第11話 離れの秘密――妖精たちを紹介します
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本作は完結まで執筆済みです。
最終話まで更新が止まることはありませんので、ご安心してお楽しみください。
離れに移って一年が過ぎ、九歳の誕生日が近づいてきた頃。
棚の小説は二十冊を超え、コミックはついに二段目にまで進出した。書くものが増えれば、描く者も増える。描く者が増えれば、住む者も増える。
つまり、妖精が増えた。
一年もの間、妖精たちは人の気配がすると器用に姿を隠してきた。けれど、これだけ数が増えてしまえば、それもそろそろ限界だ。
「……さすがに、もう無理だよね」
最初はルル一人の城だった二階建てのドールハウスは、満員を通り越して飽和していた。
ベッドの上に三人、屋根の上に四人、窓枠に腰かけて脚をぶらぶらさせているのが二人。階段の途中で丸まって眠るポロをまたごうとした誰かが転んで、ちょっとした騒ぎになったり。
「わたしの枕とったの誰!?」
「俺じゃねーよ! 俺はこいつの毛布とっただけだ!」
「それも駄目でしょ!」
ルルの自白に、抗議の声が一斉に上がった。
ラヴェリナは指を折って数えた。十一、十二。カーテンの陰から一人出てきて十三。窓から入ってきたのは、確か先週はいなかった顔だ。
「……ねえ、今、何人いるの?」
「さあ? 友達の友達が来てるからー」
誰一人として把握していなかった。
「よし。妖精さん専用のお部屋を作ろう」
ドールハウスが爆発したような歓声に包まれた。
離れには使っていない部屋がいくつもある。
ラヴェリナの部屋の二つ隣、南向きの一室を丸ごと居住区にして、壁際に妖精用の小さな家を並べる。
その隣の部屋は、絵を描いたりコミックを作ったりするためのアトリエにする。
ただ、膨らんだ構想はすぐに一枚の扉にぶつかった。手のひらに乗るほどの妖精たちには、真鍮の取っ手が回せない。居住区とアトリエと廊下と、それから外。行き来しようと思えば、扉はすべて障害物になる。
「じゃあ、妖精さんが使う部屋の扉は外しちゃおう。最初からなければ、開ける必要もないでしょ」
「あったまいい!」
「外への出入り口は……窓の一部分に、手のひらほどの妖精さん用の出入り口を作って、雨が吹き込まないようにする」
「森にも行ける!」
「友達も呼べる!」
「……友達は、増えすぎない程度にしてね」
「それは無理かもー」
「無理なの!?」
盛り上がる妖精たちを眺めながら、ラヴェリナはふと冷静になった。
扉を外し、家具を運び、窓を加工する。大工も職人も要るし、使用人たちに気づかれずに部屋を二つも改装するなど、どう考えても不可能だ。
「うん。……みんなに話そう」
ルルが、ドールハウスの屋根からラヴェリナを見下ろした。
「いいのか」
「うん。クロードもメイドのみんなも、一年一緒に暮らして、信用できるって分かったから」
義母とリアにも、秘密にしている。
毎晩、夕食で、リアが
「今日は、お姉様はお部屋で何をしてたの?」
と聞いてくるたび、ごまかすのに苦労しているのだ。
◇ ◇ ◇
翌日、ラヴェリナはクロードと住み込みのメイドたちを自室に集めた。膝の上で握った手に、汗がにじむ。
「みんなに、秘密にしてほしいことがあります」
「承知いたしました」
「まだ内容言ってないよ」
「お嬢様が秘密にとお望みでしたら、まずは伺うのが私どもの務めでございます」
少しだけ肩の力が抜けた。
「この離れには、妖精が住んでいます」
部屋が静まり返った。
一番年上のメイドが、困ったような微笑みを浮かべて一歩前に出た。
メアリー。
二十歳になったばかりで、メイドたちのまとめ役だ。手先が器用で慎重で、ラヴェリナの思いつきに最初に眉をひそめるのはたいてい彼女だった。
「お嬢様。妖精というのは、その……物語に出てくる?」
「本物の妖精です」
「……さようでございますか」
メアリーは優しく頷いた。
幼いお嬢様の空想に付き合う大人の顔だった。
後ろのメイドたちも同じ顔で頷き、クロードに至っては
「近頃、読書に熱心でいらっしゃいますからな」
と一人で納得している。
「信じてないでしょ」
「いえ、決してそのような――」
「ルルー! もういいよー!」
本棚の陰から、小さな影がふわりと飛び出した。薄い羽根が窓の光を透かしてきらめく。
手のひらほどの少年が、面倒くさそうに腕を組んで、メイドたちの目の高さでぴたりと止まった。
「どうも」
誰も動かなかった。
メアリーの手から、布巾が床に落ちた。
「まだいるよ。みんな、出てきていいよー!」
「やっとー?」
棚の上から、カーテンの陰から、本の隙間から。色とりどりの羽が次々と舞い上がる。数えていたメイドの唇が、途中で数えるのをやめた。
クロードはゆっくりと目を閉じ、深く息を吸ってから、もう一度開いた。
やはりいた。
「……お嬢様。一人では、ないのでございますね」
「うん」
「何人ほど」
「それがね、正確には分かんないの」
天井近くでは
「動くな! 数えられない!」
「お前さっきあっちにいただろ!」
と妖精同士が揉めている。
クロードは深々と、それはもう深々と息を吐いた。
その隣で、メアリーが胸の前で両手を組んでいた。
「……綺麗」
ぽつりとこぼれた声は、さっきまでの大人の顔とはまるで違っていた。
目の前に一人の妖精が降りてきて、小首をかしげて笑う。メアリーは息を止めたまま固まっていた。
◇ ◇ ◇
隣の部屋では、引っ越しを待ちきれない妖精たちが机を占領して、コミックの原稿に取りかかっていた。
「その台詞、吹き出しに入らない!」
「俺がやる、貸せ!」
という声に、メイドたちは戸口で二度目の硬直を起こした。
「私がお話を書いて、妖精さんたちが絵にして、一緒に作ってるの」
ラヴェリナは、妖精たち専用の部屋を作り、屋外や室内を自由に動き回れるようにしたいと説明した。
すると、クロードは、
妖精を見た。
ラヴェリナを見た。
原稿の山を見た。
「……なるほど」
まったく納得したようには見えないが、頷きながら、クロードは執事として確認を始めた。
「扉を外すのは、居住区とアトリエでよろしゅうございますか。お嬢様のお部屋については、妖精用の小さな通用口を設ける、と。窓の出入り口は、職人に用途を伏せねばなりますまい。……お嬢様が伝書鳩の飼育にご興味をお持ちになった、ということにいたしましょう。鳩の出入り口でございます」
「クロード、天才!」
「恐れ入ります」
その横では、メアリーが妖精用の寝台の図面を覗き込んでいた。
「この大きさでしたら、端切れで布団と枕を縫えます。……作らせていただけますか」
さっきまで空想に付き合う顔をしていた人が、真剣な目で枕の寸法を測っている。
ラヴェリナは棚の小説とコミックを指さし、机の引き出しから一冊の帳面を取り出した。
表紙には、ラヴェリナの字で「貸出帳」。
「みんなも読んでいいよ。ただし! 借りるときは名前と借りた日、返したら返した日を書くこと。返すのは一週間以内!」
前世の図書館の貸出カードを思い出して作ったものだ。こういうところは妙にきっちりしている、と自分でも思う。
最初に手を挙げたのはメアリーだった。
丁寧な字で名前を書き入れ、一巻目のコミックを大事そうに胸に抱えていった。
◇ ◇ ◇
翌朝、朝食の給仕に来たメアリーの目の下には、うっすらと隈があった。
「コミック、読んだ?」
「……拝読いたしました」
メアリーはティーポットを置き、姿勢を正した。
「お嬢様。二巻目はございますか。今すぐにでも貸していただきたく存じます」
「給仕の途中だよ?」
「承知しております。ですので、休憩時間に」
その日の昼、休憩室から
「最後のページで風の精霊が振り返るの。台詞がないのに、何を訴えているのか分かってしまうの……とても面白いから、あなたも読みなさい」
という熱弁が聞こえてきた。
数日のうちにメアリーは三巻目と四巻目を同時に借り、ほかのメイドは一巻目の順番待ちを始めた。
「お嬢様、この物語の続きは」
「今、妖精さんたちが描いてるところ。急かさないであげてね」
「お菓子があれば頑張れるー!」
アトリエから飛んできた声に、メアリーは妖精たちの背中をじっと見つめた。
「……私の休憩時間のクッキーを、差し入れてもよろしいでしょうか」
◇ ◇ ◇
ひと月後、居住区とアトリエは完成した。
扉のなくなった戸口を妖精たちが自由に飛び交い、窓の隅の「鳩の出入り口」からは、朝は森へ出かける小さな影が、夕方には戻ってくる影が見える。
壁際には、メアリーの縫った布団と枕の並ぶ小さな家が、ずらりと軒を連ねていた。
その夕方、ラヴェリナはアトリエの貸出帳を何気なく開いた。ページはもう半分近くが埋まっている。
メアリー、
メアリー、
ほかのメイドの名前、
またメアリー。
そしていちばん新しい行に、端正で几帳面な筆跡があった。
借りた日、昨日。
題名、『風の精霊と、忘れられた森』第一巻。
借り手の欄には――クロード。
返却日の欄は、まだ空白だった。
「……クロード」
「何でございましょう」
いつの間にか、背後に老執事が立っていた。
「これ」
「業務の一環でございます。離れに保管されております書物の内容を把握しておくのは、執事の務めでございますので」
「……二巻目、明日には返却されるってメアリーが言ってたよ」
「さようでございますか」
クロードは軽く一礼してアトリエを出ていった。
その足が、廊下の角を曲がる直前、ほんの少しだけ速くなった。




