角を曲がった先で、避難民の列が止まっていた。
門をくぐってきた者たちが、前方の土煙を見て足を止めている。後ろからは、まだ城内へ入っていない者が押し寄せていた。荷車の馬が首を振り、幼い子を抱いた女が壁へ身体を寄せる。
「押さないで! 門の中へ入れた人から、南へ曲がって!」
ナディアが声を張っていた。
だが、正面の柱には、町の奥へ向かう青い家の印が残っている。避難民はそれを頼りに歩いてきた。突然、別の方向へ行けと叫ばれても、先頭が動かなければ後ろも動けない。
「ナディアさん、南の道は通れますか!」
「商館の荷受け庭を抜ければ、救護院のある通りへ出られるわ。裏門はもう開けさせた。小さい荷車なら通る!」
「向こうで受け取る人は?」
「商館の者をつけてある!」
行き先は決まっていた。迎える者もいる。
修司は柱へ駆け寄り、青い家の指示板を外した。
「これを、南の曲がり口へ! 門をくぐった人から、正面に見える高さで掲げてください!」
同行してきた兵が板を受け取り、曲がり口へ走る。もう一人には、町の奥へ続く道へ立ってもらった。
「こちらです! 家の印へ進んでください!」
ただ声を大きくするのでは届かない。人が今、何を頼りに動いているか。その目印を間違った場所へ残したまま、新しい指示だけを足してはいけなかった。
ミレイユが白い杖の板も移し、荷車の行き先をそろえた。
列の先頭にいた老人が、それでも動けずにいた。両脇を支える家族が急がせるほど、脚が前へ出なくなっている。
修司は老人の見える位置へしゃがんだ。
「ここから右へ曲がります。あの、家の絵があるところです」
老人の目が、兵の掲げた板へ向いた。
「足元の石を一つ越えたら、道が平らになります。そこまでは俺も一緒に行きます」
引かれていた上体を戻し、家族と支える位置を変える。老人が自分で足を出すのを待って、一歩だけ動きを添えた。
つかえていた列が、ゆっくり曲がり始める。
その背後で、鉄を打ち合わせたような音が鳴った。
第三塔から南へ出てきた最初の鎧猪を、予備隊が食い止めていた。
狭い通りの両側には石造りの倉庫が並んでいる。その間へ運び込んだ尖り杭の防柵が、突進を受けて大きくずれた。盾を並べた兵たちが、柵の隙間から槍を突き出す。
鎧猪の硬い背を、槍の穂先が滑った。
クラウディアが横から踏み込み、剣を獣の前脚の付け根へ深く差し入れる。鎧猪が膝を折った瞬間、後列の槍が開いた喉へ突き込まれた。
「背を狙うな! 脚を止めて、下から突け!」
兵たちは命令どおりに動いていた。それでも、一頭を倒す間に次の牙が迫る。負傷者を引き出すたび、盾の重なりが薄くなった。
「工兵長、通りを閉じるまで、どれほどかかります!」
クラウディアの問いに、短い髭の男が答えた。
「石を積んだ荷車を二台、横につけます! 梁で両側の壁へ支えれば持たせられますが、その間、盾列を退けられません!」
修司が振り返ると、東門脇には、南倉庫から取り戻した切石を積んだ大きな荷車が二台残っていた。ハインツの送った兵たちが、梁や楔をそのそばへ下ろしている。
荷車を動かす道は、避難民が南へ曲がる場所を横切っていた。
今、石の荷車を出せば、人々を門の前で止めることになる。避難が終わるまで待てば、盾列が先に押し潰されるかもしれない。
「門を通ったのは、百二十八名です!」
到着板を確かめたミレイユが叫んだ。
「残り八十三名。最後尾は、まだ門外にいます!」
クラウディアは東門へ一度だけ目を向けた。
「盾列を維持! 避難路は空けておけ!」
その声に、修司は顔を上げた。
二年前、灰冠砦で兄を失った娘が、今は自分の背後へ人を逃がしている。
彼女の判断が必要だった。だが、その判断を実現するために、彼女一人が倒れるまで戦えばよいとは思わなかった。
「タカセさん!」
荷車の向こうからロルフが走ってきた。
「東門の馬を引き取っていました。俺にも、何かできませんか!」
修司は石を積んだ荷車を見た。
「あの二台を動かせますか」
「馬と道があれば」
「道はこちらで空けます。工兵長の指示に合わせて、必要な場所へお願いします」
ロルフはすぐに荷車へ向かった。負傷してから剣を握れなかった男が、今は自分の引き受ける仕事を迷わなかった。
南の曲がり口へ、エヴァも来ていた。救護所から連れてきた治癒術師に避難民を任せ、盾列から下がる負傷者を診ている。
「エヴァさん。運ばなければならない人を、こちらへ知らせてください」
「分かったわ。あなた、息が上がっている」
「走ってきた分です。頭痛は、まだありません」
修司は荷車の縁に手を置き、呼吸を落ち着かせた。
焦って範囲を広げれば、必要な瞬間に自分の方が切れてしまう。北門も、壁上も、今はイゾルデたちへ任せる。
守る場所を、この通りへ絞った。
「クラウディア様。皆さんをつなぎます!」
彼女が振り返った。
「防衛と、避難と、通りを塞ぐ作業を合わせます。次に列を動かすとき、知らせてください!」
「分かりました。盾隊長、タカセの声も聞け!」
クラウディア、盾列を率いる隊長、工兵長、ナディア、ロルフ、エヴァ。
修司は、一人ずつの役目を確かめた。
《生活動線把握――第三塔・東門間》
《中核支援者――六名》
《共同目標――避難路の確保/侵入路の封鎖》
《連携支援――接続》
金色の線が、路面を走った。
修司の目には、ナディアの送る人の流れと、ロルフが動かそうとする荷車の進路が重なって見えた。エヴァの待つ場所へ、盾列から下がる二人の負傷者。その後ろでは、工兵長が梁を持つ兵たちの位置を決めている。
「ナディアさん、次の荷車が曲がったあと、徒歩の列を一度止めてください。石の荷車を一台だけ通します!」
「二台まとめては出さないのね!」
「一台ずつです。通る間に、歩き疲れた人を空いた車へ乗せてください!」
列の切れ目が見える。
修司が腕を下ろすと、ナディアが門の内側で人を止めた。ロルフの馬が動き、石を積んだ荷車が道を横切っていく。その間に、避難用の小型荷車へ老人と子どもが乗せ替えられた。
大きな車輪が抜ける。
「次の列、通してください!」
青い家の印が揺れ、人々が再び南へ曲がった。
一台目の荷車が、盾列の後ろへ入る。工兵たちが梁を取りつけ始めたとき、第三塔の方から鎧猪が三頭続けて押し寄せた。
「来るぞ!」
盾隊長が身構えた。
先頭の牙が防柵を突き上げ、二頭目がその脇へぶつかる。柵を支えていた木が割れ、兵たちの盾へ重い衝撃が伝わった。
一人の踵が滑った。
隣の兵が支えようと身体を寄せ、その足まで浮く。槍を引き戻す者と、押し返そうとする者の動きが重なり、列の中央に隙間が開いた。
金色の線が、激しく乱れた。
修司には、何が起きているか分かった。
皆が全力を出している。だが、支える足を失った者へさらに前から力をかければ、その身体は倒れるしかない。
「中央、引け! 左右で受けろ!」
隊長は分かっていた。
しかし、怒号と獣の咆哮の中で、すべての兵が同じ瞬間に動くことはできなかった。
クラウディアが中央へ入った。
倒れかけた兵の盾を受け取り、後列へ押し戻す。空いた場所を自分で支え、槍を構えた兵へ短く命じた。
「私の右から!」
槍が伸び、鎧猪の鼻面を突いた。
獣が頭を振る。その牙が盾の縁をかすめ、クラウディアの身体が横へ流された。踏み直そうとした足の下で、瓦礫が崩れる。
同時に、倒れた鎧猪の背を越えて灰角狼が跳んだ。
狙ったのは、彼女の背中だった。
修司は走り出していた。
狼の牙が見える。自分よりはるかに速い獣へ、腕を差し出して止められるはずがない。
止める相手を、間違えるな。
《生活動作把握――自己適用》
足裏から腰へ、肩から掌へ、金色の軸が通った。
修司はクラウディアの背と脇へ手を添えた。
「合わせてください!」
彼女は振り向こうとしなかった。
修司の手へ、鎧の重さが預けられる。
その動きを腕だけで止めず、修司は自分の足を軸に身体を転じた。道場の畳で繰り返し、介助のたびに使ってきた重心の移し方が、技能の光の中で一つにつながる。
二人の身体が、牙の進路から外れた。
灰角狼の爪が修司の外套を裂く。
だが、クラウディアの足は、すでに石畳を捉えていた。
振り向く動きが、そのまま剣の軌道へ変わる。
横薙ぎの刃が狼の喉を裂いた。
獣は二人の脇を飛び過ぎ、荷車の車輪へ激突して動かなくなった。
「タカセ――」
クラウディアが息を呑んだ。
修司は、まだ手を離していなかった。
彼女の身体を起こすための力が、自分の手を通り、腰から足へ抜けている。次に踏み出そうとする瞬間が分かった。どちらへ動きたいかを決めたのは彼女なのに、その動きを支える場所が、修司にも見えていた。
ニルスを襲った男から、兵士を離したときもそうだった。
老将を椅子から立たせたときも、本人が動き出す瞬間へ手を添えた。
力を使う者と、支える者。その動きが噛み合った一瞬を、今度は途中で切らずにつないでいく。
「前を、お願いします」
修司は彼女を見た。
「後ろは、俺が支えます」
クラウディアの青灰色の目が、一度だけ揺れた。
それから、剣を構え直した。
「預けます」
短い返事だった。
その直後、視界に新しい文字が浮かんだ。
《連携支援――動作同調》
修司の掌から、ひときわ強い光が広がった。
盾隊長の足元まで、金色の線が走る。
「隊長、次に列を動かす合図を、俺にもください!」
「中央を一歩下げる! 両端はそのままだ!」
隊長の判断が、動き出す寸前の重心とともに伝わってきた。
修司はそれへ、自分の支える感覚を重ねた。
隊長の肩を固めていた余分な力が抜ける。盾を押す腕と、石畳を踏む足がつながり直した。
中央の兵たちが隊長に続いて下がる。
クラウディアは、その一歩と同時に右へ出た。押し返されると思っていた鎧猪の頭が前へ落ち、両脇から突き出された槍に挟まれる。
剣が、その喉へ深く入った。
後続の鎧猪が突っ込んできたときには、盾隊長はもう次の足を置いていた。
「詰めろ!」
列が閉じた。
牙と盾がぶつかり、雷のような音が通りへ響いた。
今度は、中央が崩れなかった。
「……押し戻せる!」
隊長が叫んだ。
その声に、両隣の兵が続いた。
修司は隊長の背へ掌を添えていた。金色の光が接続を通ってクラウディアへ、後方の工兵長へ走る。
修司自身の踵にも、路面へ押しつけられるような重さがあった。大勢の身体を一人で操ろうとすれば、すぐに足が浮くだろう。見ているのは、つないだ六人の動きと、その先で働く者たちへの受け渡しだった。
先頭が踏み直す。後列が支えを引き継ぐ。
それまで合図を聞いてから合わせていた動きが、今は動き出す瞬間から重なっていた。
裂けかけていた戦列が、一つの弧を描いて持ち直す。
「今なら、二台目が入る!」
工兵長の声が飛んだ。
修司のこめかみに、鈍い痛みが生まれた。
つないだ先の動きを、何もかも支えようとしていた。
北門から近づく伝令の気配も、空を横切った翼獣の影も、追わない。そこを見ている兵がいる。自分の手を離れても働く人たちがいる。
修司は呼吸を吐き、同調させる動きを絞り直した。
戦列の足運び。荷車の発進。負傷者を渡す瞬間。
それ以外の時間まで、自分で埋めようとはしなかった。
頭の奥の痛みが、それ以上強くならずに留まった。
「徒歩の最後尾が入ります!」
ミレイユが叫んだ。
「百九十二名! 残りは、後ろの荷車です!」
東門の外で、灰角狼の遠吠えが上がる。
護衛の騎兵が振り返って弓を放ち、その前を小型の荷車が続けてくぐってきた。最後の一台には、幼い子を膝へ抱いた老婆と、足を布で巻かれた男が乗っていた。
ロルフは、石を積んだ二台目の荷車を、まだ動かしていなかった。
馬が焦れて前脚を踏み鳴らす。自分が出れば、避難民の荷車を途中で止めると分かっている。
「ロルフさん、そのまま!」
「待てます!」
正面で、防柵の最後の横木が折れた。
鎧猪が首を振り、突き出た牙が盾へ食い込む。兵の一人が短く悲鳴を上げた。クラウディアが前へ出ようとした瞬間、修司の目には、彼女の左足へかかる重さが見えた。
そこへさらに踏み込めば、次に戻れなくなる。
「左を、預けてください!」
クラウディアは踏みとどまり、盾隊長が空いた場所を受け取った。
エヴァの側で担架が用意される。その準備が整った瞬間、修司が腕を上げた。
「負傷者、後ろへ!」
傷ついた兵が引き出され、代わりの槍が前へ出る。
クラウディアの剣が、牙の下を通った。
鎧猪が倒れた。
その巨体が通りを塞いだ、わずかな間だった。
最後の避難用荷車が、南の曲がり口を抜けた。
「二百十一名! 全員、門を通りました!」
ミレイユの声が響く。
ナディアがその車を商館の者へ引き渡し、道から大きく腕を振った。
「こっちも抜けた! 通して!」
「ロルフさん、今です!」
修司が叫んだ。
馬の蹄が石畳を叩く。
荷車は避難路を横切り、工兵長の立つ場所へ入っていった。大きな車輪が最初の荷車の脇へ収まり、待っていた兵が馬を外す。
「東門、閉鎖!」
護衛の騎兵が滑り込むと、重い扉が動き始めた。
外から飛びついた灰角狼を、門楼の弓兵が射落とす。横木を落とす音が響き、門の隙間に残っていた夕日が細く消えた。
だが、修司はまだ光を切らなかった。
一台目の荷車の陰へ退き、梁を構える工兵たちの隣へ移る。隊長の背から手を離しても、金色の線は途切れなかった。
目の前には、盾を並べた兵たちがいる。その背後で荷車を固定してしまえば、今度は彼らが魔獣の側へ取り残される。
「中央を残して、左右から順に下がる!」
クラウディアが命じた。
「工兵長、全員が通るまで西側を空けてください!」
「承知しました!」
盾隊長が兵へ指示を伝える。
修司は、彼らが下がる道を見た。荷車と倉庫の壁との間に、一人ずつ抜けられる隙間がある。その向こうでは、工兵たちが最後の梁を構えて待っていた。
図面の上なら、ただの空白だった。
だが、ここを残すか、先に塞いでしまうかで、人が帰ってこられるかどうかが変わる。
チラシやカタログでも、修司はすべての隙間を情報で埋めようとする注文に向き合ってきた。何を入れるかと同じくらい、何のために空けておくかを説明する必要があった。
今、その理由は、兵たちのすぐ背後にあった。
「この道は、最後まで空けます」
修司は、クラウディアへ言った。
「皆さんも、戻ってきてください」
彼女は剣を握り直した。
「ええ。全員で」
盾列の両端から、兵が下がり始めた。
残る者が盾を寄せ、その動きに合わせて次の者が抜ける。クラウディアは中央で剣を振るい、飛び出してきた灰角狼を近づけさせなかった。
第三塔の向こうから、ひときわ大きな鎧猪が現れた。
肩に折れた槍が二本刺さっている。額から血を流しながら、倒れた仲間の脇を押し広げて通りへ入ってきた。
「突進してくるぞ!」
後方の兵が叫んだ。
盾隊長と、最後の二人が残っていた。
修司は腰を落とした。
自分の背中を伝う汗が冷たい。喉は乾き、指先には細かな震えがある。それでも、足裏の位置は分かった。支えている線も、まだ切れていない。
介護を始めた頃、修司は倒してはいけないと力を入れすぎ、相手の動きを止めてしまうことがあった。
今は、どこまで任せられるかが見える。
クラウディアの剣も、隊長の足も、自分が覚えさせたものではない。彼らが積み重ねてきた技量を、いちばん必要な瞬間へつなぐ。
《動作同調――維持》
金色の光が、一度、強く脈打った。
「下がれ!」
隊長が叫ぶ。
二人の兵が隙間を抜けた。
クラウディアが剣を引き、隊長と並んで退く。その足運びは、迫る鎧猪を前にしても乱れなかった。
牙が届く寸前、二人の身体が荷車の陰へ消えた。
「閉じろ!」
工兵長が梁を下ろす。
鎧猪の巨体が、石を積んだ荷車へ激突した。
耳をつんざく音が鳴った。
木が割れ、鉄輪が軋み、荷台の切石がぶつかり合う。だが、荷車は倉庫の壁へ渡した梁に支えられ、通りの中央を空けなかった。
牙が、修司の顔のすぐ向こうで止まっていた。
石と梁を挟んだ先で、獣の濁った目がこちらを見ている。
修司は、一歩も退かなかった。
「ここから先には、行かせない」
倉庫の荷揚げ台へ上がった弓兵が、獣の目へ矢を放った。
鎧猪が頭を振り上げる。隙間から突き出された槍がその喉を貫き、巨体が荷車へもたれかかるように崩れた。
「油を!」
クラウディアの命令で、残してあった油壺が道の向こうへ投げ込まれた。火矢が落ち、折れた防柵と獣の死骸を包んで炎が立ち上がる。
後続の灰角狼が跳び退いた。
狭い通りを塞いだ鎧猪の巨体が邪魔になり、背後の獣は前へ出られない。左右へ逃れようとした狼へは、壁上と荷揚げ台から矢が降った。
通りを満たしていた咆哮が、少しずつ遠ざかり始めた。
「第三塔方面、侵入を止めました!」
見張りが叫んだ。
「敵は瓦礫の外へ退いています!」
クラウディアは剣を下ろさなかった。
「追うな! 火を保ち、壁上から監視を続けてください。次に備えて交代します!」
工兵たちが梁へさらに支えを加え、後方の兵が新しい槍と矢を運び込む。
修司は、その流れを最後まで見届けた。
《避難動線――分離完了》
《防衛動線――維持》
《連携支援――終了》
路面の光が、ゆっくり薄れていった。
《連携支援――動作同調を習得》
切った瞬間、疲れが全身へ戻ってきた。修司は荷車の縁を掴んだが、膝は折れなかった。
自分で腰を下ろせる場所を見つけ、梁の端へ座る。
視界は揺れていなかった。
「タカセさん」
エヴァが膝をついた。
裂けた外套をめくり、脈を確かめる。肩へ入った爪は浅いと告げてから、銀杖の光を当てた。
「まだ動ける?」
「動けます。でも、今は休みます」
「そうして。ここからは、こちらの仕事だから」
差し出された水を、修司は両手で受け取った。
盾隊長が近づいてきた。
盾の縁は割れ、手袋には血が染みている。男はそれを見下ろし、それから修司を見た。
「さっき、腕が軽くなった。いや、軽くなったのではないな……いつも途中で逃げていた力が、全部、盾へ届いた」
男は言葉を探すように、握った拳を開いた。
「隣が退くときには支えられた。自分が退くときには、もう後ろに支えがあった。あんなふうに列を動かせたことはない」
「皆さんの動きが、つながったんです」
「あんたが、つないだんだろう」
修司は男を見上げた。
否定しなかった。
「はい」
それだけ答えると、男は深くうなずき、盾を拾い直した。
「助かった。俺も、後ろにいた連中も」
ミレイユが、到着板を抱えて戻ってきた。
「第四村と第五村、二百十一名。商館を抜けた先でも確認が取れました。治療が必要な方は、救護院へ引き継いでいます」
紙へ記された数字を、修司は指で追った。
東門を閉じた向こうに、残した村人はいない。
ナディアは商館へ戻り、ロルフは馬たちに水を飲ませている。工兵長は通りを塞いだ荷車の下へ潜り、傷んだ車軸の代わりになる支えを指示していた。
金色の光が消えても、彼らの仕事は続いていた。
クラウディアが、剣を鞘へ収めて近づいてきた。
「父は、あなたに支えられて立ちました」
彼女は、修司の前で足を止めた。
「今日は、私たちの戦列が立ち直った」
血と埃に汚れた顔に、疲れの深い笑みが浮かぶ。
「あなたがいてくれて、よかった」
修司は椀を膝へ置いた。
「戻ってきてくださって、よかったです」
クラウディアは答えず、しばらく修司を見ていた。
それから、修司が腰を下ろしている梁の隣へ、自分も座った。
ほんのわずかな間、二人の肩が触れた。
修司は彼女の身体を起こそうとはしなかった。彼女も、すぐに立ち上がって指揮へ戻ろうとはしなかった。
通りの向こうでは、交代の兵たちが持ち場についている。
北門から、まだ耐えているとの報告が届いた。第三塔の穴は開いたままで、外には《灰冠の群れ》が残っている。この夜に必要な仕事は、まだいくつもあった。
それでも、二百十一人が明日を迎える場所は守られた。
商館の裏から、子どもの泣き声が聞こえた。恐怖が去ってようやく泣き始めたのか、誰かが、もう大丈夫だよと繰り返し答えている。
修司はその声を聞きながら、自分の掌を見下ろした。
何度も人を支えてきた手が、まだ少し震えていた。
その隣で、クラウディアも両手を膝へ置いていた。
二人とも、自分の足で戻ってきた。




