第四十九話 ブロックのあと
負けた。
26対28。
最後のボールが床へ落ちて、紫峰の歓声が体育館いっぱいに広がった時、梓はベンチの前に立ったまま、しばらくスコアボードを見ていた。
第1セット、25対27。
第2セット、26対24。
第3セット、26対28。
どこを見ても僅差だった。
あと1本。
あと1本取れていれば、と考えようと思えば、いくらでも考えられる。
自分が入ったあの場面だって、そうだった。
23対23。
皐月と交代して前衛に入り、紫峰のエースにブロックを合わせた。
狙いは分かっていた。
助走を見る。
肩を見る。
踏み切りに合わせる。
コースへ手を出す。
打球は梓の手に当たり、勢いを殺されて青嵐コートへ戻った。
止めた。
完全なドシャットではなくても、十分だった。
美緒が拾えるボールにした。
ブロックを強めるために入った自分の仕事はできた。
実際、そのラリーは最後に凜が取り切って、青嵐は24対23でマッチポイントを迎えた。
なら、成功だった。
そう言ってしまってもいい。
でも、梓の中には試合が終わってからも、あの1本が引っかかったままだった。
「ありがとうございました!」
整列を終え、コートを離れる。
周りでは凜が悔しそうに何かを言い、沙耶は紫峰の選手と短く言葉を交わしている。深見先生もスタッフと話していた。
梓は自分の両手を見た。
紫峰のスパイクを止めた手。
あの時、そこまではよかった。
問題は、そのあとだった。
◇
紫峰のライトから打たれたボールを、怜奈が拾った。
レシーブはコートの中央寄りへ高く上がった。
怜奈が1球目を触った。
なら、2球目は誰かが上げなければならない。
あの時。
ボールに一番近かったのは、自分だった。
梓はネット際にいた。
少し動けば、十分に触れる距離だった。
でも。
自分はボールから離れた。
次に打つために。
助走を取るため、一度ネットから距離を作った。
だから2球目へ走ったのは綾香先輩だった。
綾香先輩はセッターもできる。
センター寄りまで走り込み、苦しい体勢からでも両手でボールを押し出した。
高いトス。
レフト。
沙耶へ。
ラリーは切れなかった。
最後には点も取れた。
それなのに、梓の頭にはあの瞬間が残っている。
もし。
あそこで自分が2球目を上げていたら。
「……あ」
梓は小さく声を漏らした。
沙耶へ上げられる。
それは同じだ。
でも、綾香先輩は2球目へ走らなくていい。
ライトで、そのまま攻撃に入れる。
沙耶と綾香先輩。
2枚の攻撃を残せた。
自分がトスを上げられれば。
紫峰のブロックは、最初から「高いレフト」と決めつけられなかった。
沙耶へ行くのか。
綾香先輩へ行くのか。
少なくとも、2つを見なければならなくなる。
「……そっか」
思わず、もう一度声が出た。
体育館の隅で荷物をまとめていた真帆が、ちらりとこちらを見る。
梓は気にせず、自分の手を見た。
自分はあの時、ボールに一番近かった。
なのに、次に打つことしか考えていなかった。
攻撃に入るために下がった。
その結果、綾香先輩が2球目へ走った。
綾香先輩がトスを上げたから、綾香先輩自身は攻撃から消えた。
自分が2球目を上げていれば。
沙耶と綾香先輩。
2枚を残せた。
「私が上げればよかったんだ」
口に出してみる。
不思議なくらい、すんなり腑に落ちた。
◇
今まで、ブロックを強めるために途中から入ることは何度もあった。
その時は、こんなことまで考えたことがなかった。
まず相手のアタッカーを見る。
どこへ打つ。
どこで跳ぶ。
どう止める。
自分の仕事はそこだと思っていた。
止めたあとに何が起きるかは、誰かが何とかしてくれる。
実際、何とかなっていた。
後ろには綾香先輩がいる。
千尋が入っている時なら、千尋もいる。
2人とも、本職のセッターではない。
でも、2球目を触れる。
崩れた時に、次の攻撃ができる高さを残せる。
綾香先輩は必要ならセットもできる。
千尋も完璧なトスを上げるわけではない。それでも、自分が取れないボールへ走って、次の攻撃ができる高さを残す。
だから梓は、相手のアタッカーだけを見ていられた。
ブロックする。
速攻に入る。
またブロックする。
その先は、誰かがやってくれていた。
今日だって綾香先輩がやってくれた。
でも。
綾香先輩が2球目を上げれば、綾香先輩は打てない。
誰かがやってくれることと、攻撃の形が同じまま残ることは、同じではなかった。
「私のブロックって……」
梓は小さく呟いた。
自分だけで成立していたわけじゃなかったんだ。
止めた。
それで終わりだと思っていた。
そのボールを誰が拾って。
誰が2球目を触って。
その時、何枚の攻撃を残せるか。
そこまで含めて、一つのプレーだった。
今さら気づいた。
「……皐月にあって、萌々香先輩にあって、私になかったものだな」
視野。
皐月はブロックも速攻も規格外だけれど、それだけじゃない。
相手の位置を見ている。
自分が囮になった方がいい時には本気で走るし、打てないと分かればすぐ次のプレーへ移る。
萌々香先輩もそうだった。
ブロックだけを見ていない。
ボールが抜けたあと。
味方が崩れた時。
誰が次を触るべきか。
その場その場で、自分の仕事を変えられる。
それに比べて、自分は。
「猪突猛進……」
梓は自分で言って、少し嫌な顔をした。
ブロック。
速攻。
またブロック。
それを誰より高い水準でできれば、それでいいと思っていた。
実際、それでコートに入る機会を掴んできた。
ブロックで流れを変えたい時に呼ばれるなら、そこで結果を出せばいい。
自分の役割は、そこだと思っていた。
でも、今日。
せっかく止めた1本のあとで、自分は次の形を減らしていた。
もしあの時。
怜奈が上げた1球目へ自分が入って、2球目を上げられていたら。
綾香先輩を攻撃に残せた。
沙耶と綾香先輩。
2枚を残せた。
皐月と同じような速攻は無理でも、少なくとも相手に「2球目は高いレフト」と決めつけさせずに済んだ。
自分が一つできることを増やせば、自分のブロックの価値まで変わる。
梓はそこで、少し笑った。
「……あ~、トス練しよ」
口に出してみる。
思ったより嫌ではなかった。
「あとレシーブ練も」
「えっ」
今度ははっきり声が聞こえた。
見ると、少し離れたところで真帆が目を丸くしている。
「何?」
「いえ……梓先輩が、レシーブ練習って」
「私だってするよ」
「しますけど」
「何、その顔」
「ちょっと意外でした」
「真帆」
「はい」
「明日付き合って」
「はい!」
返事だけはやたらと早かった。
梓は苦笑しながら立ち上がる。
全国インターハイの頃なら、こんなことは考えなかった。
ブロックで勝つ。
速攻で点を取る。
そこだけをもっと磨こうとしていた。
それは今も捨てるつもりはない。
むしろ、もっと強くしたい。
ただ、その前と後まで見られるようになればいい。
ブロックのあとに何が起きるか。
自分が打てない時に何ができるか。
誰かが困った時、自分の手で何を残せるか。
そして。
自分が2球目を触ることで、誰を攻撃に残せるのか。
梓は体育館を見渡した。
壁には、「春の高校バレー 東京都予選」と書かれた大きな横断幕が掛かっている。
東京では、負けた。
でも、春高はここで終わりではない。
全国へは行く。
だったら次に紫峰と当たった時、自分が今日と同じでいる理由はなかった。
「トスかあ……」
もう一度、自分の指を見る。
ブロックのために伸ばしてきた指。
スパイクを打つために使ってきた手。
別に、トスを上げてはいけない理由なんてない。
「よし」
梓はバッグを肩に掛けた。
まずは明日。
ブロック練習のあとに、トス。
それからレシーブ。
やることが増えた。
負けた直後だというのに、少しだけ次の練習が楽しみになっていた。




