第34話 森の奥――残された番の想い
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本作は完結まで執筆済みです。
最終話まで更新が止まることはありませんので、ご安心してお楽しみください。
グランツ辺境伯領に着いたのは、王都を発って二日目の昼過ぎだった。
街道の両脇には、急ごしらえの柵と見張り台が続いていた。
畑は刈り入れの途中で放り出され、村の広場には荷車が何台も並んでいる。避難の途中なのだろう。
すれ違う兵士たちの外套は、どれも裾が泥で重く垂れていた。
出迎えたグランツ辺境伯は、熊のような体を鎧に押し込んだ武人だった。アイリスと同じ、にこりともしない口元をしている。
「森の外周は我が兵で固めております。殿下のお通りになる道だけは、先ほど斥候に確かめさせました」
「感謝します、辺境伯。中へ入るのは最小限にします。外で、何があっても持ちこたえてください」
「承知。……ご武運を」
辺境伯の目が、一瞬だけラヴェリナとリアの上で止まった。十三歳と十一歳の令嬢が、魔物の溢れる森へ入っていく。
武人としては言いたいことが山ほどあるはずだが、彼はそれを飲み込み、黙って道を開けた。
同行してきた宮廷魔術師の二人は、森の外周に残すことになった。辺境伯の兵と連携して退路を確保し、万一のときには中の一行を引き揚げさせる役目だ。
馬車で進めるのは、森の入口までだった。そこから先は、馬に乗り換える。
「ラヴェリナ嬢、馬は?」
「乗れます!」
即答すると、王太子はほんのわずかに眉を上げた。
「……乗れるの?」
「はい! 乗馬も経験してみたかったので、覚えま
した!」
「経験?」
「いせか――じゃなくて! いろいろ経験しておいた方が、いざというとき役に立つと思いまして!」
「……そう」
危なかった。
前世のラノベで読んだ「異世界に来たらまず乗馬」という憧れを、そのまま口に出すところだった。
ラヴェリナは愛想笑いで押し切り、急いで鐙に足をかけた。
リアはまだ、一人では馬を操れない。
「僕の前に。しっかり掴まっていて」
「は、はい」
王太子が手を差し伸べ、リアを自分の鞍の前に引き上げる。小さな背中が王太子の胸の前にすっぽり収まった。
ラヴェリナの右肩にはルル、左肩にはピピ。ほかにも森に詳しい妖精が二人、ラヴェリナの襟やら鞍の縁やらに必死でしがみついている。
「落ちないでね!」
「ラヴェリナこそ落ちんなよ!」
「みんな飛べるでしょ。なんでしがみついてるの」
「馬は速いの!」
「風がすごいのー!」
「なるほど!」
「ラヴェリナ嬢」
王太子が振り返る。いつもの穏やかな笑みは消えて、短い言葉だけがあった。
「行くよ」
「はい!」
手綱を打つ。
馬の群れが、ひとかたまりになって森へ飛び込んだ。
◇ ◇ ◇
初めのうちは、ありふれた森だった。
踏み固められた獣道、苔むした倒木、頭上で鳴き交わす鳥の声。木漏れ日が馬の首筋でまだらに揺れて、状況さえ違えばピクニック日和と言ってもいい。
けれど奥へ進むにつれて、空気がおかしくなっていった。
まず、鳥の声が消えた。
次に、肌がちりちりし始めた。魔力が一定でない。
寄せては引き、また寄せる。波打ち際に立って、足元の砂をさらわれ続けているような落ち着かなさがある。
森そのものが、うまく息を吸えずに喘いでいる。ラヴェリナにはそう感じられた。
ふと前を見ると、リアが王太子の外套を握る手に、白くなるほど力を込めていた。
この森のどこかで、リアの父アルバート・ローウェル卿は死んだ。部下をかばって、魔物の牙に倒れた。
王都を出る前、リアは真っ青な顔で、それでもはっきりと言ったのだ。父は魔物に奪われた、でも今度は自分の力で誰かを助けたい、と。
声をかけようとして、ラヴェリナはやめた。今のリアに必要なのは、慰めではない気がした。
「近いよ」
左肩でピピが囁いた。
「この先。もうすぐ」
「分かった」
その直後、右手の茂みが大きく揺れた。
「来るぞ!」
先頭の騎士が叫ぶのと同時に、牛ほどもある獣型の魔物が木々の間から躍り出た。毛並みは逆立ち、目は熾火のように赤い。口の端から泡を垂らし、こちらを見ているのに何も見ていない。
「避けろ!」
騎士が馬首を返す。
だが一頭では終わらなかった。
左の斜面から、前方の藪から、背後の暗がりから、次々と黒い影が湧いてくる。角のあるもの、鱗のあるもの、群れで地を這うもの。
「この数は……!」
「相手をしていたら時間がなくなる」
王太子が片手で剣を抜いた。もう片方の腕はリアを抱え込んでいる。
「殿下、馬を寄せてください! 皆さんも、できるだけ固まって!」
「ラヴェリナ嬢、何を――」
「防御魔法です!」
ラヴェリナは手綱を片手に持ち替え、空いた右手を大きく広げた。
マルグリット先生の声が耳の奥によみがえる。範囲を広げるほど魔力は薄く、消耗は重くなりますよ。
自分ひとりを守るのとは訳が違います、と。
分かっている。だから3年間毎日、消耗に耐えられるよう特訓し続けた。やっと、消耗を抑えられるようになった。
けれど、この後、具現化魔法も控えている。どのくらいまで耐えれるか。でも、今はやるしかない。
自分。王太子とリア。騎士たち。彼らの乗る馬。肩の上の妖精たち。そのすべてを包むつもりで、胸の奥から魔力を一気に引きずり出す。
「――守って!」
淡い光が、一行をひとつの泡のように包み込んだ。
こめかみの奥がずきりと痛んだ。息を吐くと、指先が少し震えている。
「これで、しばらくは魔物にぶつかられても大丈夫……だと思います!」
「思います?」
「検証した範囲では!」
「今それを言うの!?」
「言っておかないと、あとで報告書に書けないので!」
言い終わらないうちに、横合いから大きな影が飛びかかってきた。
「ラヴェリナ嬢!」
王太子の声が鋭く飛ぶ。
ばしん、と重い音がした。
魔物の巨体が、見えない壁に正面からぶつかって跳ね返った。そのまま藪の中へ転がり込み、何が起きたのか分からないという顔で首を振っている。
一瞬、騎士たちの手が止まった。
「ほら、大丈夫です!」
「……分かった。止まるな、突破する!」
「はっ!」
驚いている暇は誰にもなかった。王太子の号令で、一行は速度を上げる。
牙が、爪が、角が、次々と襲いかかっては光の膜に弾かれていく。一度ぶつかるたびに、ラヴェリナの頭の奥で小さな鐘が鳴った。
「本当に弾いてるぞ……!」
「前、倒木!」
「そのまま飛び越えてください!」
「驚くのはあとにしてください!」
群れを押し退け、かき分けるようにして、馬たちは森の奥へ突き進んだ。
◇ ◇ ◇
唐突に、木々が途切れた。
開けた場所だった。
かつては花の咲く草地だったのかもしれない。
今は一面の草が黒く萎れ、地面のあちこちが大きな匙ですくい取られたように抉れている。根こそぎ倒れた木が何本も折り重なり、その向こうの岩壁に、小さな洞窟が口を開けていた。
そして草地の真ん中に、妖精がいた。
手のひらに乗るほどの、小さな男の子の妖精。
ただ、その周りで黒い魔力が竜巻のように渦を巻いていた。渦は妖精の何十倍もの高さにまで伸び、周囲の空気を軋ませている。
「ノア……」
ピピの声が震えた。
「あれが、ノア。ミナの番だった子」
ノアは両手で胸を押さえ、体を折り曲げていた。羽根はぼろぼろに裂け、腕にも足にも、黒く焦げたような傷がある。自分の魔力で自分を傷つけているのだ。
「う……ああああああっ!」
叫びと同時に、黒い渦が弾けた。
どん、と腹の底に響く衝撃。
すぐそばの地面がえぐれて土砂が噴き上がり、若木が一本、根元からへし折れた。馬がいななき、棹立ちになる。
「全員止まれ! 近づくな!」
王太子の声に、騎士たちが手綱を引き絞った。黒い魔力はなおも四方八方へ飛び散り、防御の膜にぶつかるたびに火花のような光が散る。
「ピピ、洞窟は」
「あそこ。ノアの、ずっと後ろ」
「ミナが亡くなったのは?」
「あの中。二人の寝床があるの」
ラヴェリナは唇を噛んだ。
洞窟へ行くには、ノアのすぐ脇を抜けるしかない。
「殿下」
「分かってる」
王太子は騎士たちに向き直った。
「注意を引け。ただし傷つけるな。あれは討伐対象じゃない」
「承知!」
騎士たちが左右に散った。盾を打ち鳴らし、声を張り上げ、剣の腹で木の幹を叩く。
「こっちだ!」
「来い!」
攻撃ではない。
気を逸らすための陽動だ。
けれどノアの力はあまりにも強かった。
黒い奔流が横薙ぎに走り、騎士たちがまとめて押し戻される。防御の膜が衝撃を殺しても、馬ごと数歩ぶん地面を滑らされていく。
「くっ……下がれ、一度下がれ!」
届かない。洞窟は目と鼻の先にあるのに、その手前に嵐が居座っている。
そのときだった。
「私が行きます」
小さな声がして、ラヴェリナが振り向いたときには、リアはもう王太子の鞍から滑り降りていた。
「リア!?」
「待て、リア嬢!」
王太子の手が空を掴む。
リアは振り返らなかった。
スカートの裾をたくし上げ、抉れた地面の縁を、まっすぐにノアのほうへ走っていく。
「あの子を守れ!」
「はっ!」
慌てて馬首を返す騎士たちの前で、リアは黒い渦に向かって声を張り上げた。
「聞いて! お願い、聞いて!」
細い声だった。震えてもいた。それでも、嵐の音に負けてはいなかった。
「私のお父様は、この森で死んだの! 魔物に襲われて、帰ってこなかった!」
黒い渦が、ほんの少しだけ揺らいだ。
「だから、ここに来るの、ずっと怖かった。今も怖い。でも」
リアは足を止めなかった。騎士が追いつき、盾を構えてその前に立つ。その脇から、リアは身を乗り出して叫んだ。
「私たちは、あなたを傷つけに来たんじゃないの!」
ノアの顔が、初めてこちらを向いた。
涙と泥で汚れた、小さな顔。その目が、リアを捉える。渦巻く黒い魔力が、ゆっくりとリアのほうへ傾き始めた。
「今だ、ラヴェリナ嬢!」
「はい!」
ラヴェリナは王太子と馬を並べて走り出した。だが十歩と行かないうちに、馬が脚を突っ張って止まった。
目の前の地面が大きく抉れ、底の見えない穴になっている。その向こうには、倒れた大木が三本、壁のように積み重なっていた。
回り込んでいたら間に合わない。
「殿下、手を!」
「え?」
「いいから!」
ラヴェリナは鞍から飛び降りた。つられて馬を降りた王太子の手首を掴み、二人ぶんの体へ魔力を通す。
防御魔法を維持したまま、もうひとつ。頭の奥の鐘が、割れんばかりに鳴った。
「――浮いて!」
足の裏から、地面の感触が消えた。
ふわり、というより、ぐんと引き上げられる感覚だった。抉れた穴の上を、二人の体が滑るように渡っていく。
倒木の、苔むした樹皮がすぐ足の下を流れ去る。王太子が息を呑む気配が、掴んだ手首から伝わってきた。
ピピとルルが、羽根を必死に震わせてすぐ後ろをついてくる。
洞窟の入口に、二人の足がどさりと着いた。膝が笑って、ラヴェリナは岩壁に手をついた。
「……今のも、魔法?」
「浮遊魔法です。三つ習ったうちの、二つ目で」
「三つ目は?」
「今から、使います」
王太子はそれ以上何も聞かず、ラヴェリナの肘を支えて、洞窟の中へ踏み込んだ。
◇ ◇ ◇
洞窟の中はひんやりとしていて、外の喧騒が嘘のように遠かった。
岩の割れ目から細く光が差し込み、奥の一角を照らしている。そこに、平らな岩があった。岩の上には、柔らかな苔が丁寧に敷き詰められ、木の葉が何枚も重ねられている。
枕元には、しおれかけた白い小花が三つ。
妖精二人ぶんの、小さな寝床だった。
「ここ」
ピピが、寝床の縁にそっと降りた。
「ミナは、ここで……」
その先は言葉にならなかった。
ラヴェリナは寝床の前に膝をついた。目を閉じ、手をかざす。
ある。
空気の中に、糸のように細く、けれど確かに、誰かの想いが残っている。
五日経っても消えずに、ここにしがみついている。
ただ、その糸はもうずいぶん細い。あと二日もすれば、ぷつりと切れていただろう。
「残ってます。薄いけれど、確かに」
「分かるの?」
「はい」
王太子が、懐から透きとおった水晶をひとつ取り出した。指輪に嵌めた石が、かすかに光を帯びる。
「いつでもいい」
「お願いします」
ラヴェリナは深く息を吸った。こめかみの痛みは、もう無視することにした。
「ここに残された、最後の想いを」
指先から、細く魔力を流す。残滓の糸に触れる。ほどけないように、ちぎれないように、そっと手繰り寄せる。
「形にして。――見せて」
寝床の上の空気が、陽炎のように揺れた。
光の粒が集まる。輪郭ができる。細い肩、長い髪、半透明の羽根。
一人の女の子の妖精が、苔の上に横たわっていた。
頬はこけ、呼吸は浅い。羽根はもう、ほとんど色を失っている。
それでも、その顔にはやわらかな笑みが浮かんでいた。
ピピが両手で口を覆った。
『……また泣いてる』
鈴を転がすような、小さな声だった。
王太子の水晶が、ほのかに明るくなる。記録が始まったのだ。
『ノアは、泣き虫だね』
ミナは、寝床の傍らにいる誰かを見上げていた。
今はそこにいない、誰かを。
『ごめんね。……先にいっちゃう』
ラヴェリナの喉の奥が、熱くなった。魔力の糸が揺れかけて、慌てて握り直す。
『ずっと一緒にいたかったな。もっと森を飛びたかったし、もっと喧嘩もしたかった』
ミナは少し笑った。喧嘩の中身を思い出したのかもしれない。
『でもね。私がいなくなったからって、あなたまで、いなくならないで』
洞窟の中は静かだった。ルルでさえ、何も言わない。
『悲しまないで、なんて言えないよ。きっと、いっぱい悲しいもの。いっぱい泣いていいよ』
少し、間があった。
弱った体で、それでも言葉を探しているのだと分かった。
『でも、ちゃんと、生きて』
『私の分まで、じゃなくていいの。あなたの分を、生きて』
ラヴェリナの目から、涙がひと粒落ちた。拭わなかった。拭えば、手がぶれる。
『また笑って。また森を飛んで。みんなと、一緒にいて』
ミナの手が、何かに触れようとするように、わずかに持ち上がった。
『大好き。……ずっと、大好きだから』
光がほどけた。
粒がひとつ、またひとつと空気に溶けて、あとには苔の寝床と、しおれた三つの花だけが残った。
ラヴェリナは、ゆっくりと手を下ろした。
「……撮れました?」
「全部」
王太子は水晶を見つめたまま答えた。その声が、いつもより少しだけ低かった。
「声も?」
「入ってる」
「よかった……」
立ち上がろうとして、足元がふらついた。王太子の腕が、今度は迷わずに背中を支えた。
「急ごう」
「はい」
◇ ◇ ◇
外では、リアがまだ叫んでいた。
「お願い、止まって!」
「来るなああああっ!」
黒い奔流が地面を叩いた。盾を構えた騎士が、リアを背中にかばったまま大きく後ろへ押しやられる。
防御の膜が、ぎしぎしと音を立てた。
「お下がりください、お嬢様! これ以上は危険です!」
「でも……!」
騎士の肩越しに、リアはノアを見ていた。
小さな妖精は、泣いていた。泣きながら、怒っていた。
「いない……」
黒い渦の中心で、ノアが呟く。
「いないんだ。どこにも。あの子が、どこにもいない……!」
声がひび割れていく。
「返して。返してよ!」
リアは自分の胸元を掴んだ。そこには、布に包んだ小さな木の馬が入っている。父が彫ってくれた、たったひとつの形見。
返して、という言葉を、リアは知っていた。父の葬儀の夜、声に出さずに、何度も何度も繰り返した言葉だった。
「……分かるよ」
聞こえるはずのない声で、リアは言った。
その呟きに応えるように、黒い魔力の矛先がリアの上で定まった。渦がすぼまり、鋭く、濃くなっていく。
「お嬢様!」
騎士がリアに覆いかぶさろうとした、そのとき。
洞窟の入口から、何かが放物線を描いて飛んできた。
からん、と澄んだ音を立てて、それはノアの目の前の地面に転がった。
透明な水晶だった。
投げたのは王太子だった。洞窟の入口で、ラヴェリナを片腕で支えたまま、もう一方の手をこちらに伸ばしている。その指輪が、強く光った。
水晶が、応えるように輝いた。
光の中から、ひとつの姿が浮かび上がる。
苔の寝床に横たわる、女の子の妖精。
ノアの動きが、止まった。
『……また泣いてる』
「……え」
黒い渦が、ぴたりと静止した。
『ノアは、泣き虫だね』
「ミナ……?」
『ごめんね。……先にいっちゃう』
ノアの唇が震えた。
「嘘だ」
『ずっと一緒にいたかったな。もっと森を飛びたかったし、もっと喧嘩もしたかった』
「やめて。やめてよ……」
ノアは首を振った。けれど、目は光の中の番から離れなかった。
『でもね。私がいなくなったからって、あなたまで、いなくならないで』
黒い渦の端が、ほつれるように揺らいだ。
『悲しまないで、なんて言えないよ。きっと、いっぱい悲しいもの。いっぱい泣いていいよ』
ぽたり、と。
ノアの目から落ちた涙が、萎れた草の上で小さく光った。
『でも、ちゃんと、生きて』
『私の分まで、じゃなくていいの。あなたの分を、生きて』
「……置いていったくせに」
ノアの声は、もう叫びではなかった。
「僕を、置いていったくせに……」
『また笑って。また森を飛んで。みんなと、一緒にいて』
洞窟の入口で、ラヴェリナは王太子の腕に掴まったまま、その光景を見つめていた。
リアは騎士の背中から顔を出し、両手を握りしめていた。騎士たちも、ピピも、ルルも、誰ひとり動かなかった。
『大好き。……ずっと、大好きだから』
光が消えた。
ノアの体から、ふっと力が抜けた。宙に浮いていた小さな体が、萎れた草の上に膝から落ちる。
「……ああ」
両手で、水晶を抱え込んだ。
「僕も……」
しゃくり上げる声が、静まり返った草地に響いた。
「僕も……大好き……大好きだよ、ミナ……」
黒い渦が、大きく揺れた。
さっきまで森じゅうを軋ませていた唸りが、少しずつ、少しずつ低くなっていく。
すっかり消えたわけではない。まだ、ノアの周りには薄墨のような靄がまとわりついている。
けれどその靄はもう、誰のことも傷つけようとはしていなかった。
ラヴェリナは、そこでようやく防御魔法をほどいた。膝から力が抜けて、その場に座り込む。見上げた空で、森の上を覆っていた重たい気配が、雲が切れるように薄れ始めていた。




