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【完結】公爵令嬢ラヴェリナ・ローデンベルクの秘密の離れ ~妖精と暮らす快適生活!?~  作者: 深谷 汎


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第37話 王太子視点――婚約者について、父と話す

毎日7:00・12:00の1日2話で予約投稿更新中


本作は完結まで執筆済みです。

最終話まで更新が止まることはありませんので、ご安心してお楽しみください。

扉が閉まると、会議室は嘘のように静かになった。


ほんの少し前まで、ここでは

「お菓子ー!」

「帰ろー!」

「クッキー!」

という甲高い声が飛び交っていたのだ。


窓のない部屋の机の上には、妖精の羽根からこぼれた細かな光の粉が、まだうっすらと残っている。


宰相の椅子の背もたれには、ポロが座っていたあたりに小さな皺が寄っていた。

 

僕は椅子に深く沈み込んだ。


疲れた。 

体より先に、頭が疲れている。


防水加工の報告書から始まって、妖精、癒やし魔法、残留思念、闇落ち、スタンピード、辺境への強行軍、そして国家機密。


この半月ほどで起きたことを並べると、一年分の厄介事をまとめて押しつけられた気分になる。しかもそのすべてが、一本の糸で繋がっているのだ。


「お前も、疲れた顔をするようになったな」


向かいの席で、父上が妙に楽しそうに言った。


「誰のせいだと思っているんですか」

「私ではないぞ」


「それは分かっています」

「では、誰だ」


僕は答えなかった。

答えなかったのに、父上は満足げに頷いた。


「ラヴェリナ嬢か」

「……別に、彼女が悪いわけではありません」


「知っておる」


「今回も、結果だけを見れば」


「辺境を救った。妖精も救った。義妹の力を見つけた。防水加工を作り、残留思念まで具現化した」

 

父上は指を折りながら、僕の言いたかったことを先に全部言ってしまった。


「大した娘だな」

「……それは、認めます」


認めるしかない。


「ただ、本人には、何か大きなことをしたという自覚がほとんどないんです」


「それも知っておる」


「そこがいちばん怖いんです」

「分かる」


即答だった。

父上の理解が、この数日で恐ろしく早くなっている。


「ローデンベルク公爵の苦労が、少し分かりました」


「私もだ」


「白状すると、離れを見るまでは少し大袈裟なのではと思っていました」


「そうだな」

親子で、しばらく黙り込んだ。


今ごろ公爵は、帰りの馬車の中で、妖精たちに「お菓子まだ?」と両袖を引かれているのだろう。

 

やがて父上が、ふっと口元を緩めた。こういう顔をするときの父上は、たいてい碌なことを言わない。


「なあ、ユリウス」

「何でしょう」


「もう、お前の婚約者はラヴェリナ嬢でいいのではないか?」


僕は、動きを止めた。


「……急ですね」

「そうか?」


「急です」

「では」

父上は顎を撫でて、少し考えるふりをした。


「義妹のほうでもいいぞ」

「もっと急です!」

 

思わず、声が大きくなった。


「何ですか、その選び方は! リリアーヌ嬢はまだ十一歳ですよ!」


「年はいずれ追いつく」

「そういう問題ではありません!」


脳裏に、森の草地を走っていく小さな背中が浮かんだ。父親を奪った森で、黒い嵐に向かって「傷つけに来たんじゃない」と叫んだ、あの震える声。


あれは、王家の損得を並べる帳簿の上に載せていい勇気ではない。少なくとも僕は、載せたくなかった。


「いや、まじめな話だ」

 

父上は、大真面目な顔をしていた。それが余計に質が悪い。


「この数日を考えてみろ。ラヴェリナ嬢は、防水加工に残留思念、妖精との交友。義妹君は、稀有な癒やし魔法。そしてローデンベルク公爵家。王家として考えれば――」


「父上。その言い方をすると、いかにも政略結婚らしく聞こえます」


「政略結婚だからな」


否定できなかった。

王太子の婚姻に政治の判断が入らないなど、ありえない。僕だって、それくらいは十一歳の頃から分かっている。


「もちろん、力だけで決めるつもりはない」


父上の声が、いくらか柔らかくなった。


「だが候補として見れば、ローデンベルク公爵家の二人は、かなり面白い」


「面白いで選ばないでください」

「お前が言うか?」


僕は黙った。


三年前の最初のお茶会から、僕はラヴェリナ嬢のことを「よく分からない」という、それだけの理由で気にかけ続けている。


面白いから目が離せない、と言い換えられても、反論の余地はほとんどなかった。


「それにな」

父上は背もたれに体を預けた。


「ラヴェリナ嬢は、お前に媚びない」

「はい」


「立場にも、あまり振り回されない」

「はい」


「必要とあらば、王族相手にも物を言う」


「……言いますね。面と向かって、腹黒とか」


父上が、ぶっと吹き出した。


「言われたのか」


「森で。褒め言葉のついでだったそうです」


「そうか、そうか」

 

笑いを噛み殺しながら、父上は続けた。


「友人を大事にする。家族を守る。そして問題が起きれば」


「……妙な解決法を作ります」

「そこだな」


父上は、とても満足そうだった。


「王妃として、面白いと思わんか?」


「また面白いと言いましたね」

「だが、悪くはなかろう」


僕は一応、真面目に考えてみた。


ラヴェリナ嬢が、王妃。

……うまく想像できない。

 

というより、まったく別のものばかりが浮かんでくる。


王宮の回廊の途中に引かれた一本の線と、

その先に並べられた室内履き。


謁見の間の窓に開けられた、

小さな妖精専用の出入口。


執務室の片隅で、

やたらと存在感を放つ巨大なクッション。

 

やめよう。

とても危険な未来が見えた。


「どうした」

「いえ」


「何か想像したな」

「何も」


「顔に出ておるぞ」

「……父上」


僕は、姿勢を正した。


「この数日のことを考えると、僕も、ラヴェリナ嬢が婚約者になったほうが、いろいろな意味で都合がいいのかもしれないとは思います」


「ほう」

 

父上の眉が上がった。


「珍しく素直だな」

「最後まで聞いてください」


「聞こう」

「しかし、そうなった場合」


僕は、少し間を置いた。


「僕は……もつのでしょうか」


父上が止まった。


「何がだ」

「精神的に」

 

一拍おいて、父上は声を上げて笑い出した。


「笑い事ではありません!」

「いや、すまん、すまん」


「僕は真面目に言っているんです!」

「それが、余計におかしい」


「父上!」

 

父上はしばらく肩を震わせていた。

やがて目尻を指で拭い、ようやく息を整える。


「なるほどな」

「何がですか」


「お前がそんな心配をする日が来るとは、思わなかった」


「僕だって、心配くらいします」


「これまでの候補者相手に、したことがあったか?」

 

僕は口を閉じた。

なかった。


ヴィオラ嬢を前にしても、他の令嬢たちを前にしても、自分の精神がもつかどうかなど考えたこともない。


相手の意図を読み、立場を測り、最適な受け答えを選ぶ。それで済んでいた。


「ユリウス」

 

父上の声が、ふいに低くなった。


「お前は小さい頃から、手のかからない子供だった。泣かない、わがままを言わない、誰の前でも行儀よく笑っている。教師たちはみな褒めたし、私も助かった」

 

父上は、机の上に残った光の粉を指先でなぞった。


「だが時々、あれは本当に笑っているのかと思うこともあった」

 

僕は、何も言えなかった。


「そのお前が、ひとりの令嬢のことで本気で頭を悩ませて、精神がもつかなどと言い出す。……父親としては、悪くない眺めだ」


「……からかわないでください」


「からかってはおらん。半分はな」

 

残りの半分は、やはりからかっているらしかった。


父上が、意味ありげにこちらを見ている。


「……何ですか、その顔は」

「いや」


「何か言いたい顔です」

「そうか?」


「そうです」

「では、ひとつ」

 

父上は、机の上に少し身を乗り出した。


「お前。ラヴェリナ嬢が婚約者になること自体は、嫌ではないのだな」


今度は、僕が止まる番だった。


「……それと、これとは」

「別か?」

 

言い切れなかった。

困ったことに、言い切れなかった。

絶対に嫌だと思うなら、今すぐ否定すればいい。


僕はこれまで、そういう場面で言葉に詰まったことはない。けれど今は、否定の言葉を探そうとする気持ちが、どこにも見当たらなかった。


「……まだ」

 

僕は、慎重に言葉を選んだ。


「僕は、彼女のことをよく知りません」


「そうか? 妖精の住む離れまで見たのに?」


「それでもです」


知っているのは、ほんの一部だ。お茶会での完璧な令嬢の顔。離れでの、砕けきった顔。妖精相手に本気で言い合う声。

 

それから、森で見た顔。

 

防御魔法で一行を包んだとき、手綱を握る指が震えていたこと。抉れた地面の前で、迷わず僕の手首を掴んだ手の熱さ。


洞窟の中で、ミナの声を聞きながら涙をこぼし、それでも拭わずに魔力を保ち続けた横顔。

 

あれを見たあとで、よく知っている、などとは言えない。


「だから、判断するなら、もう少し知ってからにしたいです」


父上は、今度は笑わなかった。


「分かった」

「ありがとうございます」


「ただし」

「はい」


「もう少し知った結果、さらに分からなくなる可能性もあるぞ」


僕は想像してみた。

十分にありえる。

むしろ、その可能性のほうが高い。


「……否定できません」

「だろうな」

 

父上は、椅子の背に深くもたれた。


「急いで決める必要はない。ただ、候補者として、今まで以上にしっかり見ておけ」


「分かっています」

「王太子として、か?」

 

また、その質問だ。


「もちろん」

「そうか」

 

「……何ですか」

「いや、何も」


「絶対に何かありますよね」

「何もない」

 

父上の顔は、どう見ても楽しんでいた。

僕は小さく息をついた。


王太子として必要だから。候補者を見極めるのは、王太子の務めだから。この三年、何度そう自分に言い聞かせてきただろう。そういうことにしておこう、と。

 

その言い訳が、少しずつ窮屈になってきていることには、とうに気づいていた。

 

婚約者も、王妃も、まだ分からない。けれど、ひとつだけ確かなことがある。

 

僕は、あの娘のことを、もっと知りたい。

そう認めるのが、以前ほど難しくはなくなっていた。


「……父上」

「何だ」


「もし、本当にラヴェリナ嬢が婚約者になったら」

「うむ」


「王宮の一角を土足禁止にすると言い出すと思いますか」

 

父上は、まじめな顔で天井を見上げた。


「言うだろうな」

「……ですよね」


「露天風呂も作るかもしれん」

「露天風呂」


「公爵が言っておった。離れの増築計画に入っているそうだ」

 

僕は、こめかみに指を当てた。


「やっぱり、僕がもつかどうかが問題です」

「頑張れ」


「まだ決まってません!」

 

父上がまた笑い出した。

つられて、僕も少しだけ笑ってしまった。


妖精の光の粉がまだきらきらしている机を挟んで、親子で笑い合うなんて、いったいいつ以来だろう。


少なくとも、この部屋が国家機密を扱うための会議室だということは、二人ともしばらく忘れていた。

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