↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
満州に咲いた命  作者: 月羽めい
第四部 それぞれの人生
PR
28/65

第二十八章 故郷からの便り

幸江が生まれてから二年。


静香は二十一歳になっていた。


幼い幸江は母の後をちょこちょこと歩き回り、笑顔を振りまく明るい子に育っていた。


その笑顔を見るたび、静香は思う。


(この子だけは、私のような思いをさせたくない。)


来真も仕事から帰ると真っ先に幸江を抱き上げた。


「幸江、お父さんだぞ。」


幸江は嬉しそうに父の首へ抱きつく。


その姿を見て静香は微笑む。


来真は娘には惜しみない愛情を注いでいた。


しかし、夫婦の距離は依然として埋まらなかった。


会話は穏やかだった。


喧嘩もない。


それでもどこか、心だけが遠かった。


一方、清子の家では長年寝たきりだった義母の容態が悪化していた。


食事もほとんど喉を通らなくなり、一日のほとんどを眠って過ごしていた。


静香は嫁いでからも時間を見つけては実家へ戻り、祖母の世話をしていた。


「おばあちゃん。」


「静香ですよ。」


義母はゆっくりと目を開ける。


昔の険しい表情は、もうなかった。


そこにいるのは、一人の弱々しい老人だけだった。


「……静香。」


「また来てくれたのか。」


「もちろんです。」


静香は笑顔で答える。


「おばあちゃんのお世話は、私の大切な役目ですから。」


義母は涙ぐんだ。


「お前には……。」


「若い頃、本当にひどいことをした。」


身体が不自由な静香を「役に立たない子」と責め、清子を何度もなじった日々。


その記憶は、義母自身の心にも深く残っていた。


「私は……。」


「母親としても、祖母としても失格だった。」


静香は静かに首を振る。


「そんなことありません。」


「私は、おばあちゃんと過ごした時間も、大切な家族の思い出です。」


義母は驚いたように静香を見る。


「恨んでは……いないのか。」


静香は少しだけ笑った。


「恨んでいたら、こうして来ません。」


「お母さんが教えてくれました。」


『人を憎み続けると、自分の心まで苦しくなる。』


「だから私は、おばあちゃんを許しました。」


義母は声を上げて泣いた。


「ありがとう……。」


「ありがとう……。」


その言葉しか出てこなかった。


数日後。


義母は静かに息を引き取った。


最期は清子が手を握り、静香が枕元に座っていた。


義母は最後に二人を見つめ、小さく微笑んだ。


「静香……。」


「すまなかった。」


それが最後の言葉だった。


清子は涙を流しながら義母の手を包み込む。


「お義母さん。」


「どうか、安らかに。」


静香も深く頭を下げた。


祖母との思い出は決して優しいものばかりではなかった。


それでも最期には、憎しみよりも感謝が残っていた。


清子は棺の前で静かに手を合わせる。


(お義母さん。)


(あなたは厳しい人でした。)


(でも、あなたもまた戦争や貧しさの中で必死に生きてきた一人だったのでしょう。)


そう思うと、不思議と恨む気持ちは湧かなかった。


義母を見送って間もない頃。


一通の手紙が清子のもとへ届けられた。


差出人は見知らぬ名前だった。


古びた封筒。


震える手でそれを受け取った清子は、誰にも気づかれぬようそっと袖の中へ隠した。


その日のうちには開けない。


家族の目がある場所では、決して見られない。


夜になり、皆が寝静まったあと。


清子はひとり、奥の部屋で灯りを落とし、ようやく封を切った。


中には、一枚の便箋が入っていた。


そこには日本語で、こう書かれていた。


「清子姉さんへ。


あなたが生きていると聞きました。


私は弟の健一です。


戦争の日から、ずっと姉さんを探し続けてきました。」


その文字を見た瞬間、清子の手が震えた。


「健一……。」


幼い頃、日本で生き別れた弟。


満州には来たことのない弟。


戦争で永遠に会えないと思っていた弟だった。


「生きていた……。」


便箋へ涙が落ちる。


清子は慌てて袖でそれを拭い、声を殺して泣いた。


日本人であることを隠し、誰にも知られぬように生きてきた日々。


その胸の奥にしまい込んでいた故郷の記憶が、一気にあふれ出してくる。


その夜、清子は眠れなかった。


数日後、清子は弟へ返事を書く。


家族に見つからぬよう、夜更けにひとり机へ向かう。


「私は生きています。」


「四人の子どもに恵まれました。」


「いつか、もう一度日本の土を踏みたい。」


その願いを込めて筆を走らせた。


しかし、日本へ帰るということは、自分一人だけの問題ではない。


中国で生まれ育った四人の子どもたち。


それぞれに家庭を持ち始めた人生。


祖国と故郷の狭間で、清子は大きな決断を迫られることになる。


そして、この頃から長男・一新は職場で一人の女性と出会う。


その女性の名は――來蘭々。


やがて二人は惹かれ合い、新たな家族の物語が始まっていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。