第32話 闇落ち妖精と、残留思念の具現化
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最終話まで更新が止まることはありませんので、ご安心してお楽しみください。
「まず、分かっていることを順番に聞かせてほしい」
王太子は妖精用の寝台の前に片膝をつき、目線をピピの高さまで下げた。
室内履きのまま絨毯に膝をつく王太子、という図がどれほど奇妙に見えるかは、考えないことにした。
聞くべきことは山ほどある。そして、おそらく時間はあまりない。
「闇に飲まれたという妖精は、一人?」
「……一人。ノアっていうの」
「ノアの力が乱れ始めたのは、いつ頃から?」
「少し前から。最初は、ほんのちょっとだった」
「それが、だんだん強くなった」
「うん」
ピピの声はまだかすれていたが、受け答えはしっかりしていた。傍らでリアが、ときおりその背中をそっと撫でている。
「ノアは、もともと強い力を持っていた?」
「強かったよ。森の魔力に、触れられる子なの」
王太子の目が、わずかに鋭くなった。
「森全体の魔力に影響を与えられる、ということかな」
「うん」
「魔物にも?」
「直接じゃないけど……」
ピピは少し考えてから、言葉を選ぶように続けた。
「森の魔力がぐちゃぐちゃになると、魔物たちも落ち着かなくなるの。怖がったり、怒ったり、逃げ出したり」
「それが今回は、群れ単位で起きている」
「たぶん」
王太子はうなずいた。
辺境伯の報告書にあった、魔物が「何かに追い立てられるように」森から溢れ出してくる、という一文。その「何か」の輪郭が、ようやく見えてきた。
ちなみにピピの傷も、ノアが起こした魔力の嵐に巻き込まれてできたものだという。森を抜けるだけで、命がけだったのだ。
「どうして、ノアは闇に飲まれたの?」
ピピは俯いた。
「……番が、死んじゃったから」
「番?」
「ずっと一緒にいる相手。ミナっていうの」
「人間でいう、伴侶のようなもの?」
「たぶん、そう」
すると、それまで息をひそめていた離れの妖精たちが、堰を切ったようにしゃべり始めた。
「妖精にも番がいるよ!」
「ずっと一緒の子!」
「魔力が似てる子同士のこともあるし、全然ちがう子同士のこともある!」
「番ができない子もいるよー」
「一人が好きな子もいる!」
「俺は一人でいい派」
「ルルは素直じゃないだけでしょー」
「うるせー!」
王太子は、そっとこめかみに指を当てた。情報の量が一気に跳ね上がった。しかも、半分くらいは今必要のない情報だ。
「……一人ずつ、順番に話そうか」
「はーい!」
「私が先!」
「僕があと!」
「順番!」
ラヴェリナが両手をぱんと叩いて、妖精たちを黙らせた。慣れた手つきだった。
王太子は小さく息を吐いて、質問を続けた。
「番を失うと、必ず闇に飲まれるの?」
「ちがうよ。ほとんどの子は、悲しむだけ」
「でもね、すごくまれにいるの」
「番が弱っていくと、自分の魔力までいっしょに不安定になっちゃう子」
「そういう子は、番が死ぬと、闇に飲まれる」
「でも、ずっとじゃないよ」
最後の一言に、王太子は顔を上げた。
「戻れるの?」
「戻れる子もいる」
「条件は?」
「悲しいのが、なくなったら」
部屋が、しんとした。
「……悲しみが消えれば、闇から戻れる」
「うん」
「では、どうやって悲しみを消す?」
「……わかんない」
妖精たちは、ぽつりぽつりと言葉を重ねた。
「ずっと泣いて、ずっと怒って、ずっと呼ぶの」
「でも、番は戻ってこないから」
「だから、もっと苦しくなって」
「もっと、魔力がぐちゃぐちゃになる」
王太子は黙って聞いていた。
つまり、闇に飲まれた状態を直接解く方法はない。
原因である悲しみを取り除ければ戻る可能性はあるが、死んだ番を生き返らせることはできない。慰めの言葉で消えるような悲しみなら、そもそも闇に飲まれたりはしないだろう。
現実的な手段は、ほとんど残されていない。
王太子は、胸の内で一つの結論に近づいていた。
このまま放置すれば、スタンピードは続く。
騎士が倒れ、村が焼かれ、避難所の天幕の下で子供たちが震える夜が、さらに重なっていく。原因がはっきりしている以上、王家が取るべき道は――。
ノアを、討つ。
口には出さなかった。
この部屋で、この妖精たちの前で言うべき言葉ではない。けれど、王宮に戻ればいずれ誰かが口にする。その前に、自分が腹を括っておかねばならない。
「悲しみを取り除けば、助かるんですね!」
明るい声が、その思考を断ち切った。
顔を上げると、ラヴェリナが身を乗り出していた。瞳が、あの「いいことを思いついた」ときの色に光っている。
「……ラヴェリナ嬢?」
「だったら、まだ助けられるかもしれません!」
公爵が、娘の横顔を見た。王太子も見た。ラヴェリナは二人の視線など気にも留めず、ピピに向き直った。
「ピピ。ミナが亡くなったのは、いつ?」
「……三日前」
「弱り始めたのは?」
「三か月くらい前から。少しずつ」
「ごはんが食べられなくなったのは?」
「ひと月くらい前。そこからは、ほとんど何も……」
「ノアの魔力がおかしくなり始めたのも、そのころ?」
「うん」
「それで、亡くなったのが三日前」
「うん」
ラヴェリナは、ぱん、と手を打った。
「なら、まだ残ってます!」
「何がだ」
公爵が、ほとんど反射で問い返した。
「残留思念です!」
公爵の口が、問いの形のまま止まった。王太子も、一瞬、動きを止めた。
「……残留思念?」
「はい。強い感情や想いって、その場所に少しだけ残るんです。魔力の痕として」
ラヴェリナは人差し指を立てた。
「とくに、長いあいだ一緒にいた相手への強い想いとか、死ぬ直前に強く願ったこととか。そういうものは、残りやすいんです」
「それを、どうすると」
「具現化します!」
また、沈黙が落ちた。
「……具現化?」
「見える形にするんです。姿と、声ごと」
王太子は、ゆっくりと言葉を反芻した。
「亡くなったミナの想いを、ノアに見せる、と」
「はい」
ラヴェリナは、寝台の上のピピを見た。その声が、少しだけ低くなった。
「三か月も弱っていったなら、ミナは、自分がもうすぐいなくなるって分かってたはずです。そのあいだ、ずっとノアの隣にいて、ノアが泣くのを見てた。自分がいなくなったあと、残されるノアのことを、考えなかったわけがないと思うんです」
妖精たちが、いつの間にか静まり返っていた。
「もし、ミナが最後に……自分のために苦しまないでほしいとか、生きてほしいとか、そう願っていたなら。それを、ノアに見せてあげればいいんです」
ラヴェリナは、そこで一度言葉を切った。
「それでノアの悲しみが消えるかどうかは、分かりません。でも、何もしないよりは、ずっと可能性があると思います」
王太子は、しばらくラヴェリナの顔を見つめていた。
「その残留思念は、どれくらいの期間残る?」
「私が確認できたのは、一週間くらいまでです。それを過ぎると、もう何も拾えませんでした」
「亡くなって、三日」
「はい」
「残り、四日」
王太子の表情が、はっきりと変わった。
四日。
辺境伯領までは、馬車を乗り継いで急いでも二日あまりかかる。森の奥へ入る時間を考えれば、余裕などほとんどない。しかも、残留思念は時間とともに薄れていくはずだ。
一日でも早いほうがいい。
「急ぎましょう!」
「分かった」
王太子の頭の中で、手順が次々と組み上がっていく。辺境伯への急使。接触する人員は最低限に。
ノアがどれほど危険な状態にあるのかも確かめなければ――。
「待て」
低い声が、その流れを堰き止めた。
◇ ◇ ◇
ギルベルトは、それまでずっと黙って聞いていた。
妖精に番がいる。
闇に飲まれる。
悲しみが消えれば戻れる。
ここまでは、まだいい。昨日までの自分なら卒倒していたかもしれないが、この数日で耐性がついた。
だが、今の娘の話には、どうしても聞き流せない一点があった。
「残留思念を、具現化する」
「はい」
「それを、どうやって実現する」
娘は、きょとんと首を傾げた。
「魔法でできますよ?」
ギルベルトは、しばらく返事ができなかった。
「……できる?」
「はい」
「お前が?」
「はい」
「死んだ妖精の想いを?」
「はい」
「姿と声ごと、見えるように?」
「はい!」
ギルベルトは、ゆっくりと椅子の背にもたれた。
「……なぜ、そんな魔法が使える」
「えっ」
娘は、心底不思議そうな顔をした。
「だって、もし冤罪をかけられたら困るじゃないですか」
王太子が、ゆっくりとラヴェリナのほうを向いた。
「……冤罪?」
「はい! たとえば、私が何もしていないのに、大事な花瓶を割ったとか、誰かを突き飛ばしたとか、そういう濡れ衣を着せられたとしますよね? 証拠がないと、言った言わないの水掛け論になっちゃうじゃないですか」
ギルベルトは、もう嫌な予感しかしなかった。
「続けろ」
「そこで! その場に残ってる思念を具現化すれば、本当は何があったのか、みんなに見てもらえます。無実を証明できるんです!」
娘の顔が、ぱっと輝く。
ギルベルトは、両手で頭を抱えた。
「……それも、リスク回避か」
「もちろんです!」
満面の笑みだった。
一点の曇りもない、晴れやかな笑みだった。
「十歳のとき、婚約者候補になったのを機に習ったんです。マルグリット先生に。防御魔法と、浮遊魔法と、思念具現化」
マルグリット。
あの小柄で口の悪い、元宮廷魔法士だ。
娘の魔法の家庭教師として雇ったのは、確かに自分だった。今も月に一度は顔を出しているあの老婦人が、まさかそんなものまで仕込んでいたとは。
「……あの方が、それを教えたのか」
「はい。私が古い本で読んで、どうしても習いたいってお願いしたら、『物好きですね。おやりなさい』って」
そのとき、ギルベルトの記憶の底で、何かが引っかかった。
数日前。
王宮から戻ったあの日の午後、この離れの応接室で、防水加工液だの布用接着剤だの、とんでもない量の話を一度に流し込まれた。その洪水の中に、確かに――。
『はい! 防御魔法と浮遊魔法と、それから思念具現化も習いました!』
『防御と浮遊は、まあ分かる。……最後のは何だ』
『えっと、思念具現化というのは――』
そこで自分は手を上げて、娘の説明を遮ったのだ。
『いい。今は聞いても頭に入らん。……それも、あとで聞く』と。
「……あの時か」
ギルベルトは、顔を上げた。
「あの時言っていた、思念なんとかというのは、これか!」
「はい、言いました!」
「聞いた! 聞いて、後回しにした!」
「お父様が『いい』って止めたんですよ?」
「死んだ者の姿と声を呼び出す魔法だと分かっていたら、止めなかった!」
娘は、ぱちぱちと瞬きをした。
「……じゃあ、今理解しました?」
「理解したくない!」
部屋の隅で、クロードが静かに目を伏せた。メアリーは天井の一点を見つめている。リアだけが、目をまるくして姉と義父の顔を交互に見ていた。
「お父様?」
「…………」
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫では、ない」
防水加工液に布用接着剤、妖精に畳に冷蔵箱にクッションベッド。ここまでで、つい数日前の話だ。
そして今日、癒やし魔法と、闇に飲まれた妖精と、スタンピードの原因と、死者の想いを映し出す魔法が加わった。
どこまで増える。
ギルベルトは、この数日で何度目かも分からない問いを、胸の内で繰り返した。
◇ ◇ ◇
公爵と娘のやり取りを聞きながら、王太子は、まるで別のことを考えていた。
思念具現化。
その名には、覚えがあった。王家の書庫に眠る古い記録で、一度だけ目にしたことがある。
かつてこの国の審問の場で用いられた魔法。罪人とされた者が、その場に残った想いを映し出すことで、身の潔白を示したという。
けれど、術者にかかる負担があまりに大きく、使い手が絶えて、いつしか記録の中だけの存在になった。
それを、目の前の十三歳の令嬢が使えるという。
もし、本当に過去の出来事を、姿と声ごと再現できるのなら。
それは、今回の妖精を救うためだけの魔法ではない。犯罪の現場。事故の検証。偽証の暴露。冤罪の救済。この国の裁きのあり方そのものが、根底から変わりかねない。
そして同時に、恐ろしく危うい力でもある。この魔法を欲しがる者は、いくらでもいるだろう。裁く側にも、裁かれたくない側にも。
王太子は、ラヴェリナを見た。
当の本人は、そんな大それたことを考えている様子がまるでない。
「冤罪をかけられたら困る」。ただそれだけの理由で、廃れた古代の魔法を掘り起こし、身につけてしまった。
防水加工液もそうだった。
お茶会で飲み物をかけられないための対策が、辺境の兵站を支えた。
布用接着剤は、衣装を破られたときの備えだった。
そして今度は、冤罪対策が、死者の声を届ける手段になろうとしている。
この令嬢は、自分の身を守ろうとするたびに、なぜか王国規模の技術を生み出してしまうらしい。
「殿下? また固まってます?」
「……少しだけね」
固まっていた理由は、彼女が思っているのとは少し違う。けれど、今それを説明する必要はなかった。
「ラヴェリナ嬢。確認させてほしい。その魔法で、ミナの想いを確実に拾える?」
「いいえ」
ラヴェリナは、そこだけはきっぱりと首を振った。
「残っている想いの強さによります。弱ければ、ぼんやりした影しか出ないこともあります」
「なるほど」
「でも」
ラヴェリナは、寝台の上のピピを見た。ピピは、両手で自分の膝を抱えたまま、じっとラヴェリナを見上げていた。
「三か月も、ずっとそばにいた番同士なら。強い想いが残っている可能性は、高いと思います」
王太子は、少しだけ目を閉じた。
討伐は、最後の手段として取っておける。
救える可能性が一つでもあるなら、試す価値はある。
「分かった。行く準備をしよう」
「はい!」
「僕はこれから王宮に戻って、父上に報告する。辺境伯には、その場で急使を出す。森へ人を入れないよう、討伐隊も奥へは近づけないよう伝える」
「お願いします!」
王太子はすでに立ち上がり、戸口へ向かいかけていた。四日。その数字が、頭の中で時を刻み始めている。
その背後で、公爵が低い声を出した。
「ラヴェリナ」
「はい?」
「帰ってきたら、その残留思念の魔法についても、詳しく聞かせてもらう」
「え、それもですか?」
「それもだ!」
「でも、ただのリスク回避ですよ?」
「ただではない!」
公爵の声が、部屋じゅうに響き渡った。その頭上を、妖精たちがふわふわと面白そうに飛び回っている。
寝台の上で、ピピが小さく、ほんの少しだけ笑った。この離れに運び込まれてから、初めて見せる顔だった。




