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15.絶品パスタに、皇子も大満足

 エッゾ皇城の広大な宮廷厨房。

 そこにずらりと横一列に並んでいるのは、料理長の座を降格となったマルトーをはじめとする、屈強な料理人たちであった。


 彼らの前に立つのは、華奢で可憐な新料理長、レティシアである。


「皆様、本日から私がこの厨房を預かることになりました。まず第一に、お料理において最も重要なのは『衛生管理』ですわ!」


 レティシアはパンッと手を叩き、彼らに徹底的な手洗いを命じた。


「えーせー……?」「管理……?」


 レティシアの言葉に、男たちは皆一様に戸惑いの表情を浮かべていた。

 彼らにとっては初めて耳にする概念なのだから、無理もない。そして、訝しげな皆の視線は、自然とレティシアの首元へと集まっていく。


 エッゾの民は皆、身分と力の証として首にチョーカーを巻いている。

 この場にいる料理人たちのほとんどは二等級を示す『布』のチョーカーだ。


 しかし、レティシアの白く細い首にはチョーカーが嵌められていない。すなわち、彼女が『加護なし』であることは一目瞭然であった。


 加護を持たない余所者の言葉など、にわかには信じがたい。それがこの国の常識だ。……だが。


「わかりやした、レティシア料理長!」


 マルトーが率先して前へ出ると、素直に手洗いに参加した。彼はすでに、レティシアによってその命を救われている。


 何より、彼女が加護を持たずとも『とびきり美味しいお料理』を作れることを、マルトーは身をもって知っていた。

 ゆえに、彼は誰よりもレティシアの言うことを聞くのである。


「まあ、元料理長のマルトーさんが言うなら……」


 と、他の料理人たちも渋々といった様子でそれに続く。


 レティシアは、石鹸を使った指の間の洗浄から、食材の再加熱の重要性までを丁寧に指導していく。


「よろしいですか。目に見えない『ばい菌』という小さな悪い虫たちは、手や指の溝、しわの隙間にもこびりついていますの。ですから、そこをしっかりと洗い落としましょう」


 そして、とレティシアが真剣な声音で続ける。


「手を拭くときは、同じ手拭きを使い回さないこと。これ、非常に重要ですわ」


 厨房には、水を出す魔道具である『水魔道具ウンディーネ』が備え付けられている。

 現実世界の水道と同じように、栓をひねるだけで清らかな水が出る便利な代物だ。


 これはエッゾの厨房であれば大抵備わっているものだが、これほど便利なものがありながら、ほとんどの料理人は食材や食器を洗う時にしか水を使わない。

 あまつさえ、手が濡れれば適当にズボンで拭うか、近くに放置されている汚れた布で拭いて済ませてしまうのが日常であった。


「どうして手拭きの使い回しはだめなんですかい?」


「濡れた布を放置すると雑菌が繁殖しますし、何より、食中毒を広げてしまう危険性がありますの」


 もし感染者が使った布を別の者が使えば、目に見えない細菌感染があっという間に広がってしまうのだ。


「よろしいですか。食中毒の危険を減らすために重要なのは、『つけない』『増やさない』『やっつける』。この三つですわ。さあ、皆様もご一緒に復唱を!」


「「「つけない、増やさない、やっつける……」」」


 むさくるしい男たちの声が響くが、レティシアが見回すと、皆ただ言われた言葉をオウム返しにしているだけのようだった。


(まだ知識として腑に落ちていないご様子ね……! でもOK! まずは意識することから始めないとね!)


 あの恐ろしいウェルシュ菌の悲劇を二度と起こさないためにも、まずは衛生の基礎中の基礎を根気よく叩き込んでいく。


「さて、衛生の基本がわかったところで……本日は、皆様が普段お作りになっている『パスタ』の概念を、少しだけ変えさせていただきますわ」


「パスタの概念、ですか……?」


 マルトーが不思議そうに首を傾げる。


 エッゾのパスタは、水と小麦粉を適当に混ぜて茹でただけの、ボソボソと千切れる味気ない代物だ。主食のパンの代用品という程度の認識でしかない。


「ええ。よく見ていてくださいませ」


 レティシアは小麦粉に新鮮な卵と少量のオリーブオイルを加え、なめらかになるまで力強く練り上げた。


 それを薄く伸ばして細く切り、沸騰した湯の中へふわりと落とす。

 同時進行で、隣のコンロではフライパンにオリーブオイルと細かく刻んだニンニク、そしてピリリと辛い香辛料を熱していた。


 やがてニンニクが黄金色に色づき、香ばしい匂いが厨房いっぱいに広がったその時――。


「ここからが、お料理の『魔法』ですわよ!」


 レティシアは、パスタが茹で上がっている鍋から『濁った茹で汁』をお玉ですくい、熱した油の中へ勢いよく投入した。


 ジュワァァァァッ!!


 激しい音と蒸気が立ち上る。


 レティシアは手首のスナップを効かせ、フライパンを前後に激しく揺すりながら、中身を素早くかき混ぜていく。


 すると、透明だった油と茹で汁があっという間に白濁し、とろみのあるソースへと変化したのだ。


「油と水分を激しく混ぜ合わせることで、このようにとろみのある濃厚なソースに変化するのです。これを『乳化にゅうか』と呼びますわ」


 そこへ茹で上がったばかりのツルツルとした麺を投入し、ソースをたっぷりと絡めれば、絶品ペペロンチーノの完成である。


「さあ、皆様。冷めないうちに召し上がってみてくださいな」


 促されるままに、マルトーたち料理人はフォークを手に取り、パスタを口に運んだ。

 その瞬間、むさくるしい男たちの目が限界まで見開かれた。


「な、なんだこれは……!? ただの油とニンニクを和えただけの、貧相なまかない飯のはず……っ!」


「ソースが、ツルツルの麺に絡みついて離れない! それにこの濃厚な旨味はなんだ!?」


 水と油。

 決して交わることのないはずの二つが完全に融合し、極上のソースへと昇華されている。


 それは、異世界で生きる彼らの常識からすれば、完全に理解の範疇を超えた現象だった。


「水と油を融合させるだと……!? まるで魔法……いや、これは錬金術だ!!」

「マルトーさんの言う通りだ! ただの塩焼きや煮込みしか知らなかった俺たちからすれば、これはまさに奇跡の手法だ!」


 先ほどまで「加護なしの小娘が」と侮っていた男たちの目の色が、完全に尊敬と熱狂の色へと変わっていた。


「レティシア料理長! 俺の肉の焼き方も見てください!」

「俺にもその『乳化』の手ほどきを! 一生ついていきます!!」

「女神だ……俺たちの厨房に、料理の女神が舞い降りたぞぉぉ!!」


 屈強な男たちが、目をキラキラさせて子犬のようにレティシアの周りに群がり始める。


 レティシアもまた、料理を心から愛する彼らの熱意が嬉しくて、「ふふっ、押さないでくださいな。順番に教えますからね!」と、楽しそうに次々と手ほどきを始めていく。


 厨房は、レティシアを中心に熱狂的な盛り上がりを見せていた。


 ――だが、その和気藹々とした光景を。

 厨房の入り口から腕を組んで見つめている男が一人。


「…………」


 狂犬ルークは、壁に寄りかかりながら、無意識のうちにとてつもなく不機嫌なオーラを垂れ流していたのである。


    ◇


 ――ルークは、戸惑っていた。自分の中に芽生えた……正体のわからない黒い感情に。


「おお、うめえ!」「レティシア料理長、最高です!」「加護もないのにこんな美味しい料理を作れるなんて……天才だ!」


 厨房にいる料理人たちが、口々にレティシアを褒めちぎっている。

 彼らの声に込められた魔力こころの響きから、本当にレティシアに感心し、心から尊敬しているのはルークにもわかった。


 ……わかった、のだが。


(そんなこと、俺は最初から分かっているだろうが……!)


 レティシアの料理の腕がどれほど素晴らしいか。彼女がどれほど凄い人間か。そんなことは、ここの誰よりもルーク自身が一番よく知っているはずなのだ。


「ルーク坊っち……こほん、ルーク様?」


「! ひゅ、ヒュース。なんだ……?」


「あ、いえ……。どちらにいらっしゃるのかと、ルーク様をお探ししておりました」


 ヒュースは、先ほどの食中毒騒ぎの際、第一皇子であるジェイドに先んじて報告へ走ってくれていた。事の顛末をまとめた報告書を作成し、上層部へ提出するという大役を担っていたのである。


 ルークは名目上、エッゾの騎士団の一角を担う団長に就任している。しかし、その実質的な部下はヒュースただ一人だ。

 魔物をただ斬り捨てることしかできないルークに代わり、報告や連絡、事務などの細々とした業務は、すべてヒュースがこなしてくれている。

 ヒュースがいるからこそ、自分は組織の一員としてやっていけている。その点について、ルークは彼に深く感謝していた。


「レティシア様が、気になるのですか?」


「……ああ」


「それはまた、どうしてでしょうか?」


「……わからん」


 普段から、ルークとヒュースは最低限の会話しか交わさない。

 だが、先日レティシアを交えて共に食事をしてからというもの、二人の会話量は格段に増えていた(あくまでルークの中での比較だが)。


「わからんが……無性に、むかつくのだ」


「はぁ……むかつく、ですか……」


「ああ」


 じろり、とルークは鋭い視線で厨房の中を睨む。

 レティシアは実に楽しそうに笑いながら、むさくるしい料理人たちに、己の知識と技術を惜しみなく教えている。


(あいつらは……レティシアの本当の凄さなど、何も知らないくせに)


「……ぐぬぬぬぬ」


 隣に立つヒュースから、ひどく悔しそうな『音』が伝わってきた。

 魔力を持たないゼロ者のルークだが、彼の常人離れした聴覚は、声のトーンや気配から相手の『かんじょう』を聞き取ることができる。


(姉上や兄上は、為政者として様々な感情を抱え込んでいるため、本心を聴き分けにくいのだが……)


 彼らは国や民を思う気持ちが強く、本音を覆い隠してしまうため、ルークの耳でもその心を覗けないことが多々ある。

 レティシアのように『色』で直感的に魔力こころを視覚化できればわかりやすいのだろうが、『音』という見えない情報だけでは、感情の機微を完全に理解できない時がままあるのだ。


 一方で、ヒュースの場合は非常にわかりやすい。


「何をそんなに悔しがっている……?」


「いや、あの、そのっ……」


 もごもご、とヒュースが口ごもる。以前なら会話はここで打ち切られていた。だが……。


「……ルーク坊っちゃんが、何かに『嫉妬』なさっているようで……それが少しばかり、悔しいのです」


「嫉妬……? 俺が、誰にだと……?」


「あの厨房にいる、料理人たちにではないのですか……?」


(嫉妬……だと……?)


 確かに、魔力を持たないこの呪われた身体を、疎ましく思ったことはある。

 だが、彼は他人を「羨ましい」と思ったことなど、決して無かった。


 ルークにとって、この体は愛する母から授かった大切なものだ。魔力ゼロの呪いを嘆いたことはあれど、魔力の使える健常な体を欲したことなど一度もない。

 それは自分を生んでくれた母を否定することに繋がるからだ。ゆえに、他者を羨むことなど、これまでの人生で一度もしたことがなかった……はずだった。


 それが、今。

 レティシアに群がる男たちを見て、自分が『嫉妬』していると、ヒュースに指摘されたのである。


(どういうことだ……さっぱりわからん……なぜ俺が、あいつらに……?)


「あ、ルーク。ヒュースさんもっ」


 ととと、と。レティシアが花がほころぶような笑顔で近づいてくる。

 その両手には、湯気を立てるお皿が大事そうに握られていた。


「……な、なんだ……?」


(落ち着け……。こいつは俺から魔力こころの色を読むことはできない……)


 今、自分の中に渦巻いている正体不明の黒い感情を、ルークはどうしてもレティシアに知られたくなかったのだ。


「ちょうど新作のお料理ができたので、ルークに食べて欲しくて」


「俺に……か? 奴らじゃ無くて……?」


 ルークは無意識のうちに、厨房にいる料理人たちを指さしていた。


「? はいっ」

「そ、そうかっ」


 ……自分で発した声のあまりの弾みっぷりに、自分で困惑する。


(な、なんだ……俺は。さっきまでドロドロと渦巻いていた黒い感情が……あっけなく消えていく……だと……?)


 ルークは内心の戸惑いを隠すように、差し出されたパスタを改めて見つめた。


 黄金色に輝く、とろりとした濃厚なソースが麺に絡みついている。その上には粉雪のようにチーズがこれでもかと散らされ、こんがりと炙られた極厚のベーコンが強烈に食欲をそそる匂いを放っていた。


「……いただきます」


 ルークはフォークを受け取り、パスタをすする。


「! なんて……濃厚な味だ。強烈な旨味があるのに、信じられないほどまろやかな味わい……。一体、なんていう料理なのだ」


「『カルボナーラ』ですっ!」


 カルボナーラなるそのパスタは、今まで彼が食べてきた「パスタ」という概念を根底から塗り替えるほどの代物だった。


 厚切りのベーコンは、噛めば噛むほどジュワッと極上の脂が溢れ出る。強いコシのあるパスタと、卵とチーズの濃厚なソースが見事に絡み合い、口の中を至福で満たしていく。


「うまい……」

「よかったー! 久しぶりに作るので、腕が落ちていないか少し心配だったんです。でも、ルークが美味しいって言ってくださるなら、安心しましたわ!」


「安心……?」


 嬉しそうに笑うレティシアに、ルークは思わず問い返す。


「ええ。だって、ルークはすっごく『正直者』ですから」


「…………」


(俺が……正直者……?)


 そう指摘されても、ルーク自身にはあまりピンとこなかった。だが、隣に立つヒュースは、涙ぐみながら何度も激しく頷いていた。


「……くぅぅ、ルーク様のことを本当によくわかってらっしゃるぅ……。これぞまさに正妻……くぅぅ……」


 身悶えするヒュースをよそに、ルークは改めてレティシアに真っ直ぐな視線を向けた。


「俺は、お前の役に立てたか?」

「え? ええっ、もちろん!」


「……そうか」


 知らず知らずのうちに、ルークの口の端が柔らかく緩んでしまう。


「それなら、いい」


 先ほどまで胸を焦がしていた嫉妬の感情は、驚くほど綺麗さっぱりと消え去っていた。


「ああ……ルーク様がこんなにも良い笑顔を……羨ましいぃ〜……」


 ヒュースが、レティシアに向けて強い感情を放っている。

 ……『嫉妬(羨ましい)』という感情。


 ルークには、まだそれが完全に理解できたわけではない。他の男たちと仲良くする彼女を見て、無自覚な独占欲が湧いていたのだということも、はっきりとはわかっていない。


 ……それでも。

 レティシアが、自分だけを特別視してくれたから。

 その他大勢の誰よりも、自分の素直な評価を頼ってくれたことが、たまらなく嬉しかった。だからこそ、あの黒い感情が消え去ったのだということだけは、おぼろげに理解できた。


(まあ、まだよくわからんが……よしとしよう)


 今、彼の中にある温かな感情の正体に気づくには、まだまだ時間が掛かりそうである。ルークは誇らしげな笑みを浮かべ、再び極上のカルボナーラを口へと運んだ。


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