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水瀬千尋はエースじゃない―青嵐女学院バレーボール部―  作者: まるちーるだ
第二章 エースの隣

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第五十八話 総力戦

 春高本戦まで、あとわずか。


 その日の練習が終わると、深見先生から全員に集合がかかった。


 理由を尋ねる者はいなかった。


 もう、分かっている。


 春高本戦を戦う12人。


 最後の大会だからといって、3年生だからといって、全員が入れるわけではない。


 佳穂は列の中に立ちながら、一度だけゆっくり息を吐いた。


 思っていたより、緊張はしていなかった。


「御子柴綾香」


「はい」


 1人目。


「白石萌々香」


「はい」


 2人目。


 佳穂は黙って深見先生を見ていた。


 3年生は、綾香、萌々香、それから自分。


 こういう時、深見先生は学年ごとに名前を呼ぶ。


 だから、次の名前を聞けば分かる。


 ほんのわずかな間があった。


「九条沙耶」


「はい!」


 ああ。


 佳穂は小さく息を吐いた。


 やっぱり。


 思ったのは、それだけだった。


 学年が変わった。


 3年生から選ばれたのは、綾香と萌々香の2人。


 自分の名前はなかった。


「一ノ瀬怜奈」


「はい」


「鷹野皐月」


「はい」


「篠宮梓」


「はい」


「高梨瑞穂」


「はい」


 2年生の名前が続いていく。


 佳穂はその声を聞きながら、少し前のことを思い出していた。


 正直に言えば、楓が12人から外れた時から、もう予感はしていた。


 伊織が12番を取った、あの日。


 次は、自分かもしれない。


 そう思った。


 だって、1年生たちは誰も足を止めない。


「神崎凜」


「はい!」


 1年生に入る。


「速水美緒」


「はい」


 美緒の名前を聞いても、何も思わなかった。


 当然だった。


 もう美緒は、1試合を任せられる。


 反応がいいだけの1年生ではない。


 サーブレシーブも、ディグも、ブロックとの連携も、試合の中で大きく崩れなくなった。


 今では、美緒を外して自分を入れなければならない理由を探す方が難しい。


「水瀬千尋」


「はい!」


「黒川伊織」


「はい」


 そして。


「榊原真帆」


「……はい!」


 真帆の返事だけ、ほんの少し遅れた。


 驚いたのだろう。


 でも、佳穂は驚かなかった。


 やっぱり真帆だった。


 それで12人。


 最後の春高を戦うメンバーが決まった。


 その場に、妙な沈黙が落ちる。


 誰も佳穂を見ない。


 いや。


 見ないようにしているのが、よく分かった。


「何、その空気」


 佳穂が笑うと、何人かがようやく顔を上げた。


「佳穂……」


 萌々香が困ったように名前を呼ぶ。


「いや、誰がどう考えても分かるでしょ」


 佳穂は肩をすくめた。


「これまでの12人の中で、一番仕事がないの、私だもん」


「佳穂先輩……」


 真帆がこちらを見る。


 いかにも何か言いたそうな顔だった。


「謝ったら怒るよ」


「……まだ何も言ってません」


「その顔は謝る顔でしょ」


 真帆が口を閉じる。


 佳穂は笑ったまま、美緒を見る。


「美緒がいる。もう普通に1試合任せられる」


 それから、真帆へ視線を戻した。


「真帆はブロックで使える。最近じゃ、中に入ったら相手の情報まで拾ってくるし」


 美緒を正リベロとして任せられるなら、12人という限られた枠に2人目のリベロを置いておく意味は小さくなる。


 それなら、違う仕事を持った選手を入れた方がいい。


 簡単な話だった。


「だから、真帆を入れた方が今の青嵐は強い」


 真帆が少し俯く。


「でも……」


「でもじゃない」


 佳穂は少し考えてから、口元を上げた。


「まあ、半分くらいは真帆に落とされたようなもんだけど」


「えっ」


「だから、ちゃんと使われてきて」


「……はい」


「私の代わりに入るんだから、出番なしで終わったら許さないからね」


 真帆はしばらく佳穂を見ていた。


 それから、しっかり頷く。


「はい」


「よろしい」


 次に、美緒を見る。


「美緒」


「はい」


「正リベロ、取ったね」


 美緒はほんの少しだけ黙った。


 それから、いつものようにまっすぐ答えた。


「はい」


「じゃあ、最後まで返さないで」


「はい」


 余計な言葉はなかった。


 それでよかった。


 佳穂のおかげです、なんて言われても困る。


 私の分まで頑張ります、と言われても違う。


 美緒が取った。


 自分が欲しかった場所を、美緒が取った。


 だから、もう美緒のものだ。


     ◇


 楓が12人から落ちた時、次は自分かもしれないと思った。


 でも、それは楓が外れたからというだけではなかった。


 1年生たちを見ていれば分かった。


 凜は、点を取る力を増やし続けている。


 高校へ入った時から十分強かったのに、沙耶の隣で戦うようになってから、さらに打てる場所が増えた。


 伊織は、ただ上手にトスを上げるだけではなくなった。


 相手を見て、その相手が正しいと思った答えを、間違いに変えようとしている。


 千尋は、空いているところがあれば、そこへ入る。


 サーブ。


 レシーブ。


 ディグ。


 バックアタック。


 何かが足りないと分かれば、それを一つずつ拾っていく。


 美緒は、1本目を安定させた。


 真帆は、見えるものを増やした。


 外から見て。


 コートに入って。


 届かないと知ったら、次には届こうとする。


 1年生たちは、乾いたスポンジみたいだった。


 教えれば吸う。


 失敗すれば吸う。


 試合に出れば、もっと吸う。


 昨日できなかったことを、今日には試している。


 今日失敗したことを、明日には少し変えてくる。


 佳穂だって、止まっていたわけではない。


 去年より上手くなった。


 レシーブも安定した。


 周りを見る余裕も増えた。


 3年生になって、ようやく分かるようになったことだってたくさんある。


 自分だって、走っていた。


 それでも。


 負けた。


 下手になったからじゃない。


 さぼったからでもない。


 ただ、自分が走る速さより、1年生たちが伸びる速さの方が速かった。


 その成長速度に、負けた。


 もちろん、悔しい。


 最後の春高だ。


 3年間の最後だ。


 本音を言えば、12人に残りたかった。


 でも。


 それだけじゃない。


 もっと、本当のことを言えば。


 佳穂は、コートの中にいたかった。


 控えのリベロとしてではない。


 美緒が崩れた時に代わる選手としてでもない。


 青嵐の正リベロとして、最初から最後までコートに立ちたかった。


 サーブレシーブをして。


 ブロックフォローに入って。


 相手のスパイクを上げて。


 あのコートの後ろを、自分が守りたかった。


 最後の春高を、正リベロとして戦いたかった。


 美緒に「正リベロ、取ったね」と言ったのだって、綺麗に譲ったつもりなんてなかった。


 取られたのだ。


 ずっと欲しかった場所を。


 だから悔しい。


 ものすごく悔しい。


 それでも、分かってしまう。


 今の青嵐で正リベロを任せるなら、美緒だ。


 最後の12人に入れるなら、自分より真帆だ。


 自分がそこにいたいことと。


 チームが勝つために誰をそこへ置くべきかは。


 同じではない。


「……すごいなあ」


 悔しいのに、そんな言葉が出た。


 最後だからという理由で3年生を残して、勝てるわけではない。


 春高で勝つために選ばれた12人。


 その中に自分より真帆を入れる。


 今の青嵐なら、その方が強い。


 誰より佳穂自身が、それを分かっていた。


     ◇


 その日の練習が終わり、体育館の人が少なくなった頃。


 佳穂はコートの端に座っていた。


 いつも見てきた床。


 何度も飛び込んだ場所。


 何本もボールを上げてきたコート。


 あと何回、ここで練習するのだろう。


 そんなことを考えていると、後ろから足音が近づいてきた。


 誰だろうと思う前に、その人は佳穂のすぐ後ろへ腰を下ろした。


 背中が、軽く当たる。


 楓だった。


 何も言わず、背中合わせに座る。


 佳穂も何も言わなかった。


 しばらく2人で、静かな体育館に残っていた。


「悔しいね、楓」


「うん、そうだね」


 背中越しに、楓の声が返ってくる。


「でもね」


「うん」


「不思議とすっきりしている」


「そう?」


 楓が少し笑った。


「私は泣いたけど」


「萌々香から聞いた」


「あいつ口軽いな」


 佳穂も笑った。


「綾香にさ、多分落ちるよ、次って言われてた」


「あいつ容赦ないな」


「でしょ?」


 少しも濁さなかった。


 美緒が正リベロとして安定していること。


 真帆が試合で使われるようになっていること。


 今の12人を考えれば、次に危ないのは佳穂だということ。


 綾香は、それをそのまま言った。


「でもね、綾香と萌々香に言われたの」


「何て?」


 佳穂は目の前のコートを見る。


「最後まで、後ろ守ってくれって」


 一瞬、楓が黙った。


 それから背中越しに、小さく笑う。


「ふふっ、2人らしいね」


「うん」


 佳穂も笑った。


「正リベロで出たかったよ」


「うん」


「最後までコートにいたかった」


「うん」


「でも、負けた理由が分かるからかな」


 佳穂は膝を抱えた。


「悔しいけど、納得はしてる」


 背中の向こうで、楓が小さく息を吐いた。


「そっか」


「うん」


 最後の12人には入れなかった。


 でも、だから何もできなくなるわけではない。


 練習では相手役になれる。


 サーブを打てる。


 ボールを拾える。


 試合になれば外から見られる。


 相手の癖を探せる。


 疲れて戻ってきた選手を支えられる。


 楓なら、セッターだから見えるものがある。


 佳穂なら、リベロだから見えるものがある。


 ベンチに入れなくても。


 コートに立てなくても。


 青嵐の選手であることは変わらない。


「うん、だから」


 佳穂は少しだけ、楓の背中へ体重を預けた。


「最後まで守ろう、青嵐の後ろを」


「うん」


「春高って、総力戦だから」


 少し間があった。


 今度は、楓の背中がほんの少しこちらへ返ってきた。


「うん、そうだね」


 最後の大会。


 それでも勝つために、選ばれた12人。


 自分たちは、その中にはいない。


 だけど、12人だけで戦うわけじゃない。


 最後の1球が落ちるまで。


 青嵐の後ろには、自分たちがいる。


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