第12話 なんちゃって畳と、離れの秘密
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本作は完結まで執筆済みです。
最終話まで更新が止まることはありませんので、ご安心してお楽しみください。
靴を脱ぐ暮らしが、すっかり離れの当たり前になった頃。
九歳のラヴェリナは、ふかふかの絨毯に寝転がったまま天井に向かって呟いた。
「……畳が欲しい」
絨毯に文句はない。けれど素足で暮らすようになったことで、前世の和室を思い出してしまった。
夏は大の字で昼寝をして、冬は炬燵に入って、みかんを食べながら漫画を読んだ。足の裏のさらりとした草の感触と、日なたで温まった干し草のような匂い。
「たたみ?」
ルルがお腹の上に着地した。
「固めの板みたいなのに、草を細かく編んだものが張ってあって、床に敷き詰めるの」
「なんで」
「気持ちいいから」
「またそれかよ」
「その上に直接座れるし、寝転がれるんだよ!」
「床に寝るのか?」
「床じゃなくて、畳!」
「床に敷くんだろ?」
「……そうなんだけど」
この違いは、どうしても伝わらないらしい。ただ、草を編んだ敷物なら森の近くの村で見たことがある、とルルはあっさり言った。
「それ!」
ラヴェリナが跳ね起き、ルルが転がり落ちた。
「いてっ! おい!」
近いものがあるなら作れる。ないなら作る。前世から変わらない基本方針である。
◇ ◇ ◇
クロードは、
「床に、寝転がるのでございますか。お嬢様が」
と一度だけ眉を上げ、それ以上は追及せずに市場へ出かけていった。
離れに移って一年と少し。この老執事も、ラヴェリナの思いつきにはすっかり慣れている。
並べられた敷物の中から、ラヴェリナは細い草を密に編み込んだ淡い黄緑の一枚を選んだ。
下地には羊毛と藁を固く詰めて布で包んだ芯。
少し沈んで押し返してくるくらいの硬さがいい。
縁は厚手の布でぐるりと補強する。
裁つのも縫うのもメイドたちの仕事で、縁縫いを引き受けたメアリーが、途中でふと針を止めた。
「お嬢様。縁の布、この濃い緑にいたしませんか。並べたとき、境目がきれいに見えると思います」
「メアリー、分かってる!」
三度作り直して、ようやく一枚目が仕上がった。前世の畳とは形も香りもまるで違う。
「なんちゃって畳、完成!」
「なんちゃって……とは」
「そこは気にしないで」
同じものを何枚も作ってもらい、空き部屋に隙間な
く敷き詰めた。
素足で一歩踏み出すと、さらりとした草の感触がして、柔らかすぎずに押し返してきた。
ラヴェリナは部屋の真ん中まで歩き、そのまま後ろ向きに倒れ込んだ。
「お、お嬢様!?」
メイドたちの悲鳴を背中で聞きながら大の字になる。窓からの風が、草の匂いをかすかに運んできた。
「これこれ……!」
妖精たちも降りてきて、
「普通の床じゃん」
と言っていたルルが、しぶしぶ仰向けになって黙り込んだ。
「……悪くねーな。俺、飛べるから床あんまり関係ねーけど」
「それは言わないの!」
ポロはとっくに畳の目に頬をつけて、寝息を立てていた。
◇ ◇ ◇
畳の部屋には、脚の短い低いテーブルが運び込まれた。椅子は置かない。
その日の午後、帳面を持って報告に来たクロードに、ラヴェリナはテーブルの向かい側を指さした。
「座ってみて」
「私が、でございますか。……床に」
「畳!」
「……畳に」
公爵家の令嬢が床に座るだけでも、祖父の代から仕えてきた老執事の常識は軋んでいる。そこへ自分も座れと言われたのだ。
長い沈黙のあと、クロードは室内履きを揃えて脱ぎ、ぎこちなく膝を折った。背筋を伸ばして正座のような形になり、足を崩し、また戻し、また崩す。
「どう?」
クロードは、畳の上に置いた自分の手を見下ろした。
「……なかなか、落ち着きますな」
「でしょー!」
ひと月ほどして、クロードの私室の扉の隙間から、濃い緑の縁がちらりと見えた。
「クロード。部屋に畳、入れたでしょ」
「足を休めるには、きわめて合理的でございますので」
室内履きのときとまったく同じ顔だった。
メイドたちにも自室の床を選ばせたところ、きれいに半々に分かれた。メアリーは畳派で、仕事のあとに畳の上で繕い物をするのが楽しみになったらしい。
絨毯派は「寝転がるなら断然こちらです」と譲らず、休憩室ではときどき静かな論争が起きている。
◇ ◇ ◇
ある日、ラヴェリナはクロードとメイドたちを畳の部屋に集めた。全員が低いテーブルを囲んで畳に座っている。本邸の人間が見たら腰を抜かす光景だ。
「この離れでやってることは、本邸の人には内緒にしてください。妖精さんのことだけじゃなくて、ここの暮らしのこと全部。お義母様とリアにも」
メアリーが意外そうな顔をした。
「お二人とも、とてもお優しい方ですのに」
「優しいから、困るの。リアに話したら絶対に来たがるし、来たら妖精さんに会っちゃうし、そしたらお義母様にもお父様にも……」
それに、おはなしの夜のこともある。
リアが目を輝かせて聞いてくれるお話が、全部離れの棚に並んだ自作の小説だと知られたら――考えただけで顔から火が出る。
ラヴェリナは少し考えてから、ぽつりと付け加えた。
「それにね。本邸に知られたら、みんな、交代制になるかもしれないよ?」
空気が止まった。
メイドたちは一斉に自分の足元を見た。軽い室内履き。今座っている畳もどき。全員の顔から、すっと表情が消えた。
「秘密は厳守いたします」
「当然でございます」
「死んでも申しません」
「……みんな、急にすごいね」
言い出したラヴェリナの方が少し引いた。
クロードが静かに頷く。
「使用人には、主家の私生活をみだりに口外せぬ義務がございますので。加えて、この暮らしを手放す理由も特にございません」
「そっちもあるんだ……」
――ここで見たことは、本邸では話さない。
離れに、一つの掟ができた。
◇ ◇ ◇
その掟をさらに固くしたのが、離れの厨房だった。
「甘くて、ぷるぷるしてて、上にほろ苦い茶色いソースがかかってるの!」
「……また不思議なものを」
本邸の厨房の半分にも満たない小さな厨房は、いつの間にかラヴェリナ専用になっている。
火と刃物と重い鍋は九歳の手に負えないから、ラヴェリナが口で説明し、メイドが手を動かす。
「そこ、泡立てないで。静かに混ぜるの。火は弱く、もっと弱く!」
「消えてしまいそうですが」
「それくらいでいいの!」
前世で菓子職人だったわけではない。
覚えているのは動画で見たうろ覚えの手順と、コンビニの棚のあの味だけだ。
プリンは一回目に「す」が立ち、
二回目は固くなり、
三回目はカラメルが苦いだけの黒い液体になった。
そのたびにラヴェリナは手帳に分量と火加減を書きつけ、四回目、皿の上で淡い黄色の山がふるんと揺れた。
メイドたちは一匙ずつ口に運んで揃って動きを止め、メアリーの隣の一人は無言で二匙目をすくった。
遅れて来たクロードも一口食べて、しばらく黙ってから匙を置いた。
「……本邸の料理長には、お見せにならぬ方がよろしいかと。料理人としての誇りが、傷つきかねません」
この老執事なりの、最大級の賛辞らしかった。
◇ ◇ ◇
その夜、本邸の食堂で、リアがくんくんと鼻を鳴らした。
「お姉様、なんだか甘いにおいがする」
ラヴェリナはスープの匙を持ったまま固まった。
「き、今日、厨房の前を通ってきたからかな!」
「本邸の厨房、今日は何も焼いておりませんでしたわよ」
セシリアが首を傾げる。背中を冷たい汗が一筋流れた。
「……離れの厨房で、ちょっとだけ、クッキーを。作るのはメイドで、私は見てるだけです!」
「いいなあ。わたしもお姉様のクッキー、食べたい」
「こ、今度持ってくるね。普通のクッキー」
普通、にやけに力がこもった。父がワインのグラスを置いて、じっとラヴェリナを見る。
身構えたが、父はほんの少しだけ口の端を上げた。
「……持ってくるなら、私の分もたのむ」
リアが「お父様も!」と声を上げ、セシリアが小さく笑った。父が食卓でこういうことを言うのも、ここ最近はようやく珍しくなくなってきた。
翌日、ラヴェリナは魔力を込めていないごく普通のクッキーを焼いてもらい、本邸に届けた。
◇ ◇ ◇
それからひと月ほど経った午後。
離れの休憩室で、メイドの一人が声を潜めた。
「本邸に、また新しいメイドが入ったそうですよ。若くて、よく気がつく子だとか」
会話が途切れた。
「……まさか、離れに来たいなんて言い出しませんよね」
「広まらなければよいのです」
メアリーの視線の先には、揃えて脱がれた室内履きと、扉の向こうの濃い緑の縁と、続きを待つコミックの棚。彼女は焼き菓子を一つ手に取り、じっと見つめてから、きっぱりと口に運んだ。
「この離れのメイドの座は、誰にも渡しません」
ほかのメイドたちが、黙って深く頷いた。
窓の外でそれを覗いていたルルは、そろそろと後ずさった。
「……人間って、おっかねーな」




