第26話 王宮への呼び出しと、父の知らない娘
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王宮からの使者がローデンベルク公爵家の門をくぐったのは、辺境へ荷馬車を送り出してから十日ほど経った朝のことだった。
「王宮より、正式なお呼び出しでございます」
離れの居間に現れたクロードは、いつも通りの無表情で告げた。ただ、手にした書状の封蝋が王家の紋章だったので、朝食後のお茶を飲んでいたラヴェリナは危うくむせるところだった。
「よ、呼び出し? 私、何かやった?」
「心当たりがおありで?」
「ありすぎて絞れない」
「さようでございましょうな」
否定してほしかった。
書状によれば、呼ばれているのは父であるローデンベルク公爵と、ラヴェリナ本人。それから、防水加工液の開発経緯を把握している者がいれば、同席させるように、と記されていた。
「なんだ、防水加工の件かぁ」
ラヴェリナは胸をなで下ろした。
辺境伯領で役に立ったらしいことは、アイリスの手紙で知っている。王家の耳にまで届いたのだとすれば、これはたぶん、褒められるやつだ。
「お嬢様。念のため申し上げますが、旦那様は防水加工液について、ほとんど何もご存じありません」
「うん、知ってる」
「それでよろしいので?」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと説明すれば分かってもらえるって」
クロードは何か言いたそうに一拍置いてから、「さようでございますか」とだけ答えた。
メアリーに手伝ってもらって、王宮用のドレスに着替える。淡い若草色の生地には、もちろん防水加工が施してあった。念のためである。
◇ ◇ ◇
「……王宮から正式な呼び出しがなされた」
王宮へ向かう馬車の中で、父が重々しく口を開いた。
向かいの席に並んで座るラヴェリナとクロードに、低い声が落ちてくる。革張りの座席が、こころなしか硬く感じられた。
「みたいですね」
「みたいですね、ではない! そもそも私は、その防水加工とやらについて、詳しく聞いた覚えがない」
「あれ?」
「あれ、ではない!」
「私も、辺境であんなに使われるとは思っていなかったですし」
父の眉間に、深い縦皺が刻まれた。そのまま視線が、隣のクロードへ移る。
「クロード」
「はい、旦那様」
「確かに、離れでいろいろと試しているとは聞いていた」
「その通りでございます」
「婚約者候補として何かあった時に備えて、対策を進めているとも」
「はい」
「だが、防水加工液を作っているとは聞いていない」
「……申し訳ございません」
「他に布用接着剤というものもあるそうだな」
「ございます」
「それも聞いていない」
「……はい」
「ほかにもあるのか」
「ございます」
「あるのか……」
父の声が、少しだけ遠くなった。
「ラヴェリナ」
「……はい」
「帰ったら、話をしよう」
「……はい」
まだ王宮の門すら見えていないのに、別件の事情聴取が決まってしまった。
クロードは背筋を伸ばしたまま、窓の外に視線を置いている。この老執事がこれほど居心地の悪そうな顔をするのを、ラヴェリナは初めて見た気がした。
◇ ◇ ◇
通されたのは、謁見の間ではなく、奥まった場所にある応接室だった。
壁には歴代の国王の肖像画が並び、窓からは手入れの行き届いた中庭が見える。長卓の向こうに国王陛下、その隣に王太子殿下、少し離れて宰相閣下。こちら側に、ローデンベルク公爵家の三人が並んだ。
婚約者候補として何度も王宮には来ているけれど、国王陛下とこれほど近くで言葉を交わすのは初めてだった。がっしりとした体つきに、よく響く声。噂通りの豪胆そうな方だ。
ひと通りの挨拶を終え、席に着く。
「さて」
国王陛下が、まず父の方へ顔を向けた。
「グランツ辺境伯からの報告にあった防水加工液について、詳しく聞きたい」
「はい、陛下」
父は頭を下げ、それから、ほんのわずかに間を置いた。
「……申し訳ございません。実のところ、私も詳細を把握しておりません」
「ほう」
国王陛下が目を瞬かせる。王太子殿下の表情も、かすかに動いた。
「公爵家で作られたものではないのか」
「その通りでございます。ただ、離れでの開発については、こちらのクロードが管理しておりまして」
「では、執事殿。説明を頼めるか」
「かしこまりました」
クロードは一歩進み出て、深々と一礼した。
「防水加工液は、ラヴェリナお嬢様が婚約者候補として王宮へ出向かれるにあたり、不測の事態に備えて考案されたもののひとつでございます」
「不測の事態とは?」
クロードは即答せず、一瞬だけこちらを見た。ラヴェリナもクロードを見た。
ごめん、クロード。
老執事は小さく息を吸い、覚悟を決めたように続けた。
「お茶会の席などで、飲み物を衣装にかけられた場合を想定したものでございます」
室内の空気が止まった。
国王陛下も、宰相閣下も、手を止めている。王太子殿下だけは驚いた様子もなく、静かに紅茶のカップを置いた。三年前のあの場にいたのだから、当然といえば当然だ。
父が、ゆっくりとラヴェリナの方を向いた。
「ラヴェリナ。それは、仮定の話だな?」
「最初は」
「最初は?」
「そのあと、本当にありました」
「…………」
父の顔が固まる。そこへ、クロードが淡々と追い打ちをかけた。
「また、衣装を破損された場合に備えて、布用接着剤も開発しております」
「それも」
父の声が、一段低くなった。
「実際にあったのか」
「はい!」
ラヴェリナは素直に頷いた。嘘をついても仕方がない。
「裾のところを、きれいに破られていました。あれは刃物ですね。断面がまっすぐでしたから」
言ってから、鑑識みたいな説明をしてしまったと気づいた。父の顔から、すうっと表情が消えていく。膝の上に置かれた大きな手が、ゆっくりと握りしめられるのが見えた。
「なぜ……」
父は額に手を当てた。
「なぜ私は、何も知らされていない……」
その声が思っていたよりずっと沈んでいたので、ラヴェリナは慌てて身を乗り出した。
だめだ、お父様が落ち込んでいる。これは娘として、ちゃんと元気づけなければ。
「お父様、そんなに落ち込まないでください!」
父は顔を上げない。
「私、バレないようにきちんとしてましたから!」
力強く言い切る。
「お父様が気づけなかったのは、当然なんです!」
完璧なフォローだった。
少なくとも、言い終わるまではそう思っていた。
額に当てられていた父の手が、静かに下りた。顔が上がる。そこにはもう、さっきまでの沈んだ色はどこにもなかった。
「ラヴェリナ」
「はい」
「帰ったら」
「はい」
「今まで何があったのか、ひとつ残らず聞かせてもらう」
穏やかな声だった。穏やかすぎて、背筋が冷えた。
あ、これ、スイッチ入れちゃったやつだ。
励ます方向を、間違えた。「バレないように」と「きちんと」を並べたら、それはもう「計画的に隠していました」の自白である。前世で読んだどの推理小説の犯人も、ここまで見事に自分から喋ったりはしなかった。
「……はい」
かすれた声で返事をするラヴェリナの隣で、クロードがそっと目を閉じた。祈っているようにも、諦めているようにも見えた。
「おっほん」
国王陛下が、大きく咳払いをした。
親子の話し合いは家に帰ってからやってくれ、という意思が、たいへんよく伝わる咳払いだった。ついでに父へ向けられた視線には、同じ父親としての深い同情が滲んでいた気がする。
◇ ◇ ◇
王太子は、紅茶のカップを受け皿に戻しながら、向かいの席の少女を見ていた。
王宮でのラヴェリナ・ローデンベルクは、いつも礼儀正しい。失敗をせず、必要以上に目立たず、話を振られれば如才なく答え、それ以外はどこか一歩引いた場所にいる。三年間、何度茶会を重ねても、その印象は変わらなかった。
それが今、父親に向かって全力で空回りしていた。
慰めようとして余計なことまで口にし、言い終わってから自分の掘った穴の深さに気づいて、ばつの悪そうな顔で肩を縮めている。耳の先がほんのり赤い。
こういう顔も、するのか。
婚約者候補の公爵令嬢ではない、ただの十三歳の女の子の顔だった。ほんの一瞬、垣間見えただけのそれが、妙に目に残った。
「では、本題に戻ろう。ラヴェリナ嬢」
「はい、陛下」
父王に名を呼ばれた瞬間、ラヴェリナ嬢の背筋がすっと伸びた。赤かった耳の色まで引いていく。見事な切り替えだった。
「防水加工液について、分かっていることを教えてほしい」
「かしこまりました」
彼女は膝の上で手を重ね、落ち着いた声で話し始めた。
「原料は、テテクという木から採れる樹液でございます。この樹液には、水を弾く性質がございます」
「それをそのまま塗るのか」
「いいえ。原液のままですと匂いが強く、布が硬くなってしまいます。生地によっては変色することもございました」
ございました、と彼女は過去形で言った。実際に試して、変色させたことがあるのだろう。
「そこで、薄める割合と塗る量を変えて、何度か試験をいたしました。現時点で確かめられているのは三点です。水や果汁などの液体を弾くこと。加工した布が水を吸いにくくなること。適切な濃さであれば、布の柔らかさをほとんど損なわないこと」
「耐久性は?」
宰相が口を挟む。実務家らしい、容赦のない問いだった。
「十分な長期の検証は、まだできておりません」
ラヴェリナ嬢は即答した。
「辺境伯領から、雨の中で使うならもう少し濃い方が長持ちするかもしれないとご報告をいただきましたので、その条件でも調整いたしました。ただ、何日、何度の雨まで効果が続くのかは、まだ分かりません」
「洗濯した場合は」
「それも、今後の検証が必要です」
できること、できないこと。
分かっていること、まだ分からないこと。
彼女はそれを、少しもごまかさずに切り分けて答えていく。分からないことを分からないと言い切れる人間は、大人の中にもそう多くない。
思いつきで妙なものを作っているわけではないらしい。
「製法の記録はあるのか」
父王が訊いた。
「ございます。原料の量、薄める割合、試した布の種類、それぞれの結果を、できる限り書き留めております」
「こちらに」
執事が、持参した書類の束を卓に置いた。宰相が受け取り、頁をめくる手が途中で止まる。
「……かなり細かいですな」
「失敗したものも記録しておりますので」
「失敗も?」
「同じ失敗を二度したくありませんから」
宰相が、珍しいものを見るような目で少女を眺めた。王太子は、書類の端に見えた「第三回 綿 変色(茶) 失敗」という几帳面な文字を眺めながら、口元が緩みそうになるのをこらえた。
ついさっき、父親の前で墓穴を掘って縮こまっていたのと、同じ人間なのだ。
「では、製法について、王家として相談したいことがある」
父王がそう切り出すと、ラヴェリナ嬢は迷いもせずに答えた。
「その件につきましては、父へお願いいたします」
「公爵へ?」
「はい。私は作っただけでございますので」
彼女は隣の父親を見上げた。
「記録は取っておりますが、これはローデンベルク公爵家で管理しているものです。王家へご提供するのか、製造を広げるのか、販売するのか。そうした判断は、当主である父がするべきだと思います」
今度は、公爵が娘を見る番だった。
「……そこは、私に任せるのか」
「もちろんです」
ラヴェリナ嬢は、きょとんとして答えた。
「私、商売とか契約とか、分かりませんし。そういうのは当主であるお父様のお仕事でしょう?」
「まあ、そうだな」
「じゃあ、お願いします!」
「軽いな……」
国家規模で使えそうな技術を理路整然と説明していた令嬢と、同一人物とは思えない。父王がまた、聞こえなかったふりをして書類に目を落とした。
王太子は、今度こそ少しだけ口元を緩めた。
「分かった。防水加工液の今後の扱いについては、ローデンベルク公爵家と王家で協議しよう」
「承知いたしました」
公爵が、改めて深く頭を下げる。
「辺境での有用性は確かめられている。軍や災害対応への導入も検討したい。公爵、明日もう一度、時間をもらえるか」
「かしこまりました。それまでに、こちらでも資料を整えてまいります」
話は、そこでまとまった。
退室の間際、ラヴェリナ嬢は完璧な淑女の礼をしてみせた。その横顔にはもう、さっきの赤い耳の名残はどこにもない。
それを少し惜しいと思った理由については、深く考えないことにした。
◇ ◇ ◇
王宮の回廊を歩きながら、ラヴェリナの足取りはすっかり軽くなっていた。
「よかったぁ」
「何がだ」
隣を歩く父が訊く。
「だって、防水加工がローデンベルク家の功績になるんでしょう?」
「そうなる可能性は高いな」
「だったら、作ってよかったですよね!」
父がこちらを見下ろした。
ラヴェリナはにこにこしていた。王家に褒められ、辺境の役にも立ち、面倒な契約の話は父に丸投げできた。今日の予定は、これですべて終わり。そういう顔である。
「ラヴェリナ」
「はい?」
「帰ったら」
足が止まった。
「防水加工を作ることになった経緯」
「…………」
「布用接着剤を作ることになった経緯」
「……あの」
「それから」
父は静かに微笑んだ。穏やかで、実に隙のない微笑みだった。
「私に報告していない『対策』を、全部聞かせてもらう」
忘れてなかった。
当たり前だけど、忘れてなかった。
「お父様」
「何だ」
「今日は、王家から褒められた日ですよね?」
「そうだな」
「娘の功績を、喜ぶ日なのでは?」
「十分に喜んでいる」
「だったら――」
「それとこれとは別だ」
逃げ道が、一本もなかった。
ラヴェリナは最後の望みをかけて、後ろに控える老執事を振り返った。
「クロード……」
「申し訳ございません、お嬢様」
クロードは、静かに視線を逸らした。
「私には、旦那様への報告の義務がございますので」
「裏切り者!」
「職務でございます」
回廊の窓から差し込む午後の光が、やけにまぶしく感じた。




