17.腹ぺこドラゴンとの遭遇
皇帝の離れで、和やかに食事会をしていたルークたち。
そこへ……ヒュースが血相を変えて飛び込んできた。
「ルーク様! アリエッタ様! 急報! 急報でございます!」
レティシアの目には、ヒュースから放たれる魔力の色がはっきりと見えている。その魔力は、凄まじい警戒と焦燥の色に染まっていた。ルークもまた、彼の切羽詰まった声の音から、ただ事ではないと悟ったのだろう。
先ほどまでの穏やかな空気を一変させ、ヒュースに詰め寄る。
「エミシの集落へ会談に向かっていた、カーティス様の部隊からの定期連絡が……途絶えました!」
「連絡が途絶えた……だと!?」
「エミシ……」
(ゲームで、聞いたことがあるワードだわ。エミシ……)
それは、エッゾの奥地に住む先住民族のことだ。現実世界のアイヌをモチーフにした彼らは、エッゾの皇族の祖先によって土地を奪われたという歴史的背景があり、エッゾとエミシの間には長く深い溝ができている。
レティシアはこの世界がゲームであることを知っているため、エッゾの裏設定としての歴史もある程度把握しているのだ。
アリエッタは「……不首尾に終わったか」と、ギリッと強く歯噛みする。
「兄上は、エミシとの長きにわたる不仲をなんとか解消しようと、危険を承知で会談に臨んだのだ」
(なるほど……だからカーティス様の姿が見えなかったのですね……)
彼らの父であり、現エッゾ皇帝であるお父様は、今もこの部屋の病床で静かに眠り続けている。ゆえに、現在エッゾの政を実質的に仕切っているのは、長兄のカーティスなのだという。
「連絡が途絶えた原因は、通信の魔道具の故障ではないのか?」
と、ルークが鋭く尋ねる。
「はい。吹雪による魔力障害の可能性も探りましたが、護衛の騎士たちが放つはずの『生存信号』の魔法すら上がりません。……最悪の場合、エミシの者たちと武力衝突に発展し、囚われたか……あるいは……」
その先の不吉な言葉を、ヒュースは固く飲み込んだ。
エミシは、強力な自然魔法を操る誇り高き先住民族だ。もし交渉が決裂し、彼らの逆鱗に触れたのだとすれば、いくら優秀な兄君の部隊といえど無事では済まない。
「……行くぞ」
静かな、だがひどく冷たい声だった。
ルークが、ゆっくりと立ち上がる。その瞳には、先ほどまでの穏やかな色はなく……大切な家族を守るために牙を剥く『狂犬』の恐ろしい光が宿っていた。
「準備をしろ、ヒュース。俺が直々にエミシの集落へ向かう」
「お待ちください、ルーク様! エミシの領土は未開の雪深い森です。魔力を持たないルーク様お一人では……」
「私も行く」
アリエッタが、毅然とした態度でルークの隣に並び立った。
「エミシの自然魔法に対抗するには、私のような高位の魔術師が不可欠だ。……ルーク、お前の背中は私が守る。兄上を、必ず奪還するぞ」
アリエッタから立ち上るのは、凄まじい怒りの魔力の波動。ルークは魔力を持たないゼロ者ゆえに色は見えないが、彼女の表情と声に滲む気迫から、本気で激怒していることは十分にうかがえた。
狂犬と雷獣。エッゾが誇る最強の二人が、エミシの元へ乗り込み、武力をもってカーティスを奪還しようと本気で動こうとしている。
「お二人とも、待ってください」
レティシアは、静かに、だが凛とした声で彼らを呼び止める。
「本当にカーティス様は、エミシの人たちに捕らわれているのでしょうか」
「なんだと……?」
アリエッタが鋭く睨みつけてくる。兄を助けに行く邪魔をしているのだから、そのような反応になるのも当然だ。
「私の知っているエミシの民は、自然と共に生きる穏やかな民族です。彼らが無闇に人に害をなすとは、到底考えにくいですわ」
「お前に、エミシの何がわかるというのだ?」
レティシアは、自分の頭に乗ってお好み焼きをかじっていたコロポックルをそっと手に取り、彼女に見せる。
『くる……?』
「コロポックル様……?」
「はい。コロポックルさんは、エミシと深い仲にあると言っています。彼らはコロポックルから自然と共に暮らす術を教わり、今も深い敬意をもって共存しているのだと」
現実でのアイヌとコロポックルとの関係(※伝承では対立して姿を消したとされる)とは異なり、この世界のエミシは今も自然の神霊と共に暮らしているのだ。
「これほどまでに自然や精霊を大切にしている人たちが、悪意を持って人間に接するでしょうか?」
「そんなこと、わからんだろうが……! 兄上が殺されているかもしれないのだぞっ!」
「それこそ、『そんなのわからない』でしょう?」
アリエッタの怒気は相当なものだ。ヒュースは完全に萎縮してしまっている。
魔力の見えるレティシアの目には、アリエッタの体からまるで雷のような激しい魔力が周囲に迸っているのが見えていた。
でも……レティシアは一歩も引かなかった。真っ直ぐに、義姉の目を見据える。
その揺るぎない静かな圧力に……氷の皇女であるアリエッタの方が、わずかに気圧されていた。
「姉上。落ち着こう。レティシアの言う通りだ」
「ルーク……?」
ルークは、姉とは違いすっかり冷静さを取り戻していた。
「エミシではなく、俺はレティシアの言葉を信じる」
迷いのないルークの信頼が、レティシアは心底嬉しかった。
今までレティシアの周りにいた人間は、加護なしの彼女を馬鹿にし、侮るばかりだった。何を言っても信じてもらえなかった彼女にとって、その言葉は何よりも温かかった。
「……わかった。大勢の騎士団を引き連れて攻め入るような真似はしない」
どうやら、アリエッタは騎士団を率いて大規模な武力衝突を起こすつもりだったらしい。大きな戦にならずに済みそうで、ほっ……とレティシアは安堵の息をつく。
「カーティス様の詳しい居場所はわからないのですか?」
「ああ。エミシから会談の場所を知らせるフクロウ便は送られてきていた。だが、具体的な場所は直接手紙を受け取ったカーティス兄上しか知らんのだ」
「そうですか……どうしましょう……」
すると、レティシアの手の中にいたコロポックルが『くるるっ』と元気よく短い手を挙げた。
「コロポックルさん?」
『くるるん、くるくるっ』
ルークが「本当かっ?」と身を乗り出す。
「なんと?」
「エミシの集落の場所ならわかる、とおっしゃっている」
「なんと! 助かりますわ!」
コロポックルが照れたように小さな頭を掻く。が、鋭い目つきのアリエッタと目が合うと、ぴゃっ! と素早くレティシアの服の中(襟元)に隠れてしまった。
「……姉上が怖いそうだ」
「ぐっ……。しかし、コロポックル様のご案内がないと、兄上を助けにいけないというのに……」
コロポックルは震えてレティシアの元を離れようとしない。ならば……。
「私も行きます。エミシの集落に!」
ルークは何か言いたげに眉をひそめた。危ないから残れ、と言いたいのだろう。
「私も、お義兄様が心配なのです!」
「……わかった」
レティシアの固い決意に折れたのか、ルークは短く頷いた。
こうして、エミシの集落へ向かう救出部隊に、レティシアも同行することになったのである。
◇
レティシアたちは、カーティスが滞在しているであろうエミシの集落へと急ぎ向かっていた。
「……また吹雪いてきたな」
サッ・ポロの城を出てしばらくすると、横殴りの凄まじい突風が、氷雪と共に吹き荒れ始めた。
「天気の精霊どもは一体何をしているんだ……?」
ルークが、苛立たしげに周囲の精霊達を睨みつける。すると天気の精霊たちは、「ぴゃっ!」と怯えて一斉にレティシアの後ろへ隠れてしまった。
「こら、ルーク。精霊さんたちは、都合の良い道具ではありませんのよ」
レティシアがピシャリと嗜める。確かに、彼らはあくまでレティシアのファン(正確に言えば、彼女の作る料理の熱烈なファン)である。彼女が美味しい料理を作ってくれたお礼に、自発的に力を貸してくれているに過ぎない。
人間の都合で、使役するように精霊をこき使うことなどできないのだ。
『くる、くるるんっ』
「なに……? 『精霊たちの力では、この異常な吹雪を打ち消すことは出来ない』……?」
精霊の言葉をコロポックルを介して翻訳してもらい、ルークが険しい顔をする。
「どういうことかしら?」
魔法の理に長けるアリエッタが、「もしや……」と重々しく呟く。
「これは自然の天候ではなく、強力な魔物の仕業かもしれない。エッゾの奥地には、気候すら変えてしまうほどの力を持った『氷の魔物』が存在するからな」
「なるほど……」
自然が起こす現象であれば、精霊の力で解消できる。しかし、魔物の強大な魔力による意図的な気象操作は、彼らではどうにもならないのだ。
「エミシの連中の仕業……という可能性も捨てがたいが……」
アリエッタは、いまだにエミシを敵対勢力かもしれないと警戒しているらしい。
「とにかく、急ぎましょう」
「しかし、どうするのだ……? こんな猛吹雪の中を歩いて進んでいったら……間違いなく遭難するぞ?」
アリエッタが厳しい現状を口にすると……。
『くるるんっ!』
コロポックルがレティシアの頭の上で、ぴょこんっ、と立ち上がった。
そして、手に持った大きな蕗の葉を空高く掲げ……。
『く〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜りゅ!』
コロポックルが甲高い声を張り上げる。その声自体は、決して大きくはなかった。だが、不思議なことに、荒れ狂う猛吹雪の中をどこまでも遠くへ響き渡っていったのだ。
……一瞬の、静寂があった。
「一体何事だ……?」
『くっくるりゅ』『くるるん』
「な!? 空から……大量のコロポックルが降ってきただと!?」
ルークが空を指さして叫んだ。数え切れないほどのコロポックルたちが、雪と共に空から降ってきたのである。レティシアの頭の上で、コロポックルが誇らしげに蕗を振っている。
「こんなにたくさん群れを成しているのか、コロポックル様は!?」
一匹でも滅多に出会えない大自然の化身が、文字通り群れを成してやってきたのだ。エッゾ民たるアリエッタ、そしてルークさえも、常識外れの光景に驚愕で腰を抜かしそうになっている。
「皆を呼んでくれたの?」
『くるんっ!』
コロポックルが「エッヘン」と胸を張る。大量のコロポックルたちが、瞬く間にレティシアたちの足元へ集結した。
「し、しかし……だからなんだというのだ……」
『くるるーん!』
『『『くるー!』』』
コロポックルたちが一斉にレティシアたちに群がると、ひょいっと軽々、人間たちを持ち上げたのだ。
「こ、こんなに小さいのに、なんてパワーだ!?」
自然の神である彼らからすれば、人間を持ち上げるなど造作もないことのようである。
雪の上に立つ無数のコロポックル……その上に、レティシアたちが乗せられている。
レティシアのコロポックルが先頭に立ち、蕗の葉で明後日の方向をビシッと指さした。
『くる!』
『『『くるるん!』』』
コロポックルたちが一斉に走り出した。それはまるで、小さな鼠の大群が集まって移動しているかのようだった。
コロポックルの絨毯の上に乗っかっているレティシアたちは、そのまま猛烈なスピードで運ばれていく。
さながら、神霊の『御神輿』に担がれているようだった。
「こ、コロポックル様を使役する……だと!? レティシア……お前、本当に何者なのだっ!」
「えっと……ですから、ただの加護なし令嬢ですってば」
「神を使役する『ただの令嬢』がいてたまるかっ!」
(別に使役しているわけじゃないのですけれど……)
コロポックルたちに「わっせわっせ!」と担がれながら、レティシアたちは凄まじいスピードで雪原を滑るように運ばれていく。
猛吹雪の中を進んでいるのだが、不思議と雪や風がレティシアたちに襲い来ることはなかった。まるで、目に見えない神聖な結界の中に守られているようだった。
『『『くっくるくる! くっくるくー!』』』
どどどどどど、とコロポックルたちが人間を担いで、森の奥深くへと走って行く。
「サッ・ポロの北西部……オタ・ルへ向かっているようだな」
と、周囲の景色からアリエッタが推測する。現実世界で言うところの小樽である。
そこが、エミシの民とカーティス達との会談場所のようである。
札幌から小樽まで、大体四十キロ。車だと一時間、徒歩ならば八時間はかかる距離だ。
だが、コロポックル神輿に乗せられた彼らは、なんと三十分もかからずに目的地へと到着してしまったのである。
「車より速いなんて……凄いですわね、あなたたち!」
レティシアが素直に感心する。一方、ルークとアリエッタは完全に青ざめた顔をしていた。これほどまでに素早い移動手段に乗ったことがないということも一つ。
もう一つは、神に乗るなどという恐れ多い不敬行為を働いてしまったことに、寿命が縮む思いだったからだ。
彼らが辿り着いた、オタ・ル。
街の中に美しい運河が流れる、港湾都市……だが。
「オタ・ルの街を……何かが覆っている……? あれは……巨大な氷の結界!」
そして、街の上空には、一羽の……見慣れぬ巨大な何かが滞空していた。
「あれは氷竜! 伝説の古竜種の一角……Sランクモンスター……だと!?」
氷竜を前に、アリエッタが悲痛な叫びを上げる。見上げるほどに巨大なドラゴンだ。全身を氷の美しいうろこが覆っている。大きな白い翼、瞳、牙。全てが透き通る氷で出来ており……遠くから見れば、息を呑むほど美しい雪像に見えるだろう。
だが……その魔物から放たれる圧倒的な殺気と魔力は、氷の皇女であるアリエッタをも震え上がらせるほどのものだった。
氷竜はこちらの存在に気づくと……。
「攻撃が来るぞ!」
氷竜が、咆哮と共に氷のブレスを放ってきた。人間ほどの大きさがある氷の槍が無数に生成され、こちらに向かって雨あられと発射されてくる。
コロポックルたちが立ち止まる。ルークは弾かれたように飛び上がり、迫り来る氷の槍を真っ向から迎え撃った。
ガキキキキキンッ!
人間離れしたパワーで振るわれる大剣が、氷の槍を全て正確に叩き落とす。だが……。
「ぜえ……はあ……はあ……っ!」
「ルーク!」
着地したルークは、激しく肩で息をしていた。魔力を持たない彼が全力を振り絞り、なんとか一度の攻撃を防ぎきったといったところか。
一方で、上空の氷竜はまだまだ無尽蔵の余力を残しているらしい。
氷竜が、再びこちらに向かって滑空してきた。
「落雷剣!」
アリエッタが杖を取り出し、氷竜めがけて最上位の破壊魔法を放つ。
上空から巨大な雷の剣が出現し、氷竜へと降り注いだ。
バリバリバリバリッ!
鼓膜を破るような轰音と共に、落雷剣が直撃する。だが……。
「ば、馬鹿な……私の全力の魔法をまともに受けて……無傷だと……!?」
その美しいうろこには、焦げ跡一つ、傷一つ付いていなかった。アリエッタの最高威力の魔法、ルークの剛剣をもってしても、傷一つ付けられない圧倒的な存在……。
それが、伝説の氷竜。
「なんと……恐ろしい……」「くそっ! どうすれば……!」
最強の姉弟が絶望に顔を歪める中。
一方で、レティシアだけは明らかな『違和感』を抱いていた。
彼女の目は、相手の魔力の色を見る。氷竜の体からは、人間の何千倍もの凄まじい量の魔力が立ち上っている。
だが……その魔力の色が、ひどく揺れ動いていたのだ。
確かに、敵意はある。苛立ちと怒りはある。だが……それ以上に。
「姉上! 同時攻撃だ!」
「わかった! お前の剣に雷を付与する!」
二人が死を覚悟し、決死の同時攻撃を放とうとした、その瞬間。
「やめなさーい!」
ぺんっ、ぺんっ、と。
レティシアが、容赦なく二人の頭を小突いたのである。
……エッゾの雷獣、そして狂犬と恐れられる、最強の皇族二人をだ。
「れ、レティシア!?」「一体どうした!? 血迷ったか!」
二人が不意を突かれて隙を見せた瞬間、氷竜が凄まじい速度でこちらに向かって突っ込んでくる。
二人は、完全に絶望した。この距離でこの速さ、もはや絶対に避けられないと。
だが……レティシアだけが一歩前へ踏み出し、巨大な氷竜の目を真っ直ぐに見据えていた。
あと少しで、巨大な牙が三人を噛み砕く。その刹那……。
「あなた……もしかして、すっごくお腹が空いているのではないの?」
びたっ、と。
大気を震わせる突風と共に、巨大な氷竜がレティシアの目の前で急停止したのだ。
「お腹が……」「空いている……?」
アリエッタとルークが呆然と呟く。すると……。
『うぇええええええええええええええん! そうなんだよぉお! お腹空いたよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおう!』
伝説の氷竜が、まるで駄々をこねる子供のように、大粒の氷の涙を流して大声で泣き出したのである。
【作者からお願いがあります】
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