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満州に咲いた命  作者: 月羽めい
第四部 それぞれの人生
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第三十二章 祝福と影

春風が町を優しく吹き抜けていた。

一新、二十一歳。

蘭々、二十歳。

二人は家族や近所の人々に祝福され、夫婦となった。

豪華な結婚式ではなかった。

町の集会所を借り、近所の人たちが持ち寄った料理が机いっぱいに並ぶ。

饅頭、漬物、湯気の立つ麺。

決して贅沢ではない。

それでも、その日は誰もが笑顔だった。

「一新、おめでとう。」

清子は息子の手を両手で包み込む。

「ありがとう、お母さん。」

「蘭々さんを泣かせたら許さないからね。」

その言葉に一新は照れ笑いを浮かべた。

「分かってるよ。」

蘭々も深く頭を下げる。

「お義母さん。」

「未熟ですが、よろしくお願いいたします。」

清子は優しく蘭々を抱き寄せた。

「こちらこそ。」

「今日からあなたも私の娘よ。」

その一言に、蘭々の目から涙がこぼれ落ちた。

幼い頃に母を亡くした蘭々にとって、その言葉は何よりも温かかった。


宴が終わる頃、正恵は楽しそうに蘭々の腕へ抱きついた。

「蘭々お姉ちゃん。」

「これからずっと家族だね。」

蘭々は笑顔で頷く。

「そうよ。」

「正恵のお姉ちゃんにもなる。」

静香はその様子を見ながら幸江を抱き上げた。

「幸江。」

「新しいおばさんよ。」

幸江はまだ三歳。

意味は分からないながらも、にこっと笑い、小さな手を蘭々へ伸ばした。

「だっこ。」

蘭々は嬉しそうに抱き上げた。

家族みんなが笑っていた。

その笑顔を見ながら清子は思った。

(戦争で何もかも失った私にも、こんな幸せな日が来るなんて。)


しかし、その幸せの影で、新潔の異変はさらに進んでいた。

新聞配達の途中。

配達先の家を間違えた。

何十回も通った道だった。

それなのに表札が読めない。

「すみません。」

何度も頭を下げる。

帰り道。

今度は溝へ足を踏み外し、膝を強く打った。

ズボンが破れ、血がにじむ。

それでも家へ帰ると笑顔を作った。

「転んじゃった。」

正恵は心配そうに駆け寄る。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「平気だよ。」

「男はこれくらい平気。」

そう言って笑う。

しかし、その笑顔はどこかぎこちなかった。


夜。

静香が弟の服を縫っていると、破れたズボンの膝に何度も同じような傷跡があることに気付いた。

(こんなに何度も転ぶ子じゃなかった。)

不安になった静香は、翌日、新潔の新聞配達を遠くから見守ることにした。

夜明け前。

新潔は新聞を抱え、町を歩く。

何度も立ち止まり、表札へ顔を近付ける。

配達する家を間違えそうになり、慌てて戻る。

道端の石につまずく。

静香は息をのんだ。

(見えていない……。)

その瞬間、すべてを悟った。


仕事を終えた新潔が家へ帰ると、静香が待っていた。

「新潔。」

優しい声だった。

「少し話をしましょう。」

新潔は姉の表情を見て、隠し通せないことを悟る。

二人は庭へ出た。

静香はゆっくり尋ねる。

「目……見えにくいんでしょう。」

新潔は何も答えない。

「私、今日見てたの。」

「ずっと。」

その言葉に、新潔の肩が震えた。

長い沈黙。

そして、とうとう新潔は声を震わせた。

「……見えない。」

「少しずつ。」

「新聞の字も。」

「夜道も。」

「みんなの顔も……。」

言葉と一緒に涙があふれた。

「怖いんだ。」

「このまま何も見えなくなったら。」

「働けなくなる。」

「家族の役に立てなくなる。」

「お母さんに迷惑をかける。」

そう言って、新潔は子どものように泣いた。

静香は黙って弟を抱きしめた。

「馬鹿ね。」

「家族って、そういうものじゃない。」

「あなたが今まで私たちを支えてくれたでしょう。」

「今度は私たちがあなたを支える番。」

新潔は首を横に振る。

「でも……。」

「迷惑なんかじゃない。」

静香は涙を流しながら続けた。

「私は足が不自由で生まれた。」

「それでも、お母さんも、一新も、あなたも、正恵も、一度だって私を重荷だなんて思わなかった。」

「だから今度は、あなたが一人で苦しまなくていい。」

新潔は姉の胸で声を上げて泣いた。

十年以上、家族のために強がり続けてきた少年が、初めて弱音を吐いた夜だった。


翌朝。

静香は清子へすべてを話した。

清子はしばらく黙ったまま座っていた。

やがて静かに立ち上がる。

「新潔。」

その声に、新潔は母の前へ座った。

「ごめんなさい。」

謝ろうとした新潔の言葉を、清子はそっと遮る。

そして息子を強く抱きしめた。

「謝るのは、お母さん。」

「あなたがこんなにつらい思いをしていたのに、気付いてあげられなかった。」

新潔は首を振る。

「違う。」

「お母さんは悪くない。」

二人は抱き合ったまま泣き続けた。

その姿を見た家族もまた、静かに涙を流していた。

水上家はまた一つ、大きな試練を迎えていた。

それでも誰一人、新潔を見捨てようとはしなかった。

家族だから。

その絆だけは、どんな苦しみでも壊れることはなかった。

しかし、この時まだ誰も知らなかった。

新潔の視力は、もう元には戻らないところまで失われ始めていることを──。

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