第6話 妖精の部屋
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本作は完結まで執筆済みです。
最終話まで更新が止まることはありませんので、ご安心してお楽しみください。
その夜の夕食は、いつもより静かだった。
父は相変わらず無口で、兄もさすがに叱り疲れたのか口数が少ない。
ラヴェリナは無言で、ひたすら食べていた。
先に食べ終えた兄が、席を立つときに、自分のデザートの皿を黙ってラヴェリナの前へ置いてくれたので、少しだけ救われた気持ちになった。
入浴を済ませ、髪を乾かしてもらい、アンナが燭台の火を小さくして部屋を出ていく。扉が閉まり、足音が廊下の向こうへ消えるのを、ラヴェリナは静かに待った。
「……ルル?」
小声で呼ぶ。
窓辺のカーテンが、もぞりと動いた。
「やっと一人になったな」
カーテンの隙間から、栗色のくしゃくしゃ頭がひょこっとのぞいた。
「いた!」
ラヴェリナは思わずベッドから飛び降りた。夕方、屋敷に着いてからルルの姿が見えなくなって、実はずっと気になっていた。
ルルはふわりとカーテンから抜け出すと、部屋の真ん中で宙に浮いたまま、ぐるりとあたりを見回した。
「でっけえ部屋だな」
「そう?」
「森にこんなもんねえぞ」
そう言うなり、ルルは探検を始めた。
鏡台に映った自分の顔を覗き込んで「うわ、誰だこいつ」とのけぞり、本棚の背表紙の上を歩いて金文字をつま先でなぞり、天蓋のレースに頭から突っ込んで絡まった。
「助けろ!」
「動かないで、ほどくから」
レースの網から救出されたルルは、両手で髪を直している。
「あ、そうだ! ルルのお部屋!」
「俺の?」
「こっち、こっち!」
窓際の小さなテーブルの上に、二階建ての、人形の家が置かれいた。
七歳の誕生日に、父から贈られたものだ。
腕のいい職人が作ったという本格的な品で、赤い屋根には一枚一枚瓦が葺かれ、白い壁の窓には本物のガラスがはまっている。前面の壁が扉のように開く仕掛けになっていて、中には机も椅子も、棚も、天蓋付きの小さなベッドまで揃っていた。
贈られた当時のラヴェリナは「きれいだな」と思っただけで、しばらく眺めてそれきりだった。
前世を思い出してから改めて見てると、あまりの作り込みに驚愕したものである。
「これ、ルルのお部屋にしたらどうかな」
ルルは返事をしなかった。
ただ、吸い寄せられるように人形の家へ近づき、小さな玄関の扉を押す。蝶番がかすかにきいと鳴った。ルルは中に入り、居間の椅子にそっと腰かけた。
立ち上がる。
階段を見上げる。
一段ずつ上る。
二階の寝室に入って、ベッドをじっと見下ろして。
飛び込んだ。
「うおおおおお!」
「気に入った?」
「なんだこれ! すげえ! これ、俺の家!?」
「うん」
「全部!? このベッドも!? この椅子も!?」
「全部」
「この机も!?」
「その机も」
「すげえぇぇ!」
そこから先は大騒ぎだった。
ルルはベッドの上で三回跳ね、椅子を一脚ずつ座り比べ、二階の窓から顔を出して「おーい!」と誰もいない部屋に手を振り、最後には屋根の上に仁王立ちになった。
「決めた! 俺、ここに住む!」
「ふふっ」
ラヴェリナは笑いながら、裁縫箱と引き出しをひっくり返した。
人形の家はよくできているけれど、あくまで飾るためのものだ。ベッドの布団は薄い綿を布で包んだだけで硬いし、食器は陶器の張りぼてで水も入らない。
本物の住人を迎えるなら、改良の余地はいくらでもある。
刺繍用に取っておいた柔らかいハンカチを四つに畳んで、掛け布団に。レースのリボンを切って、枕カバーに。
前世の自分は、推しのぬいぐるみのために、服や小物を夜なべして作っていた。小さなものを揃えて、使いやすいように工夫するのは、ラヴェリナにとって苦労でもなんでもない。むしろ、指が勝手に動くくらい楽しい。
「おお……ふかふかだ……」
ハンカチの布団にくるまったルルが、とろけた声を出した。
ラヴェリナは満足してうなずき、それから、大事なことを思い出した。
「ルル。魔力玉のことなんだけど」
「!」
布団から、ルルががばっと跳ね起きた。
「忘れてねえよな!? 一日三個だからな!」
「忘れてないよ。でもね、私、ずっと部屋にいるわけじゃないでしょ?」
「……まあな」
「勉強もあるし、ご飯もあるし、お出かけもあるし。そのたびにルルを待たせるのも悪いから」
ラヴェリナは鏡台の引き出しから、小さなガラス瓶を取り出した。以前、薔薇の砂糖漬けが入っていたものだ。蓋を開けると、まだほんのり甘い香りが残っている。
手のひらから魔力玉を作って、瓶の中へ落とす。
ころん、と澄んだ音がして、淡い光が瓶の底で揺れた。
「時間のあるときに作って、ここに貯めておくの。そうすれば、ルルの好きなときに食べられるでしょ?」
「おお……!」
ルルの目が、瓶の中の光と同じくらい輝いた。
ラヴェリナは、人差し指を一本立てた。
「ただし。一日に食べていいのは、約束した三個まで」
「えー、もう一個くらい」
「ダメ」
「半分」
「ダメ」
「ちょっと舐めるだけ」
「それ、絶対一個食べちゃうやつでしょ」
ルルが、すっと目をそらした。図星らしい。
「約束ね。もし勝手にたくさん食べたら?」
「……」
「減らすよ?」
「絶対守る!」
即答だった。
ラヴェリナは瓶を人形の家の隣に置き、蓋の上に「一日三個」と書いた紙を貼りつけた。ルルが字を読めるのかは分からないけれど、こういうのは気持ちの問題だ。
「それから、もうひとつ。ルルって、外にも遊びに行きたいよね?」
「そりゃ行くだろ。森にも帰りてえし、この辺も見てみてえ」
「だよね」
ラヴェリナは窓辺へ行き、掛け金を外して、窓をほんの少しだけ押し開けた。ルルが羽根をたたんで、ぎりぎりくぐれるくらいの隙間。夜の空気がすうっと流れ込んで、カーテンの裾を揺らした。
「ここ、いつも少し開けておくね。ルルが好きなときに出入りできるように」
「いいのか?」
「うん。でも、人に見つからないようにね。あと、夜はちゃんと帰ってくること」
「お前、俺の母ちゃんかよ」
「心配なんだもん」
「……はいはい」
ルルはそっぽを向いた。けれど、羽根の先が小さくぱたぱた揺れているのを、ラヴェリナは見逃さなかった。
その夜。
ラヴェリナは、人形の家の二階で、ハンカチの布団にくるまって寝息を立てるルルを見届けてから、自分のベッドにもぐりこんだ。
窓の隙間から、夜の庭の匂いがする。
明日も、ルルがいる。そう思っただけで、なかなか眠れなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
「ふぁ……」
小鳥の声で目を覚ましたラヴェリナは、あくびをしながらベッドを降り、真っ先に窓際へ向かった。
「ルル、おはよ――」
声が途中で止まった。
人形の家の、二階の寝室。小さなベッドの上で、ルルが大の字になって眠っている。
そして、その隣に。
もうひとつ、小さな人影が丸まっていた。
背中には、ルルのものとよく似た透きとおった羽根。ふわふわした蜂蜜色の髪。ハンカチの布団の端を半分ほど占領して、すうすうと気持ちよさそうに寝息を立てている。
ラヴェリナは目をこすって、もう一度見た。何度見ても、二人いる。
「……増えてる」
その声に、ルルがむくりと起き上がった。
「んあ……おはよ」
「ルル。その子、誰?」
「昨日の夜、外で会った」
ルルは寝ぼけまなこで頭をかいた。
「すげえ家に住んでるって言ったら、見たいって言うから連れてきた。そしたら、泊まるって……」
「……」
「ダメだったか?」
答える前に、蜂蜜色の頭がもぞもぞと動いた。
小さな妖精は、布団から顔だけ出してラヴェリナを見上げると、眠たそうに目を細めた。
「……おはよー。ここのお布団、ふかふかだねー。ポロっていうのー。よろしくねー」
それだけ言って、また布団に潜ってしまった。
ラヴェリナは、しばらく黙っていた。
「全然ダメじゃない! むしろ大歓迎!」
「お、おう」
ルルがたじろぐ。ラヴェリナは、頭の中で計算を始めていた。ベッドは二人で使うには少し狭い。枕がもうひとつ要る。
それに、魔力玉。
一人三個なら、二人で六個。
ラヴェリナは、ほとんど空っぽの瓶を見て、ぐっと拳を握った。
「今日から、いっぱい作らなきゃ」
布団の中から、のんびりした声が聞こえてきた。
「ねえー。森の友だちも、呼んでいいー?」
「おい、ポロ」
「もちろん!」
ルルの制止よりも、ラヴェリナの返事の方が早かった。




