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【完結】公爵令嬢ラヴェリナ・ローデンベルクの秘密の離れ ~妖精と暮らす快適生活!?~  作者: 深谷 汎


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第8話 ラヴェリナ、離れを手に入れる

毎日7:00・12:00の1日2話で予約投稿更新中


本作は完結まで執筆済みです。

最終話まで更新が止まることはありませんので、ご安心してお楽しみください。

庭の木蓮がほころびはじめたころ。

ラヴェリナは深刻な問題に直面していた。


ベッドの下には、ノートが九冊。小さなコミックが七冊。描き損じの原稿の束に、妖精用の画材を詰めた箱、クッキーの保存瓶。


アンナに見つからないよう、引き出しの奥や本棚の裏、ベッドの下へと少しずつ押し込んできたものたちが、とうとう隠しきれなくなっていた。


「……もう入らない」


ラヴェリナは腕を組み、低く唸った。


去年の秋は、ノートを一冊隠すだけで済んでいたのだ。その後も、机の引き出しや衣装棚の奥、ベッドの下に入れておけば、それで十分だった。


ところが、小説を書いたノートは十冊を超え、妖精たちの作るコミックも、もうすぐ十冊に届く。描き損じの原稿、画材、魔力入りクッキーを詰めた保存瓶、増える一方のドールハウスの備品。


気づけば、隠さなければならないものが、隠し場所の容積をあっさり追い越していた。


衣装棚の奥にねじ込んだ原稿の束が、ドレスの裾をじわじわと押し出している。


そのうちアンナに見つかって、

「お嬢様、ドレスが紙を食べております」

と言われる日が来るだろう。


「まだ隠してんのか」


ドールハウスの屋根の上で、ルルが脚をぶらぶらさせながら見ていた。


「隠してるんじゃなくて、しまってるの」


「はみ出してんじゃねーか」


言い返せなかった。ルルは勝ち誇った顔で、クッキーのかけらをかじった。


ラヴェリナだって、本当なら堂々と棚に並べたい。


小説とコミックを分けて、題名の順に揃えて、妖精たちの原稿も湿気の来ない箱にきちんと保存したい。


前世の自室の本棚がそうだったように。


けれど、公爵令嬢の部屋は公爵令嬢だけのものではない。


毎朝アンナが着替えを手伝いに来るし、昼には掃除のメイドが入る。


完全な秘密基地など、この屋敷のどこにもないのだ。


「どこかに、誰も来ない部屋があればいいのになぁ……」


願いが、ため息と一緒にこぼれた。

 

◇ ◇ ◇


その夜の夕食は、いつもと少し違った。


父のギルベルト・ローデンベルク公爵は、もともと食卓で話をする人ではない。ラヴェリナがその日の出来事を話し、黙って最後まで聞きながら、ときどき短く相槌を打つくらいだ。


だが、この日の父は、明らかに様子がおかしかった。ラヴェリナの話にも相槌すら打たず、スープを三度すくっては三度とも皿に戻し、肉を切り分けたまま口に運ばない。


「お父様、お肉が冷めてしまいますよ」


「……ああ」


返事をしても、何か考え込んでいる。


食事を終えたあと、父は給仕の者たちを下がらせ、広い食堂に、二人きりになる。


「ラヴェリナ。話がある」


ラヴェリナは背筋を伸ばした。


父がこういう前置きをするのは珍しい。


怒られる心当たりは――ある。

いくつもある。


衣装棚の件か、厨房でこっそりクッキーを焼かせてもらっている件か、あるいは夜中に妖精たちと騒いでいた件か。


しかし父の口から出たのは、そのどれでもなかった。


「アルバート・ローウェルという名を、覚えているか」


「ローウェル卿……ですか?」


聞き覚えがあった。

三年前、父が何日も屋敷を空けたことがある。


帰ってきた父は黒い服を着ていて、その夜、書斎の灯りは明け方まで消えなかった。

あのとき使用人たちが声を潜めて口にしていた名前だ。


「私が騎士団にいた頃からの友人だ。……親友だった、と言うべきか」


父は窓の外の暗がりに目をやった。


「三年前、グランツ辺境伯領で魔物の群れが出た。アルバートは討伐に出て、部下をかばって死んだ。あいつらしい死に方だと誰もが言う。私もそう思う」

 

低い声は淡々としていた。けれど、テーブルの上で組まれた父の指には、白くなるほど力がこもっていた。


「あいつには妻と娘がいる。夫人はセシリアという。娘はリリアーヌ、今年で六つになる」


「……お父様は、ずっとそのお二人を」


「気にかけてきた。アルバートに頼まれたわけではない。だが、あいつなら同じことをしただろう」


父はそこで言葉を切り、しばらく黙った。


ラヴェリナは待った。

父が言葉を探しているときは、急かさずに待つ。


それはこの家で八年暮らしてきたラヴェリナが、いちばん最初に覚えた作法だった。


「セシリアたちを、この家に迎えたいと思っている」


やっぱり、とラヴェリナは思った。


前世で読んだ物語なら、ここは「再婚フラグ」と呼ばれる場面だ。


後妻と連れ子がやって来て、主人公をいびり倒す。そういう展開を、ラヴェリナは何十冊と読んできた。


けれど、目の前の父の顔を見ていると、そんなテンプレートはどこかへ吹き飛んでしまった。


父は娘の反応をうかがっていた。多くの貴族に顔色伺われるこの人が、八歳の娘の顔色を、じっと。


「お前の母の代わりを連れてくるつもりはない。エレノアの代わりなど、どこにもいない。それだけは分かっておいてほしい」


「はい」


「嫌なら、嫌だと言え」


ラヴェリナは目を伏せて、思い出していた。


眠れなくて部屋を抜け出した夜、母の肖像画の前に父が立っているのを見たことがある。


灯りも持たずに、ただ黙って。何を話しかけるでもなく、絵の中の微笑みをずっと見上げていた。


一度ではない。何度も。


昼間の父は忙しい。

朝早くに執務室へこもり、夜遅くまで出てこない。


仕事が好きなのだと使用人たちは言うけれど、ラヴェリナは知っている。父は、手を止めるのが怖いのだ。


手を止めたら、母を思ってしまうから。


ラヴェリナは、父が声を上げて笑ったところを一度も見たことがない。母がいた頃は、よく笑っていたと古い使用人が言っていた。


「嫌じゃないです」


顔を上げて、ラヴェリナは言った。


「お父様が笑えるようになれるなら、私は、それで構いません」


父の目が、わずかに見開かれた。


それから父は何か言いかけて、やめて、代わりに大きな手を伸ばし、ピクニックの森でそうしたように、ラヴェリナの頭を撫でた。


「……すまない」


「謝るところじゃないですよ、お父様。こういうときは、ありがとうって言うんです」


「そうか」

 父は小さく息を吐いた。


「……ありがとう、ラヴェリナ」


その声が少しだけかすれていたことには、気づかないふりをしてあげることにした。

 

◇ ◇ ◇


ひと月後、ローデンベルク公爵家に新しい家族がやって来た。


馬車から降りてきた女性は、淡い栗色の髪を上品にまとめ、落ち着いた藤色のドレスを着ていた。


ほっそりとした人なのに、背筋がすっと通っている。立っているだけで不思議と周りの空気が静まるようだ。さすが、騎士の妻だった人だと納得した。


「はじめまして、ラヴェリナさん。セシリアと申します」


ラヴェリナに、セシリアは目線を合わせるように少し身をかがめた。


「突然押しかけてきて、驚かせてしまったでしょう。至らないところばかりですけれど、どうぞよろしくお願いしますね」


「こちらこそ、よろしくお願いします。……お義母様」

 

思っていたよりも自然に出た。セシリアは一瞬目を丸くして、それから、ほっとしたように微笑んだ。


その微笑みの陰で、小さな影がもぞりと動いた。


セシリアのドレスの後ろに、女の子が半分だけ隠れている。母親と同じ栗色の髪を二つに結び、大きな灰色の目でこちらを見上げていた。


両手で胸に抱えているのは、手のひらほどの木彫りの馬だ。角が丸くすり減って、ところどころ黒ずんでいる。ずいぶん長いこと、同じように抱えられてきたのだろう。


「リア、ご挨拶は?」


母親にそっと背中を押されて、女の子は一歩だけ前に出た。


「……リリアーヌ、です。よろしく、おねがいします」


吹けば飛んでしまいそうな声だった。言い終わるなり、また母親の後ろへ戻ってしまう。


「こちらこそ、よろしくね。お姉ちゃんと呼んでね」


ラヴェリナはできるだけ柔らかく笑いながら言った。


リリアーヌは木の馬をぎゅっと抱きしめ直し、小さく頷いた。


そんなリリアーヌを見て。


知らない屋敷。知らない使用人。今日から「家族」になる、知らない人たち。


六歳の子供には、この玄関ホールの天井の高さすら怖いかもしれない。


しかも、この屋敷には最初からラヴェリナがいる。生まれたときからここで育ち、どの使用人とも顔なじみの、公爵家の長女が。


使用人たちに悪気はなくても、接し方には差が出ることもあるだろう。慣れたラヴェリナには気安く、新しく来たリリアーヌには丁寧すぎるほど丁寧に。


その丁寧さが、子供には壁に見える。

何かにつけて「ラヴェリナ様は」と比べられれば、リリアーヌはますます母親の後ろから出てこられなくなる。

 

――私が本邸にいない方が、あの子はこの家に馴染みやすいんじゃないかな。


そう思った瞬間、ラヴェリナの頭に、ある建物が浮かんだ。


本邸の東、庭園の奥。来客用に整えられてはいるものの、ここ何年もほとんど使われていない別館。


離れ。


静かで、人が来なくて、部屋がたくさんある。棚はいくらでも置けるし、妖精たちも好きなだけ飛び回れる。


ラヴェリナの目が、みるみる輝きを増していった。

 

◇ ◇ ◇


「私の部屋を、リアに譲ってもよろしいでしょうか」


翌日の午後、執務室を訪ねたラヴェリナがそう切り出すと、父は書類から顔を上げて眉を寄せた。


「どういうことだ」


「私の部屋は日当たりがよくて、お庭もよく見えます。新しいお家に慣れるなら、あそこがいちばんいいと思うんです」


「それはそうだが」


「お兄様は留学中ですし、本邸でずっと過ごす子供は私とリアだけです。使用人のみんなは、私のことを生まれたときから知っています。みんなに悪気がなくても、私とリアへの接し方には、きっと差が出ます」


父は黙って聞いていた。途中で遮らないのは、昔から変わらない。


「私がいれば、リアはそれを感じてしまうと思うんです。だから、みんなが新しい家族に慣れるまで、私が少し離れていた方がいいのかなって」


ラヴェリナはそこで、一拍置いた。


「その代わり、離れを好きに使わせてください!」


執務室に沈黙が落ちた。


父がじっとラヴェリナを見る。ラヴェリナもじっと父を見返す。


父は長い息を吐いて、椅子の背にもたれた。


「言っていることには、一理ある」


「でしたら!」


「ただし、条件がある」


ラヴェリナは姿勢を正した。


「夕食は必ず本邸でとること。家族全員でだ」


「はい!」


「それから、離れで好き勝手していいという意味ではないぞ」


「……はい」


「今、間があったな」


「気のせいです」


父は、呆れたように額に指を当てた。


「離れには執事と使用人を置く。八歳の娘を一人で住まわせるわけにはいかん」


「えっ」


「当たり前だろ。これは譲れん。執事はクロードをつける。あとはメイドを何人か住み込ませる」


クロード。

祖父の代からこの家に仕えている老執事だ。

いつも背筋がまっすぐで、言葉遣いは丁寧なのに、ときどき妙に棘がある。


子供の頃、廊下を走ってぶつかったとき


「お嬢様、廊下は競技場ではございません」


と言われたのを、ラヴェリナは今でも覚えている。


「……何人か、というのは」


「最低限だ」


それなら、本邸よりずっと少ない。部屋数は多いから、妖精たちの秘密を守るにはむしろ十分すぎるくらいだ。


「分かりました!」 


ラヴェリナが勢いよく頷くと、父は机の上の書類を広げ始めた。


「それと、あの部屋のことは、アンナがよく知ってるので、アンナはリアにつけてあげてください!」


「分かった。夕食の件は、絶対だ。忘れるな!」


「はい。忘れません」


「一日に一度でいい。家族が同じ卓について、顔を見て食事をする。……そういう家にしたいと、エレノアがよく言っていた」


ラヴェリナは、はっとして父を見た。


父は、書類の確認をしており、その横顔からは何も読み取れなかった。


どれだけ仕事に追われても夕食の席にだけは必ず現れた父を、ラヴェリナはこれまでとは少し違う気持ちで思い出していた。



「では、移ってもいいのですね?」


「ああ」


「やった!」


思わず両手を突き上げてから、ラヴェリナは慌てて下ろした。


「……随分と嬉しそうだな」


「リアが安心して暮らせると思うと、嬉しくて!」


「そうか」


「はい!」


嘘ではない。嘘ではないのだ。


ただ、それ以上に、離れが手に入ったことが嬉しくてたまらないだけで。


父が、書類にペンを走らせ始めたので、執務室を後にした。

 

◇ ◇ ◇


離れにはたくさんの部屋がある。そこでラヴェリナは、自分の好きなものを置くための部屋をひとつねだった。


掃除や片づけは自分でする。その代わり、許可なく誰も立ち入らないこと。


父からその約束を取りつけることにも成功した。

引っ越しが決まった翌日から、ラヴェリナの荷物は少しずつ離れへ運ばれていった。



家具も衣類も日用品も、使用人たちが手際よく運んでくれた。


けれど、その中で、ドールハウスと、書き溜めた小説と、妖精たちのコミックと原稿の束は、誰の手も借りずにラヴェリナ自身が運んだ。


「お嬢様、そちらもお持ちしましょうか」


「大丈夫! これは自分で持ちたいの! 思い出の品だから!」


重たい木箱を抱えて庭園を横切るたび、ラヴェリナは同じ言い訳を繰り返した。


箱の隙間から


「揺らすなって!」

「酔う……」


という小さな声が漏れるたびに、わざと大きな咳払いをしてごまかしながら。


最後の箱を運び込み、扉を閉める。


新しい部屋は、本邸の自室より少し古かった。壁紙の模様は一昔前の流行りで、床板はところどころ軋む。けれど広い。天井が高く、窓が大きい。そして何より、壁一面に作り付けの棚がある。


「やったぁぁぁ!」


ラヴェリナは両手を上げて、その場でくるりと回った。


「これで堂々と作品を並べられる!」


箱から小説を取り出し、一冊ずつ棚に差していく。背表紙に自分で書いた題名が、横一列に揃っていく。その隣にコミックを並べる。


妖精たちが描いた表紙絵が、窓からの光を受けて色鮮やかに浮かび上がった。


「すごい……本物の本棚みたい」


指先で背表紙をなぞる。前世の自室で、新刊を棚に差し込むたびに感じた、あのささやかな満足感がよみがえってきた。


「ラヴェリナー、もう出ていいか?」

 

箱の中から、ルルのくぐもった声がした。


「いいよー!」


蓋を開けた途端、妖精たちが一斉に飛び出した。


「ここが新しい家?」


「広い!」


「窓がいっぱいある!」


「庭が見えるー!」


あっという間に、天井近くまで色とりどりの羽が舞い上がる。


棚の上を駆け回る者、

カーテンにぶら下がる者、

窓ガラスに鼻を押しつける者。


ポロだけは早々に日だまりを見つけて、窓辺でころんと丸くなっていた。


「ぼくたちの部屋もあるー?」


「もちろん!」


ラヴェリナが胸を張ると、歓声がさらに大きくなった。


「みんなの希望を聞いて、すっごくいい部屋を作ってあげる!」


「大きいベッド!」

「俺、窓の近くがいい!」

「本棚ほしい!」

「お菓子置く棚!」


「ちょ、ちょっと待って! 一人ずつ言って!」


「秘密基地!」

「ブランコ!」

「お風呂!」


「お風呂!?」


思わず聞き返すと、妖精たちはきょとんとして首を傾げた。何がおかしいのか分からない、という顔だった。


ラヴェリナは吹き出した。


◇ ◇ ◇


引っ越しから数日後、隣国から一通の手紙が届いた。


封蝋にはローデンベルク家の紋章。少し右上がりの、見慣れた兄の字だった。


『ラヴェリナへ

父上から再婚の報せを受けた。俺は賛成だ。ローウェル卿には、俺も子供の頃に剣の手ほどきを受けたことがある。あの方のご家族なら、心配はいらないだろう。


それより、お前が離れに移ったと聞いて驚いている。新しい妹のためだと父上は書いていたが、どうせそれだけではないのだろう。


あまり父上を困らせるなよ。それから、新しい妹を泣かせるな。お前が妙なことを始めて、あの子が巻き込まれて泣く光景が目に浮かぶ。


こちらはなかなか帰れそうにないが、手紙は書く。元気でいろ。

 レオンハルト』


「……どうせそれだけではないのだろう、って」


手紙を読み終えたラヴェリナは、ぼそりと呟いた。


「お兄様、隣の国からでもお見通しなんだけど」


「兄貴、こえーな」


肩の上で手紙を覗き込んでいたルルが、ぶるりと羽を震わせた。


ラヴェリナは手紙を丁寧に畳み、机の引き出しにしまった。


それから、まだ何も入っていない棚の一段を眺めて、ふと思った。


ここにはいずれ、兄に見せられないものがたくさん並ぶのだろう。父にも、新しい義母にも、あの木の馬を抱えた小さな女の子にも。


少しだけ胸がちくりとした。


けれど窓の外では、夕方の光が庭園の木々を金色に染めはじめていて、その向こうに本邸の食堂の窓が見えた。もうすぐ、あそこに灯りがともる。


ラヴェリナは立ち上がり、靴の紐を結び直した。


約束の夕食の時間だった。

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