第五十二話 三校
定期試験が終わって数日後、練習の最後に深見先生から春高本戦前の予定が伝えられた。
「来週末、2泊3日で合宿を入れる。参加は3校。うちと椿山、それから紫峰だ」
紫峰、と聞いた瞬間、千尋は反射的に凜の方を見た。
凜もこちらを見ていて、目が合う。
東京都予選の決勝、第3セットを26対28まで競り合い、それでも最後に負けた相手と、春高本戦を前にもう一度試合ができる。
それだけで、さっきまで練習後の疲労に沈んでいた身体へ少し力が戻る気がした。
「3校とも本戦の組み合わせ上、対戦する可能性があるのはベスト8以降だ。それ以前には当たらない」
深見先生は淡々と続けた。
「そこまで勝ち上がれば、今見せたものがどうこうと言っている段階じゃない。今は春高を勝ち進むために、全国レベルの相手と実戦を積む方を優先する」
私にも、その意味は分かった。
本戦の組み合わせでは、3校ともベスト8までは当たらない位置にいる。
実際に大会で顔を合わせるには、それぞれが何試合も勝たなければならない。
ならば今は、互いを警戒して手を隠すよりも、強い相手を利用して自分たちの現在地を確かめた方がいい。
「それから、今回は試合数を稼ぐための合宿じゃない。3校で回すから、1校は必ず休める。ゲームに入らない時間はケアと確認に使え。春高前に身体を潰すような真似はするな」
「はい!」
3校だからできる形だった。
青嵐と紫峰が試合をしている間は椿山が休み、紫峰と椿山なら青嵐が休む。試合をしない学校は身体を休めながら、コートの外から他の2校を見ることもできる。
追い込むためではなく、強度の高い実戦をしながら無理をさせないための3校合宿。
全国インターハイ前までの自分なら、こういう話を聞いても単純に「たくさん試合ができる」としか思わなかったかもしれない、と少しだけ思った。
◇
合宿初日、最初に体育館へ着いたのは椿山だった。
「千尋」
「栞!」
見慣れた赤いジャージを見つけ、手を上げた。
栞の後ろには結子や多恵子、愛梨、杏奈、茉里奈たちもいる。シルバーウィークの合同合宿からまだ数か月しか経っていないのに、久しぶりに感じるのは、その間に自分たちがいくつも試合をしてきたからかもしれない。
「凜」
「結子!」
凜もすぐに結子のところへ向かった。
「元気?」
「普通」
「結子ってそればっかりだね」
「凜が元気すぎるだけ」
少し離れたところでは、美緒が愛梨と短く言葉を交わし、伊織は多恵子と何か話し始めている。真帆は茉里奈を見つけるなり、もうブロックの話をしていた。
「茉里奈、前より横移動速くなった?」
「ほんと?」
「はい。アップ見ただけですけど、前より足が止まってないです」
「やった!」
そんな声を聞きながら荷物を運んでいると、成美先輩が私を呼んだ。
「千尋、跳び方ちゃんとやってる?」
「やってますよ」
「ほんとに?」
「なんで疑うんですか」
「教えた側としては気になるじゃん」
「少しですけど、前より跳びやすくなりました」
「少しかー。じゃあ今日見る」
「採点厳しそうだなあ」
成美先輩が笑ったところで、体育館の入口がまた騒がしくなった。
白と紫のジャージが見えた瞬間、自然とそちらへ目を向けた。
紫峰。
まだ試合からそれほど日が経っていない。ジャージ姿を見ただけで、第1セットに凜へ集められたサーブや、最終セットの26対28が頭の中へ戻ってくる。
けれど、そんなことを考えるより先に、紫峰の列から1人の選手が飛び出した。
「結子!」
よく通る声だった。
呼ばれた結子が振り向く。
「彩葉」
「久しぶり!」
彩葉と呼ばれたその選手は、結子の前まで来ると笑った。
凜よりさらに背が高かった。ジャージの袖から伸びた腕も長く、立っているだけなのに手足の長さが目につく。
「元気だった?」
「普通」
「また普通って言ってる」
「普通だから」
「もっとないの?」
「ない」
相手の勢いに対して結子の返事はいつも通りだったが、会話そのものには遠慮がない。
ふと、その後ろへ目をやった。
紫峰の1年生らしい選手たちも結子を見ている。1人が小さく「久しぶり」と声を掛け、結子も「久しぶり」と返したものの、それ以上こちらへ寄ってくる様子はなかった。
知り合いではあるらしい。
ただ、目の前の選手――彩葉だけが、ずいぶん距離が近い。
何か違うのかな、と思ったところで、その彩葉が突然こちらを向いた。
「あ、凜ちゃん!」
「え?」
凜が自分を指差した。
「私?」
「うん。神崎凜ちゃん!」
「フルネームまで知ってる」
「知ってるよ。いっぱい打ってたもん」
彩葉は嬉しそうに言うと、そのまま視線を横へ滑らせた。
「千尋ちゃん!」
「えっ、私も?」
「水瀬千尋ちゃんでしょ?」
名前を呼ばれると思っていなかった私は、思わず間の抜けた返事をした。
「なんで覚えてるの?」
「後ろ3ローテで凜ちゃんと替わってたから。あれ面白かった」
「覚え方、そこなんだ」
「気になった選手は覚えるよ」
何でもないことのように言って、今度は美緒へ行く。
「美緒ちゃん!」
「はい」
「東京都予選、すごい拾ってたよね!」
「どうも」
「反応薄いね?」
「いつもこんな感じ」
教えると、彩葉は「そうなんだ」と素直に頷き、そのまま伊織を見つけた。
「伊織ちゃん!」
「私まで下の名前なんだ」
「2枚替えで出てきたセッターでしょ? 途中から攻撃の場所いっぱい変えてた」
伊織の眉が少し上がった。
「……よく見てるね」
「面白かったから」
さっきから全部それだった。
自分が面白いと思った選手は、名前まで覚えるらしい。
そこへ荷物を置き終えた真帆が近づいてくる。
「千尋、ボールケースはこっちでいいですか?」
「あ」
彩葉が真帆を見る。
今までと違って、すぐには名前が出なかった。
「えっと……」
「榊原真帆です。1年です」
「真帆ちゃん!」
「もう覚えたんですか?」
「うん!」
真帆が少し困った顔をする。
笑ってしまった。
「結子、彩葉っていつもこんな感じ?」
「気に入ると覚える」
「その言い方だと私が変な人みたいじゃん」
「違うの?」
「違うよ!」
彩葉が抗議したところで、紫峰の方から声が飛んだ。
「彩葉。挨拶が終わったなら先に荷物置いてこい」
「はーい!」
彩葉が素直に返事をする。
声の主へ目を向けた。
知っている顔だった。
東京都予選でも、何度も青嵐のコートへ強打を叩き込んできた3年生。彩葉のようなしなやかさとは違って、高いトスを力ごと押し込んでくるような選手だ。
「葛城遥先輩」
隣で凜が言った。
「やっぱり知ってる?」
「そりゃ知ってるよ。紫峰の3年エースだもん」
葛城遥。
名前を知ってから改めて見ると、試合中に受けた印象そのままの選手だった。派手に周囲へ声を掛けるタイプには見えないが、コートの中では多少トスがずれても強引に打ち切ってくる。東京都予選では、あの人が前衛に来るたびに嫌だった。
そして、その3年生エースの向こうを、さっきの長身の1年生が歩いていく。
「藤崎彩葉」
伊織が小さく言った。
「知ってるの?」
「名前は。183cmで全日本ユース」
「183……」
もう一度彩葉を見る。
確かに高い。
凜も彩葉の方を見ていた。
「凜も知ってた?」
「ユースで見たことあるよ」
「同じところにいたの?」
「うん」
そう答えた凜の視線が、さっきまでより少しだけ鋭くなったように見えた。
その視線に気づいたのか、荷物を置きに戻りかけていた彩葉が振り返る。
「凜ちゃん!」
「何?」
「今日、打ち合おうね」
「いいよ」
凜はすぐに笑った。
「負けないけど」
「私も!」
彩葉も笑って、そのまま紫峰の方へ戻っていった。
2人を見比べる。
同じ1年生。
同じレフト。
でも、たぶん全然違う。
どう違うのかは、試合を見れば分かる。
◇
3校の監督同士の確認が終わると、この日の最初のゲームは紫峰対椿山に決まった。
青嵐は休みから入る。
試合は25点の1セット。何セットも続けて同じ選手を出すことはせず、負荷を見ながら組み合わせを変えていく。
「最初に見られるの、ありがたいね」
コート脇で身体を冷やさないよう軽く動きながら、ネットの向こうを見た。
「紫峰が椿山相手にどう守るか見たいです」
隣の真帆が答える。
「東京都予選の時は、うち相手の守り方しか見てませんから」
「椿山、毎回メンバー変えてくるもんね」
「だから紫峰がどこまで変えるのかも見たいです」
伊織も2人の近くでコートを見ていた。
両校がアップに入り、紫峰側ではセッターがレフトへ高めのトスを上げた。
「彩葉!」
さっきまで人懐っこく名前を呼びまくっていた1年生が、助走へ入る。
踏み切った瞬間、まず高さに目を奪われた。
183cmという身長だけではない。もともと長い腕が頭上へ伸びることで、ボールへ届く位置がさらに高く見える。それなのに、跳んですぐに腕を振り出すわけではなかった。空中で肩を残したまま一瞬だけ待ち、そこから肘、手首へと順に力が伝わっていく。
最後に長い腕が一気に走った。
乾いた音が体育館へ響き、ボールがコート奥へ突き刺さる。
「……すご」
思わず声が漏れた。
高いだけではなかった。
凜のスパイクは、助走から踏み切って、一気に全身の力をボールへぶつけるように見える。
彩葉の打ち方はそれとは違う。
身体全体が大きくしなって、最後に腕だけが遅れて追いついてくる。
私には、それが鞭みたいに見えた。
「腕が出てくるの、遅いですね」
真帆が言った。
「遅い?」
「はい。でも、振り始めてからは速いです。ブロックが先に手を出すと、そのあとでコースを変えられそうです」
次の1本が上がる。
彩葉は同じような踏み切りから跳び、今度はクロスへ鋭く打ち込んだ。
思わず真帆を見る。
「今のも待ってた?」
「少し。たぶん」
真帆は彩葉から目を離さない。
「嫌だなあ、あれ」
「嫌です」
今度は紫峰の反対側で、葛城さんが助走へ入った。
上がったトスは少しネットから離れていた。それでも葛城さんは大きく踏み込み、迷わず振り抜く。ブロック役の手に当たった音がした次の瞬間、ボールはそのまま後ろへ大きく弾き飛ばされた。
目を丸くした。
「……全然違う」
「何が?」
凜が聞く。
「彩葉は鞭っぽいけど、葛城さんは……大砲?」
「あー」
凜が笑った。
「分かる」
1年生の藤崎彩葉は、高い打点からしなるように打ち分ける。
3年生の葛城さんは、多少形が崩れても重い一撃で押し切る。
同じチームに2種類のエースがいる。
東京都予選で苦しかった理由を、改めて見せつけられているようだった。
「全国で当たったら、両方止めないといけないんだよね」
そう言うと、凜は簡単に答えた。
「そうだね」
「じゃあ止めればいいじゃん」
「簡単に言うなあ」
「だって、当たったらやるしかないでしょ」
凜の目はもうコートへ戻っている。
その先では椿山もアップを終え、栞がレフトへ、結子が反対側へ入ろうとしていた。
それを見た彩葉が、ネット越しにすぐ声を上げる。
「結子!」
「何?」
「ちゃんと打ってね!」
「言われなくても打つ」
そのやり取りを聞いて、紫峰の1年生が何人か結子の方を見た。
やっぱり少しだけ、彩葉とは空気が違う。
気になったものの、今すぐ聞くことでもないと思って視線をコートへ戻した。
3日間ある。
試合をする時間も、休む時間もある。
きっと、話す時間だってある。
「青嵐、見るのはいいけど身体冷やすなよ」
相沢コーチから声が飛んできた。
「はい!」
返事をして、その場で軽く足を動かした。
やがて笛が鳴り、紫峰と椿山の選手たちがコートへ入っていく。
全国で勝ち進めば、この中のどこかともう一度戦う。
その時、自分たちは今より何ができるようになっているだろう。
コートの向こうで笑っている彩葉と、その隣に立つ葛城さんを見ながら、最初の1球を待った。




