↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】公爵令嬢ラヴェリナ・ローデンベルクの秘密の離れ ~妖精と暮らす快適生活!?~  作者: 深谷 汎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/38

第35話 闇から戻った妖精と、スタンピードの終息

毎日7:00・12:00の1日2話で予約投稿更新中


本作は完結まで執筆済みです。

最終話まで更新が止まることはありませんので、ご安心してお楽しみください。

腕の中の水晶は、ひんやりと冷たかった。


ノアはそれを胸に押しつけたまま、萎れた草の上にうずくまっていた。体の周りにはまだ黒い靄がまとわりついている。重たくて、息苦しくて、けれどさっきまでのように暴れ回る力はもう残っていなかった。 


ミナの声が、耳の奥で何度も繰り返されていた。


大好き。ずっと、大好きだから。


知っていた。そんなことは、ずっと前から知っていた。知っていたのに、ミナがいなくなった途端、世界からそれ以外のものが全部消えてしまったのだ。


森も、空も、風も、ただの灰色の塊になった。何を見ても、そこにミナがいないことしか分からなかった。


「……ノア!」


甲高い声がして、顔を上げるより先に、何かが胸にぶつかってきた。

 

小さな腕が、首にしがみつく。


「ピピ……?」

「よかった……よかったぁ……!」

 

ピピだった。羽根の付け根にうっすらと傷痕を残した、見慣れた顔がぐしゃぐしゃに崩れている。


「戻ってきて、ノア。お願い、戻ってきて」


「ピピ、その羽根……」


「平気。治してもらったの。人間の女の子に」

 

ピピはノアの肩に顔を押しつけた。


「ずっと怖かった。ノアが、もう戻ってこないんじゃないかって。だから、助けてくれる人を探しに行ったの。遠くまで。すごく遠くまで」

 

ノアは何も言えなかった。ピピの羽根を裂いたのが誰の魔力だったのか、考えるまでもなかった。

 

そのとき、周りの木々がざわりと鳴った。

 

枝の陰から、洞の中から、茂みの根元から、小さな影がひとつ、またひとつと顔を出す。

 

妖精たちだった。


「ノア?」

「ノア、戻った?」

「戻ったよね?」

「ねえ、大丈夫!?」

 

最初はおずおずと、それから堰を切ったように、みんなが飛んできた。肩に、背中に、腕に、頭の上に。


あっという間に、ノアは小さな体の山に埋もれた。


「よかった!」

「ずっと待ってたんだから!」

「もういなくならないで!」

「心配したんだよ、ばか!」

 

ノアは呆然と、群がる仲間たちを見回した。

 

隣の木に住んでいたトゥイ。

一緒に木の実を集めた双子。

ミナとよく歌っていた、声の大きなリム。


みんな、泥だらけだった。羽根の先が焦げている子もいた。


「……なんで」

「なんでって、何が?」


「僕、みんなに、ひどいことしたのに。森をめちゃくちゃにして、ピピにも、怪我させて」

「してない!」


「魔力が暴れただけでしょ!」

「怖かったけど!」


「すっごく怖かったけど!」

「でも、ノアのほうがずっと苦しかったんでしょ!」


「戻ってきたから、もういいの!」

 

ノアの目から、また涙がこぼれた。さっきまでとは、少し違う温度の涙だった。


「……僕」

「うん」


「番しか、いないと思ってた」

 

言葉にしてみると、それはひどく子供じみて聞こえた。


「ミナがいなくなったら、僕にはもう、何も残ってないんだって。僕なんか、どうなってもいいんだって」


「そんなわけないでしょ」

 

ピピが、ノアの頬を両手で挟んだ。


「私たちがいるよ」

「ずっと一緒だったじゃん」

「これからも一緒だよ」

「ミナだって、そう言ってたでしょ!」

 

みんなと、一緒にいて。

 

水晶の中のミナは、確かにそう言った。

最後の力を振り絞って、泣き虫の番のために。

 

ノアはゆっくりと顔を上げ、もう一度、自分を取り囲む仲間たちを見た。


泣いている顔、怒っている顔、笑おうとして失敗している顔。こんなにたくさんの顔が、自分のためにここにある。


自分が暴れているあいだも、ずっと森のどこかで、戻ってくるのを待っていてくれた。

 

ミナだけじゃなかった。

 

ミナのほかにも、自分はちゃんと、大事にされていた。

 

それに気づいた途端、胸の真ん中で固く凍っていた何かが、音もなく崩れた。

 

悲しいのは変わらない。

これからも、きっとずっと悲しい。


朝、目が覚めて隣が空っぽなのを見るたびに泣くだろうし、ミナの好きだった花が咲くたびに会いたくなるだろう。


それでも。

いなくなっちゃ、だめなんだ。


「……ごめん」

 

小さな声で、ノアは言った。


「みんな、ごめん」

「もういい!」


「戻ってきたから、いいの!」

「今度また暴走したら、本気で怒るからね!」


「……それは、怖い」

 

誰かが吹き出した。つられて、別の誰かが笑った。泣き声の中に、ぽつぽつと笑い声が混じり始める。

 

その瞬間、ノアの体から、最後の黒い靄がふっと抜けた。

 

糸がほどけるように空へ昇って、風に紛れ、どこにも見えなくなった。

 

◇ ◇ ◇

ラヴェリナは地面に座り込んだまま、その光景を見ていた。

 

空気が変わったのが分かった。ずっと耳鳴りのように響いていた魔力のうねりが、嘘のように凪いでいく。森が、ようやく深く息を吸ったようだった。

 

どこかで、鳥が一羽鳴いた。


「……戻った」

 

ラヴェリナの肩の上で、ルルがぽつりと言った。


「もう大丈夫だ。あいつの魔力、ちゃんと元の色に戻ってる」


「ルルには分かるの?」


「当たり前だろ。俺を誰だと思ってんだ」

 

ぶっきらぼうな声が、少しだけ湿っていた。ラヴェリナは聞こえなかったふりをしてあげた。


王太子が、静かに息を吐いた。

 

王太それから草地を横切り、妖精たちの輪の前に片膝をついた。ノアが、びくりと肩をすくめる。


王太子はそれ以上近づかず、ノアの腕の中の水晶を指さした。


「それは、君が持っていて」

「……僕に?」


「うん。ここに、ミナの最後の想いが入っている。魔力を少し流せば、何度でも見られるし、何度でも聞ける」

 

ノアの目が大きく見開かれた。


「何度でも……?」

「何度でも」


「いいの? ほんとに?」

「君のために残したものだから」

 

ノアは、水晶を両手で抱き直した。壊れやすい卵を扱うみたいに、そっと、胸の真ん中に。


「……ありがとう」

「どういたしまして」

 

立ち上がった王太子の横顔を、ラヴェリナはしばらく眺めていた。

 

水晶を投げたときの、あの迷いのない腕。

記録をしているあいだ、一度も揺れなかった手。

そして今、小さな妖精に向き合うため、片膝をついた姿。


「殿下」

「何?」


「優しいんですね」


王太子は、わずかに目を細めた。


「今さら?」

「いえ、その、なんというか」


言葉を探すうちに、疲れ切った頭が、余計な本音まで一緒に押し出してしまった。


「腹黒なだけじゃなかったんだなって」


「ラヴェリナ嬢」

「はい」


「聞こえてるよ」


ラヴェリナはすっと視線を逸らした。肩の上で、ルルが腹を抱えて笑い転げていた。


◇ ◇ ◇


「……まだ、傷がある」

リアが呟いたのは、そのすぐあとだった。

 

騎士の背後から出てきたリアは、ノアの前にしゃがみ込んでいた。


暴れる自分の魔力に内側から焼かれた痕が、ノアの腕にも足にも、まだ生々しく残っている。裂けた羽根は、半分近くが欠けていた。


「あの」

リアは、ノアの目を見て尋ねた。


「治してもいい?」

 

ノアは驚いたようにリアを見返した。

さっき、自分に向かって叫んでいた人間の女の子。自分の魔力が、あと少しで吹き飛ばすところだった女の子。

 

しばらく迷ってから、ノアは小さく頷いた。


「……お願い」

 

リアは両手を、ノアの傷の上にかざした。

自分でも、まだ仕組みは分からない。


分かるのは、あの日、離れでピピを前にしたときと同じ気持ちになればいい、ということだけだった。


「痛くなくなりますように」


手のひらから、淡い光がこぼれた。

春の陽だまりのような、あたたかな色だった。


光はノアの腕を包み、足を包み、ぼろぼろの羽根の縁をなぞっていく。焦げた皮膚がなめらかになり、裂け目がゆっくりと塞がっていく。欠けた羽根の先には、透きとおった膜が少しずつ伸びていった。


背後の獣道で、蹄の音が止まった。


森を覆っていた気配が消えたのを見て、外周から馬を飛ばしてきたのだろう。草地の縁で手綱を引いたグランツ辺境伯が、少女の手のひらからこぼれる光を、息を詰めて見つめていた。


「わぁ……」

「きれい」

「治ってる、治ってるよ!」

 

妖精たちが息を呑む。当のリアも、自分の手のひらを不思議そうに見つめていた。


「……できた」

「できたね!」

 

ラヴェリナは疲れも忘れて立ち上がり、後ろからリアを抱きしめた。


「やっぱり癒やし魔法だよ、リア! すごい、すごいよ!」


「お姉様、苦しい……」


「あ、ごめん」

 

腕をゆるめると、リアは少し困ったように眉を下げた。


「でも、まだ自分でも、どうやってるのか分からないの」


「大丈夫!」

「え?」


「これから検証すればいいの! 何回使えるか、どのくらいの傷まで治せるか、疲れ具合はどうか。ちゃんと記録を取って――」

 

この場に父がいたら、きっと黙って空を仰いでいただろう。王太子が小さく咳払いをしたので、ラヴェリナは続きを飲み込んだ。

 

リアは少しだけ笑って、それから振り返った。さっき自分をかばってくれた騎士が、盾を下ろして立っている。鎧の肩が大きくへこんでいた。


「あの、ありがとうございました。守ってくださって」


「いえ。……勇敢でいらっしゃいました、お嬢様」


騎士は兜の庇を上げ、真面目な顔でそう言った。リアは耳まで赤くなって、ラヴェリナの後ろに半分隠れた。


◇ ◇ ◇

 

遠くで、角笛が鳴った。

 

低く長い音が一度、続いて短く二度。

森の外周を固めている辺境伯の兵の合図だ。


「魔物が退いている、という合図です」


騎士の一人が、耳を澄ませて言った。


「北でも鳴っている。西も……」

 

角笛は、森のあちこちから次々と響いてきた。

 

ラヴェリナたちが駆け抜けてきた獣道の向こうで、何かが動く気配がした。


さっき防御の膜にぶつかって跳ね返された、あの牛ほどもある魔物だった。赤く燃えていた目は、もうただの獣の茶色に戻っている。


魔物はしばらく鼻をひくつかせてこちらを眺めていたが、やがてのそのそと向きを変え、森の奥へ消えていった。

 

群れをなして人里へ押し寄せようとしていた流れが、止まったのだ。


「……終わった?」


ラヴェリナが呟くと、王太子が頷いた。


「終わったね」


討伐ではなく、救うことで。 

口には出さなかったが、王太子の横顔はそう言っているように見えた。


「よかったぁ……」


ラヴェリナは、今度こそ全身の力を抜いた。そのまま草の上に仰向けに倒れ込む。空が高い。森の上を覆っていた重苦しい気配は、もうどこにもなかった。


「お姉様、服が」


「いいの。今日はもう、泥だらけでいいの」


「終わったー!」

「よかったー!」

「みんな無事ー!」


妖精たちが歓声を上げて、草地の上をくるくると飛び回る。ルルまでがその輪に加わって、ピピと手を繋いで宙返りをしていた。

 

その輪から少し離れたところで、ノアは水晶を胸に抱いていた。

 

水晶の奥には、苔の寝床に横たわる番の姿が、今も小さく眠っている。ノアはしばらくそれを見つめていたが、やがて顔を寄せて、誰にも聞こえないくらいの声で囁いた。


「……生きるよ。ちゃんと」

 

それから、治ったばかりの羽根を、そっと震わせた。

 

最初はおぼつかなかった。体が傾き、足が草をかすめる。それでも二度、三度と羽ばたくうちに、小さな体はふわりと浮き上がった。

 

ピピが気づいて、手を差し伸べる。ノアはその手を取った。

 

二人ぶんの小さな影が、仲間たちの輪の中へ、ゆっくりと昇っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。