第17話 危機回避のための魔法教室
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本作は完結まで執筆済みです。
最終話まで更新が止まることはありませんので、ご安心してお楽しみください。
危機回避計画を立ててから半月後。
クロードが、いつもより少しだけ疲れた顔で報告に来た。
「お嬢様。魔法の先生が見つかりました」
「ほんと!? どんな人?」
「元宮廷魔導士でいらっしゃいます。若い魔導士を何人も育ててこられた方です」
「すごい!」
「ただ」
クロードは、そこで一拍置いた。
「……少々、癖の強い方でございまして」
この老執事が、わざわざ前置きするほどの癖。ラヴェリナは、前世で読んだ小説の「師匠キャラ」を思い浮かべた。
酒浸りの天才。
修行と称して崖から弟子を突き落とす脳筋。
弟子の名前を全く覚えない仙人。
「崖から突き落とされたりはしない?」
「おそらく……それはございません」
「おそらく!?」
「はい、おそらく……」
クロードは、遠い目をしながら呟いたあと、
「旦那様には『魔法の家庭教師を一名』とご報告し、ご署名をいただいております」
と、クロードは涼しい顔で付け加えた。
決裁書類には、何を習うかの詳細までは、書いていないらしい。予算を握る執事というのは、敵に回してはいけない生き物だとつくづく思った。
◇ ◇ ◇
先生を迎える日の朝、ラヴェリナは妖精たちを居間に集めた。
「いい? 今日から先生が来てる間は、扉からこっちに出てこないこと。それと、静かにしてること」
「なんで俺たちが隠れなきゃなんねーんだよ」
ルルが腕を組んで、テーブルの上から反論してくる。
「先生は妖精のことを知らないの。見つかったら大騒ぎになるでしょ」
「知ったこっちゃねー」
「うーん、じゃあ、クッキー二枚でどう?」
「……三枚」
「交渉成立」
「ぼくは四枚がいいなー」
「ポロはどさくさに紛れない」
座学は離れの応接室で、実技は本邸の東棟にある練習室で、と決まった。
応接室は離れで唯一の土足の部屋で、妖精たちの笑い声も、畳もどきの草の匂いもここまでは届かない。
東棟の練習室は、兄が留学前に剣の稽古に使っていたきり空いている。
クロードは本邸の家令に「お嬢様の護身術のお稽古」とだけ伝え、授業のある日は東棟の人払いを手配した。
父への月々の報告も、「護身術のお稽古は順調でございます」の一行で済ませるつもりらしい。
間違ったことは、ひとつも書いていない。
約束の時刻ぴったりに、玄関の呼び鈴が鳴った。
現れたのは、ラヴェリナの肩ほどの背の、小柄な老婦人だった。白い髪をきっちりと結い上げ、黒檀の杖をついている。皺の刻まれた顔の中で、灰色の目だけが年齢を置き忘れてきたように鋭かった。
「マルグリットと申します」
老婦人は応接室の椅子に腰を下ろすと、出された紅茶を一口飲んで、カップを置いた。
「宮廷を退いて十五年。もう弟子は取らないと決めておりましたがね。そちらの執事殿があんまりしつこいものですから」
「三度お伺いしただけでございます」
「四度ですよ。一度は門の前で待ち伏せでした」
「偶然通りかかったのでございます」
「朝の五時に?」
クロードは表情ひとつ変えずに一礼した。
クロードを言い負かす人を、ラヴェリナは初めて見た。
「さて、お嬢様」
灰色の目が、まっすぐこちらを向いた。
「何を習いたいのです。婚約者候補のご令嬢なら、せいぜい指先に灯りをともす魔法か、髪をきれいに巻く魔法あたりでしょう。先に申し上げておきますが、髪巻きは専門外ですよ」
「防御魔法と、浮遊魔法と、思念具現化魔法です」
ソーサーの上で、カップがかちりと鳴った。
マルグリット先生は、しばらく黙ってラヴェリナを見ていた。
「……もう一度」
「防御魔法と、浮遊魔法と――」
「最後のです」
「思念具現化魔法です」
「まさかその名前を、十歳の子供の口から聞くとは思いませんでしたよ。どこで知ったのです」
「公爵家の書庫で、『古き魔法とその衰微について』という本を読みました。七歳のときに」
「あの本を」
先生の眉が、ほんのわずかに持ち上がった。
「あれを最後まで読んだ人間が、わたくし以外にもいたとは。で、そんな廃れた術を、何に使うおつもりです」
「冤罪対策です」
「……は?」
ラヴェリナは背筋を伸ばし、危機回避計画の全容を説明した。
飲み物、服、階段。
そして、身に覚えのない罪を着せられる可能性。
「そのとき、その場に残っている思いを映し出せたら、何があったのか証明できますよね? なので、習いたいです」
先生は杖の頭に両手を重ね、長いこと黙っていた。
それから、喉の奥で短く笑った。
乾いた、けれど嫌な感じのしない笑いだった。
「階段から突き落とされる前提で魔法を習いたいというご令嬢は、あなたが初めてですよ」
「だめですか?」
「いいえ。臆病な人間は長生きします。わたくしが良い見本です」
先生は杖をついて立ち上がった。
「……おやりなさい。ただし、順番はわたくしが決めます。まずは防御。自分の身も守れない者に、過去を覗く資格はありませんよ」
◇ ◇ ◇
防御魔法の授業は、床板のあちこちに木剣の傷が残る練習室で始まった。
「魔力を体の外側に、薄く、均一に広げなさい。思い浮かべるのは、卵の殻ではなく石鹸の泡です。硬いものは割れる。泡はたわんで、押し返す」
言うが早いか、先生は豆の詰まったお手玉のような布袋を放ってきた。ラヴェリナが慌てて体の前に魔力を集めると、袋はぽすんと見えない何かに当たって落ちた。
「できた!」
「そうですか」
二つ目の袋は、横から飛んできて耳に当たった。
「前だけ守ってどうするんです。敵は礼儀正しく正面からだけで来てくれるとは限りませんよ」
三つ目は背中、四つ目は頭のてっぺん。
二日目の終わりには、ラヴェリナの額に豆袋の形の赤い跡がついていた。
「今のは防御ではありません。ただの祈りです」
コツを掴んだのは、一週間ほど経った頃だった。
膜を張るのではなく、お風呂に肩まで浸かったときのように、体のまわりを魔力で満たす。
そう考えを変えた途端、背中から飛んできた豆袋が、ぱしん、と淡い光を散らして弾かれた。
「……今のは、まあ、防御と呼んでもよろしいでしょう」
先生の褒め言葉は、いつもこんな感じだった。
呪文は何でも構わない、魔力に形を教えるための取っ手のようなものだ、と言われて、ラヴェリナは「守って」に決めた。
「まあ……子供らしい。でも、短いのは良いことですよ。戦場で長々と詠唱している魔導士から死んでいきますからね」
ところが、先生を膜の内側に入れようとした途端、足元の床が傾いたような気がした。
膝ががくりと落ち、額に汗がにじむ。倍の広さを包むだけなのに、減っていく魔力は倍どころではなかった。
「範囲を広げるほど、消耗は大きくなりますよ。それに、一日じゅう膜を張っていられる人間はいません」
ラヴェリナは床に座り込んだまま、手帳に書きつけた。
防御魔法、常時展開は不可。
範囲を広げると消耗が激しい。
――不意打ちの飲み物には、間に合わないかもしれない。防水加工は、やっぱり必要だ。
「何を書いているのです」
「失敗の記録です」
「……妙な子ですね」
そう言いながら、手帳を覗き込む先生の目は少しだけ面白がっていた。
◇ ◇ ◇
浮遊魔法の授業の日、先生はラヴェリナに乗馬服を着てくるよう命じた。
理由は、すぐに分かった。
「浮いて!」
魔力を体の下に集め、床を押すように持ち上げる。
ふわり、と足の裏が床から離れた――と思った次の瞬間、足だけがするすると上がり、頭がゆっくり下がっていった。
天井が床になり、床が天井になる。結い上げていた髪がほどけて、金色の束が逆さまに垂れ下がった。
「せ、先生っ、回ってます! 止まらないです!」
「重心をお腹に置けと言ったでしょう。頭に置く人がありますか」
「頭に置いたつもりはありません!」
「では、あなたのお腹は頭にあるのですね」
逆さまのまま、ラヴェリナは空中でゆっくりと一回転した。串に刺さって炙られている肉の気持ちが、分かる気がした。
そこへ、お茶の盆を持ったアンナが扉を開けた。
アンナは、宙で回るラヴェリナを見た。
ラヴェリナも、逆さまのまま侍女を見た。
「……お嬢様」
先生は眉ひとつ動かさず、
「お茶はそこへ置いておきなさい」とだけ言った。
回らずに浮かぶようになるまで、十日かかった。
「落下を止めなさい。飛び降りて、床につく前に止まるのです」
先生が指したのは、膝の高さほどの踏み台だった。
最初の十回は普通に着地し、次の十回は尻もちをついた。二十一回目、足の裏が床に触れる寸前で、体がふっと軽くなった。
「と、止まった……!」
「床から指一本分のところで止まるのを、止まったとは言いません。階段から突き落とされたとき、最後の一段で止まって何になります」
正論だった。
踏み台は、やがて東棟の階段の踊り場になった。
人払いの済んだ東棟はしんと静まり返り、階段の下にはマットレスが三枚、そのそばにはアンナが祈るような顔で控えている。
旦那様には護身術のお稽古とだけ、とクロードに念を押されて以来、アンナはこの稽古のことを誰にも漏らしていない。
踊り場から飛んだ瞬間、胃が喉まで持ち上がる。落ちる。怖い。怖いけれど、落ちながら考える余裕がある。お腹に重心。体の下に魔力。
「――浮いて!」
重ねたマットレスの上、手のひら二枚分ほどのところで、ラヴェリナの体はぴたりと止まった。
木の葉が舞い落ちるようにゆっくりと、マットレスに降りる。
見上げると、踊り場の手すりから先生がこちらを見下ろしていた。
「まあ、止まったと言ってもよろしいでしょう」
アンナは両手で顔を覆ってしゃがみこんでいた。




