第五十九話 クリスマス大掃除
12月25日。
青嵐女学院女子バレーボール部では、クリスマスなのに大掃除の日だった。
私は今年初めて知った。
どうやら、毎年恒例らしい。
「まあ、今年も大掃除の時期だ。じゃあ、3年から引くぞ~」
練習を終えた体育館で、綾香先輩がやけに楽しそうに箱を掲げた。
中には、小さく折り畳まれた紙がいくつも入っている。
体育館、倉庫、部室、食堂、合宿所、廊下、玄関。
それから、一番大変だと先輩たちが口を揃える、合宿所の風呂。
掃除する場所は、毎年くじ引きで決めるらしい。
ただし、全員が同じ箱から引くわけではなかった。
「3年はこっちな。1、2年はあとでこっち」
綾香先輩が2つの箱を指差す。
3年生を先に各場所へ振り分け、そのあと1、2年生が残りの人数分を引く。どこかの掃除場所が1年生だけになるのを防ぐためらしい。
「恨みっこなしな。自分で引いた場所は責任持って綺麗にすること!」
そう言った綾香先輩は、そのまま一番乗りで箱へ手を突っ込んだ。
「じゃ、キャプテンから景気よくいくぞ。さて、今年の私は――」
紙を開く。
そして、止まった。
「……綾香?」
萌々香先輩が隣から覗き込む。
「…………風呂」
「え?」
「……掃除……」
さっきまであれほど元気だった綾香先輩の肩が、みるみる落ちていった。
そのまま、がくりと膝をつく。
「風呂掃除ぃ……」
「早いなあ、心折れるの」
楓先輩が笑いながら、次のくじを引いた。
「あ、部室」
綾香先輩が勢いよく顔を上げる。
「楓」
「何?」
「それ、よこせ」
「嫌」
「即答!?」
「恨みっこなしって、たった今自分で言ったじゃん」
「言ったけど!」
続いて萌々香先輩が引く。
「あ、合宿所掃除だ」
「萌々香、交換――」
「やだ」
「まだ最後まで言ってない!」
「どうせ交換しようでしょ」
さらに佳穂先輩が紙を開いた。
「うわあ、食堂か……」
一度嫌そうな顔をしたあと、床で項垂れている綾香先輩を見る。
「まあ、風呂よりマシか」
「お前ら全員敵か?」
「くじだからね」
「綾香が自分で引いたんじゃん」
「私たち何もしてないよ」
3方向から返され、綾香先輩がさらに項垂れた。
それでも、3年生のくじ引きはまだ終わらない。
後ろに並んでいた先輩たちも、次々と箱へ手を入れていった。
「私は体育館」
「廊下だ」
「あー、倉庫かあ」
「私、合宿所。萌々香、一緒だね」
「よろしくー」
「玄関か。寒そうだなあ」
掃除場所の書かれた紙を手に、3年生たちが少しずつ担当ごとに分かれていく。
改めてこうして見ると、やっぱり3年生は多い。
試合でよく見る先輩は限られているけれど、同じ学年だけでかなりの人数がいた。
3年生全員が引き終わったところで、綾香先輩が空になった箱を脇へ置いた。
「よし。じゃあ次、1、2年」
「1年からどうぞ」
怜奈先輩が箱の前を空けた。
「いいんですか?」
聞く。
「いいよ。一応先輩だからね」
「怜奈が言うと裏があるように聞こえる」
沙耶先輩が言った。
「失礼ね」
「だって絶対、残った場所見てから何か言うでしょ」
「くじなんだから、見たところで何もできないわよ」
「それはそうだけど」
2年生たちに先を譲ってもらい、まず1年生が箱を囲んだ。
真帆が最初に1枚取る。
「合宿所です」
「萌々香先輩と一緒だね」
「はい」
次は伊織。
「倉庫」
私も1枚取って開いた。
「あ、部室」
「楓と一緒だ」
佳穂先輩が言う。
「そこ、一番楽じゃない?」
「やった」
思わず喜ぶと、2年生の何人かがこちらを見た。
特に沙耶先輩の視線が妙に痛い。
「……千尋」
「何ですか?」
「いや。何でもない」
どう見ても何でもない顔ではなかった。
凜はそんな様子にも気づかず、勢いよく1枚引いた。
「私は……風呂掃除?」
紙を見て首を傾げる。
「お、綾香先輩と一緒だ」
「凜!」
さっきまで項垂れていた綾香先輩が急に元気になった。
「仲間!」
「よろしくお願いします!」
「よし、1人増えた!」
何をそんなに喜んでいるのか、私にはよく分からなかった。
美緒も1枚取る。
「私も風呂」
「美緒も?」
凜が嬉しそうに覗き込んだ。
「一緒だね」
「うん」
美緒は特に嫌そうでもない。
「4人なら、早く終わりそう」
「美緒、いいこと言うな!」
綾香先輩が力強く頷いた。
そこで1年生のくじ引きが終わった。
2年生たちは、それまで少し離れたところで余裕そうに眺めていた。
けれど。
「……待って」
瑞穂先輩が残ったくじの入った箱を見る。
「何?」
皐月先輩が聞く。
「風呂掃除、あと何個残ってる?」
一瞬、2年生全員が黙った。
梓先輩が壁に貼られた担当表を確認する。
「綾香先輩、凜、美緒……」
残っている人数も数えてから、箱を見る。
「あと1個」
「うあああああ!?」
沙耶先輩が叫んだ。
「まだ残ってるの!?」
怜奈先輩が冷静に返す。
「沙耶。でも2枠は1年に行ったわよ」
「それでも1個残ってるじゃん!」
「くじなんだから仕方ないでしょ」
「怜奈は絶対引かない顔してる!」
「そんな顔ないわよ」
「ある!」
その横で、瑞穂先輩がすでに取られた場所を指折り確認し始めた。
「一番楽な部室は千尋に取られた」
「合宿所は?」
「真帆」
「倉庫は?」
「伊織」
「ヤバいじゃん!」
「何が残ってるの!?」
「体育館、食堂、廊下、玄関……」
皐月先輩が一拍置く。
「あと風呂」
「最後に言わないで!」
私たち1年生は顔を見合わせた。
「そんなに嫌なんですか、風呂掃除」
真帆が聞いた。
2年生が一斉に振り返る。
「広いの!」
「床だけじゃないんだよ!」
「排水口もある!」
「壁も鏡もある!」
「脱衣所もセットだから!」
次々と言われ、真帆が素直に頷いた。
「……大変なんですね」
「だから言ってる!」
隣で凜が、自分のくじをもう一度見る。
「でも、みんなでやれば早くないですか?」
沙耶先輩が真剣な顔で凜を見た。
「凜」
「はい?」
「その純粋さ、大事にして」
「何の話ですか?」
いよいよ2年生の番になった。
由梨先輩だけは足の状態を考え、最初から深見先生に座ってできる記録整理を言い渡されている。
残った2年生たちが箱を囲んだ。
さっきまで1年生に余裕で順番を譲っていた人たちとは思えないほど、全員の顔が真剣だった。
「食堂ならまだいい」
「体育館も人数いるから早いよね」
「廊下でもいい」
「玄関は寒いけど風呂よりいい」
「風呂だけは嫌」
その中で、沙耶先輩が大きく息を吸った。
「よし」
「沙耶?」
怜奈先輩が見る。
「私から行く」
妙に覚悟の決まった顔で、箱の前へ進む。
「なんで決闘みたいになってるんですか」
聞くと、沙耶先輩は振り返りもしなかった。
「千尋には分からないよ。もう部室を確保した人には」
「恨まれてる……」
沙耶先輩が箱へ手を入れる。
2年生たちが固唾を呑んで見守った。
なぜか、すでに風呂掃除が決まっている綾香先輩まで、床から身を起こして見ている。
沙耶先輩が目を閉じた。
「いざ、尋常に……!」
「ただのくじよ」
怜奈先輩が言った。
沙耶先輩は1枚引いた。
ゆっくりと紙を開く。
止まった。
「……沙耶?」
皐月先輩が恐る恐る声を掛ける。
「…………風呂」
「え」
沙耶先輩の顔が絶望に染まった。
「風呂掃除ぃぃぃぃ!!」
体育館中に悲鳴が響いた。
その場に崩れ落ちる。
そこへ、先に同じ道を辿った綾香先輩が、静かに手を差し出した。
「ようこそ」
「行きたくないです!!」
「大丈夫だ。仲間はいる」
「嫌です!」
「凜と美緒もいるぞ」
「それで何が大丈夫なんですか!」
その光景を見ていた楓先輩が、くすくす笑った。
「一番大変なところに、煩いの三重奏が綺麗に揃ったね」
綾香先輩、沙耶先輩、凜の3人が、ほとんど同時に楓先輩を振り返った。
「誰が煩いんだよ!」
「楓先輩、私煩くないでしょ!?」
「私まで入ってるんですか!?」
3方向から一気に声が飛ぶ。
美緒が3人を見比べた。
「……今ので証明された」
「美緒!?」
今度は凜の声が、体育館いっぱいに響いた。
そのあとも2年生たちのくじ引きは続き、ようやく全員の掃除場所が決まった。
担当表を一通り確認した綾香先輩が、ぱん、と手を叩く。
「よし。それじゃ、それぞれ行くぞ。終わったところから部室集合! 掃除が終わる前にお菓子食べたやつは怒るからな!」
「誰が一番早く終わるか勝負しません?」
凜が言う。
「風呂組がそれ言う?」
佳穂先輩が笑った。
「勝ちます!」
「雑に掃除したらやり直しだからな」
「はい!」
「返事だけはいいなあ」
それぞれが掃除道具を手に取り、担当場所へ向かい始める。
風呂掃除組の綾香先輩、沙耶先輩、凜、美緒も、4人揃って合宿所へ向かっていった。
「だから最初に脱衣所からやるぞ!」
「床からの方が早くないですか!?」
「私、浴槽やります!」
「凜、それ絶対途中で水遊びするだろ!」
「しませんよ!」
「信用がない!」
まだ掃除場所にすら着いていないのに、すでに騒がしい。
その後ろを、美緒だけが何も言わずについていく。
少し離れたところで楓先輩が笑った。
「もう煩い」
私も、思わず笑った。
クリスマスなのに大掃除。
私にとって初めての青嵐の年末行事は、思っていたよりずっと騒がしかった。




