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Pacta sunt servanda ――陸奥宗光になる君と、国際法の言の葉を――  作者: Altis―法律を物語に翻訳中―
CapitulumⅡ Inter absentes――離れた君へ、言の葉を重ねて――

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12/14

第一條 論書中之言 ――顔が見えないものですから。

このお話には、実在した人も、実際にあった出来事も出てきます。


ただし、そのあいだで誰が何を考え、何を話し、何を約束したのか。


そこまで史実に尋ねるのは、少し酷だと思います。


ですので、そのあたりは物語としてお読みください。




 紙を前にしてから、もう随分たっていた。





 江戸にいた頃よりは、さすがに進歩している。手紙には書き出しがいることも、その形も一応は教わった。


 ただ、覚えたことと、自分でさらさら書けることは、やっぱり別だった。


「阿国。ここ、この前と同じでいい?」


「はい。そちらでよろしゅうございます」


「じゃあ、次は無事に着きました、で」


「もう少し整えてからにいたしましょう」


「まだあるの?」


 無事に着いたと伝えたいだけなのに、そこまでが長い。


 阿国が書いてくれた手本を横に置き、見覚えのある字を一つずつ拾いながら、どうにか挨拶を書き終える。


「阿国に聞きながら書いています、と。これで合ってる?」


「そこまでお知らせになるのですか」


「全部書けるようになったと思われたら困るでしょう。返事まで難しくされたら、今度は読む方で詰まるもの」


 阿国は何か言いたそうにこちらを見たけれど、結局、筆先の墨が多いと教えてくれただけだった。


 少し落としてから、次に何を書こうか考える。


 紀州へ戻ってから、毎日のように知らないことが出てくる。江戸では文字で困っていたのに、今度は暮らしているだけで知らないことにぶつかるのだから、なかなか忙しい。


 でも、その話なら、小二郎はたぶん面白がってくれる。


 私はもう一度、筆を取った。



挿絵(By みてみん)



一筆啓上仕候、秋冷之節、其許には弥御壮健に御暮し被成候哉、承り度存候。

当方道中別条なく帰着仕候間、御安心可被下候。

書状之認め方不案内に付、阿国に相尋ねつつ筆を執り候。


【成瀬】


無事に着きました。道中で何かやらかしたのではないかと心配しているかもしれませんが、ちゃんと帰っています。阿国も元気です。


挨拶を書くだけで日が傾きました。あなたが隣にいたら、きっとまた呆れた顔をしたのでしょうね。


家の人たちは喜んでくれました。


ただ、私にとっては初めて会う人ばかりなのに、向こうはみんな私を知っています。


私だけ打ち合わせに呼ばれなかった芝居へ、途中から出されたみたいな気分です。誰かに声をかけられるたびに阿国の顔を見ていますが、最近は少し考えれば分かりそうなことなら、すぐには助けてくれなくなりました。




たぶん教育方針が変わったんだと思います。




母の具合は、日によって良かったり悪かったりです。私の顔を見ると安心するらしく、その日に何をしたのかとよく聞かれます。


大したことをしていない日でもうれしそうなので、なるべく話すようにしています。


ただ、少し元気になると、その流れで婿の話まで始まります。


看病に帰ってきたはずなのですが、どうやら私の今後まで一緒に立て直すことになったようです。


近いうちには、お役目にも戻るそうです。こちらも少し心配しています。


以前の一平太が何をしていたのか尋ねると、皆から「どうしてそこを聞くのだろう」という顔をされます。


知らないことより、知っているはずだと思われていることの方が、ずっと扱いにくいのかもしれません。



あなたの方は、勉強は進んでいますか?



こちらでは教わることばかりなので、あなたに国際法を話していた時間が、もう少し懐かしくなっています。


自分の分かることを、そのまま話せる相手がいないというのは、思っていたより退屈でした。


条約でも慣習でも、気になったことがあれば書いてください。私に分かることなら答えます。


ただし、字は少し分かりやすくお願いします。


あなたまで読めない字を書いてきたら困りますし、阿国はいますけれど、あなたからの手紙まで最初から最後まで横で説明してもらうのは、何となく嫌なので。




◇ ◇ ◇




【小二郎】


それじゃ勉強にならんやろ。


阿国に見せて聞け。俺の字だけ読めても、そっちで暮らしていくには足りんのやから、そこは横着せんと覚えた方がええ。


挨拶のところだけ妙にかしこまっとるから笑うた。その後は、センセが隣でそのまま喋っとるみたいやった。


ともかく、無事に着いたならよかった。


おば上も、センセの顔を見て喜んではるなら、話くらい聞いたげたらええ。婿の話まで始めるんは、元気が出てきたんやと思うとけ。


そのうち阿国からも話を聞きたいわ。センセの手紙だけやと、周りが何をそんなに困っとるんか、いまいち分からん。


こっちは相変わらず勉強しとる。


この前、人の話を途中まで聞いて、もう分かったから答えたら、最後まで聞けと言われた。センセならそのまま次へ行くやろ。どうも、あれは普通やないらしい。


まあ、次からは少し待つことにする。センセも気ぃつけた方がええで。俺よりひどいからな。


それで、一つ質問や。


前に聞いた、約束や慣習や紙に残す話は、だいたい分かった。


けど、その先や。


何が決まりなんか。誰に当てはまるんか。相手も同じ意味で分かっとるんか。何でそこまで、一個ずつ確かめなあかんのや。


こっちなら、分からんことは知っとる者に聞く。それでも揉めたら、決める立場の者に聞いたらええ。


国同士やと、それができんのか?


読めん字は阿国に聞けと言うたけど、分からん理屈まで阿国に聞かせるつもりはないからな。


そっちはセンセの仕事や。


挿絵(By みてみん)


【成瀬】


年始の挨拶は別に書いたので、こちらでは前の質問に答えます。


阿国には見せました。あなたの言うとおりだそうです。


二人で同じことを言わなくてもいいと思うのですが、「センセの仕事や」まで読めたので、今度はこちらがちゃんと答えます。


その前に、一つだけ。


人がまだ話しているのなら、最後まで聞いた方がいいと思います。


途中で分かったつもりでも、最後に条件が付くかもしれないでしょう。先に答えてしまうと、相手が言いたかったことから少しずれることもあります。


私も気をつけろ、というところはよく分かりません。


少なくとも、私はちゃんと聞いています。




さて。



あなたの質問は、簡単にすると、


「分からないなら、決める人に聞けばいいのでは」


ということだと思います。


国の中なら、それで済むことがあります。お殿様でも将軍様でも、決まりを作ったり、争いを裁いたりする立場の人がいますから。


では、国と国の間で揉めたら、誰に聞くのでしょう。



そこが、少し面倒です。



国々より上に、全員が言うことを聞く将軍様はいません。誰か一人に尋ねれば、「はい、これが正解です」と全部決めてもらえるわけではないのです。


だから、「これは前からある決まりだ」と言われたら、本当にそうなのか確かめる。


前に鞘の話をしたでしょう。あれも、その一つです。


新しく約束するなら、何を決めたのか分かるようにする。私たちが会う日を書いた紙も、その入口でした。


ただ、紙に書けば全部終わり、というわけでもありません。


たとえば、「港を使ってよい」と書いたとします。


こちらは、船を着けて商売をしてよい、くらいのつもりだった。でも向こうは、港の周りまで自由に使えると思っていた。


それでは、同じ文を見ているのに、頭の中にある約束が少し違います。


だから、


「それ、どこまでの意味?」


と確認する。


あなたが私の話を回りくどいと思ったのは、たぶんこの辺りです。


私は決まりそのものだけでなく、それがどこから来たのか、誰にかかるのか、相手も同じ意味で話しているのかまで、一度に説明していました。


先に分けて話せばよかったですね。


そこは私の説明が悪かったです。


もっとも、こちらでは何か尋ねると、ときどき「そこからですか」という顔をされます。


聞けば教えてもらえるだけありがたいのですが、あの顔をされると、次の質問をするのに少し勇気がいります。


◇ ◇ ◇


【小二郎】


なるほど。


誰に聞けば全部分かる、いう人がおらんから、決まりがほんまにあるんか、こっちにも関係あるんかから確かめとると。


そこは分かったけど、前の話についてはセンセにだけは言われたない。


この前は一応、最後まで聞いた。結局言うたことは同じやったけど、前より話は続いた。


どうも、センセと話すときみたいに他の人と話したらあかんらしい。そこは覚えとく。センセも覚えとき。


それで、もう一つ。


前から付き合うてきた国同士なら、まだ分かる。けど、後から入ってきた方はどうなる。


向こうでは昔から当たり前でも、こっちは知らん。何をされたら怒るんかも、どこまで言えば約束になるんかも、最初から全部分かるわけやない。


それで向こうから、


「これは決まりや」


と言われたら、そのまま従わなあかんのか。


それやったら、先に知っとる方が得やろ。


幕府が異国と話すにしても、こっちが一つ覚える間に、向こうは次の話を持ってくる。そのうち、向こうの言うことを覚えるだけにならんか。


紙に書く前に、「いや、それは違う」と言える者も要るやろ。約束してから知らんかったと言うても遅い。


それと、こっちと向こうで当たり前が違うたらどうする。


どっちも譲らんかったら、誰か間へ入ってもらえへんのか。藩同士なら幕府へ持っていくみたいに。


国より上に将軍様がおらんのは分かった。


ほな、どうしても決まらんときは、誰を頼ったらええんや。




◇ ◇ ◇




【成瀬】


帰ってきた頃と同じくらい、朝夕が涼しくなりました。


着るものには困らなくなりましたが、書類には相変わらず苦労しています。


先に知っている方が有利だ、というのは、そのとおりです。


だから、文字が読めるだけでは足りません。


そこに何が書いてあって、それを受け入れたら何が起きるのか。そこまで分かる人が必要になります。


本来なら、そろそろ私の出番でもいいはずなのですが、今のところは、去年どこへ何を出したのか覚えている人の方が、ずっと頼りにされています。


去年の私はちゃんとできていたそうです。


そう言われても、今の私にはどうしようもないんですけれど。


さて。


向こうで昔からそうしているからといって、それが全部こちらの決まりになるわけではありません。


向こうだけの話なのか。国同士で守るものなのか。こちらにも関係するのか。


そこは、ちゃんと分けて考えます。


ただ、



「知りませんでした」



と言えば何でも済むわけでもありません。


たとえば、座る場所です。


こちらにはただの空席でも、その場では誰がどこへ座るかに意味があるかもしれません。


知らずに上座へ座れば、悪気がなくても相手はいい顔をしないでしょう。


だからといって、向こうのやり方に何でも従え、という話ではありません。


ただ、席そのものが目的でないなら、場所を変えて本題へ進んだ方が早いこともあります。


そこで全部を一度に争わなくてもいいでしょう。


もっとも。


入口で待っていて。


中へ通されて。


「座ってください」とまで言われて。


それなのに、どこへ座ればいいのか教えてもらえなかった場合まで、こちらだけが悪いと言われるのは、少し納得できません。


最初に教えてくだされば、私だってそこへは座りませんでした。




――話を戻します。




知らない相手と話すなら、こちらにも相手のことを知る人が必要です。


そうでなければ、あなたの言うとおり、最初から知っている側の方が有利になります。


それでも話がつかなければ、誰かに間へ入ってもらうこともできます。


ただし、その人に何を任せるのかは先に決めます。


「まあまあ」と間を取り持ってもらうだけなのか。


何があったのかを調べてもらうのか。


それとも、最後の判断まで任せるのか。


同じ「間に入る」でも、することはかなり違います。


何を頼んだのか曖昧なままだと、今度はその人との間で、


「そこまで任せていません」


という話が始まってしまいます。


面倒でしょう。


私も書きながら、ちょっと面倒だなと思っています。


でも、頼んでもいないところまで勝手に決められるよりは、その方がいいでしょう。


この辺りは、もう少し続きます。


ただ、全部一度に書いたら、今度はあなたから「長い」と返ってきそうなので、今日はここまでにします。


教えていた頃なら、あなたの顔を見て、分からなそうなところだけ言い直せました。


手紙ではそれができないので、どこまで書けば足りるのか、案外難しいですね。


長くなるのは、少しだけ手紙のせいということにしておいてください。


それと、婿の話は、今あった分が全部なくなりました。


会ってもいない方まで、お断りになったそうです。


どうして会う前からそこまで判断できるのか、理由を聞いてみたいのですが、阿国には、


「そういうところでございます」


と言われました。





まだ何も聞いていないのに。




◇ ◇ ◇


 空いていた場所へ座っただけだという話を、センセは随分と丁寧に書いていた。


 国同士の話をしていたはずなのに、そこだけ妙に事情が細かい。


「……これ、説明やないやろ」


 たぶん本人が何かやった話や。


 知らん相手と話すなら、向こうのことを知る者が要る。誰かに間へ入ってもらうにしても、何を任せるのか先に決める。


 そこは分かるけど、その真ん中にある席の話は、どう読んでも言い訳やった。


 教えてくれれば座らなかった、とまで書いてある。紙の向こうで、少し不満そうな顔をしながら書いとるところまで浮かぶ。


 最後には、婿の話が全部なくなったらしい。


 理由を聞きたいと書いてあるけど、聞いたら聞いたで、納得できんところを一個ずつ聞き返すんやろう。


 そう考えると、取り持つ方も少し気の毒になった。


 俺はもう一度、席のところへ目を戻して笑った。


「いや、それ、センセがやらかした話やろ」


 人の話は最後まで聞けと言い、自分はちゃんと聞いとると言い張る。そのセンセが、自分の失敗らしい話になると、これだけ事情を書く。


 前の手紙に書いた一文を思い出した。


 センセも気ぃつけた方がええで。俺よりひどいからな。


 今なら、ちゃんと証拠もある。


「……やっぱ俺よりひどいやん」


 今度の返事には、そこから書こうと思った。

今回は、慣習、条約の意味の確認、それから第三者にどこまで任せるのか、というあたりを手紙のやり取りに混ぜています。


この辺りのお話は、また詳しく補講でお会いしましょう。

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