第7話 妖精たちと、はじめてのコミック
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本作は完結まで執筆済みです。
最終話まで更新が止まることはありませんので、ご安心してお楽しみください。
兄のレオンハルトが隣国へ発ったのは、初夏の風が吹きはじめたころだった。
玄関前には荷物を積んだ馬車が待っていて、見送りの使用人たちがずらりと並んでいた。父と短く握手を交わした兄は、最後にラヴェリナの前で身をかがめた。
「森に、絶対にひとりで入るなよ」
「入りません」
「あと、必ず手紙を書くこと」
「書きます。毎週書きます」
「……毎週は読むのが大変だな」
兄は笑って、ラヴェリナの髪をくしゃくしゃと撫でた。父の手とよく似た、大きな手だった。
馬車が門を出て見えなくなるまで、ラヴェリナは手を振り続けた。
袖で目元をこすったとき、頭上の窓辺から
「泣いてんのか?」
「泣いてないよー、目にごみが入ったんだよー」
と、二人の小さな声が聞こえてきた。
「……ポロ、それ私の台詞」
◇ ◇ ◇
夏が過ぎるころには、人形の家の住人は五人に増えていた。
ポロが森の友達を連れてきて、その友達がまた別の友達を連れてくる。窓の隙間は、いつの間にか妖精専用の玄関になっていた。
二階の寝室は常に満員で、あぶれた子は屋根の上や、ラヴェリナが縫った小さなハンモックで眠っていた。
薔薇の砂糖漬けの瓶は一日で空になるので、隣にもう一つ、ジャムの空き瓶が並んだ。
魔力玉を作るのも、ずいぶん上手くなった。最初は続けて作るのにうんうん唸っていたのに、今では家庭教師の先生の授業を待つあいだに、両手でころころと三つ四つ作れてしまう。
妖精が増えるに連れ、ルルも遠慮して、魔力玉を1日3個という約束はなくなり、妖精たちで分け合うようになっていた。
しかし、毎日ねだられるのが、いい修行になっているようで、日々作れる量も増えてきている。
◇ ◇ ◇
秋の長雨が続いたある夜、ラヴェリナは人形の家の前に座り、妖精たちを見回した。
「みんなに、聞いてほしいことがあるの」
屋根の上、窓辺、ハンモックの中から、小さな顔がいっせいにこちらを向く。
この数日、ずっと考えていた。
こんなに毎日一緒にいるのに、自分だけ大きな秘密を抱えたままなのは、なんだかずるい気がしたのだ。
どう切り出すかも考えた。
驚かせないように、順を追って、丁寧に。
「実はね。私、前世の記憶があるの」
「ぜんせ?」
「なにそれー」
「前に生きてたってこと?」
「そう。私は一度死んで、この世界に生まれ変わったみたいなの。別の世界で、大人になるまで生きてた記憶があるんだ」
しんとした。
ラヴェリナは膝の上で両手を握りしめた。
「へえー」
「人間って生まれ変わるのか?」
「分かんない。でも、私はそうみたい」
「ふうん。で、今日の魔力玉まだ?」
ルルだった。
「……それだけ?」
「それだけって、なにが?」
「もっとこう、驚くとか、怪しむとか」
「だってラヴェリナはラヴェリナだろ」
ルルは屋根の上で寝転がったまま、あくびをした。
ほかの妖精たちも、うんうんと頷いている。
用意していた説明の続きが、行き場をなくして喉の奥で溶けていった。
妖精は人間とは違うものさしで生きている。花が咲いて枯れて、また咲くのと同じように、人が死んで生まれ直すことも、彼らにとってはさほど不思議ではないのかもしれない。
ラヴェリナは、ふっと肩の力を抜いた。
「それでね。前の世界には、私が大好きだったものがたくさんあったの」
「食べ物?」
「違うよ」
「じゃあ魔力?」
「それも違う」
ラヴェリナは本棚から、表紙の擦り切れたノートを一冊取り出した。前世の記憶が戻ってから、忘れないうちにと書き留めてきたものだ。
「物語。特に好きだったのが、ライトノベルっていう小説」
「らいとのべる?」
「うん。簡単にいうと、すっごく面白いお話!」
それからラヴェリナは、覚えている物語を片っ端から語った。
異世界に呼ばれた少年が勇者になる話。
落ちこぼれの魔法使いが旅をする話。
婚約を破棄された令嬢が辺境で幸せになる話。
妖精と友達になる少年の話が出たとき、妖精たちは色めき立った。
「俺たち出てくるのか!?」
「作品によるけどね」
「その続きは!?」
「これはここまで」
「えー!」
思った以上の食いつきだった。夢中で身を乗り出してくる小さな顔を眺めているうちに、ラヴェリナはふと思いついた。
目の前にいるのは、本物の妖精だ。人間の知らない森の奥へ行き、人間の知らない生き物を見て、人間の知らない出来事を山ほど知っている。
「ねえ。今度は、みんなのお話を聞かせてよ。それをもとに、私が物語を書いてみる」
妖精たちは顔を見合わせ、それから競うように話し始めた。
森の奥にいる、角に苔の生えた大鹿のこと。
夜にだけ咲いて、朝には砂糖菓子みたいに崩れてしまう花のこと。
木の精霊と、どんぐりの取り分で三日三晩喧嘩した話。
「待って、一人ずつ! 一人ずつ話して!」
彼らにとってはただの思い出話でも、ラヴェリナにとっては宝の山だった。ペンが追いつかない。
数日後、ラヴェリナは初めての短いお話を書き上げた。人形の家の前で読み上げると、最初は
「俺が話したとこだ!」
「静かにしろよ!」
「お前が一番うるさい!」
と騒がしかった妖精たちも、途中からは身じろぎひとつしなくなった。自分たちの知っている出来事が、登場人物と会話を得て、冒険になっていく。
「……ここの妖精、俺じゃないか?」
「違うよ、絶対わたし!」
「名前が違うじゃん!」
「物語だから変えてるの!」
最後の一行を読み終えたとき、ラヴェリナの周りは
「次は私の話!」
「怖いやつがいい!」
とせがむ妖精で埋まっていた。
その日から、妖精たちは外で何か見つけるたびに、窓の隙間から飛び込んでくるようになった。
ラヴェリナが話を聞いて、物語にする。ノートは、ひと月で一冊ずつ増えていった。
◇ ◇ ◇
冬のはじめの、雪がちらついた午後のことだった。
机に向かって新しいお話を書いていたラヴェリナは、ペン先の横で、何かがかりかりと動いているのに気づいた。
いちばん無口な、灰色の髪の妖精だった。自分の背丈ほどもある鉛筆の芯のかけらを両腕で抱えて、書き損じの紙の裏に何かを描いている。
「何してるの?」
「……ひま、だから」
覗き込んで、ラヴェリナは息をのんだ。
今まさに書いている物語の主人公、大鹿の背に乗った妖精の少女が、そこにいた。
風になびく髪。
前を見据えた目。
鹿の角に絡んだ苔の一本一本まで描き込まれている。
「上手……! すっごく上手!」
その声に、ほかの妖精たちも集まってきた。
「なに描いてんの?」
「俺も描く!」
「紙ちょうだい!」
一人が始めると、あとは早かった。気づけば机の上は、紙と鉛筆のかけらを奪い合う妖精でいっぱいになっていた。
細かく描き込む子、
線に勢いのある子、
とにかく可愛く描く子、
なぜか全員の顔が同じになる子。
上手さも癖もばらばら、でも、どれも生きている。
並んだ絵を見渡したとき、ラヴェリナの頭の中で、何かがかちりとはまった。
「……コミック」
「こみっく?」
「そうだ、コミック作ろう!」
ラヴェリナは紙を一枚ひったくると、四角い枠をいくつも描いた。
「前の世界にあったの。物語を、絵で読めるようにするんだよ。場面をこうやって枠に分けて、中に絵を描いて、しゃべってる言葉はこの丸の中に書くの」
試しに棒人間を描き、口元から吹き出しを伸ばして「こんにちは」と書いてみせる。
「おお!」
「面白そう!」
「俺ここ描く!」
そこからは、てんやわんやだった。
「この絵、次の場面とつながってない!」
「じゃあ描き直す!」
「ここ爆発させよう!」
「元のお話に爆発なんてないよ!」
「その方が面白い!」
「勝手に展開を変えないで!」
同じ人物の髪型が途中で変わり、枠からはみ出した大鹿の角が次のページまで伸び、誰も知らない妖精が背景でしれっと手を振っていた。
困ったのは紙の減り方で、ラヴェリナはアンナに何度もお絵描き帳をねだる羽目になった。
「お嬢様は、近ごろずいぶん絵がお好きになられましたね」
「は、はい。芸術に目覚めまして」
嘘は言っていない。目覚めたのは妖精たちだけれど。
そうして十日ほどかけて、コミックが一冊できあがった。
ラヴェリナは、ゆっくりとページをめくった。文字だけだった物語に絵が加わった。少女が大鹿の背にしがみつき、夜の花が崩れ、木の精霊がどんぐりを抱えて怒っている。拙いところは山ほどあるのに、ページの中で、みんなが動いていた。
「……すごいよ、みんな」
「ほんと?」
「うん。すごい」
「やったー!」
「次も作ろう!」
跳ね回る妖精たちを眺めながら、ラヴェリナは思った。何か、お礼がしたい。
◇ ◇ ◇
「お嬢様が、ご自分で……でございますか?」
厨房の料理長は、白い帽子の下で太い眉を八の字にした。
「生地をこねるだけです! 焼くのはお願いします!」
用意してもらったクッキー生地は、ひんやりとしてバターの匂いがした。ラヴェリナは踏み台の上に乗り、小さな手で一生懸命こねる。
そしてこねながら、魔力玉を作るときと同じ要領で、指先から少しずつ魔力を流し込んでいった。生地全体に、むらなく、薄く。
星と花と丸の型で抜いて、あとは料理長に任せる。やがて、甘く香ばしい匂いが厨房いっぱいに広がった。
「みんなー、お礼だよ!」
焼きたてを部屋に運ぶと、妖精たちが鼻をひくつかせて集まってきた。
「これ……魔力入ってる?」
「分かる?」
「分かる!」
ルルが星形を一枚、両腕で抱えた。さくっ、とかじる。
そして、動かなくなった。
「どう?」
もう一口。さく。もぐもぐ。
「うっっっま!」
「ほんと!?」
「甘い! しかも魔力入ってる! 魔力玉よりうまい! これからは、魔力玉よりこっちがいい!」
「えっ」
ラヴェリナは瓶の中の魔力玉を見た。毎日せっせと作ってきた、努力の結晶を。
「魔力玉、負けた……」
「これ最高!」
「私にも!」
「ちょっと、喧嘩しないで! いっぱいあるから!」
その日の午後、妖精たちはクッキーのかけらを抱えたまま、出来たてのコミックを囲んで寝そべっていた。
「ここ俺が描いた!」
「この顔、変じゃない?」
「わざとだよ!」
とページをめくっては笑い、クッキーをかじってはまたページをめくる。
ラヴェリナは頬杖をついて、その光景を眺めた。
◇ ◇ ◇
それからの毎日は、だいたい同じことの繰り返しだった。
ラヴェリナが物語を書き、妖精たちがそれをコミックにして、できあがったらクッキーを囲んでみんなで読む。
「次のお話まだ?」
「今書いてる!」
「こっちはもう絵を描く準備できてるぞ!」
「まだ中身が決まってないってば!」
冬が終わるころには、人形の家の住人は八人になっていた。
週に一度の兄への手紙には、
「本をたくさん読んでいます」
「お菓子作りを始めました」
と書いた。どちらも事実ではある。
隣国から届く返事には、
「お前が菓子を作っているところは想像がつかない。料理長に迷惑をかけるなよ」とあった。




