婚約破棄された《田舎の剣聖》が、都会のエリート魔法学校を受験したら
【短編版】婚約破棄された田舎の剣聖《おっさん》、都会の魔法学園を受験する~人外魔境の地で鍛えた剣が、実は魔法だった件~【連載版あります!】
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※9/6(日)
好評につき、連載版、投稿しました!
『【連載版】婚約破棄された《田舎の剣聖》が、都会のエリート魔法学校を受験したら~人外魔境の地で鍛えた剣が、実は世界最強の魔法だった件~』
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「ごめんなさい、アスベル。貴方との結婚……白紙にしていただきたいの」
男の名は、アスベル・ノースエンデ。歳は三十五。十五で成人となるこの世界において、立派な「おっさん」と呼ばれる年頃である。
アスベルがいるのは、彼らが暮らす田舎から遠く離れた都、帝都カーター。彼はここで、十一も年下の女性――ミレーヌと、結婚式を挙げる予定であった。
今日は、来週に迫った結婚式のための予行練習であった。ミレーヌはドレスを、アスベルはタキシードを身につけている。本番と同じ手順で愛を誓い合う、その最中に――ミレーヌは、口にしたのである。結婚を、白紙に戻したいと。結婚式まで、あと一週間という段になってのことだった。
指輪はすでに買い求めていた。新居も購入済みである。友人・知人をこの帝都に招く手筈も、すべて整っていた。
――すべての段取りが済んでからの、突然の婚約破棄。
怒っても許される場面であろう。だが、アスベルの胸を先に満たしたのは、怒りではなく困惑であった。
「それは……どうして」
「……あなたの婚約者になる前に、お付き合いしていた方がいたの。その人が、どうしても忘れられなくて」
「…………」
(今回の縁談を持ってきたのは、親父だったな。見合いの直前まで、その男と付き合っていたとは聞いていたが……)
まさか、あれから一年も経つというのに、まだその男との繋がりが残っていようとは。未練が、あったということか。
「ごめんなさい。もっと早く言い出せばよかったのに……ごめんなさい」
言い出す機会は、何度もあったはずだ。すべての段取りが終わる、このタイミングでなくとも良かったろうに。
言いたいことは、百も二百もあった。だが、うすうす感じてはいたのだ。ミレーヌの心が、自分に向いていないということには。
(俺は三十五のおっさんだ。相手は、十以上も年が離れている。離れすぎている。好きになれずとも、無理はない)
もとより、無理のある縁組であった。アスベルの中にも、彼女が本当に自分を想ってくれているのかという疑念が、ずっと燻っていた。だからこそ――
「いいよ、ミレーヌ」
「え……」
「婚約破棄を、受け入れる。君は気にしなくていい。俺にも至らぬところがあったのだから。金銭のことも心配しなくていい」
アスベルがそう告げると、ミレーヌの表情が、すっと変わった。流れていた涙が、一瞬で引いたのである。
「え、いいの」
「……」
「助かるわ。ありがとう」
「高額の賠償を求められるのではと、怖くて……。なんだ、私の思い過ごしだったのね」
(……泣いていたのは、俺への申し訳なさゆえではなかったのか)
直前になっての婚約破棄で、責められはしないか、賠償を求められはしないか。ただそれを恐れて、涙していたに過ぎなかったらしい。
――ミレーヌへの未練は、彼女のあまりにも身勝手な振る舞いによって、完全に断ち切れた。
「それじゃ、アスベル。さようなら」
「……ああ」
ミレーヌは、アスベルを置いて足早に去っていった。彼も、そして一部始終を見ていた式場のスタッフたちも、しばし言葉を失っていた。
「……申し訳ありません」
アスベルは、すぐに気持ちを切り替えた。最も迷惑を被るのは、この式場と結婚プランナーである。悲しみに浸るより先に、片付けねばならないことがある。
心の中の何かを、静かに閉じることにした。悲しむのは、後でいい。まずは、迷惑をかけぬことが先決だった。
◇
アスベル・ノースエンデ。辺境の地デッドエンド出身。彼の家は、代々続く剣術道場である。その一人息子として、彼は生を受けた。
実のところ、彼は異世界からの転生者であった。若い頃は、剣と魔法が入り乱れる世界への憧れがあった。とりわけ、魔法への憧れは強かった。
手から炎を放ち、空を翔る。前世では叶わなかったその力を、いつか自分の手で使ってみたい――そう、強く願っていた。
だが、彼が生を受けたのは、辺境の最果てである。周囲に魔法を教えてくれる者もなければ、それを記した書物すら存在しない、そういう土地であった。
加えて、彼は道場の一人息子だ。いずれは家を継がねばならぬ身であった。
親が強いる稽古は、幼い頃は嫌でたまらなかった。だが、逃げ出す勇気もなく、結局は毎日剣を振るう日々が続いた。
田舎は、結婚が早い。にもかかわらず、アスベルは結婚したくてもできなかった。家に代々受け継がれてきた剣術を、完全に己のものとせねばならなかったからだ。
長い修行の末、免許皆伝の許しが出た頃には――すっかり、おっさんになっていた。
そうして、親が急いで用意した婚約者との縁が、今に至る。
「……はぁ」
あれから二日。アスベルは、結婚式取りやめの後処理に追われていた。
まず、莫大なキャンセル料の支払い。式場のスタッフ一人ひとりに頭を下げ、参列者への詫び状を書き連ねる。
その作業を、ミレーヌが手伝うことは一切なかった。一足先に、田舎へ帰ったようである。
友人へ出した文の返事も届いていた。だが、そこに綴られていたのは、アスベルを責める言葉ばかりであった。『おまえの自業自得だ』『一週間前に取りやめてほしいなど、どうかしている』『頭がおかしいのではないか』――
導き出される結論は、一つしかなかった。
「……ミレーヌは、俺が婚約破棄したのだと、周りに触れ回っているというわけか」
自分が破棄したと知れれば、白い目で見られる。だからこそ、アスベルを悪者に仕立てたのだろう。田舎という土地は、こういった悪い噂ほど、驚くほど早く広まる。他に娯楽のない土地であればこそ、こうした醜聞は、何よりの話の種になるのだ。
実家からの便りにも、ひとことだけ記されていた。
『二度と、うちの敷居をまたぐな。勘当だ』
「……ふぅ。すべて、失ってしまったな」
宿の天井を見上げながら、アスベルは呟いた。キャンセル料の支払いで、手持ちの金はほとんど底をついている。
この有様では、田舎へも帰れない。友人も、知人も――そして家族すらも、失った。
「俺の三十五年は、いったい何だったのだろうな」
死んでしまいたいほどの心地であった。同時に、気まずい者たちと顔を合わせずに済むという安堵も、確かにあった。だが、そんな風に前向きに捉えられるほどの余裕は、今の彼にはなかった。
「これから、どうしたものか」
そのときであった。
「まずい……! 遅刻してしまう」
隣室から、女の声が聞こえた。
「魔法学園の入試に、遅れてしまうわ」
「……魔法学園の、入試」
どたどたと、隣室の少女が慌ただしく部屋を出ていく気配がした。窓から外を覗くと、赤い髪の少女が、いずこかへと駆けていくのが見えた。
「…………」
(魔法学園――魔法を学ぶ学び舎、ということか)
彼には、前世の記憶がある。有名な物語で目にした光景が、そのまま瞼の裏に浮かんだ。あれと同じようなものが、この世界にも存在するのかもしれない。
「魔法、か……」
アスベルは、幼き日を思い出していた。
(そうだ。この世界に生まれ落ちたばかりの頃、俺には確かに、魔法への憧れがあったではないか)
婚約破棄によって、すべてを失ったと思っていた。だが、幼い日に封じ込めた魔法への情熱が、こうして今、外へと溢れ出してきたのだ。すべてを失ったからこそ、押し込めていた一つの想いが、顔を出したのかもしれない。
「魔法……俺にも、できるだろうか」
わからない。だが、試してみなければ、始まらない。アスベルは愛用の剣を腰に佩き、静かに部屋を出た。
階段を下り、受付の女将に事情を尋ねる。
「ああ、ノアカーター魔法学園だろう。今日がちょうど、一般入試の日だよ。受験資格かい? 年齢の制限は特に設けていないさ。試験を受けて、合格すればいい。それだけのことだよ。受験料は、確か金貨一枚だったかね」
(金貨一枚なら、ある)
これは天の思し召しであろう。アスベルは、そう解釈することにした。
女将から会場の場所を聞き、彼は歩き出す。魔法の学び舎へと――このときはまだ、これが自らの運命を大きく変えることになろうとは、想像もしていなかった。
◇
ノアカーター魔法学園。帝都に構える、全国でも指折りの名門魔法学園である。
実力主義を貫くこの学園は、魔法の才さえあれば、誰であろうと受験を許されていた。
たとえそれが、三十五のおっさんであったとしても。
「なんだ、あのおっさんは」「わからん」「もしかして、受験生か」「あんな年寄りが……」
言うまでもなく、会場には若い受験生たちの姿が目立った。体育館のような広い場所へと、大勢の受験者が案内されていく。
(見たところ、十代前半の子が多いな。年齢制限がないとはいえ、ここは学び舎だ。若い者が集う場所なのだろう)
というより、とアスベルは胸の内でひとつ息をつく。
(年齢制限がないというのは、建前なのかもしれん。面接で「普段着でお越しください」と言われても、実際にはスーツで臨むのが暗黙の了解というのと、似たようなものか)
だが、アスベルに帰るつもりはなかった。帰るべき場所など、どこにもないのだから。
「はぁ……はぁ……なんとか、間に合ったわ」
(あの赤い髪の子――今、来たのか)
隣室を借りていた少女が、汗だくの様子で試験会場に駆け込んできた。気の強そうな吊り目に、赤毛のツインテール。胸元には、受験番号と名前が記されている。
(カレン・フォン・ローウェル、か。……まあ、俺には関わりのないことだ)
アスベルは、気づいていない。自分より遅れて宿を出たはずの少女より、自分のほうが先にこの会場へ辿り着いていた、という事実に。
カレンと違い、アスベルにとって帝都は今日が初めての土地であった。故郷を出たのも、生まれて初めてのことだ。この帝都の地理など、まるで頭に入っていない。それでいて彼のほうが早く到達していた――その事実こそ、化け物じみた片鱗であった。もっとも、当の本人は、まるで気づいてはいなかったが。
「それでは、試験を開始いたします。試験は三つ。魔力測定、筆記、そして実技試験です。まずは魔力測定より始めます」
中年の女性魔法使いが声を張り、杖を振るう。瞬く間に、大きな水晶の柱が幾本も地から生え出た。
「この水晶に、手を触れてください。魔力が数値として表示されます。受験番号順に、お並びください」
教員たちの誘導で、受験生たちは列をなす。ちょうど、アスベルの隣の列に、カレンが並んでいた。
(俺の、隣か)
「なによ、おじさん。アタシの顔、じっと見ちゃって」
「ああ、すまない。つい見てしまった。実は俺、君と同じ宿に泊まっているんだ」
「へえ、そうだったの。アタシ、カレン。カレン・フォン・ローウェルよ。よろしく」
カレンが、すっと手を差し出してくる。
「アスベル・ノースエンデだ。よろしく」
「……」
カレンは、どこか腑に落ちない顔をした。期待していた反応とは違ったらしい。
「ふん、よろしく、おじさん。まあ、どうせあなたは落ちるでしょうけど」
「それは、どうして」
「ここの倍率は百倍と言われているの。百人にひとりしか受からない」
「なるほど、さすが名門校だ」
「そう。通れるのは、このアタシのようなエリートだけ。見ていなさい」
カレンの列のほうが、幾分早く進んでいた。彼女が水晶に手を置く。
水晶が輝き、そこに『九五』の数字が浮かび上がった。
「おお、すごい」「九十代とは、初めて見たぞ」「ほとんど百ではないか」「歴代でも、最上位の魔力量だ」
周囲の受験者と試験官たちが、口々に驚きの声を上げる。カレンは、その反応に満足したのか、ふふん、と小さく鼻を鳴らした。
「次、アスベル・ノースエンデ。あなたの番です」
「あ、はい」
(そういえば、俺の魔力量とは……どれほどのものなのだろうな)
生まれてこの方、魔法など一度も使ったことがない。無論、魔力を測ったこともない。彼は、そっと水晶に手を触れた。
『∞』
「「「――は」」」
アスベル、試験官、そしてカレン。その場にいた誰もが、その数字に絶句した。
「八、なのか」「いや、八ではないだろう。向きが違う」「あの数字は、何だ」
誰も、その意味を読み取れずにいる。だが、異世界の記憶を持つ彼だけは、その数字の意味を理解していた。
(∞――無限、か。無限とは、いったい)
変化は、それだけでは終わらなかった。
ぴきり、と何かに罅の入る音がした。ぴき、ぴきぴき――。
「あ、アスベル・ノースエンデ! 早く、手を離しなさい!」
パアン、と乾いた音を立てて、測定用の水晶が粉々に砕け散った。それはもう、見事なまでに、木端微塵であった。
「壊れることも、あるのだな」
「あるわけないでしょう!」
カレンが、鋭く突っ込みを入れる。
「測定用の水晶は、固定化が施されているの。決して壊れないはずなのに……それを壊すということは、途方もない魔力量だということだわ。……くっ、なんなのよ、まったく」
(それは、こちらの台詞なのだが)
◇
続いて、筆記試験であった。カレンたちはグループごとに分けられ、それぞれの教室へと通される。
目の前には、学園側が用意したペンと問題用紙が置かれていた。アスベルは、カレンの斜め前に座る。
(アタシより多い魔力量の人間だなんて……許せないわ)
だが、魔力測定水晶が示した数値は、覆しようのない結果であった。あの数値をいじることなど、できるはずもない。ならば、事実としてアスベルは、カレンよりも多くの魔力を持っているということになる。
(だからって、なによ。ただ魔力を多く持っているだけの一般人でしょう。筆記試験なんて、解けるわけがないわ。あんな田舎丸出しのおじさんに……)
「では、試験を開始いたします」
カレンは問題文に目を通した。
(やっぱり、どれもハイレベルだわ。田舎者に解けるはずがない)
試験内容は、魔物の生態や魔法の仕組みに関するものだった。魔法理論、魔法生物、魔道具――魔法にまつわる、あらゆる知識が問われている。都に出てきたばかりのアスベルに、解ける問題など、一つもないはずであった。
しかし。
(なんだ……思ったより、答えられるものだな)
アスベルは、すらすらと問題を解いていく。
まず、魔法生物の設問。これは、魔物についての知識に他ならない。辺境の地で、数え切れぬほどの魔物と刃を交えてきたアスベルにとって、彼らの生態は身に染みて知るところであった。
続いて、魔法理論。これもまた、理解できた。
(そうか……魔物たちが使っていた術も、魔法だったのか。それなら、易しいものだ)
例えば、嵐の魔法。それは嵐鷲が放つ吐息であり、風と雷の魔法を組み合わせたものだ。その威力、その射程――それらすべてを、彼は実戦の中で、身をもって理解していた。
そして、魔道具の設問も、彼にとっては容易なものだった。
(この紋様は……道場に剣を卸してくれていた爺さんが打つ剣に、刻まれていたものだ。教えてもらったことがある。確か……)
魔道具に刻まれた術式や、魔力を効率よく通す工夫――そういった設問が、そこには並んでいた。どれも、生きるうちに自然と身についた知識ばかりであった。
(筆記が一番厄介だと思っていたが、案外どうにかなりそうだな。存外、易しい内容だったのかもしれん)
そうのんきに考えるアスベルをよそに、カレンは額に汗をにじませながら、必死にペンを走らせている。
(なんなのよ、この難解な問題は……。天才であるこのアタシでなければ、一問たりとも解けやしないわ)
カレンが苦戦を強いられている一方で、アスベルはすでに、すべての設問を解き終えていた。
彼は、気づいていない。
『以下五十問中、二十五問を選択して解答すること』
と記されていたにもかかわらず、彼は五十問すべてに答えていた。そして、その答えのすべてが、正しかったのである。
◇
そして、最後に控えるのは実技試験だった。受験生たちは、円形の闘技場のような場所へと通される。
試験官の説明によれば、実技はグループごとに行われるという。
「実技試験は、模擬戦とします」
模擬戦とは、生徒同士で行う魔法決闘のことらしい。
「魔法決闘、とは」
「あなた、本当に何も知らないのね」
カレンが、またしても突っかかってきた。どうやら実技も、同じグループで行われるようであった。
「魔法使い同士の決闘のことよ。決闘の儀式が発動すると、互いの体が結界に包まれる。その結界を先に破ったほうが、勝ちとなるの」
ふと、アスベルは疑問を口にした。
「魔法使いに、そのような戦闘の試験が必要なのか」
魔法使いとは、後方から魔法を放つものだという印象があった。決闘というものを行うとは、思いもよらなかったのである。
「だから、たいていは離れた場所から、互いに魔法を撃ち合うのよ」
「斬り合いには、ならないのか」
「呆れた。斬り合い? ここにいるのは、魔法使いよ。誰が剣なんて持っているというの」
なるほど、確かにこの場にいる者は皆、杖しか手にしていない。誰一人として――アスベルを除いては。
「相手が、このアタシでないことを祈ることね。こう見えて、アタシは強いのよ。このグループで一番なんだから」
これほど言い切るのだ、実際に相応の実力があるのだろう。だからといって、アスベルに焦りはなかった。むしろ、胸の高鳴りを抑えられずにいた。
(人が魔法を使うところを、この目で見られるのか)
魔法生物たちが放つそれを、魔法と呼ぶのだと試験を通して知ったばかりのアスベルである。だが、あれはあくまで過去に目にしたもの――魔法と意識せずに眺めていた、いわば映像に過ぎない。
今から見られるのだ。目の前で、人が魔法を放つ、その瞬間を。
「では第一試合、アスベル・ノースエンデ対、カレン・フォン・ローウェル」
(なんと、第一試合か)
できることなら、最後の試合が良かった。他の受験生たちの魔法を、じっくり見たかったのだが。
(まあ、第一試合ならば、あとはゆっくり他の者の魔法を見物できるか)
アスベルとカレンが、前へと進み出る。試験官は二人に、先ほどカレンが語っていた結界の魔法をかけた。
「結界を破られたほうが、負けです。勝敗以上に、内容を重視いたします。……アスベル・ノースエンデ?」
「はい、なんでしょうか」
カレンは杖を構え、アスベルは、長年使い込んだ剣を構えている。
「それは……杖ですか」
「いいえ、これは剣です」
(何やら、妙な問答になってしまったな……)
試験官は「ふざけているのですか」と眉をひそめたが、アスベルはいたって真面目であった。
「これで戦います」
「そうですか。……では、始め」
カレンは、遠慮なく杖を構え、魔法の準備に入る。
「来たれ、来たれ、来たれ。火の精霊よ、我が声に応えよ」
(うむ……戦いはもう始まっているのに、何をぶつぶつと唱えているのだろうか。もしや、これが呪文というものか)
どう見ても、隙が多すぎる。この間があれば、魔物であれば十度は仕留められている。だが、アスベルはあえて先手を譲った。魔法を、しかと見たかったからである。
「――【業火玉】!」
(ようやく、放たれたか)
杖の先から噴き出したのは、巨大な炎の球であった。それが弧を描きながら、アスベルへと迫ってくる。
(これが……魔法、か。まさか、これほどとは)
炎の球が、アスベルへと着弾する。轟音とともに、衝撃波と黒煙が立ち上った。
「ふふん。アタシの勝ちね」
相手は結界に守られている。命に別状はないはずだ――そう思っての一言であった。
「いや、君は勝っていない」
「な……はぁ、あ?」
アスベルは、変わらずそこに立っていた。手には剣が握られている。服に焦げひとつなく、結界も破れてはいない。
「う、嘘でしょう。中級魔法の直撃を受けて、結界が破れないなんて。一体、どうやって防いだのよ」
「防いだのではない。ただ、斬っただけだ」
「は……斬る、ですって?」
「ああ。それで終わりか? もっと他のも見せてくれ。あの程度では、物足りない」
(あれくらいなら、森に出る火吹き蜥蜴でも普通に放ってくるな。いや、あの魔物は呪文など唱えぬぶん、こちらより速いか……)
「くっ」
カレンは再び、長く呪文を唱え、同じ業火玉を放った。
「それはもう見た」
アスベルは動かない。炎の球が触れる直前――斬撃が奔る。
彼は、宣言どおり、魔法を剣で斬って見せたのだった。
「う……そんな。あり得ない。魔法は、物理攻撃ではないのよ。斬るなんて……」
アスベルには、彼女が何をそれほど驚いているのか、正直よく分からなかった。彼の流派では、魔物の放つ術を剣で斬り、無効化することなど、当たり前のことだったからである。
――もっとも、それが可能なのは、ノースエンデ流免許皆伝の域に達した、彼の突出した剣技があってこそなのだが。
「では、お返しをしよう」
「お返し……? 何を言って……」
「俺は呪文というものを知らない。だから、君の放った魔法を、そのまま打たせてもらう」
(本来ならば斬り込めば一撃で決着がつくだろうが、これはあくまで魔法の技量を試す試験だからな)
アスベルは腰を落とし、剣を振るう。刃が、赤くきらめいた。
「――ノースエンデ流奥義、『魔鏡剣』」
魔鏡剣。斬った相手の魔法の魔力を刃に纏わせ、そのまま相手へと返す、カウンターの技である。しかも今回は、業火玉を二発分、斬り受けている。すなわち放たれるのは、彼女の魔法の――倍の規模と威力を持つ魔法であった。
「な――これ、は、早――防――」
カレンは咄嗟に後方へと飛んだ。着弾と同時に、倍の威力を持った業火球が炸裂する。
轟音とともに、凄まじい衝撃波がカレンを襲った。彼女を守っていた防御結界はもとより、身にまとっていた衣服までもが、焼き尽くされてしまう。
――全裸になった彼女は、仰向けに倒れたまま、白目を剥いて気を失った。
「す、すまない。加減を誤った。まさか、これほど脆いとは思わなかったのだ」
◇
試験が終わり、試験官たちによって、受験生らの採点が進められた。
そして数日後、結果が張り出された。
「……俺の名は、ないな」
合格者一覧に、アスベルの名前は見当たらなかった。彼は、静かに肩を落とす。
「まあ、仕方がないか。試験では、魔法を使っていないのだからな」
だが、アスベルは前を向いた。
(自分に魔力があることは分かった。魔法が学問として成り立っていることもだ。ならば、図書館なりで調べ、独学で身につけることも、できるはずだ)
彼は、魔法への執着を捨ててはいなかった。学ぶだけならば、どこにいてもできる。そう思い、その場を立ち去ろうとしたときだった。
「アスベル・ノースエンデ! どこへ行くつもり!」
「カレン……」
赤髪のカレンが駆け寄ってきて、きっと睨みつけてくる。
「合格者は手続きをするようにと、アナウンスがあったでしょう。なぜ帰ろうとするの」
「いや……俺は、合格者一覧に載っていないのだが」
カレンは柳眉を逆立てると、アスベルの手を引いて移動を始めた。合格者一覧の隣に、『特待生』と記されたプレートがある。今年の特待生は、一名のみであるという。
「お、俺が……特待生だと……?」
かくして、田舎から出てきた「おっさん剣士」は、見事、魔法学園に特待生として合格を果たしたのだった。
彼は、まだ知らない。この身に秘められた、途方もない潜在能力のことを。
そして、彼は知らない。彼が生まれ育った土地が、人外魔境と呼ばれる、恐るべき地であったことを。
そこで培われた剣技こそが――この世界における、最強の魔法に等しいものであったことを。
世界は、そして彼自身も――これから、それを知ることになる。
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