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第16話 君と迎える、初めての冬

二〇二七年十二月四日、土曜日。


 午前十時八分。


 机の上のスマートフォンには、一週間前のやり取りが残っていた。


『次も、隣を歩いてくれ』


『もちろん!』


『ずっと隣がいいな』


 何度読み返しても、最後の一行で指が止まる。


 ずっと。


 簡単に口にできる言葉ではない。


 少なくとも、俺にとっては。


「……まいったな」


 ブラックコーヒーを一口飲む。


 もう冷めかけていた。


 窓の外には、薄い冬の空が広がっている。


 先週よりも、少し寒い。


 あいつは、ちゃんと暖かくしているだろうか。


 そう考えた瞬間、スマートフォンが震えた。


『朔夜、おはよう! 今日すっごく寒いね!』


「……噂をすれば、か」


『おはよう。風邪ひくなよ』


『朔夜も! ねえ、今日って忙しい?』


 俺は予定を確認するまでもなく答えた。


『空いてる』


『じゃあ、会いたいな』


 胸の奥が、静かに跳ねた。


 以前の俺なら、きっとこの言葉を送るだけで何分も迷っていただろう。


 けれど、彼女はこんなにも真っ直ぐだ。


『俺も会いたい』


 送信する。


 たった七文字を、今度は消さなかった。


     *


 午後一時三十七分。


 淀屋橋駅の近く。


「朔夜ー!」


 人の流れの向こうから、みくが手を振った。


 淡い色のマフラーを巻き、肩をすくめている。


「……寒そうだな」


「寒いよ! もう冬だもん!」


「そう言いながら、外に誘ったのは誰だ」


「私です!」


 胸を張って答えるものだから、思わず笑ってしまった。


「で、どこに行きたい?」


「決めてない!」


「……おい」


「だって、朔夜に会いたかっただけだし」


 彼女は当たり前のことのように言った。


 俺は一瞬、返事を忘れる。


「……そうか」


「うん!」


 それなら、目的地なんてなくてもいい。


 俺たちは並んで歩き出した。


     *


 午後二時十九分。


 商店街の小さな店先で、みくが足を止めた。


「見て、朔夜。手袋!」


 棚には、色とりどりの手袋が並んでいる。


 そういえば、以前も手袋の話をしていた。


 欲しいものがあるのに、買わなかったと言っていたはずだ。


「……前にも言ってたな」


「覚えてたの?」


「ああ」


 みくは嬉しそうに目を細めた。


「でも、今日は見るだけ」


「どうして?」


「うーん。まだ迷ってるから」


 俺は棚に視線を戻した。


 柔らかな生地の、落ち着いた色の手袋。


 彼女に似合いそうだと思った。


 けれど、勝手に選んで渡すのは違う気がした。


「……どれが好きなんだ?」


「え?」


「色とか、形とか」


 みくはしばらく真剣に棚を眺めた。


「これ、かな」


 指さしたのは、淡いピンク色の手袋だった。


「……覚えた」


「えっ、何を?」


「別に」


「朔夜、今なんか企んだでしょ!」


「してねぇよ」


 笑いながら店を離れる。


 彼女が好きなものを、一つ知った。


 それだけで、少し嬉しかった。


     *


 午後三時五十六分。


 川沿いの喫茶店に入った。


 窓の向こうを歩く人々は、みんな急ぎ足だ。


 俺の前にはブラックコーヒー。


 みくの前には、湯気の立つミルクティー。


「ねえ、朔夜」


「ん?」


「さっきのメッセージ、嬉しかった」


「……さっき?」


「会いたいって言ってくれたやつ」


 俺はカップを置いた。


「……本当のことだ」


「うん。だから嬉しいんだよ」


 彼女は両手でカップを包み込む。


「前はね、朔夜って何を考えてるのか、分からないときがあったの」


「……今もだろ」


「今は、ちょっと分かるよ」


 みくは笑った。


「私と一緒にいたいって思ってくれてること」


 俺は窓の外へ目を向けた。


 否定する理由なんて、もうなかった。


「……ああ」


 それだけ答えると、彼女は満足そうに頷いた。


     *


 午後五時十二分。


 店を出ると、冷たい風が頬をかすめた。


「うわ、寒っ!」


 みくが手をこすり合わせる。


「……だから手袋を買えばよかったんだ」


「だって、迷ってたんだもん」


 俺はポケットから手を出した。


 何か言おうとして、やめる。


 手をつなぎたい。


 その気持ちに気づいた途端、足が止まりそうになった。


 まだ、俺たちは恋人じゃない。


 あいつがどう思うかも、分からない。


「朔夜?」


「……何でもない」


 みくは不思議そうに首をかしげた。


 それから、俺の歩幅に合わせて歩き始める。


 手は触れなかった。


 けれど、肩と肩の距離は、先週より少しだけ近かった。


     *


 午後九時四十四分。


 机の引き出しを開ける。


 二通の手紙。


 オムライスの日のメモ。


 みくからもらったカード。


 今日も、三通目の手紙は書かなかった。


 代わりに、スマートフォンのメモを開く。


『みくの好きな手袋。淡いピンク色』


 短い一行を残した。


 いつか、彼女に似合うものを選べたらいい。


 そして、そのときには。


 今日、言えなかった言葉も伝えられるだろうか。


 画面が明るくなった。


『今日はありがとう! 寒かったけど、楽しかったね』


『ああ。楽しかった』


『また会おうね!』


 俺は少し考えてから、返事を送った。


『次は、もう少し暖かいところに行こう』


『じゃあ、また一緒にご飯作りたい!』


『いいぞ。何が食いたい?』


『考えとく!』


 思わず笑った。


 冬が来た。


 寒いのは、昔から得意じゃない。


 それでも今年は、少しだけ違う。


 次に会う日を考えるだけで、心が温かくなる。


 君と迎える、初めての冬。


 まだ知らない君の好きなものを、これからも一つずつ覚えていきたい。


 そして、いつか。


 君の手が冷たいとき、迷わずその手を取れる俺になりたい。


――第16話 終――


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