第30話 秘密は、もう秘密ではなくなりました
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本作は完結まで執筆済みです。
最終話まで更新が止まることはありませんので、ご安心してお楽しみください。
離れから本邸までは、庭園を横切る石畳の小道を歩いて三分ほどになる。
八歳で離れへ移ってから五年。
雨の日も、雪の日も、アカデミーの課題に追われている日も、ラヴェリナはこの小道を歩いて夕食の席へ通ってきた。
離れで暮らしたいと言い出したとき、父が出したたったひとつの条件が「夕食は家族と一緒に」だったからだ。
石畳を叩く自分の靴音。
本邸の窓から漏れる灯り。
厨房のほうから流れてくる、焼いた香草とバターの匂い。今ではすっかり、一日の終わりの合図になっている。
「お姉様、おかえりなさい」
食堂に入ると、先に席に着いていたリアがぱっと顔を上げた。十一歳になった義妹は、ここ一年で急に背が伸びた。
初めてこの屋敷に来た日、母親のスカートの後ろから片目だけのぞかせていた女の子と同じ人物だとは、ときどき信じられなくなる。
「ただいま、リア。お義母様も、こんばんは」
「こんばんは、ラヴェリナ。今日は少し遅かったのね」
義母のセシリアが、穏やかに微笑む。
そして上座には、父のギルベルト・ローデンベルク公爵。
いつものように背筋を伸ばし、いつものように表情は険しく、いつものように――。
「……お父様?」
いや。いつも通りではなかった。
昨日の父も相当疲れて見えた。
けれど今日の父は、その昨日の父をさらに一晩、煮詰めたような顔をしている。
ナイフで肉を切り分けては、フォークを口元まで運びかけて止まり、しばらく虚空を見つめてから、また皿に戻す。さっきから同じ一切れが三往復していた。
義母とリアも気づいているらしく、二人で目配せを交わしている。
「お父様、大丈夫ですか? すごくお疲れに見えますけど」
「……何がだ」
「今日も王宮に呼ばれていたんですよね。陛下に何か難しいことを言われたとか……」
父はナイフとフォークを置いた。
ゆっくりとラヴェリナのほうを向き、数秒、娘の顔を見つめる。
「お前の離れが原因だ!」
食堂の空気が、ぴしりと固まった。
父は寡黙な人だ。
夕食の席で声を荒らげることなど、五年間で一度もなかった。リアはスプーンを持ったまま動かなくなり、義母は目をまるくしている。
ラヴェリナだけが、ひと呼吸遅れて「あっ」と声を漏らした。
――昨日。
王宮から帰ってきた父を、離れの奥まで案内したのだ。
妖精たちの部屋。アトリエ。棚を埋めつくしたコミック。畳もどき。クッションベッド。冷蔵箱。ガラスのストロー。
ついでに、辺境伯領で防水加工液が活躍した話を妖精たちが勢いで描き上げた、できたてほやほやの実録コミックまで。
一晩で、全部。
「……そっちかぁ」
「そっち以外に何がある!」
「王宮で大変なことがあったのかと思って、心配したんですよ」
「王宮は普通だった!」
「それならよかった」
「よくない!」
父が、椅子の背にどさりともたれた。
義母が遠慮がちに口を開いた。
「あの……離れで、何かございましたの?」
ラヴェリナと父は、揃って動きを止めた。
そうだった。
この五年間、義母とリアにとって、離れは「ラヴェリナが静かに本を読んで暮らしている場所」でしかない。
夕食の席で「離れはどう?」と聞かれるたび、ラヴェリナは「快適です!」とだけ答えてきた。
嘘はついていない。
快適なのは本当だ。
ただ、快適の中身について、ほんの少し――いや、だいぶ省略してきただけで。
父の視線が「どうする」と問いかけてくる。
ラヴェリナは少しだけ考えた。
考えて、わりとすぐに結論が出た。
「まあ、お父様にはもう話しちゃいましたし」
「何の話だ」
「一人にカミングアウトしたら、二人でも三人でも一緒かなって」
「かみん……何だそれは。待て、ラヴェリナ」
「お義母様。リア」
ラヴェリナは背筋を伸ばし、ナプキンを膝の上で整えた。お茶会で鍛えた、完璧な令嬢の姿勢である。
「実は、離れには妖精が住んでいます」
沈黙が落ちた。
義母のフォークが宙で止まる。リアは口を半開きにしたまま動かない。父だけが、予想通りの展開に目を閉じて天井を仰いだ。
「ほら見ろ。こうなる」
「だって、説明しないと分からないじゃないですか」
「物事には順番というものがある!」
「じゃあ、順番に話しますね!」
「そういう意味ではない!」
◇ ◇ ◇
「妖精……と、おっしゃいましたの?」
たっぷり十数えるほどの間を置いて、義母がようやく言葉を絞り出した。
「はい」
「物語に出てくる、あの……?」
「本物です。羽があって、飛んで、しゃべって、クッキーと魔力玉が大好物で、ちょっと口の悪い子もいます」
義母の手の中で、グラスの水面がかすかに揺れた。
代わりに反応したのは、リアのほうだった。
「……何人いるの?」
「分かんない」
「分からないの?」
「増えるから」
「ふえる」
リアが復唱した。
「最初はルルって子だけだったの。お父様と、お兄様と、森へピクニックに行ったときに泉で会って」
「七歳のときだそうだ」
父が低い声で補足した。
「私も昨日知った」
「まあ……」
義母が、夫の横顔をしげしげと見る。その目に、なぜか少しだけ同情の色が浮かんだ。
「それでね、妖精たちの部屋があって、その隣にアトリエがあるの」
「あとりえ?」
「絵を描く部屋。妖精たち、すっごく絵が上手なんだよ」
「妖精さんが、絵を……」
「そこだ」
父がため息まじりに口を挟んだ。
「私の理解が追いつかなくなったのは、そこからだ」
「まだ序盤ですよ?」
「それを言うな」
「で、私は小説を書いていて、それを妖精たちが絵にしてコミックっていう――」
「しょうせつ……」
リアがぼんやりと繰り返した。頭の中はまだ妖精の羽の色あたりで渋滞しているらしく、そこから先の単語は耳を素通りしていったようだ。
「セシリア、リア。まだあるぞ、とだけ先に言っておく」
「うん、まだいっぱいあるよ!」
「お前が元気よく答えるな」
◇ ◇ ◇
そこから先は、父いわく「本番」だった。
離れは生活区域が土足禁止で、室内履きに履き替えること。
植物を編んで作った「畳」という床があること。
人間がまるごと沈み込める巨大なクッションは、ベッドにもなること。
氷の魔石を仕込んだ陶器の箱で、果実水をいつでも冷たく飲めること。
ガラスで作った細い管で飲み物を吸うと、ちょっと楽しいこと。
ラヴェリナがひとつ説明するごとに、義母の表情からひとつずつ何かが抜け落ちていった。
「それから、防水加工液も離れで作ってます」
「それは」
ようやく聞き覚えのある単語に行き当たって、義母の目に光が戻った。
「今日、旦那様が王宮へ呼ばれていた件ですわね?」
「そうだ。ラヴェリナが作った」
「辺境伯領で役に立ってるみたいです!」
義母はラヴェリナを見た。それから夫を見た。もう一度ラヴェリナを見た。
「……それを、全部」
「はい」
「離れで?」
「はい!」
義母は静かに紅茶のカップへ手を伸ばした。ひと口飲み、カップを受け皿に戻し、それから長く息を吐く。
「……情報量が、多いですわね」
「ですよね!」
「お前が言うな」
父の突っ込みは、ほとんど反射だった。
◇ ◇ ◇
デザートの梨のタルトが運ばれてくるころ、ラヴェリナは少しだけ声の調子を落とした。
「でもね、お義母様。リアも」
フォークを置いて、二人のほうへ向き直る。
「私、本当に感謝してるんです。二人がこの家に来てくれたこと」
義母とリアが、そろって瞬きをした。
この言葉だけは、ずっと言いたかったのだ。
父に全部話した今なら、ようやく本当の意味で伝えられる。
「だって、二人が来てくれたから、私は離れに移れたでしょう? それで離れを自由に使えるようになって、妖精たちも暮らしやすくなって、本もいっぱい置けるようになって、アトリエも作れて、畳も敷けて、冷蔵箱も置けて、クッションベッドも――」
「ラヴェリナ」
父が片手を上げた。
「感謝を伝えている途中で、話を増やすな」
「あっ」
義母の顔には、はっきりと「アトリエ」と「畳」と「冷蔵箱」が渦を巻いていた。リアに至っては、指を折って何かを数えている。たぶん、今夜聞いた新しい単語の数だ。
「と、とにかく!」
ラヴェリナはぱんと手を合わせた。
「お義母様とリアが来てくれたおかげで、私、毎日すっごく楽しく暮らせてるんです。だから――ありがとうございます!」
にこっと笑う。
義母はその言葉を、ちゃんと聞いていた。
たぶん聞いていた。
ただ、その直前に妖精とコミックと冷蔵箱と防水加工液を一度に流し込まれていたせいで、反応が半拍ほど遅れた。
「……え、ええ。どういたしまして……?」
「よかった!」
義母は曖昧に微笑んだまま、小さく首を傾げた。自分がなぜ礼を言われているのか、途中から分からなくなったという顔だった。
◇ ◇ ◇
食事が終わると、ラヴェリナは椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、二人とも、これから離れに来る?」
義母とリアが顔を見合わせる。
「……妖精さん、本当にいるの?」
「いるよ」
「本当の本当に?」
「本当の本当に」
「見たい!」
リアの声は小さかったが、迷いはなかった。
「お母様、私、妖精さん見たい!」
義母はしばらく考えていた。考えて、結局、ここまで聞かされてしまったら見ないほうが今夜眠れない、という結論に落ち着いたらしい。
「……わたくしも、参ります」
「やった!」
「待て」
低い声が三人を振り返らせた。父がナプキンを卓に置き、立ち上がるところだった。
「私も行く」
「え、お父様、昨日ぜんぶ見ましたよね?」
「行く」
「もう新しいものはないですよ?」
「だからこそ行く」
ラヴェリナは首を傾げた。父の言っている意味が、まったく分からない。
◇ ◇ ◇
ギルベルトには、ギルベルトなりの理由があった。
昨夜、彼はたった一人で、あの離れの奥へ踏み込んだのだ。
飛び交う妖精に囲まれ、読んでも読んでも終わらない絵物語の棚を前に立ち尽くし、得体の知れない床に座らされ、巨大なクッションに腰まで沈められた。その間ずっと、隣では娘が満面の笑みで説明を続けていた。
誰にも理解されない疲労というのは、存外こたえる。だから、妻と義娘が同じ目に遭うのを、この目で見届けたい。
そして、できることなら――味方がほしい。
「こちらから土足禁止です! この室内履きに履き替えてね!」
離れの応接室を抜けた先、生活区域へ続く扉の前で、ラヴェリナが上機嫌に振り返った。
「しつない……ばき?」
「お屋敷の中で、靴を脱ぐのですか?」
妻とリアが揃って足元を見下ろす。老執事のクロードが、音もなく二足の室内履きを揃えて差し出した。
その少し後ろで、ギルベルトは慣れた手つきで自分の靴を脱いだ。
「……始まったな」
昨夜の自分を見ているようで、少しばかり胸がすく。だが、その余裕が続いたのは、ほんの数分のことだった。
「ラヴェリナ、おかえりー」
「あっ、パパさんだー」
「パパさん、今日もクッション?」
扉を開けたとたん、光の粒のような小さな影が四方から寄ってきた。昨夜の見学以来、妖精たちはなぜかギルベルトを「パパさん」と呼ぶ。訂正は三回試みて、三回とも無視された。
妻が小さく息を呑む音がした。
さあ来い、とギルベルトは思った。
混乱しろ。
立ち尽くせ。
そして、あとで二人きりになったとき、「あなたも大変でしたのね」とひと言でいい、言ってくれ。
「……まあ」
妻の唇から漏れたのは、震え声ではなかった。
「なんて、かわいらしい」
ギルベルトは、妻の横顔を二度見した。
「あなたが、ルル?」
「おう。……なんで知ってんだよ」
「ラヴェリナが、夕食のときに話してくれましたの。口が悪いけれど、優しい子だと」
「く、口は悪くねーし! 優しくもねーし!」
真っ赤になって飛んでいくルルの後ろ姿を見送って、妻はころころと笑った。
リアはといえば、最初の一瞬こそ母親の袖を握っていたものの、
のんびりした声の妖精――ポロというらしい――
に「髪、きれいだねー」と言われたあたりから、すっかり頬を上気させていた。
入れ替わり立ち替わり寄ってくる妖精たち――二十人を超えるらしい――に囲まれて、あっちを向いたりこっちを向いたり、忙しい。
味方が、いない。
ギルベルトの計画は、玄関から三歩目で崩れ去った。
◇ ◇ ◇
決定打はアトリエで訪れた。
「これがコミック。絵で読むお話だよ」
ラヴェリナが棚から一冊抜き出して手渡すと、リアは両手で受け取って、表紙をじっと見つめた。
描かれているのは、黒い鱗の大きな竜と、その鼻先に木の剣を突きつける小さな男の子。
「……え?」
リアの指が、ぱらりとページをめくる。
山の上の洞窟に、ひとりぼっちで住む竜。村の誰にも相手にされない、見習い騎士の少年。二人が出会い、喧嘩をして、嵐の夜に村を守るために並んで飛び立つ――。
「これ、竜のお話……」
ページをめくる手が、だんだん速くなる。
「お姉様が、おはなしの夜にしてくれた……『ひとりぼっちの竜と見習い騎士』……!」
リアが顔を上げた。
その目が、ラヴェリナと、コミックと、周りを飛ぶ妖精たちの間を、忙しく往復する。
「待って。じゃあ、お姫様がパン屋さんになるお話も? しゃべる猫が王様の帽子を盗むお話も? 星を拾いに行く女の子のお話も……月の光でしか開かない花を探す、妖精のお話も……?」
「うん。棚のどこかにあると思う」
「あのお話、全部お姉様が書いたの!?」
リアの声がアトリエに響いた。
驚いた妖精が二、三人、天井近くまで跳ね上がる。
「え、えっと……うん、まあ」
「全部じゃねーぞ」
棚の上から、ルルが腕を組んだまま口を挟んだ。
「月見花のやつは、元は俺がラヴェリナに話してやったんだ」
「主人公の妖精は、ルルと違って口が悪くないけどね」
「うるせー」
「私、ずっと、お姉様がどこかで聞いてきたお話なんだと思ってた……! 似たご本がないか、図書室で探したこともあったのに。お母様に聞いても知らないって言われて……」
「……探してたの?」
「探したよ! 続きが知りたかったんだもの!」
リアは、竜のコミックを胸にぎゅっと抱きしめた。
「すごい……お姉様、すごい……!」
週に一度くらい、夕食のあとでリアの部屋に寄り、寝る前の少しの時間に語って聞かせてきた物語たち。
始まりは、楡の木の下だった。
木の馬のソルの話をしてもらったお礼に、ひとつ語って聞かせたのがきっかけだ。前世の記憶と、この世界で見聞きしたものを混ぜて書いた、自分の小説。いちばん最初に、それを聞いてくれた人間が、リアだった。
面と向かって「すごい」と言われると、どうにも背中がむずむずする。
「続き、あるの?」
「あるよ。竜のお話は三巻まで」
「三巻!」
リアは棚に張りつき、背表紙を一冊ずつ指でなぞり始めた。
妖精たちが「それはねー」「こっちも面白いよー」と両肩に止まって案内を始める。
その光景を、アトリエの入口に立ったまま、ギルベルトは黙って見ていた。
隣で妻が、そっと夫の腕に手を添える。
「……あなた。あの子のあんな声、久しぶりに聞きましたわ」
「……ああ」
それ以上、何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
ひと通りの見学が終わるころには、窓の外はすっかり暗くなっていた。
リアはコミックを五冊抱えて妖精の部屋に座り込み、父はリアに「お父様も一緒に読んで」と腕を引かれ、クッションベッドに腰を下ろした。
下ろしたというより、沈んだ。昨夜と同じく、腰から下が見えなくなっている。
ラヴェリナは、畳もどきを敷いた小部屋で、義母と二人になっていた。
メアリーが淹れてくれた冷たいハーブ水に、ガラスのストローが一本ずつ差してある。義母は最初、それを不思議そうにつまんで眺めていたが、やがてそっと口をつけ、小さく目を見張った。
「……本当に、冷たいのね」
「冷蔵箱、便利なんですよ」
義母は畳もどきの表面を、指先でゆっくりと撫でた。乾いた草の、さりさりとした感触。昼間の陽射しを吸った、青い匂い。
それからしばらく、何も言わずに部屋を見回していた。
低いテーブル。壁際に積まれたクッション。手の届く高さに並んだ本。窓枠に取りつけられた、妖精専用の小さな出入口。
「ラヴェリナ」
「はい」
「わたくし、ずっと気にしていましたの」
義母は、グラスの中の氷を見つめながら言った。
「わたくしたちが来たせいで、あなたが本邸を出ていったのではないかと。八つの子に、気を遣わせてしまったのではないかと。前にあなたは違うと言ってくれたけれど……それでも、どこかでね」
ラヴェリナは黙って聞いた。
義母は、ふっと笑った。肩の力が抜けたような、柔らかい笑い方だった。
「でも、これを見たら分かりましたわ。あなたが離れへ移ったのは、わたくしたちのためだけではなかったのね」
「……えっと」
「妖精さんたちと、この畳と、あのたくさんの本と。ここは、あなたが自分で作りたかった場所なのでしょう?」
顔が、じわじわと熱くなってくる。
図星だった。
あのとき、再婚する父と新しい家族のために――という気持ちは確かにあった。あったけれど、それと同じくらい、いや、正直に言えばそれ以上に、「離れを丸ごと自分の城にできる!」と浮かれていたのだ。
「……ばれました?」
「ええ。すっかり」
「八歳の私、わりと計算高かったかもしれません」
「ふふ。それを聞いて、わたくし、とても安心しましたのよ」
義母は、グラスを低いテーブルに置いた。
「我慢をさせたのではなく、あなたが自分の好きなことをしていてくれたのなら。それなら、わたくしが申し訳なく思うことは何もないもの」
「……でも、お義母様」
ラヴェリナは膝の上で指を組んだ。
夕食の席では、うまく言えなかった。あれもこれも詰め込みすぎて、一番大事なところが埋もれてしまった。
「さっきのお礼、ちゃんと本気だったんです。離れのことだけじゃなくて」
義母が顔を上げる。
「お義母様とリアが来てから、お父様、夕食のときに笑うようになったんです。ほんの少しですけど。前は、ほとんど口をきかないで、私の話を聞いてるだけだったから」
あの静かな食卓を思い出す。広すぎるテーブルに、父と、自分と、ときどき留学前の兄。食器の触れ合う音だけが、やけに大きく響いていた。
「だから、ありがとうございます。本当に」
義母は、しばらく何も言わなかった。
やがて、細い手が伸びてきて、ラヴェリナの髪をひと房すくい、耳にかけた。
「……こちらこそ。ありがとう、ラヴェリナ」
それだけだった。けれど、その手のひらの温かさは、ずっと遠い記憶の中にある、誰かの手と少しだけ似ていた。
しんみりしかけた空気を破ったのは、隣の部屋から響いてきた低い声だった。
「……リア。この竜は、なぜここで泣いている」
「お父様、ちゃんと前のページから読んで! ここは泣くところなの!」
「……そうか」
襖代わりの引き戸の隙間からのぞくと、クッションベッドに胸まで沈んだ父が、リアに指さされながら律儀にページをめくり直していた。
目が合う。
父は、しばらく娘の顔と妻の顔を見比べてから、遠い目でつぶやいた。
「……味方を、連れてきたつもりだったのだがな」
義母が、こらえきれずに吹き出した。




