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20/22

20.朝はフワフワパンケーキ


【おしらせ】

エッゾから、「オゼ」に変更しました。

以後、オゼ帝国でいきますので、よろしくお願いします。

 貴族令嬢、レティシア。

 『加護なし』であるために婚約破棄された彼女は、北の果てに存在する【オゼ】皇国へと嫁ぐことになった。


 そこで待っていたのは、彼女と同じく加護を持たない皇族の青年、ルーク。


 同様の悩みを抱えながらも、決して腐ることなく前を向いて、自分のしたいことをするレティシアに、彼は次第に惹かれていく。


 オゼに到着したレティシアは、そこでルークの姉アリエッタと出会い、美味しい『食事』を通して、長年すれ違っていたルークとの姉弟仲を改善させる。


 そして、オゼの現皇帝代行であるルークの長兄・カーティスが、先住民族であるエミシの民との会合から帰ってこないというトラブルに見舞われた。

 レティシアはルーク、アリエッタ達とともに、会合の場であるオタ・ルへと向かう。


 そこで待っていたのは、空腹のあまり街を氷の結界に閉じ込めてしまっていた、伝説の氷竜だった。

 レティシアは持ち前の腕前で絶品の料理(ジンギスカン)を作り、氷竜、エミシの民、そしてオゼの民――対立していた三者の間にあった深い歴史のわだかまりすらも、見事に解消してみせたのだ。


 ルークの兄であるカーティスを無事救出することに成功した一行は、そのまま無事に帝都へと帰還したのである……。


    ◇


 ルーク・O・ヴォルフシュタイン。

 彼の朝は、早い。彼が起きてまず最初にする日課は、帝都サッ・ポロの外にいる魔物を人知れず狩ることだった。


 現在、ルークたちが寝起きしているのは、オゼの帝城から少し離れたところにある『離れ』だ。

 常人離れした聴覚を持つルークを静かな環境で休ませるため、姉であるアリエッタが莫大な予算をかけて特別に設えた『防音室』である。


 姉のその不器用な優しさに気づけたのも、すべてはレティシアのおかげであったわけで……。


「……レティシア?」


 ふと、ルークはレティシアが隣にいないことに気がついた。昨夜は確かに同じ部屋で寝たはずだったのだが。

 いつの間にか、彼女の姿が忽然と消えているのである。


「!」


 ルークは弾かれたように立ち上がり、走った。まさか、何者かに誘拐されたのではないか?

 そんな強烈な焦燥感が、彼の足を無意識に動かしていた。


「レティシア! どこだっ!」


 ルークは離れを飛び出し、走り出す。早朝のオゼはとてつもなく寒い。空に浮かぶ人工太陽の魔道具のおかげで、ある程度の寒さは緩和している……はずなのだが。


 やはり北国の朝晩は芯から冷え込むのである。ルークは焦るあまりサッ・ポロの街へ飛び出し、愛しい妻の音を必死に拾おうとする。

 だが、いくら耳を澄ませても、彼女の音がどこにもないのだ。


「レティシア……! レティシア……!」


 街を回り、再び城へと向かう。城中に轟くような大声で、彼は愛しい嫁の名前を何度も呼んだ。


「どうしたんだい、ルーク……?」

「兄上……!」


 徹夜明けなのか、ひどく眠そうに目をこすっている長兄……カーティスが廊下を歩いていた。

 眼鏡をかけた優男風の彼に、ルークは勢いよく詰め寄る。


「レティシアがいない!」

「いない……?」

「ああ! 誘拐されたのだ……きっと! 己……犯人は必ず見つけ出し、ぶち殺す……!」

「まあまあ、待つんだルーク。……離れの中を、よく探したのかい?」

「なに……?」


「すぐに飛び出したようだけど、案外、部屋の中のどこかにいるかもしれないだろう?」

「しかし、一緒に寝ていたはずなんだが……」


 やれやれ、とカーティスは苦笑しながらため息をつく。


「灯台下暗し、という言葉もある。僕も一緒に探そう」

「兄上……」


 ルークには、魔力を持たないゼロ者特有の、特異な体質がある。彼は魔力を持って生まれなかった代わりに、天与の『ギフテッド』として、超人的な聴覚と腕力を手に入れたのだ。


 彼の耳は、相手の声に込められた魔力の響きから、感情《こころ》の色を正確に読み解くことができる。


(兄上の声の響きからは……どこか楽しげで、嬉しそうな感情が聞こえてくる。どういうことなんだ……?)


 困惑しながらも、カーティスと共に離れへと戻り、レティシアを探しに行く。

 そして……。


「ほら、いるじゃないか」

「………………ああ」


 レティシアは、いた。離れの台所に、元気に立っていたのである。


「ふんふんふーん……♪」


 愛しい嫁が、鼻歌を歌いながら楽しそうに台所に立って、何かの料理をしている。エプロン姿の小柄で、可愛らしい少女だ。

 レティシアの無事を知って、ルークはその場にくたり、と安堵でへたり込んだ。


「あ、ルーク! それに……カーティスお義兄様?」


 くるり、と振り返ったレティシアが、ルークを、そして後ろにいる義理の兄を見て、不思議そうに首を傾げた。ルークはともかく、カーティスまでが早朝の離れにいることに戸惑っているようだ。


「おはよう、レティシアさん」

「おはようございますっ。あの、ちょうど朝食を今作っているのですけれど、ご一緒にいかがですか?」


「ありがとう。喜んでいただくよ。ほら、ルーク。座って待っていようか」

「……ああ」


 ルークたちは、リビングのテーブルの前に腰を下ろす。

 すると、テーブルの上にはすでに、大勢の小さな存在達が陣取っていた。


「精霊が……朝からこんなに……」


 精霊。この世界に住む、確かな意志を持つ魔力の塊。

 通常、高位の魔法使いでもない限り、精霊を明確に目にすることのできる人間は存在しない。


 しかし、同じく魔力ゼロの特異な目を持つレティシアには彼らの姿がはっきりと見え、そして当たり前のように交流することができるのだ。

 ルークもまた、彼女の料理を食べるようになってから、魔力の塊である精霊の姿をぼんやりとだが感じ取ることができるようになっていた。


「精霊がいるのかい?」


 魔力はあっても加護を持たない一般人のカーティスには、目の前の光景が見えていないのだ。


「はい。皆が、レティシアの料理を待ちわびています」


 二頭身くらいの可愛らしい存在達が、テーブルの上にお行儀よく座っている。

 首にナプキンを巻いている者、すでに小さなナイフとフォークを両手に構えている者。パッと見でわかる。皆が、レティシアの朝食を今か今かと待ちわびているのだ。


『くっくるくー!』


「って、コロポックルまでいるし……」


『くー!』


 コロポックル。オゼの霊獣だ。人の姿をしているが、大自然の化身ともいえる神聖な霊的存在。

 オゼの民はコロポックルを、不可侵の神聖な存在として長年崇めてきた。そんな伝説の神獣たちもまた、レティシアのご飯が楽しみでならないらしい。


 よく見れば、台所にいるレティシアの周りには、コロポックルが大勢群がっていた。皆、エプロンの裾を引っ張ったり、彼女の髪の毛にぶら下がったりして遊んでいる。


「あれは……一体どういう状況になっているんだろうね」

「『まだかな、まだかな』と、急かしております」


 レティシアにはない技能――精霊やコロポックル、果ては魔物の声の『意味』を言葉として正確に聞き取るということが、今のルークにはできる。


「じゃーん! 完成しましたよ!」


 程なくして、レティシアは湯気を立てる大皿を持って、こちらへとやってきた。


 分厚いフカフカのパン生地が、三段にも重なっている。その上からは、とろけるバターと黄金色の蜂蜜がたっぷりと惜しげもなくかけられていた……。


「特製・パンケーキの完成ですわ……!」


    ◇


 ルークらは、レティシアの作る魔法《りょうり》を前にして、驚愕を禁じ得なかった。


「パン……?」「これが、パンだって!? 信じられない……!」


 特に、レティシアの料理をまだそれほど食べたことのないカーティスは、目を剥いて叫んでいた。


「信じられない……パンと言ったら、もっと固くて黒いものだよ……? こんな……ふわっふわな……まるで雲かスポンジのようじゃないか……!?」


 カーティスと同様に、精霊達も『うぉおー!』と大歓声を上げて驚いている。

 待ちきれなかった気の早い精霊のひとりが、三段重ねのパンケーキの上に向かって大ジャンプした。


 精霊がパンケーキの上に着地すると、ぷるんっ! と、瑞々しくも軽やかな揺れ方をした。

 それを見た他の精霊達やコロポックル達も『うぉー!』と叫び、レティシアの作った芸術品《りょうり》に対して、盛大な賛辞の拍手を送っている。


「どうやってこんなにふわふわに……?」

「卵を卵黄と卵白に分け、卵黄に牛乳と薄力粉とベーキングパウダーを加えてよく混ぜます。次に、卵白にお砂糖を加えてツノが立つまで泡立て、メレンゲを作りますの。最後にその二つを、泡を潰さないように少しずつ混ぜながら生地を作ります。そして、熱した鉄板の上に生地を乗せ、蓋をしてふっくらと蒸し焼きにすると……完成ですわ!」


 カーティス、そしてルークにとっても、レティシアの淀みない料理手順の説明は、まるで高度な魔法の詠唱呪文のように聞こえた。

 そして……出来上がったこのパンケーキもまた、通常では見たこともない……まさしく極上の魔法の産物にしか見えない。


「さあさあ、ふわふわの熱いうちにどうぞ!」

「……いただこう」


 まじまじと見つめて戸惑うカーティスをよそに、ルークはフォークを手に取り、パンケーキを少し掬い取る。

 ふわ……。


 それは、まるで羽毛のごとき軽さだった。そして……口に含んだ瞬間、ルークは驚きに目を見張った。


「ふわふわだ……。噛む必要すらない、舌の上で溶けていくぞ!? これが、本当にあの固いパンと同じものなのか!?」


 この世界でいうところのパンとは、雑味があり、保存食のように固い黒パンが主流だ。

 噛みちぎるのにも一苦労するはずの、パン。それが、こちらのパンケーキはどうだ。


 極上の柔らかさと、バターの塩気、蜂蜜の甘さが口の中で完璧に混ざり合う。


 カーティスもおそるおそる一口食べると、「う……美味すぎる……!」と震え、何度もフォークを動かしてパンケーキを口に運び始めた。


「こんなに美味しい料理は……人生初だ! いや、この間のオタ・ルでの会談の時にもいただいたが……本当に、君の料理は何度食べても信じられないほど美味しいな……」


 義理の長兄も心から満足しているのを見て、レティシアは嬉しそうに何度も頷く。


「ところで、ルーク。朝はどこかへ血相を変えて飛び出していったようですが……どうしたんですか? 魔物狩りのお時間でしたの?」

「え!? あ、それは……」


 ……ルークは、激しく口ごもった。彼にとっては、初めて覚える感覚だった。


(まさか、お前が誘拐されたのではないかと……勘違いして焦って探し回っていたなんて……。そんなこと、恥ずかしくて言えるわけがない……っ)


 すると、隣のカーティスが「ああ、ごめんな、レティシアさん」と、さりげなく申し訳なさそうに頭を下げた。


「僕が、緊急に彼を呼び出したんだ。ちょっと魔物退治のことで、彼に直接聞きたいことがあってね。それで、君が美味しい朝食を作っているっていうから、こうしてちゃっかりご相伴にあがったというわけさ」


「ああ、そうだったのですね」


 ルークはハッとして兄を見る。兄は、悪戯っぽく微笑みながら小さくウィンクしてみせた。

 カーティスから伝わってくるのは、純粋な弟を想う優しさの音色。弟が妻の前で恥ずかしい思いをしないように、という配慮の気持ち。


 彼は、弟の、男としての不器用なプライドを機転を利かせて守ってくれたのだ。


「兄上、ありがとう」


 知らず、心の底からの言葉が口をついて出た。カーティスは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに「気にするな」と首を振る。


「今のことだけじゃない」

「え?」


「俺に嫁を取れと言って、他国に頭を下げて、レティシアをこの国へ迎え入れてくれたこと。……本当に、感謝している」

「ルーク……」


 今まで、ルークは、兄や姉は自分のことを疎み、嫌っているのだと思い込んでいた。

 自分のような加護なしを産んだことで、ルークたちの母は命を落としてしまった……そう、周囲の貴族たちは陰口を叩いていたから。


 きっと、優秀な兄たちも心の底ではそう思っているに違いない。ルークはずっと耳を塞ぎ、兄や姉たちと正面から向き合ってこなかった。


 だが……。

 レティシアが、作ってくれたのだ。向き合うための機会を。温かい家族の食卓を。


 だからこそ……こうして普段は絶対に言えないような素直な感謝を、面と向かって伝えることができている。


「いちいち、身内に感謝の言葉なんて言わなくていい。お前が心の中でそう感じてくれているってだけで、兄貴としては十分に嬉しいものだよ」


 兄の言葉に、嘘偽りは一切なかった。彼の魔力《こころ》は、本当に嬉しそうな、温かい音を奏でている。


「レティシアさん」

「はい?」


 レティシアは、今や完全にパンケーキ焼き機と化していた。美味しそうな匂いにつられて、城の周囲にいた精霊達が次から次へと朝食を食べにやってきているのだ。

 彼女は大忙しで、それでいて最高に楽しそうに、フライパンを振ってパンケーキを何枚も焼いている。


「今、ちょっと手が離せなくて大忙しですので! 火急のご用件でなければ、後にしていただいてもよろしいですか!」

「そっか。じゃあ大丈夫だよ。とびきり美味しい料理を、本当にありがとう」

「いえいえ! どういたしましてー! 待っててね、みんなー!」


 たくさんのフライパンを器用に並べ、次々とふっくらとしたパンケーキを焼き上げていくレティシア。

 魔力《こころ》の色なんて見えなくても、ルークにもカーティスにも十分にわかる。彼女が本当に料理を愛し、楽しそうに作っているということに。


「彼女の本当に凄いところは……その『とんでもなく凄いこと』をしている自覚が、まるで無いというところだね」


 今まで何年も兄弟の間にあった重い歴史のわだかまりを、たった一度の食事で一瞬にして解消してしまう。オゼの狂犬と呼ばれ、心を閉ざしていた男を、ここまで素直に変えてしまう。


 こんなの、どれほど高位の魔法使いにも、為政者にもできない所業なのに。彼女はそれをやってのけても……別になんとも思っていない。

 そもそも、そんな偉業を成し遂げようなどとは、最初からこれっぽっちも思っていないのだろう。


 ただ彼女は、「誰かのために美味しいご飯を作った」。本当に、ただそれだけなのだから。


「ルーク。さっきお前、自分自身の行動が『恥ずかしい』って思っただろう」


 朝起きてレティシアがいなくて、激しく動揺し、我を忘れて探しに出掛けたということを、言えなかった。レティシアにその余裕のなさを知られるのが、恥ずかしかったのだ。


「その『恥ずかしい』って思える素直な気持ち、大事にしろよ。……君の愛する、可愛いお嫁さんと同じくらいに、ね」


 人間らしい自分の素直な気持ち、そして……レティシア。どちらも手放さず大事にするようにと、兄は弟に優しく諭す。

 ルークは深く息を吐き、そして、力強く素直に頷くのだった。


応援ありがとうございます!

たくさんの応援のおかげで、二章スタートできました!

今後ともよろしくお願いします!



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