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満州に咲いた命  作者: 月羽めい
第二部 異国で生きる
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第十三章 静香の運命

静香が生まれてから一年が過ぎた。

小さな家には、赤ん坊の笑い声が響くようになった。

「おいで、静香。」

邑黄が両手を広げると、静香は「おとうしゃん!」と嬉しそうに笑いながら父のもとへ向かう。

清子はそんな二人を見て、穏やかに微笑んでいた。

(こんな毎日が、ずっと続けばいい。)

戦争で失ったものは戻らない。

それでも、新しい家族が、その心の穴を少しずつ埋めてくれていた。


しかし、清子はあることが気になっていた。

静香は、一歳を過ぎてもなかなか立ち上がろうとしなかった。

近所の子どもたちは、転びながらも歩き始めている。

それなのに、静香は座ったまま笑っていることが多かった。

「この子はおっとりしているのかしら。」

最初はそう思っていた。

だが、ある日。

静香を立たせようとすると、右足に力が入らず、その場に崩れ落ちてしまった。

「静香!」

清子は慌てて抱き上げる。

何度試しても同じだった。

左足は踏ん張れる。

しかし右足は細く、力が入らない。

嫌な予感が胸をよぎった。


翌日。

町の医師のもとを訪れた。

医師は静香の足を何度も動かし、慎重に診察した。

部屋には重い沈黙が流れる。

やがて医師は静かに口を開いた。

「……生まれつきですね。」

「右足の発達が十分ではありません。」

清子の胸が締めつけられる。

「治るんでしょうか。」

震える声で尋ねた。

医師は苦しそうに目を伏せる。

「完全に元通りにするのは難しいでしょう。」

その言葉は、清子の心を深くえぐった。


帰り道。

清子は静香を背負ったまま、一言も話さなかった。

邑黄も黙って隣を歩く。

静香だけが母の肩越しに空を見上げ、無邪気に笑っていた。

「おかあしゃん、たかーい。おそら、みえるー。」

その笑顔が、かえって清子の涙を誘った。

家へ帰ると、静香を寝かせ、一人庭へ出る。

誰もいない場所で、初めて声を押し殺して泣いた。

「ごめんね……。」

「ごめんね、静香。」

何度も繰り返した。

そのとき、背後から冷たい声が落ちた。

「何を泣いているんだい。」

振り向くと、義母の秀華が立っていた。

清子が何も言えずにいると、秀華は静香の寝ている部屋の方へ目をやり、鼻で笑った。

「やっぱりねえ。最初から、あの子はどこかおかしいと思っていたんだよ。」

「お前があの子を産んだから、こんなことになったんじゃないのかい。」

清子は息を呑む。

「そんな……。」

「そんなも何もあるかい。」

義母の声は容赦がなかった。

「戦争のせいだ、医者のせいだと、何でも人のせいにするんじゃないよ。」

「母親なら、もっと丈夫な子を産むものだろう。」

「それなのに、足の悪い子を抱え込ませて……この家に恥をかかせる気かい。」

清子の目から、また涙がこぼれた。

「私だって……私だって、こんなふうになるなんて……。」

「言い訳は聞きたくないね。」

義母は吐き捨てるように言った。

「産んだのはお前だろう。」

その言葉は、清子の胸を鋭く刺した。

戦争は終わった。

それでも、その傷は娘の体にまで残っていた。

そして今、義母の言葉が、その痛みをさらに深くえぐっていく。

「全部、私のせい……。」

そう言って泣き崩れる清子を、秀華は冷たく見下ろしたまま、何も言わずに家の中へ戻っていった。


その夜。

清子は静香の寝顔を見つめながら、何度も唇を噛んだ。

静香は小さな手をぎゅっと握りしめ、眠りながらも「おかあしゃん……」と甘えるように呟いている。

その声が、余計に胸を締めつけた。

「ごめんね……。」

「おかあしゃん、ちゃんと守ってあげられなくて……。」

涙は止まらなかった。

母親になった今だからこそ、自分を許すことができなかった。


その夜。

邑黄は縁側に座る清子の隣へ腰を下ろした。

「清子。」

本当の名前で呼ばれた。

家の中では、「清華」とは呼ばなかった。

「俺も悔しい。」

「でもな。」

「静香は不幸じゃない。」

清子は涙で濡れた目を向ける。

「歩くのが少し苦手でも。」

「笑える。」

「食べられる。」

「家族がいる。」

「それだけでも十分幸せだ。」

「俺たちが支えればいい。」

その言葉は、清子の胸に静かに染み込んだ。

一人で抱え込まなくていい。

この子には父がいる。

自分には家族がいる。

そう思えた。


それからの日々。

清子は毎日静香の足を優しくさすった。

少しでも動きやすくなるように。

少しでも痛みが少ないように。

邑黄は仕事が終わると、静香を肩車して散歩へ出かけた。

「たかーい! もっと、もっとー!」

静香は声を上げて笑う。

歩けなくても、父の肩の上なら誰よりも高い景色が見えた。

「おとうしゃん、あっち、あっち!」

近所の子どもたちも、自然と静香を助けるようになった。

転びそうになれば手を差し伸べる。

鬼ごっこでは、静香に合わせてゆっくり走る。

その優しさに、清子は何度も救われた。


ある日。

静香は母に尋ねた。

「おかあしゃん。」

「どうちて、しーちゃん、みんなみたいに走れないの?」

まだ幼い娘の言葉だった。

清子は返事に詰まる。

何と言えばいいのだろう。

本当のことを話すには幼すぎる。

しばらく考えたあと、静香の目を見て微笑んだ。

「神様がね。」

「静香には、人の痛みが分かる優しい心をくれたの。」

「だから少しだけ、ゆっくり歩くことになったのかもしれないね。」

静香は首をかしげた。

「じゃあ、しーちゃん、よわくない?」

「もちろん。」

「静香は、お母さんの自慢の娘だよ。」

その言葉に、静香は安心したように笑った。

「えへへ……。」

その笑顔を見ながら、清子は心の中で誓う。

(この子だけは。)

(どんなことがあっても守り抜く。)

それは、あの日、父と母が自分にしてくれたことと同じだった。


その頃、邑黄は郵便局で責任ある仕事を任されるようになり、祝いの席や酒席へ呼ばれる機会が少しずつ増えていく。

「付き合いだから。」

そう言って笑う邑黄。

帰宅が遅くなる日も出始めた。

酒の匂いを漂わせながら、それでも静香を抱き上げて笑う父。

「ほら、静香。おとうしゃんだぞ。」

「だっこー!」

その姿を見て清子は胸をなで下ろしていた。

まだ、この頃の邑黄は酒を飲んでも家族に手を上げることはなかった。

しかし、その「付き合いの酒」が、少しずつ量を増やし、やがて家族の運命を大きく変えていくことになる。

そして数年後、清子は再び新しい命を授かる。

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